はしきやし

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藤原俊成≪四≫

2013-01-01 | 久安百首

久安百首◆藤原俊成≪四≫

031 八重葎さしこもりにし蓬生に いかでか秋のわけてきつらむ

《千載和歌集》秋歌所収、立秋の歌。ヤエムグラという草があるが、蔓性の雑草が生い茂ったものを和歌では八重葎という。蓬生も蓬の草叢に覆われた状態を指し、荒れ果てた野や庭をあらわす。そんな雑草に閉ざされたわたしの家にまで、秋はどうやって見分けてやって来たのだろう。

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032 荻の葉もちぎりありてや 秋風のおとづれ初むるつまとなるらむ

《新古今和歌集》秋歌所収。秋風とそれにそよぐ萩の葉はセットで詠われることが多い。だから約束があるのではないかというのだ。「つま」にはきっかけ、手がかりの意味もある。「音」と「訪れ」は掛詞。

  荻の葉にそよぐ音こそ 秋風の人に知らるゝはじめなりけれ
  (拾遺集 秋 紀貫之)

  
たそがれにもの思ひをれば 我宿の荻の葉そよぎ秋風ぞ吹く
  (玉葉集 秋 鎌倉右大臣)

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033 たなばたの船路はさしも遠からじ などひとゝせにひとわたりする

たいして遠くないだろうに、なぜ一年に一回しか船を出さないのかと。つまらぬ歌なので勅撰には採られていない。ところで、船に乗るのは牽牛のほうだったか織女だったか…。

  天の川霧立ちわたり 彦星の梶の音聞こゆ夜のふけ往けば
  (萬葉集巻第十 詠人不知)

  織女(たなばた)し舟乗りすらし まそかゞみ清き月夜に雲たちわたる

  (萬葉集巻第十七 大伴家持)

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034 水渋つき植ゑし山田に引板はへて また袖ぬらす秋は来にけり

《新古今和歌集》秋歌。水渋(みしぶ=水錆)に汚れながら苗を植えた山田に稲が実り、引板(ひた=鳴子)を引き渡して見張りをする秋になった。袖をぬらすのは夜露である。「はふ」は「延ふ」と書き、ひきわたすこと。

  衣手に水渋つくまで植ゑし田を引板我が延へ守れる苦し
  (萬葉集巻第八 詠人不知)

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035 なにごとも思ひすつれど 秋はなほ野辺のけしきのねたくあるかな

  何事にも無関心になったはずなのだが それでも秋というものは
  野辺の景色が素晴らしくて心が動いてしまい
  いまいましいものですな

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036 よもすがら妻どふ鹿の胸わけに あたらまはぎの花ちりにけり

  夜通し牝鹿を呼びながらさまよう牡鹿が胸分けするので
  惜しいことに萩の花が散ってしまったことよ

胸分けは獣が胸で草木を分けて進むことをいう。和歌の場合はたいてい鹿であり、胸分けして散らすのは萩の花と決まっているらしい。

  小牡鹿(さをしか)の胸別けにかも 秋萩の散り過ぎにける盛りかも往ぬ
  (萬葉集巻第八 大伴家持)

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037 身の憂さもたれかはつらき 浅茅生にうらみてもなく虫の声かな

浅茅の生い茂る野原から虫の声がする。それを恨みの声ととらえたのは「浅茅生の宿」が荒れ果てた家を示すから。「身の憂さ」に悩む己を虫になぞらえた。

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038 夕されば野辺の秋風身にしみて うづらなくなり深草のさと

  夕暮れになると野辺を吹く秋風が身にしみて感じられる
  深草の里には鶉も哀しげに鳴いている

《千載和歌集》所収歌。俊成はみずからこの一首を代表作としていたと伝える。

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039 露しげき花の枝ごとにやどりけり 野原や月のすみかなるらむ

《続古今和歌集》所収。花の枝ごとに夜露が結び、そこに秋の月が映っているのである。

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040 石走るみづのしらたまかず見えて 清滝川に澄める月影

  石の上を迸る水の玉が数えられそうなほどはっきり見えて
  清滝川の川面には澄んだ月の光がそそいでいる

《千載和歌集》所収歌。結句ではじめて夜の風景だとわかる、はっとさせられる歌である。想像力がかき立てられ、しかも想像しやすい。

久安百首目次


けさの雪

2013-01-01 | 俳諧畸人録

俳諧畸人録◇白井鳥酔《壱》

 白井喜右衛門は上総國埴生郡地引邑(じびきむら)の人
 近郷にならびなき豪家なれども 人のすゝめによりて
 金山に巨万の財を費し ほいなき事に思ふものから
 壮歳にして家督をゆづり 世を俳諧に遁る
 柳居を師として名を鳥酔といひ 露柱と号す
 松露庵二世の宗匠なり

  ○めでたさに鶴もおりけり種下し
  ○ゆふだちに思ひ切つたる野中かな
  ○玉棚や白髪を拾ふ膳の上
  ○一ツ家の灯を中にして時雨かな

 あるとし俳事のいそがしき中に 三日の日切にて鎌倉へ旅するとて
 門人に庵守らせ出で行きけるが 十余日を經るといへども音づれなし
 門人いぶかり人を出して捜しもとめしむるに
 品川の娼家に鳥左衛門と名のれる坊主客の五七日居続けすときゝ
 たゞちに行きて呼出し 急用ありとことわりたて ともなひて帰庵す
 さて門人左明烏明等打ちより いかに心の替らせられし
 日頃の気質に似合ずとせめ問ひけるに
 われもと遊里にゆけるは嫌ひなりといへども
 品驛を過ぐる時心にはかにかはり 興に乘じて居つゞけしたり
 しかるに興尽きたるをりから こさるゝを幸ひ帰り來れりと
 平然として答へたるもをかし

 (続俳家奇人談)

 種下し=種蒔き。春の季語である。
 玉棚=魂棚。霊棚とも。盂蘭盆会で先祖の霊に供え物をする精霊棚。
  魂祭をする側の人が年老いている。


 白井鳥酔(1701-1769)は岸本調和(1638-1715)の門下とも伝えられる。調和は江戸で武家中心に多くの門人を抱えて一大勢力を成していたが、蕉門の台頭によって衰退を余儀なくされた。鳥酔が生まれたころには見る影もないありさまだったと思われる。《続俳家奇人談》のいう柳居は佐久間柳居(1686-1748)のこと。柳居は中川乙由(1675-1739)の門下であり、芭蕉の孫弟子。鳥酔は曽孫弟子になる。
 文中に出る門人松露庵烏明(1726-1801)は加舎白雄(1738-1791)の師であるが、白雄は烏明より鳥酔から多くを学んだといわれる。鳥酔は蕉風復古を推進した人物であり、蕪村たちの天明俳諧につながる重要な位置を占めている。

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冬の句

 ○海までは色なき野なりけさの雪
 ○芭蕉忌や塚も日本の國の數
 ○冬の來る夜の姿や初しぐれ
 ○しん/\と黒きを見れば寒念佛
 ○八宗も一つに奈良の落葉哉

一句。一夜のうちに一面の雪。
二句。芭蕉忌は陰暦十月十二日。芭蕉は日本を代表する文人であると。
三句。時雨が来れば冬はすぐそこ。
四句。寒念仏は朝暗いうちに大声で唱えるもの。墨染の衣が見えたか。
五句。仏教の八つの宗派を八宗という。ここは東大寺の八宗兼学を指すか。


 ○貧乏な入院の通る枯野哉
 ○煤拂や目覺て風の小笹原
 ○目覺るや皆我もらふ餠の音
 ○帆柱の冬枯を鳴く烏哉
 ○立て待居て待つ月の千鳥哉

一句。入院(じゅいん)は僧が住職として寺に入ること。
 枯野の先の貧乏寺の住職は身なりもそれなり。
二句。煤払いは年末の大掃除。江戸時代は十三日と定められていた。
 運悪く小笹原を渡って木枯らしの吹いてくる日だったらしい。
三句。餅搗きの音で目が覚めた。われもわれもと餅をもらう人々の声。
四句。餌の見当たらぬ烏の嘆き。帆柱の上から見る冬枯れの光景。
五句。月に千鳥は画題のひとつ。それを実際に見てみようと。

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