ボンゴ佐々木洋平のブログ

北海道ニセコ出身、国際教養大学4年生。スキ一の新たな表現性を追求してます。

インドでの盗難 そして帰国

2002-01-05 15:15:06 | インド旅

プシュカル、ジャイサルメール、ジョードプル、

そして10月5日僕はバラナシ行きの列車に乗っていた

行きとは違い、スリーパークラスの車内は驚くほど空いていた

全開にあいた窓からくそそぐ心地よい風

車窓の外にはインドの広大な砂漠が広がっている

それはインドにいることを忘れてしまうほど平和な時間だった

ジョードプルからバラナシまで

列車で20時間はかかる

あまりに暇なので

僕は全開にあいている列車のドアの横に座って

バックパックを横に置いて

邦楽を歌いながらインドの砂漠を眺めていた

すると僕の横の席に一人のインド人男性が来て

反対側のドアから外を眺めたり

たまにベッドで横になったりしていた

彼はピンクのTシャツを着て ブルーのジーンズをはいていた

僕は彼もこの心地よい風を楽しんでいるのかと思った

列車はしだいに駅に近づき速度を落としていた

すると僕の視界さっきのピンクのTシャツを着たインド人が入ってきた

そして、僕がはっと息を呑んだその瞬間

彼は僕のバックをつかみ

反対側のドアから飛び降りた

僕はとっさに彼の後を追ったが

彼がドアから飛び降りたので

列車に残した、もうひとつのバックと

このまま列車が止まらずに行ってしまったらどうしようと言う考えから

彼の後を追うことができなかった

ひっしに”泥棒、だれか彼を止めてくれ”

と叫んだが

誰も助けようとはしてくれなかった

バックには全財産、パスポート、カメラ、などが入っていた

頭はパニック状態だった

そして列車は駅に止まった

そこはジャイプル駅だった

まえに詐欺師に会った思い出のある町

なんでまたこの町なんだよという感じだった

そして警察に行き

事情を話した

彼らは近くにいるであろう犯人を捜そうともしないし

僕に対しても同情をちっとも見せてくれなかった

インドの警察は最悪だなと感じた

このときばかりは本気でインドに対して腹が立った

一応、ポリスレポートは書いてくれたので

これをもってデリーの日本大使館に行けと言う

マジかよ、それだけかよって思った

その後、一文無しだった僕は

しょうがないので

列車にただ乗りしたが

スリーパークラスの席は全部埋まっていた

だから列車のトイレ横にある

スペースにバックを置き

その上に座って

ただ列車がデリーに着くのを待っていた

時々、外から難民がかってに列車に乗ってきた

トイレの横のスペースに8人ぐらいの人がいたときもあった

でも、列車の中を循環している乗組員から

彼らは追い出されていた

僕はポリスレポートを見せてなんとか乗らせてもらった

難民の先の見えない生活を見て

僕には大使館に行けば何とかなるという思いから

彼らの生活の過酷さが伝わってきた

そして列車はなんとかデリー駅に着いた

駅を出ると早朝だと言うのにめちゃめちゃ人がいる

何人ものリキシャドライバーがどこに行くんだ?と聞いてくる

彼らは僕の行く手を阻もうとする

あまりにもじゃまなので腕で

彼らを押しのけながら前に進む

とりあえず大使館のありそうな方向へ進もうとするが

道がぜんぜんわからない

また一人のリキシャードライバーが声をかけてきた

どこに行くんだ??

日本大使館だよ、ここから歩いてどのくらい??

ここから!!!!15キロはあるぜ、ほらリキシャーに乗りな

悪いけど僕、盗難にあって金がないんだ 歩いていくしかないよ

なに!!!! 金がない わかったこっちに来いといわれて

彼の後についていった

すまないが彼、盗難にあって金がないらしい

地下鉄代を出してやってくれないか??と言って

近くの少年が僕に20ルピーをくれた

僕はその金で地下鉄に乗り

彼の教えてくれた駅で降りた

そこは芝生が生えていて

きれいに整理された場所だった

インドにもこんな場所があるのかと感動した

そして今度は近くの警察に日本大使館の行き方を教えてもらった

ここからだと大体5キロはある

リキシャーを呼ぶかい??

すみません、お金がないので歩いていくしかありません

すると今度はこの警察官がリキシャー代金を出してくれた

インド人がお金を出してくれたことに僕はものすごく感動した

そして何とか僕はデリーの日本大使館に行き着くことができた