詩人サトウハチローと作家佐藤愛子の父、佐藤紅緑(本名?=洽六:1874-1949)は大衆小説に転じる以前は自然主義の作家だったが、一方で子規門下の俳人でもあった。明治39年(1906)刊の『古句新註』は何冊かある俳句関連書のひとつ。書名のとおり古句に評釈を施したもので、芭蕉、蕪村、其角、丈草、召波、太祇、也有ら著名な俳人の句が多数選ばれている。飄逸の文章であり蕪村を論ずるのにテニソンを引用するなどユニークなところを見せる。それはともかく、以下はそのうち鬼貫に関するもの。
《古句新註》
○春の水 ところ/\に見ゆるかな
丘に登りて郊外の春闌なるを見る、遠村眠れるが如く近村語るに似たり、静かならずや、天と地との懐ゆるく開きて眼前に展べられたる一望の緑の野、晝の霞の煙れるが中に、彼方此方と處々の水の流れ、暖かき春の光を照り返しては、境長閑に、雲の影さへ柔らかにも行き過ぐる抔(など)、宛然是れ太古堯舜時代の景、正に鬼貫の大手腕に描かれたり、後人模倣遂に企及すべからざるなり。
○青麥や 雲雀があがるあれ下がる
野は麓より擴ごりて村遠く家疎らなり、一路春風に吹かれて行けば、右左の麥畑より際立ちて勢よく啼きのぼる雲雀の、日の影かするゝ許りに空高く消え失するを又異なれる處より啼き上るもあるに、手を眉廂に振り仰げば思ひも寄らぬところより豆粒の如きが動くとも見えて下り來るに聲のさやけさ氣も晴れ/\と聞ゆるなり。あれの二字を以て全景を活躍せしめたる十七字詩の長處此にあり。
○涼風や あちら向きたる亂れ髪
閨の短檠(たんけい)細々と燈して椽(たるき)近く置きたり、青簾高く捲きたれば月まともに疊に入りて、前栽の草花、白きはうなづき細きは語る心地す。廿を二つ三つ過ぎたらん女の端近う樂に居て、膝の邊り少し寛ぎたれば又なく艶めきたり。立たば足にや踏まん。例へば漆もて染めたらんと思はるゝばかりなる長き黒髪を左右の肩に垂れて鬢の邊り眞白き首筋匂ひこぼるゝ月影に横向きて夜目にも其れと唇の紅きに鼻筋の眞直なるさへ心憎きに波と流るゝ髪に月光動きては眞上なる青簾の總ゆら/\とほぐれつ搖れつすなる涼しとも美しとも言ふべくや。
最初の「春の水」は太祇校訂の『鬼貫句選』にも収められているが、もとは生駒堂燈外と二人で行なった両吟歌仙の発句である。『誹諧生駒堂』(元祿三年)から転載する。
01 春の水ところ/\に見ゆる哉 鬼貫
02 入ル迄ありく朧夜の月 燈外
03 初蕨客人來ると催ふして 仝
04 きのふの芝によはるたんほゝ 鬼貫
05 雨風に石はふとりも痩もせす 仝
06 かゝらぬ釣の座をかはりけり 燈外
07 粟稗のかぎりは孝をつくし來て 仝
08 月は誰か目も圓き一天 鬼つら
09 我か彈て泣もわれなる秋の琴 仝
10 おもひ祝にあくる四の宮 燈外
11 白雨に桐油なき駕籠の雫見て 仝
12 せめておかしき歌聞にけり 鬼貫
13 念佛を己も申犬の聲 仝
14 ゆふへ寒けき河岸端の家 燈外
15 玉鉾の道妨る餠の臼 仝
16 蟻流れとやしほる手拭 鬼つら
17 御鏡に花と莟と見へ分て 仝
18 廟は柳のさそくろむへき 燈外
19 捨られて片輪なる身も春の色 仝
20 夜は寒く亦晝は凍解(イテトケ)鬼つら
21 越路にも都の暦明なれて 仝
22 法華すゝめに出る優婆塞 燈外
23 良將と成べき兒の眼ざし 燈外
24 しらぬ程して娘ゆるせり 鬼つら
25 火に燃て來ると聞さへなつかしき 仝
26 位あらたに諡在(ヲクリマス)神 燈外
27 海道の果まで匂ふ華柑子 仝
28 夜うちの闇にわかぬ足もと 鬼つら
29 尼になる顏の別にそなはりて 仝
30 占聞つくす月のゆふくれ 燈外
31 中垣のあたりは木槿白きのみ 仝
32 稻苅時は衣ぬぐ僧 鬼つら
33 心には生や死なるやふむ螽(イナゴ) 仝
34 名はそれ/\に聳く雲霧 燈外
35 花に佗錢(アシ)なき旅を仮寐して 仝
36 明日は薪の鼓聞らむ 筆
四の宮(10)は醍醐天皇の第四皇子といわれた蝉丸を指す。桐油(11)は防水用に塗る油。「玉鉾の」(15)は「道」に掛る枕詞。凍解(20)は早春の季語。火に燃えて来る(25)のは幽霊。それに神の位を贈ろう(26)という。
「青麥や」は『句選』に見えない。揚雲雀(あげひばり)は春の季語。豆粒ほどにしか見えないひばりがそれと分かるのは飛び方が独特だからなのだが、これほど平易な言葉で言い表した例は見たことがない。
『句選』によれば「涼風や」の句には「小町の繪のかゝりたる家にて」の前書きがある。あちらを向いていたのは描かれた小野小町だったのだが、鬼貫は紅緑が想像をたくましくしたような艶っぽい情況を思い浮かべていたかもしれない。