日本男性解放講座

日本の男女の関係性を外国とくに欧米とのそれと比較しかんがえてみる。たとえば、財布の紐をにぎるのは誰か、といった問題など。

Lady Diana Vs Elizabeth ll (1)

2019-06-12 12:45:46 | 評論と時事ネタ
After seeing the French documentary "Lady Diana Vs.Elizabeth ll"which aired recently on a local TV station,I can't help but wonder why Queen Elizabeth did not scold her son,saying,"As Queen,I order you to quit Camilla,go back to your wife,and treasure her.that is your responsibility and duty as the future king."This would have been very simple and easy.If Charles had followed that advice,the tragedy wouldn't have happened.Or,Elizabeth could have summoned both Charles and Camilla and ordered them to break up at once.

The shocking thing is that everyone in the court was aware of this illicit relationship between Charles and Camilla.Everyone but Diana,Diana was deceived by them all.Also,I was flabbergasted by what the Royal Family photographer revealed about Charles.He said,"Charles was a real lady's man.As soon as he got close to a woman,he would dump her and move on to another".

It is impossible to imagine that our Crown Prince Naruhito(now emperor)would act that way.I believe Masako is the only woman in his life.And Michiko,too,is the only woman for Akihito(abdicated emperor).How lucky those two women are!

川上未映子さんへ   日本における「主人」について

2019-04-04 10:54:28 | 評論と時事ネタ
 作家という仕事はタテマエや物事の皮相部分を捉えるのではなく、人々の本音や物事の本質をえぐり出して伝えるものだと思っていた。
 韓国で110万部の大ベストセラーになり、日本でも既に9万部を売ったという、女性差別を描いた小説「82年生まれ キム・ジョン」の著書チョ・ナムジュさんが来日、日本の作家、川上未映子さんと対談した。その際、川上さんから、日本では、「夫を主人と呼ぶ言い方があると聞き、『まさか、信じられない』と絶句。日本で一番驚いたことだった」と述べた。「朝日新聞」”ひと”2019年3月16日」。

 日本の主婦が第3者との会話の中で自分の夫について言及するとき、多くの場合「主人」と呼ぶ。しかし、だからといって自分を「僕(しもべ)」だと感じている人はいない。夫と自分が「主従」の関係にあると思っている人もいない。夫を「主人」と呼ぶのは単に習慣としてそうしているだけであり、そこには何の意味も込められていない。タテマエであり、いや、タテマエでさえないはど形がい化している。
 実体はむしろ逆。多くの場合、日本では、妻が夫の給与を管理し夫に小づかいを与える。これを聞くと欧米人は驚く。最近、偶然に耳にしたラジオのロシア語講座で、妻が夫に対し、「日本では妻が夫に小づかいを与えるそうよ。とてもよい習慣だと思うわ」という下りがあった。つまり、日本では妻が実質的に「主人」なのだ。川上さんはそうした「実体」を伝えず、タテマエのみ伝えたのではなかったのか。さらに考えた。「日本では夫を主人と呼ぶ」と川上さんがいったとき、韓国の作家は、日本の妻は夫を呼ぶとき、「主人」「ご主人様」と呼ぶ、と受けとったのかもしれない。「まさか」といって絶句するほどの反応は、そのことを示しているのではないか。でなければ「日本で一番驚いたことだった」にはならなかったと思う。川上さんとチョさんの対談の詳細は不明だから推理するしかないのだが。しめくくりに、タテマエや見せかけでなく、実体を知った2人の外国人のコメントを紹介しよう。日本の家庭で本当の「主人」は誰だか分かるはずである。

「日本の夫婦の中では女性は強いですね。ダンナ様の給料は奥様がコントロールするんですね。フランスではそれはほとんどないんです。フランスではダンナ様が給料をもらうからダンナがコントロールするんです。みんな日本の女性は弱いとか言ってますが、ぼくは反対の立場をとっているんです。お金をコントロールする人が強いんです」(中年のフランス人男性。街頭でのインタビューに日本語で。「おもいっきりテレビ」”在日外国人の見た日本の主婦”日本テレビ 91年11月1日放送)。
「それからちょっと驚いたのは、日本女性が決して夫に従うというタイプじゃないということに気づいたこと。なぜって、日本女性は家の設計とか、子どもの教育問題とか、どんな家具を入れるとか、ドイツでは必ず夫が決めるようなこと、夫婦で決断するようなことを全部ひとりでやってしまうでしょう?」(ギルバート・バーキン、ドイツ男性。テックスタイル、デザイナー、日本語と日本の着物の図案を勉強中。「週刊ポスト」1976年)。

 このように日本の主婦は家庭で実権を握っているにも拘わらず、外では夫を「主人」と呼び、あたかも夫を立てているかのように振るまう、その智恵というか、したたかさを、川上さんには韓国の作家に伝えて頂きたかったと思うのである。




















夫の妻へのDVについて、なぜ「日本」を囲い込む? 

2018-12-05 12:07:16 | 評論と時事ネタ
 2001年にDV防止法ができた。DVにくわしい角田由紀子弁護士、「『自分の女房を殴ってなぜ犯罪になる?』というのが日本の男性のふつうの感覚でしたから・・・結婚したとたんに妻を自分の所有物のように思う男性はいまも多い」(「朝日新聞」2018年8月4日)。
「日本の」、と枕詞(まくらことば)のようにつけることで、読み手に、諸外国、特に欧米は違うのだな、日本は「男尊女卑」だから、とその思いを一層強くさせる効果をもつ。一種のトリック。(では諸外国はどうなのか、説明は一切ない)
 いま、手元に2冊の本がある。「Wife Beating :the Silent Crisis」( Roger Langley and Richard Levy)、「Battered Wives」(Del Martin).それぞれ 、初刷りが1977,1976年。いづれも「レディ・ファーストの国」アメリカの最大のタブー、夫による妻への暴力を告発した記念碑的レポート。
「Wife Beating」は「アメリカ男性の最大の気晴らし(pastime)は野球鑑賞と妻を殴ること」というカウンセラーの報告をのせている。女性差別絡みの問題だと、日本のジャーナリストや識者はとかく「日本では」と日本を囲い込んではなす(書く)傾向がある。これが一種の洗脳効果になる。
 いま、アメリカで目立つのはセレブによる妻やガールフレンドに対するDV。スポーツ界の有名スター選手によるDVも(及びレイプ)は枚挙に暇がない。
 日本では危険タックルが問題になったが、アメリカではプロのアメフトや大学アメフトのスター選手によるDVやレイプが問題になっている。
 数年前おきた、プロアメフトのスター選手、Ray Rice によるDVはエレベーターの監視カメラがばっちりとらえていた点、特異なものだった。
 殴られ気絶した彼女は間もなくRayの妻になった。

「wife Beating」からくだんの文を引用しよう。

"Wife beating in the United states is almost as much a national pastime as baseball" 

ケネス・盛・マッケルウェイン準教授の「女子力」論について

2018-12-05 10:26:44 | 評論と時事ネタ
「朝日新聞」(2018年5月29日)
「女性政治家を増やす新たな取り組みについて」

 このほど、各党で女性候補者を一定数立てることが義務付けられた。そのことについて4人の識者に意見をきいている。その一人、ケネス・盛・マッケルウェイン(東京大学社会学研究所準教授)氏のコメントの、本筋はともかく、前提となる認識についていささか違和感を覚えた。

「3か月前、20年ぶりに米国から帰国して驚いたのは『女子力』ということばができていたこと」として、「飲み会で料理を取り分けたり、字がきれいだったりすると『女子力が高い』といわれる」しかし「世界的な規範では人を性や人種などの型にはめるのではなく『個人』として尊重する方向に進化している」「このように日本社会は男女平等とほど遠い状況にある」
 しかし若者の間の「女子力」の流行を断じるのはあまりに短絡的かつ皮相的だ。
「女子力」なるもの、一時的な流行かもしれず、3年後には誰も言わなくなっているかもしれない。
 一方、戦後、日本社会に急速に広がり定着し、今日では水や空気のように当たり前になり、人々が格別認識さえしていない習慣がある。
 妻が家計を管理し、夫に小遣いを与えるという習慣。これはもはや日本の「文化」といってよいかもしれない。評論家の樋口恵子によればこの習慣は戦後憲法の「男女平等」に後押しされる形で全国に広がった。注目すべきは妻が専業主婦で一円も稼いでいなかった時代に(1940年代後半から)始まったという事実。
 樋口恵子はいう「妻たちにとり自由にお金がつかえることはどれほどさわやかな気分だったでしょう」そしてこのシステムを「日本型男女平等」とよんでいる。しかしこの形での男女平等は欧米には存在していなかった。専業主婦は夫からのあてがいぶちであり、必要な時いちいち夫に「お願い」しなければならなかった。
 
 慶応大学名誉教授岩男寿美子(故人)は、その著書 「the Japanese Woman:traditional Image and Changing Reality」(1993)の中で次のように述べている。

"
The fact that Japanese women hold the purse strings of the household and manages the home with great freedom and autonomy is a major factor in the continued pride they take in the home and in the profession of housewife・・・・・the household power has given Japanese women tremendous psychological freedom,which American women perhaps never had"

この日本の文化についてケネス先生は御存じなかったのだろうか?

「『逃げ恥』はそんなに偉いのか」 ~宇野常寛への批判

2018-08-20 09:11:07 | 評論と時事ネタ
 TBSテレビの人気ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」(「逃げ恥」)(2016年10月から11回放映)は若い独身男平匡のため家事全般を担当し給与を得ていた若い女性みくりが互いに好意を持ち「いっそ結婚しようか」で結婚。女性は主婦になるが、今まで通り家事をしても給与は出ない。「これっておかしくない?主婦はただ働き?」となる。これがひとつの問題提起になっているという。
 この問いかけが説得力を持ったようでいくつかのメディアで取り上げられた。しかし、もう一歩つっこんで考えてみよう。たしかに主婦はその働きに対し賃金を得ることはない。が、日本では大抵、妻が家計を管理する(共働きも同様)。このみくりと平匡の二人もそうなるはずである。
 たしかに主婦業に賃金は払われないが、妻が夫の給与を管理し、夫に小遣いを渡すのである。男の側に立って考えてみよう、独身時代は自分の給与を自分が管理していた。結婚したとたんに自らの管理権を妻に委ねるのである。これってすごいことじゃないのか?すごいことだ、と言うのは我国を代表するフェミニスト上野千鶴子さん。
「日本の妻は夫の財布のヒモを握っている。これはアメリカ女性の羨望の的だ──子どもの教育にかけてはほとんどオールマイティである」(「女という快楽」~日本型フェミニズムの可能性)。
 日本女性がアメリカ女性の「羨望の的」というのだ! 日本の多くが「女権の国」と信じているアメリカの女性が、である。どうやらコペルニクス的発想の転換が必要らしい。
 ベテラン・フェミニストの樋口恵子さんはかねてから妻が財布の紐を握る日本の習慣を高く評価してきた。この形は戦前にも見られたが戦後の「男女平等」におされ一挙に広まった。樋口さんはこれを「日本型男女平等」と呼ぶ。
「日常の買い物をあれこれ気兼ねなしにできることは、どれほど日本の主婦の息づかいをのびのびとさせたことでしょう」(「”青鞜”100年~歴史を開いた女たち」2011年12月25日NHKラジオ第2放送)。
 また、樋口さんは妻に家計を委ねる日本の男の柔軟性も高く評価するのである。
 こうしてみると、たとえば”ポップサブカル時評”「『逃げ恥』が掲げた政治性」(「朝日新聞」2017年1月7日)で、「白眉はふたりが本物の恋人として結ばれた後の展開だ。雇用主と従業員から本物の夫婦へ──物語がハッピーエンドで畳まれようとしていたとき、ヒロインのみくりは平匡に告げる。『それって「好き」の搾取なのでは?』と。要するに、ここでは『愛情』を理由にマイルドな家父長制を正当化させることに疑問が呈されている」。
 こうした批評のあまりに教条主義的であることはいままでの指摘でお解り頂けることと思う。「家父長制」に至っては苦笑せざるを得ない。おそらくは、平匡はいままで自分が好き勝手に使っていた給与をすべて妻に渡し(あるいはみくりが銀行口座からおろし)、その中から小遣いを受け取る。日本では実質的な「家父長」はすでに「妻」なのだ。