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改正貸金業法を指示する-池尾和人

2009年04月16日 | 論理

つい昨日気づいたのだが、アゴラに池尾和人氏の「改正貸金業法を指示する」という投稿があった。大いに賛成できる内容だったので引用する。

上限金利規制や総量規制といった統制経済的なやり方は、非効率で副作用の大きなものですから、そうした規制の強化や導入に伴って何らかのコストが発生していることは疑いありません。しかし、「便益ばかり強調し、まるで費用が存在しないかのよう」に言うのが正しくないように、「費用ばかり強調し、まるで便益が存在しないかのよう」に述べるのも間違っています。貸金業法の改正の以前と以後で、純便益(便益-費用)がどう変化したのかを考えなければなりません。

池尾・池田本のp.224で池田さんが指摘しているように、「最近の経済学で共有されている基本的な考え方は、市場メカニズムがちゃんと動くためにもルールは必要であるというものであって、ルールもなしにマーケットだけ導入したら滅茶苦茶にな」ります。しかし、果たしてこれまでの日本の消費者金融市場は、市場機構が適正に作動する前提条件となる「ルールとか暗黙の約束事」が遵守されるような状態にあったのだろうかと考えると、否定的にならざるを得ません。

私自身は、同書のp.226で「これまでの日本の市場経済は、ルールとか制度整備が不十分で、相手を騙して儲けるような行動を抑止する仕組みが十分に備わっていない、一言で言うと質の低い市場だった」と述べましたが、中でも従来の消費者金融市場はきわめて低質な市場であったと判断しています。それゆえ、略奪的貸付(predatory lending)が広範に横行していたとみています。

略奪的貸付の概念は、サブプライムローン問題で有名になったので、ご存じの方も多いかと思いますが、要するに借り手が不利益を被るような貸付のことです。自発的交換の世界で、どうして借り手が不利益な取引に応じるのかという疑問をもつ方も少なくないでしょう。確かに、完全情報で、交渉力等の面でも対等性が確保されているなら、強制されない限り、不利益な取引に応じる者はいません。しかし、情報の非対称性が存在したり、借り手の側に行動経済学的なバイアスがみられたりすれば、略奪的貸付は起こり得ます。

改正貸金業法に批判的な人は、よく「ヤミ金が増えるだけだ」といった言い方をしますから、ヤミ金が存在することは認めているわけです。それでは、ヤミ金がなぜよくないかというと、それは略奪的貸付行為にほかならないからです。この意味で、日本の消費者金融市場に略奪的貸付が存在することを前提として議論する必要があります。問題は、ヤミ金だけが略奪的貸付で、登録貸金業者はまったく略奪的貸付と無縁だったといえるかということになります。この点は、最終的に実証の問題ですが、少なくともヤミ金融に限定されず略奪的貸付がみられるというanecdotal reportsはたくさん存在します。また、いまのところそれを否定する実証結果も出されていません。

従前から、日本の消費者金融市場に関しては、「高金利、過剰貸し付け、厳しい取り立て」という現象がみられるという指摘が繰り返しなされてきています。このうち、厳しい取り立てというのは、私は、人間関係のような通常は「譲渡不可能(non-transferable)な資産」を譲渡可能(transferable)にする技術だと捉えています。

通常の意味での金銭的な資産や所得の他に、ある個人が職場や地域あるいは親族や家族との間で維持している人間関係の良好さといったことも、その個人の厚生水準の重要な規定要因です。その意味で、いわゆる無産者であっても人は、現在の人間関係から得ている便益の金銭相当額(あるいは、その人間関係を失うことの機会費用)を現在価値化した分の資産はもっていると考えることができます。厳しい取り立ては、親族や友人から借りて返済させるというかたちで、この資産を金銭化します。しかし、金銭化される割合はかなり低く、資産の大半は破損されることになる(すなわち、二度と親類つき合いや友達つき合いしてもらえなくなる)とみられます。

「多重債務の怖さは、その生活破壊力の大きさ、早さにある。」(岩田正美『現代の貧困』ちくま新書、2007年、p.179)と指摘されていますが、これは、いま述べたような事情があるからだと考えます。こうした理解が正しいとすれば、厳しい取り立てを伴う消費者金融は、大きな死荷重(deadweight loss)を発生させるものであり、その規模拡大は、社会的余剰をむしろ減少させるものになると考えられます。今回の貸金業法改正が信用収縮をもたらすことは、このような観点から意図されたものです。収縮する信用部分が、もっぱら死荷重を発生させるタイプのものであるならば、マイナスの効果を持つものがマイナスになれば、社会の厚生水準は改善することになります。

原因は「厳しい取り立て」にあるので、本当はそれだけを禁止できればいいのですが、立証可能性等の問題を考えると、取り立て規制の実効化(enforcement)はきわめて難しいものです。それゆえ、やむなく冒頭でも述べたように副作用が大きく、乱暴な手段である上限金利規制や総量規制を導入せざるを得なかったというのが、日本の消費者金融市場の情けない現状だといえます。改正貸金業法を批判する人は、社会的にもロスを生じさせるようなタイプの略奪的貸付を横行させてもよいというのでなければ、どのような代替的な方策があるのかを提示すべきでしょう。

ということで、貸金業法の改正後、略奪的貸付は顕著に減少しており、かなりの便益がもたらされたと私は判断しています(もちろん、これも最終的には実証の問題で、現時点で確たる証拠があるわけではない)。しかし、コスト増がこの便益を上回っていたら、失敗だということになります。

コストとして、一般に指摘されているのは、(1)中小零細事業者の資金繰りが困難化していると、(2)ヤミ金が増えているというものです。これらの点については、私も懸念していますが、辻広さんも指摘しているように、いずれもデータ的に裏付けられたものではありません。前者の点については、木村剛の『ファイナンシャル ジャパン』が特集するということのようなので、どんな証拠が出てくるのかを待ちたいと思います。

後者の点は、とても気にしているのですが、ヤミ金被害が増えたという感触は幸いなことにいまのところありません。もっとも、定義的に「ヤミ」ですから、公式統計とかがあるわけではないので、印象論にしかならないところがあります。首都圏とか関西圏では、警察の取締りが強化されたことから、明らかに減少していると思われます。東京在住であれば、神田駅周辺や新橋駅前の状況をみれば、このことは分かるはずです。しかし、(仙台や福岡といったクラスの都市を含む)地方では、増加しているのではないかと懸念される兆しがないわけではありません。

ヤミ金(の検挙数ではなく、被害)が増えているといっている人はいるのですが、どのような根拠に基づいているのか是非教えてほしいと思っています。ある記事のように、「ある大手消費者金融の関係者は『(断られた人は)おそらく他社でも断られているでしょうから、ヤミ金に流れるとみるのが自然でしょう』と話している。」というのだけが示された根拠というのでは、話になりません。

結論としては、純便益は増加しているという判断です。ただし、現状が最善でないことは当然で、次善どころか三善以下でしかない可能性も高いので、繰り返しになりますが、もっといい解決法があるということでしたら、是非ご教示下さい。

結局、貸金法改正に関する議論のおかしなところは、多くの消費者金融が違法な行為をして、それが社会の便益を大きく損なっているのに、規制をしないことによって消費者金融を保護する必要があると言う主張が出てくるところだろう。本来なら、もっと前から違法な取立てなどに対して厳しい刑事罰を科すなどの対策を取っておく必要があった。また、現在においても金融業者の違法な行為に対する取締りや対策は不十分だと言えるだろう。つまり、違法な行為を規制することによって正常な市場を生み出す必要があるのである。

それを、違法な状態の改善によって社会全体の利益を改善しながら貸金業界を改革していく必要があるのに、不法な行為によって多くの収益を上げてきた現在の消費者金融の利益を保護することによって市場を保護しようとするのがおかしいのである。少し考えれば分かることであるが、違法な取立てをしてでも貸し出しを回収する業者と違法な取立てをしない業者とがあれば、違法な業者は利益を上げ、合法的にやっている業者は貸し倒れによって潰れていってしまう。つまり、現在の違法な取立てが蔓延る状況は現在の消費者金融たちがまともな業者を排除することによって作り出したのである。

つまり、本来は健全な市場を作り出さないといけなかったのに、消費者金融が法律を無視して違法なことをし、それが他の健全な業者を排除して反社会的な市場が形成されたのである。このように、消費者金融が原因となって現在の違法な取立てが横行する状況が出来上がったのに、消費者金融が違法なことをしていなければ存在したであろうよりよい金融市場の可能性を無視して、現在の反社会的な制度を守ろうという発想が無茶苦茶なのである。

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