根岸鎮衛(ねぎしやすもり)の『耳嚢』に老人七首の原形らしきものが載せられていた。『座右之銘 精神修養』よりはこちらが正確と思われるので、そのまま転記する。
□
□□□老人え教訓の歌の事(ママ)
望月老人予が許へ携へ來りし、面白ければ記し置ぬ。尾州御家中横井孫右衛門迚千五百石を領する人、隠居して也有と号せしが、世上の老人へ教訓の爲七首の狂歌を詠り。
皺はよるほくろは出來る脊はかゞむあたまは兀る毛は白く成る
是人の見苦しきを知るべし
手は震ふ足はよろつく齒はぬける耳は聞へず目はうとくなる
是人の數ならぬを知るべし
よだたらす目しるをたらす鼻たらすとりはづしては小便ももる
是人のむさがる所を知るべし
又しても同じ噂に孫自慢達者じまんに若きしやれごと
是人のかたはらいたく聞にくきを知るべし
くどふなる氣短に成る愚痴になる思ひ付こと皆古ふなる
是人の嘲を知るべし
身に添ふは頭巾襟卷杖眼鏡たんぽ温石しゆびん孫の手
かゝる身の上をもわきまへずして
聞たがる死ともながる淋しがる出しやばりたがる世話やきたがる
是をげに姿見として己が老たる程を顧みたしなみてよろし。
然らば何をか苦しからずとして、ゆるすぞといはゞ
宵寢朝ね昼寢物ぐさ物わすれ夫こそよけれ世にたゝぬ身は
「よだたらす」の一首が『座右之銘 精神修養』にはない。ほかの歌にも異同があり、伝承の過程で変化したものだろう。「若きしゃれごと」は若ぶって今風のことをするのを指すか。
也有には未刊の狂歌集があり、上記の狂歌は「身に添ふは」以外すべて収められているそうである。