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監督の思いを最も最先端テクノロジーを駆使して表現を実現させていく様に驚きと感動と賞賛を!
先週、アバターを字幕付きでアイパットで見た。
もちろん公開された2009年にボクはスイスでオリジナル版(フランス語字幕)でみたのだけれど
やっぱり、今回、日本語字幕だとよく理解できてアイパット・ミニでも感動は大きかった。
衛星パンドラを後の恋人ネイティリが案内する、様々な植物や動物たちの描写、そしてイクランという翼竜に乗って
飛び回るシーンの素晴らしいこと!
なにより、パンドラ衛星に住む先住民族ナヴィの娘ネイティリの心の美しさが見て取れる表情・・・がなんとも言えない。
この映画を見た時は、『ああ、自分たちアメリカ人が過去にしてきた先住民族インディアン虐待』を描いている…のだ、と思って
見ていたのであるが、その後、2011年に3・11が起こり、それから日本で起きた様々なこと、特に、沖縄の基地問題など典型で
権力のあるものによる、市民への横暴を見た時、このアバターの描いていた物語が頭をよぎったりしていた。
2010年以降、迫害を受けるパンドラ星というのは実際、現地球上の至る所でもあるということが実感される世の中になって来ている。
大自然にある神聖なるものへの敬意を尊重する族と利益一点張り族の闘いは日本においても、益々鮮烈を極めてきている。
そんな中、今日IWJの岩上安身さんによる、有名になった前川喜平さんのインタビューには、来年2018年という年を暗示するものが
あったような気がした。慈悲心を唱える仏教による世作り…そんな話が聞かれたのだ。
監督の思いを最も最先端テクノロジーを駆使して表現を実現させていく様に驚きと感動と賞賛を!
先週、アバターを字幕付きでアイパットで見た。
もちろん公開された2009年にボクはスイスでオリジナル版(フランス語字幕)でみたのだけれど
やっぱり、今回、日本語字幕だとよく理解できてアイパット・ミニでも感動は大きかった。
衛星パンドラを後の恋人ネイティリが案内する、様々な植物や動物たちの描写、そしてイクランという翼竜に乗って
飛び回るシーンの素晴らしいこと!
なにより、パンドラ衛星に住む先住民族ナヴィの娘ネイティリの心の美しさが見て取れる表情・・・がなんとも言えない。
この映画を見た時は、『ああ、自分たちアメリカ人が過去にしてきた先住民族インディアン虐待』を描いている…のだ、と思って
見ていたのであるが、その後、2011年に3・11が起こり、それから日本で起きた様々なこと、特に、沖縄の基地問題など典型で
権力のあるものによる、市民への横暴を見た時、このアバターの描いていた物語が頭をよぎったりしていた。
2010年以降、迫害を受けるパンドラ星というのは実際、現地球上の至る所でもあるということが実感される世の中になって来ている。
大自然にある神聖なるものへの敬意を尊重する族と利益一点張り族の闘いは日本においても、益々鮮烈を極めてきている。
そんな中、今日IWJの岩上安身さんによる、有名になった前川喜平さんのインタビューには、来年2018年という年を暗示するものが
あったような気がした。慈悲心を唱える仏教による世作り…そんな話が聞かれたのだ。
鏡哲学…なんて云うものは、無いとは思うんだけど。
第一、哲学がなんかわかってない自分がこの言葉を使用するところから洒落臭い。
しかし、自分の貧しい耳学問からすると、それがどう考えても『鏡哲学』と思えるんだよな。
昨日自分史を書いた時、高校の時ゼンゼン勉強しなかった…、友達が一人もいなかった…と書いたが
自画像は描いていた。その時、鏡を観ていたわけだ。
ボクにとって『鏡』の重要性に気付いたのは20歳の時であったが、この高校生の頃、多分何かを感じていたのかもしれない。
当時、仏教なんてなんにも興味がなかったのに、菩薩像を模写していたのが、不思議といえば不思議だ。
鏡をみてガマの油(あぶら)ならぬ、無我のあぶらを知らずに流してしたのだろう。
(*ガマの油〜いまどきの人はガマの油なんていう言葉すら聞いたことが無いだろうけど。子供の頃みた時代劇には
必ずと云っていいほど、貧乏侍がガマの油で作った切り傷に効く軟膏を大道で売るシーンをみかけたものだ。)
『自分史』のテーマにピッタリの写真を撮れた感に満足図
先日、大好きなPodcast(~アンドロイドではCastBox)で、ラジオ版・学問ノススメ立花隆さん講師で『自分史』テーマ
のお話があった。(2014年の収録)
キッカケは50歳代以上の人を対象に、ある大学が催した講座に立花氏が講師として依頼されたもの、とのこと。
立花氏曰く、60歳は自己の歴史を振り返るのに最もふさわしい年代…とのこと。まさに、『還暦』する…である。
還暦も半ばになり大雑把でも俯瞰できる『自分史』をしてみようと思った。
1~10歳:遊戯三昧期
まったくもってよく遊んだ。今考えるとボクの性格形成の基盤がこの時期の『遊び』にあるような気がする。
育ての母は眼が不自由で、文盲であったから、日常の躾は厳しかったが、それ以外のことは放任されていたので
暗くなるまで、冬は長靴に毛糸で編んだ脚絆をはいて雪にまみれ、帰宅してストーブにあたると軽い凍傷なのか
足が痛くなったりしたものだ。まだスポーツとは無縁でも、大自然のなかでの遊びで体が鍛えられた時期。
11~20歳:小、中、高校の学生期
小学校では『歯磨き』から教えてもらった。それまで、多分歯を磨く習慣がなかったように思う。
『紙芝居』が大好きで、夢中で見ている子供だった。クラスは多く50~55人ぐらいいたが、どの先生も
熱心で一所懸命教えてくれた。お陰様で高学年ではまあまあの成績でクラスの子とも仲良く、特に稲田君とは
ふざけあって、映画『マタンゴ』というキノコの化物に稲田君がなって追っかけられるボク…は忘れられない。
中学校では、部活が中心の生活だった。夏は柔道部、冬はスケート部。その前に毎朝自転車で『牛乳配達』をした。
ボクの田舎、北見は国鉄職員の子女が多く、進学する者がほとんどで北見市内で進学校は柏陽と北斗高校があって
皆、そこを目指していた。ボクもなんとなく高校ぐらいは出てないと将来大変だ…ぐらいに思っていたようで
300人中30番ぐらいの成績で、柏陽高校に入学した。
高校一年生の時、実母が死に、姉も嫁に行ってボクは一人になった。市役所の福祉職員のお世話で
市会議員の方の家に卒業するまで夕食付きの下宿。進学校であったので、ボクのように進学する気がなかった
者にとって、この時期は結構辛かった。皆大学受験を目指している中、そうでない者が何人かいてボーツとして
いたが、それじゃまずいと、自分なりにこれはと思う本を授業中に読んだり、3年生のときは自転車で北海道3分の2周
した時、同校の野球部が甲子園出場してこの時優勝した箕島高校にやぶれた。友達が一人もいない三年間、成績は多分
卒業させられないレベルであったと思うが、お情け卒業し、東京のオープン間近の京王プラザホテルに就職。
21~30歳:写真三昧期。カメラは一番小さくて、安いペンタックスSP。
東京から何故か、神戸に渡って六甲道の牛乳屋さんに3人共同の住み込みしながら、写真学校へ。
ボクの田舎とは全く違う環境で、写真という目標を見出して最高に充実していた。
写真学校~同校助手勤務~英会話学校(車で弁当配達)~東洋鍼灸専門学校+無為塾(某学校宿直勤務)~禅を始める
31~40歳:33歳で鍼灸学校を卒業・免許取得後、36歳ぐらいまで、ヨーロッパ、ニューヨークなど行ったり来たりして過ごす。
36~39まで円覚寺にて居士として禅修行&太極拳を村瀬大翼、李徳芳先生に学ぶ。(夜間クレジットカード会社勤務)
40~50歳:バトミントン三昧期。 39歳、ニコルと結婚しスイス在住。フリーの観光ガイドを始める。
来瑞当初、練功十八法(中国体操)を教えていたが、それで食べていけずガイド業に専念。
1995年ローザンヌでバトミントン世界選手権が行われたが、丁度この年ボクは43歳でバトミントンを始めた。
多い時は週に3回、家から近いバトミントン場へ通い、一回に3時間ぐらい練習、これを2005年まで継続。
51~60歳:写真再開期。2001年(49歳)例の9・11でスイスへの観光客激減が決定的になった頃、2003年引越し屋の話があり勤務。
以来、収入とバカンスが安定したため写真活動を再開。初めは自宅に暗室を設けて再開したが、2006年にカメラを
デジタルにしてPhotoshopに移行。 2011年(59歳)3・11があり6月にスマートフォンを買い、ツイッターで俳句を
始め、ツイッターやその他のネット情報で日本の政治状況に目覚め、2012年12月の衆議院総選挙に初めて投票権を使用。
現65歳:引越し屋を15年勤め5月に定年退職。4月に自分の写真に短歌を刻んだ作品で展示。
こう書き始めると案外、あれやこれや思い出し始めたが、大雑把なところでまとめる。
先のことはわからないが、ざっとこうして俯瞰してみると来年の抱負への参考ぐらいにはなるだろう。
今日はこちらスイスでは祝日でお休み。
昨夜はニコるの姉宅で、初めてのクリスマス祝…といっても母方はユダヤ系だけど
ゼンゼンこだわってない様子。ボクも未だに『ユダヤ』のことがよくわからない?
第一、ニコるがユダヤ系って結婚する時、知らなかったけど…しってても気にしないけどね。
で、クリスマスといっても、もう食べることと、ダベることのみ。
小さい子供もいないのでひたすら井戸端会議の正式版…みたいなもの。
なんとか2時間ぐらいは、頑張って話に着いていったけど、ワインのせいもあって
もうフランス語にくたびれて、ソファにダウン!!
日本人女性の友人たち複数の人が言っていたけど、こちらの親戚一同が会するクリスマスは苦手って
言ってたっけ!
その後、食卓から、彼等は移動して居間のボクの寝そべっているソファを囲んでフランス語が飛び交っていた。
今朝は、本当に日本の元旦あけのように、街は人が少なくシーンと静かで、レマン湖畔の散歩も人が少なく
会う人ごとに『ボン・フェット(よい祭りを)』あるいは『Joyeus Noél (Merry X'mas)』と声を掛け合った。
帰宅してからネットのホームページをいじったりしていると、メールでこちらの友人から『クリスマス・カード』が
何枚か届き、急に自分が何にも用意していなかったことに気付き急きょ上記の『年末年始電子ハガキ』を作成!
干支の犬を入れるのを忘れた… 皆様 メリークリスマス!!!
今日はこちらスイスでは祝日でお休み。
昨夜はニコるの姉宅で、初めてのクリスマス祝…といっても母方はユダヤ系だけど
ゼンゼンこだわってない様子。ボクも未だに『ユダヤ』のことがよくわからない?
第一、ニコるがユダヤ系って結婚する時、知らなかったけど…しってても気にしないけどね。
で、クリスマスといっても、もう食べることと、ダベることのみ。
小さい子供もいないのでひたすら井戸端会議の正式版…みたいなもの。
なんとか2時間ぐらいは、頑張って話に着いていったけど、ワインのせいもあって
もうフランス語にくたびれて、ソファにダウン!!
日本人女性の友人たち複数の人が言っていたけど、こちらの親戚一同が会するクリスマスは苦手って
言ってたっけ!
その後、食卓から、彼等は移動して居間のボクの寝そべっているソファを囲んでフランス語が飛び交っていた。
今朝は、本当に日本の元旦あけのように、街は人が少なくシーンと静かで、レマン湖畔の散歩も人が少なく
会う人ごとに『ボン・フェット(よい祭りを)』あるいは『Joyeus Noél (Merry X'mas)』と声を掛け合った。
帰宅してからネットのホームページをいじったりしていると、メールでこちらの友人から『クリスマス・カード』が
何枚か届き、急に自分が何にも用意していなかったことに気付き急きょ上記の『年末年始電子ハガキ』を作成!
干支の犬を入れるのを忘れた… 皆様 メリークリスマス!!!
昨夜、例のモーリス・ベジャール・バレエ団の公演『Dixit(彼はこう言った)』を見てきた。
(これに関しては以前のボクのブログに少し書いてあります。ご参照下さい。)
http://blog.goo.ne.jp/syaraku-sai_5/e/3409e41cc90aa7a2f90f62506cabcad7
場所は我々のアパートから徒歩12分ぐらいのところで、かの有名なローザンヌ・バレエ国際コンクール
を毎年行うところであるが、実は ボクは初めて行った。
今回の公演はモーリス・ベジャール・バレエ団30周年とモーリス・ベジャールが亡くなって10周年を記念した
特別講演でモダン・ダンス界における彼の足跡を訪ね、功績を讃える趣向がダンスと映像で構成されていた。
いや~、久々に見たベジャール・バレエ団のダンスは若いエネルギーとそれが素晴らしく制御されている群舞と
独舞、それに個々人の個性がプラスされて、本当に見ごたえがあった。
中でも日本人の大貫マサヨシさんとは、以前撮影の時に少し話をする時間があって『素朴な好青年』というどちらかと言うと
控えめな印象であったが、舞台でみる彼の存在感は凄かった。サインもらっとけばよかったかも…と後悔。
また日本人女性の大橋マリさんの男女二人で踊るダンスも個性的であり、目を見張るもので大変魅了された。
優れたダンサー達が沢山集まる集団のなかで同邦人が頑張っているのを見るのはやはり嬉しい。
ところで、ボクが出演した(と言っても、背景の飾りのようなもの)映像であるが、比較的前半にあって
モーリス・ベジャールが日本人について彼が感じたその特性を語る場面に、独舞の背景に我々日本人二人が
障子の前に着物姿で立っている…というものであったが、それがほとんどシルエット状で顔など判別できない暗さで
15秒ほどのシーンであった。これを見てボクは、正直ホッとした…と、思いきや
公演開始直前に買った公演案内パンフレットを後でじっくり見て、ギョッとした。
というのは、映像撮影時のスナップ写真でボクが写っているのが3枚もあったのだ。
まァ、1枚は大貫さんが袴姿で独舞するすぐ後ろに背景として立っている二人の日本人の一人として
ボーッと突っ立っている写真で、メインが大貫さんであるから良いが。
2枚目は、出番待ちの時にボクと相棒のSさんがベンチに座って、頂いたペットボトルを開けて、これから
水を飲みましょう…という場面を知らないうちにスナップされていたのであるが、なんと
相棒のSさんはちゃんと座っているのに、ボクはスタジオが熱いので袴を膝までたくし上げて
素足で足を組むという無様な格好で写っているのだ…(よくこんな写真を選んだものだ!)
そして、3枚目は袴姿で立っているボクの左手元をアップした写真であるが、写真家は
多分、袴のヒモに親指を掛けているボクの手に興味があったのだろうか…と想像するが
問題なのはじつは、ヒモの締め方なのだ。見る人が見ればなんとだらしない…と思うこと
間違い無しの、ボクにとっては絶対にアップでは撮ってほしくなかった部分であったのに・・・。
昨夜、例のモーリス・ベジャール・バレエ団の公演『Dixit(彼はこう言った)』を見てきた。
(これに関しては以前のボクのブログに少し書いてあります。ご参照下さい。)
http://blog.goo.ne.jp/syaraku-sai_5/e/3409e41cc90aa7a2f90f62506cabcad7
場所は我々のアパートから徒歩12分ぐらいのところで、かの有名なローザンヌ・バレエ国際コンクール
を毎年行うところであるが、実は ボクは初めて行った。
今回の公演はモーリス・ベジャール・バレエ団30周年とモーリス・ベジャールが亡くなって10周年を記念した
特別講演でモダン・ダンス界における彼の足跡を訪ね、功績を讃える趣向がダンスと映像で構成されていた。
いや〜、久々に見たベジャール・バレエ団のダンスは若いエネルギーとそれが素晴らしく制御されている群舞と
独舞、それに個々人の個性がプラスされて、本当に見ごたえがあった。
中でも日本人の大貫マサヨシさんとは、以前撮影の時に少し話をする時間があって『素朴な好青年』というどちらかと言うと
控えめな印象であったが、舞台でみる彼の存在感は凄かった。サインもらっとけばよかったかも…と後悔。
また日本人女性の大橋マリさんの男女二人で踊るダンスも個性的であり、目を見張るもので大変魅了された。
優れたダンサー達が沢山集まる集団のなかで同邦人が頑張っているのを見るのはやはり嬉しい。
ところで、ボクが出演した(と言っても、背景の飾りのようなもの)映像であるが、比較的前半にあって
モーリス・ベジャールが日本人について彼が感じたその特性を語る場面に、独舞の背景に我々日本人二人が
障子の前に着物姿で立っている…というものであったが、それがほとんどシルエット状で顔など判別できない暗さで
15秒ほどのシーンであった。これを見てボクは、正直ホッとした…と、思いきや
公演開始直前に買った公演案内パンフレットを後でじっくり見て、ギョッとした。
というのは、映像撮影時のスナップ写真でボクが写っているのが3枚もあったのだ。
まァ、1枚は大貫さんが袴姿で独舞するすぐ後ろに背景として立っている二人の日本人の一人として
ボーッと突っ立っている写真で、メインが大貫さんであるから良いが。
2枚目は、出番待ちの時にボクと相棒のSさんがベンチに座って、頂いたペットボトルを開けて、これから
水を飲みましょう…という場面を知らないうちにスナップされていたのであるが、なんと
相棒のSさんはちゃんと座っているのに、ボクはスタジオが熱いので袴を膝までたくし上げて
素足で足を組むという無様な格好で写っているのだ…(よくこんな写真を選んだものだ!)
そして、3枚目は袴姿で立っているボクの左手元をアップした写真であるが、写真家は
多分、袴のヒモに親指を掛けているボクの手に興味があったのだろうか…と想像するが
問題なのはじつは、ヒモの締め方なのだ。見る人が見ればなんとだらしない…と思うこと
間違い無しの、ボクにとっては絶対にアップでは撮ってほしくなかった部分であったのに・・・。
昨日、ITグッツを買いに郊外の家電屋へ。でもバスを乗り間違えて15分ほど雪山遭難の図
3つ年上の友人がいて、たまに会うごとに悪知恵をつけてくれる。
なんでも、楽天マガジンというのに会員になれば、年額3600円で雑誌200誌を読み放題!…
ちょっとやりすぎじゃないか?アマゾン・ビデオだけでも手を余しているのに、大好きな旅雑誌とか
写真雑誌とか、IT雑誌…etc.etc 〰 今までの欲しくても手に入れることの出来ない海外居住者の
苦労はなんだったんだ!!!と嬉しい悲鳴をあげながらも、ますます普通の読書が難しくなる予感…
そこで、ふと、わかったことがあったあったにのだ。
というのは、海外に住んでいるとよくされる質問の たぶん第一位じゃないだろうか
『住み心地はいいですか〰』…というやつ。
まァ、確かに海外に住んだことなければ、住み心地が気になるよね。
これに対して今までのボクの答えは スイスの事情をメインに考えて答えていたように思う。
が、同じ『静かさ』でももう一つ別な視点からの『静けさ』が案外見落されやすいものがあった。
それは周りに日本と日本人がいない…ための『静けさ』といえるかも。
ボクなんかは日本のモノが無いことでいつも文句云ってたような気がするが、無いために
在る『静けさ』のことを忘れがちだ。
昔しは、本当に『活字を与えないで下さい、こいつは飢えてますので』と、いうくらい本や雑誌を
手に入れるのが難しかったけど・・・。だから今がいいのか?わるいのか?
昨日、ITグッツを買いに郊外の家電屋へ。でもバスを乗り間違えて15分ほど雪山遭難の図
3つ年上の友人がいて、たまに会うごとに悪知恵をつけてくれる。
なんでも、楽天マガジンというのに会員になれば、年額3600円で雑誌200誌を読み放題!…
ちょっとやりすぎじゃないか?アマゾン・ビデオだけでも手を余しているのに、大好きな旅雑誌とか
写真雑誌とか、IT雑誌…etc.etc 〰 今までの欲しくても手に入れることの出来ない海外居住者の
苦労はなんだったんだ!!!と嬉しい悲鳴をあげながらも、ますます普通の読書が難しくなる予感…
そこで、ふと、わかったことがあったあったにのだ。
というのは、海外に住んでいるとよくされる質問の たぶん第一位じゃないだろうか
『住み心地はいいですか〰』…というやつ。
まァ、確かに海外に住んだことなければ、住み心地が気になるよね。
これに対して今までのボクの答えは スイスの事情をメインに考えて答えていたように思う。
が、同じ『静かさ』でももう一つ別な視点からの『静けさ』が案外見落されやすいものがあった。
それは周りに日本と日本人がいない…ための『静けさ』といえるかも。
ボクなんかは日本のモノが無いことでいつも文句云ってたような気がするが、無いために
在る『静けさ』のことを忘れがちだ。
昔しは、本当に『活字を与えないで下さい、こいつは飢えてますので』と、いうくらい本や雑誌を
手に入れるのが難しかったけど・・・。だから今がいいのか?わるいのか?
実は今、どっぷりハマっているTVドラマがあって現在シーズン9を爆走中なのが『グレイズ・アナトミー』!
見る前は、医者物語か~って昔日本ではやった『白い巨塔』を思い浮かべていて、躊躇していたが
試しにちょっと見るとそれがゼンゼン違っていて、お医者さんの『ひよっ子』が先輩に鍛えられ、
友情に支えられ、患者達との心の交流の中で立派な医者に成長してゆく・・・そんなストーリーだった。
ストーリーを制作するにあたって、実際の外科医のアドバイスがかなり重要性を持っていることが
窺い知れるが、外科医として取り上げる患者の症状も毎回様々なものがあり、ボクをもっとも驚かせたのは
10年ぐらい前にやはり、ネットで見た『ツリーマン病』といって手足に木の皮のような巨大なイボが
木の根っこのように生えるという奇病に罹ったバングラデシュの男性の写真を見て強く印象に残ったが
その『ツリーマン病』の患者を手術するという場面があった時だった。
その他、信じられないような症状や事故や奇癖のために人体に起こった不都合に立ち向かう医者たちの
治療場面を見るのはそれだけでも人生に於いて参考になると思うのだ。
ところで、実際調べたわけではなく、ドラマを見た限りの話であるが、インターン制(アメリカ)で
医者の卵たちが5年間(?)のインターン時を経たのち試験を受けて一人前の医者になる・・・感じであるが
その間、インターン同士の競争があってそれが泣き笑いのある見ものであるが、何と言ってもやはり
師が弟子にいわゆる『心・技・体』のような医道(アメリカ版)を伝授する場面が随処にあって特に
重要なシーンであると感心したとき・・・・ボクは
ボクは最近日本でとみに騒ぎとなっている『日馬富士暴行事件』による相撲界の伝統についての危機に
考えが突然およんだのだ。
最近覚えた悪い習慣に、朝起きるとドナタか知りませんが奇特なお方が、毎日Youtubeに『バイキング』だの
『グッティ』だの『ひるおび』だのアップしてくださるので、日本恋しさについつい見ていると
最近はえんえんと『相撲』に関する話があって、まァ、いろいろな意見があるが、
そんな中、『可愛がり』の伝統が『悪の根源』の如き認識がメディアとして大勢であるように見えて
そこのところが、ボクはなんだかおかしい…と思っていたのが、今日のグレイズ・アナトミーを見ていて
『ピン!』と、きたのであった。
『可愛がり』がイコール『単に暴力』であるならば別であるが、『可愛がり』が『可愛がり』であるならば
それは伝統を支えている一つの柱ではないだろうか、それを部外者が『闇』であると断定するところに
大いに問題があるようにボクは思うのだ。
『可愛がり』は基本的に弟子に対する愛情があることが絶対条件。
それに暴力ばかりが問題視されるが、愛情がなければ『言葉』による…なんて言うのよ、暴言
が、どれほど深い傷をおわせるか人生経験の多い人ならばわかるはずだ。
師が弟子に伝授するさまには、様々なものがある・・・
先日、友人の陶芸家の恒例の展示会へ行った時の話。
日本人女性がスイス人の友人を連れて見に来ていた。
彼女(日本人)はスイスにもう40年以上住んでいるという。
ボクと陶芸家の友人とその彼女の3人の日本人でいろいろ話していると
陶芸家が今年の流行語大賞は『忖度』だったね…と話を振ってきた。
ボクは一瞬、珍しく他の日本人と一緒に安倍をディズれるかな…と思いきや
その彼女が『その忖度ってなんですか?』って真顔で聞いてきたのだ!
冗談だろう、と思いつつボクは『忖度知りませんか?』と失礼とは思いながらも
彼女の顔を覗くようにして聞いた・・・。
彼女は『忖度』という言葉そのものを知らなかったし
この言葉がどういった文脈というか、状況下で使われたかも全く知らない様子だった。
芸術家には、よくありがちな世間知らず…ということのようだ。
まァね…、『忖度』という言葉はべつに知らなくてもいいと思うけど
ということは、彼女は日本で何が起こっているのか知らないわけだ。
したがって、日本で選挙があっても在外投票なんかも全く行かないんだろうなァ~
と、思ったのだ。
まァ、ボクもこれが7,8年前だとインターネットもろくに使いこせてなかったから
彼女のように、当時の流行語大賞なんかも全く知らなかっただろうけどね…。
ちなみに彼女は毎年日本の実家に帰っているそうだ。
右写真は コンテンポラリー写真展を見に行った時、スライド映写画像にボクの影を忍び込ませたもの。
忖度とは~他人の心中をおしはかること…だそうだが、写真家にはこれが必要だ。
先日、友人の陶芸家の恒例の展示会へ行った時の話。
日本人女性がスイス人の友人を連れて見に来ていた。
彼女(日本人)はスイスにもう40年以上住んでいるという。
ボクと陶芸家の友人とその彼女の3人の日本人でいろいろ話していると
陶芸家が今年の流行語大賞は『忖度』だったね…と話を振ってきた。
ボクは一瞬、珍しく他の日本人と一緒に安倍をディズれるかな…と思いきや
その彼女が『その忖度ってなんですか?』って真顔で聞いてきたのだ!
冗談だろう、と思いつつボクは『忖度知りませんか?』と失礼とは思いながらも
彼女の顔を覗くようにして聞いた・・・。
彼女は『忖度』という言葉そのものを知らなかったし
この言葉がどういった文脈というか、状況下で使われたかも全く知らない様子だった。
芸術家には、よくありがちな世間知らず…ということのようだ。
まァね…、『忖度』という言葉はべつに知らなくてもいいと思うけど
ということは、彼女は日本で何が起こっているのか知らないわけだ。
したがって、日本で選挙があっても在外投票なんかも全く行かないんだろうなァ〜
と、思ったのだ。
まァ、ボクもこれが7,8年前だとインターネットもろくに使いこせてなかったから
彼女のように、当時の流行語大賞なんかも全く知らなかっただろうけどね…。
ちなみに彼女は毎年日本の実家に帰っているそうだ。
右写真は コンテンポラリー写真展を見に行った時、スライド映写画像にボクの影を忍び込ませたもの。
忖度とは〜他人の心中をおしはかること…だそうだが、写真家にはこれが必要だ。
12月9日 初雪
朝起きると薄っすらと雪化粧、思わず一撮。一撮は俳句より簡単だなァ、
一句読もうとすると、かなり脳に負荷がかかるが~・・・。
この時は、夜に我々にとっては第二回目、『俳句会』があるのをすっかり忘れていた。
夜はけっこう冷え込みが強く、きょうは誰もい『来ないんじゃない…』なんて相方と話していたが
行ってみると、12名。うち日本人は2名、そして男はボクだけであった。
主催の日本人女性のリードで今回はクリスマスをテーマに、それぞれ思い出のエピソードを語り
その中から言葉を選び、詠み込もうという趣向であった。
その前に、例として正岡子規の俳句が紹介された。 『 八人の 子供むつまし クリスマス 』
約30~40分ぐらい、俳句を練る時間が静かに流れる。といっても喫茶店であるから雑音はあるものの…
この時、日本で買って読んだ、藤沢周平の小説『一茶』を思っていた。
一茶も生前中、あちこちで句会を開いたが、そういった時も数々の名句を生み出したのだろうか…と。
というのも、作句には大きく2つのやり方があるように思う、実際に目前に起こる事象を詠む場合と
句会にて『お題』を決めてからあれこれ情景を思い描き、言葉を選んで句を練るようなやり方などなど…
ただ、ここの句会じゃ、一茶や芭蕉のような情緒は残念ながら味わえそうもない。
なにせ、仏語なもんで。指導する人がよほどフランス語に堪能かつ日本文化を熟知したひとでなければ
ならないことと、集まる人のレベルが相当なものでなければ・・・・まァ、望むほうがどうかしている。
いよいよ各自発表の段となり、一人3~10句ぐらい読み始め、時折皆爆笑したりして。
ボクは仏語の意味がよくわからず笑えなかったが、どうもクリスマスを題に『川柳』的な可笑しみを
出していたらしい。なかには本当に5・7・5…というのを考えて詠んでいるのか疑問な長い句を
詠んでいたりと、俳句の妙味ははるか遠い・・・。
ボクもいろいろ考えるが、あらためて俳句の短さに、苦しむ。
最近ボクは短歌が好みであるが、俳句は短すぎ、しかも季語にこだわった場合
なかなか納得いく一句は生まれそうもないようだ。
苦し紛れ、時間切れに一句 『 クリスマス 寄せあう肩に 雪の舞う 』 一撮
そして短歌で一句 『 窓辺には 忍ぶサンタを 飾り付け 家族の笑顔 我は盗人 』 一撮