はしきやし

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秋風記〈下〉

2011-03-10 | 俳諧畸人録

四日 奥州の境に入り棚倉といふ城下に來りぬ。三十日あまり照つづき侍れば暑さも日に/\いやまさりてくるしく、道々の事も覺へ侍らで目のとどまらず、申の時ばかりに宿をかりぬ。あるじとみへたるは老女なり。外に二十ばかりと十四五なるわかき女ども二人あり。座敷は縁ありてすり鉢めく物に石菖うちかをり、藪の中より細きながれみへていとすずし。宵月の入る程に飛びかふほたるのひかりおかしく、障子のひまより風の心よきままにさし覗き居たるに、いづこよりともしれず長刀さしたる男の、庭よりやをら這ひ上りて縁のはなに來る。こはいかに、あの流より白波のよせ來るにやとおそろしく、身じろきもせで守り居たるに、こなたの妻戸をそと明けてすべり出づる女の氣はひ。縁につたひ寄りていふを聞けば、あし分小舟のさはり多くてとばかりきこへて、渡りだにたへはてぬるは外によるべの磯もやとうしろめたふこそと、恨みこゑにて泣くに、男の聲の口ごもりだみたるが、さうらみ給ひそ、過し夜蚊にくはれたる跡のいみじくかぶれいたみて、ここちも例ならずして來らざりけるといへる程に、臺所に老人のこゑして籠のいをを猫なん落しけり、灯かかげよとのゝしるにぞ、かの女はこは作りして、あまりに暑さのたへがたくて背戸にすずみけりと獨りごちて内に入りぬ。男はとる物もとりあへずいづちともなく成りぬ。かかる東のはてまでも情の道はかはらざりけりと、哀にやさしくぞ覺え侍る。

五日 空曇りて例よりもすずし。五里ばかり行きて雨降りけるに、草木も田面も色を起して、道行く人も足かろげにさざめきわたりけり。日ぐれの頃須賀川のむま屋につく。徳善院のもとを尋ねけるに、せちにとどめられて蓑笠の雫をはらひけり。

六日 雨晴れぬれば立出て、花かつみ生ふとききし淺香の沼をみる。きのふの雨に水まさりていづれをそれと引きわづらふ。
   ○花かつみうづみて水の濁りけり
淺香山はみどりの衣を一重打著せたらんやうに、濱松一木風かをりて、いくちとせのむかしより萬代のしるしとも成りなんと、目出度詠めなり。山の井は遙に所をへだてて遠しとや。
   ○淺香山の蔭さへ見えぬ暑さかな  只言

七日 元宮の青龍師をとふ。また二本松の一聲上人を尋ねまゐらせけるに、安達ヶ原の窟みよとて案内者を添へらる。阿武隈川をわたりて御寺に歸る。

八日 八町目菊隠子を音訪る。福島に泊る。

九日 しのぶずりの石を見る。
   ○汗ながらしのぶ摺らばや旅ごろも
伊達の大木戸判官どのの腰かけ松などいふを見て過ぎけり。越川にとまる。

十日 白石の城下、千手院とて驗者のおはしける、風雅の道には麥羅とて名高しと聞きて尋ねけるに、淺からずもてなされて日高けれど宿る。

十一日 舟岡の大光寺と申す御寺に行く。これは也蓼和尚と聞へおはします大徳なり。手づから五百羅漢の尊像をきざみて後の山に安置し給ふを結縁す。

十二日 笠嶋の道祖神にぬかづく。宮の奥なる實方中將の御墓所をたづね見るに、一むらすすきの生茂りたる中に苔むせるしるしあり。峰のあらし梢の蝉をのづから哀を催す。やがて歸りなんと思ふだに、旅はものうく都の戀しき習ひなるに、かかるわびしき山の中に跡をとめ給ひぬる事のいかばかりかはと、ふりにしむかしをしのぶにもなみだぞこぼれける。草をむすび手向けとなして過ぬ。岩沼に出てみきとこたへんと有りし武隈の松の二本を見る。
   ○風薫る松やいづれを想夫戀

休粹といふくすしの許をたづねて、くれちかき程に仙臺につく。心ざしける方もはやみわたすほどに成りければ、嬉しさたとへんかたなし。かねて契り聞へたる舊國のぬしもとくより爰に來ましてありけるを尋ねて、その宿に笠をぬぎてこの日ごろの床しさをかたる。此ぬしは尾張の國鳴海がたにて別れしより、先だちて爰に下りけるなり。その夜半ばかりより心地なやみて常ならず。されど誰かれ訪ひ來ませる人々と風雅をかたりて、淺からぬ言葉にみじかき言葉をつぎて、病のくるしさもやゝまぎれけるに、日にそひていたづき重くなりて起居もくるしく、さらぬだに覺束なき老の身の三百里の遠きにたどり來て、いくべきとも覺へず悲し。松島もただ一日のほどに成りてかかる病にふしけるは道祖神も捨てさせ玉ふにやとあぢきなく、夢うつつにも唯松しまと片心にかかりて露わすられず、かく道芝の露とも消なばなどいとゞ物うし。

暑き宵の程は障子引明けて、吹き來る風はいづちよりととへば西なん吹くといふに、そぞろに古郷のみ戀しくおもひやられて月のかたぶく迄詠めぬるに、蚊帳の中迄名ごりなくさし入るにぞ、頭をたれて古郷をおもふと聞へし唐うたも身の上にて、わが身ひとつの秋にも成けらし。かかりけれど主の頼もしく、くすしねもごろにあつかひたうべければにや、すこし心地すずしく覺へ侍りて
   ○氣がるさもまづ鄰からけさの秋

夕べのさびしきにふたり三人何となくうち語りて、晴れくもるほし合の空あはれがりて、月入かたの山はいかにととへば、茶臼ヶ嶽、戀路山などとこたへたるも折にふれておかしくめづらかに詠めやりぬ。音に啼く虫のさまざまなる中に、鈴むしのあまた度ふり出せる聲のいみじく聞ゆ。あるじの言ひけるは宮城野よりもとめ出しぬ。なべてならず音のすぐれたる名所になん有と聞くに、猶あかず思ひ侍る。明ちかく成るままに名殘をそふる鐘の聲も霧にむもれて、露の光のみあざやかに草の葉ごとに玉をならべたらんここちせり。
   ○こもるらん蚊帳つり草に二つぼし

魂祭るころにもなりぬ。都だに物かなしき時なるに旅の空にやみて、徹書記のなき魂ならば古里へ歸らんものをと詠め玉ひしも、哀に思ひあたる。何くれと西の空のみ詠やりて
   ○誰ためとしらぬ行衛や高燈籠

廿日ごろよりつづきて心地よかりければ、おくの細道へ立ち侍らんと思ふに、くすしもゆるしきこへければ、廿五日といふに竹もてあめる駕にたすけのせられて松島に赴き侍る。海にわたしたる橋をわたり雄嶋の磯に着てみれば、げにも千嶋の風景、いかで眼に及びぬべしとも覺へず。はかなき世にもながらへぬればこそと嬉しく、年月の思ひもはるばる來ぬる旅路のうさも、けふはみな忘れ侍りぬ。やがてそのあたりの苫屋にやどり、月なき程の宵の間もなごり多く、蔀おし上げてみわたしけるに、いさり火の影はるかに島の間々に見えかくれて行衛覺束なし。いねもやらでまち出づる月の光さやけく、嶋々に生る松の影海づらにうつりて景色をそふ。
   ○松しまや千島にかはる月の影
   ○帆も霧の中に數へて千松島  只言

夜明けぬれば瑞巖寺へまうでて、それより富の觀音にのぼる。庭より目の下に見下す景色、またことかはりてみゆ。
   ○島々や松の外にはわたり鳥
舟にのりて鹽竈に行くほどは、三里ばかり繪の中をしのぎ行く心ちしておもしろさかぎりなし。
   ○露ちるや籬がしまの波の花

千賀の浦にやどる。今は鹽やくあまもみへず、うかれめなん有ける。夜ふけてうたふ聲いとやさし。
   ○袖ぬらせとや藻にすむ虫の聲

廿七日 野田の玉川をこゆ。
   ○秋されやその玉川も虫のこゑ  只言
すゑの松山をたづね見る。海のかたへは遠き所なり。
   ○松やまや今越るのは雁の聲

多賀城の跡にいたりてつぼの碑をみれば、いく千載のむかしをおもふ。都を去る事一千五百里とあるにぞ、いとどしく過ぎ來しかたの戀しさやるかたなく覺へ侍る。十符の菅といふ物も此あたりちかしと聞けど、身ままならざれば見で過ぎけり。なべて此あたりを奥の細道となん翁の文にくはしく書給へば、かれこれ思ひあはせて、床しさも一かたならず。宮城野に分け入れば草の色々咲みだれ、旅のやつれもいつしか錦につつまれし心地して
   ○宮城野や行きくらしても萩がもと
つつじが岡は夜の程に過ぎぬ。

八朔のころは起ふし常の樣になりぬれば、夜寒をつぐる雁の群にいとど都戀しくて、葉月五日、舊國のぬしに別れて此宿を立出で侍りぬ。名ごりは都を出し時にもまさりて覺ゆ。名取川うちわたりて、もと來し道の情ふかかりし人々にいとま申してゆく。桑折の廻車と申す人の、此程まち侍るとてもてなされけるに一夜とまる。庭もせに萩の咲けるに、さきに分け入し野べの夕ぐれもおもひいづ。
   ○寢ごころををしへよ萩に宿からん
葛の松原へ行かばやと思へど、きのふの雨に道のほどあしかりなんといひければ行かずなりぬ。福島の呑溟のぬしが許にいたり、とどめられて三日ばかり宿る。覺束なき日數つもりて十二日には白川の關に出でぬ。山も野もをしなべて色づきわたる。木ずゑどもの川づらにうつりてからくれなゐに染なせる景色、都にはまだ青葉にてみしかども紅葉ちりしくと詠じたるも、そぞろに心にこたへて
   ○いつとなくほつれし笠やあきの風

白川と白坂の間に境の明神と申す神おはす。みちのくと下野の國の境成とかや。西行上人の清水流るると詠み給ひける所は田の中を行く水なり。流にそひて柳多し。
   ○落し水にさそはれてちる柳かな
この柳がもと芦野といふ所にやどる。

十三日四日 那須野の原を通る。秋の野のひろきもまたなし。しれる草花の數かぎりなき中にも
   ○物いはば聲いかならん女郎花
   ○分入れば鳥の出て行くすすきかな  只言
かくて日光山に登り櫻正院といふ坊にやどるに、山の端ちかくさやけき月の手にとるばかりにて、庭の千草尾上の紅葉も色をあらそふ風情。されば物の情は夜こそと思ひしらる。
   ○待よひも光みちけり坪のうち

明るをまちて御宮にまうづ。露吹きはれて朝日の光り玉籬にかがやき、蔓をつたふ露の雫もるりこはくの玉かとあやまたる。まことに極樂國のしやうごんもかくやと思はれ、おそれみ/\ぬかづき奉る。心の中にもかかる日影のどけき御代にむまれあひたる我も人も、一度まうでざらましかばと、尊さの身にも心にもあまりて、泪さへとどめがたく下向し侍りぬ。晝より雨のふりてやまねば、鹿沼といふ所にとまる。今宵の月を同じ心にとちぎり置きし都の空はいかならんと、宿のいぶせきにいとどかきくらさるる心ちして
   ○はたごやの燈細し月の雨

十六日 いづるの觀音に來りてその麓の家にとまる。此ごろは病後のつかれにや、足いたみて起臥心ぐるしく、晝は馬にかきのせられ、夜はそのまま枕につきて、室の八嶋のけぶりだに見ずして過けり。

十七日 上野の國桐生といふにとまる。それより米野、原の町、大篠などいふ所に宿りて、廿一日は八里峠といふにかかる。左の方は淺間山たしかにみゆ。
   ○朝ぎりや麓の家はけぶりたつ
坂を下りて、保科といふ所のあやしの家の軒のまはりに、鶏頭の花あまた咲たるに心とまりて宿をかりけるに、みしにもたがはで、入り見れば疊も敷かで竹の簀子に筵まばらなり。かくてはいかで寢もしなんと思ふに、宿の女房と覺しきが家の奥の方に疊二枚ばかり敷る處にともなひ行て、爰は佛間にてなん候、此程三ツになりし寵愛の子をうしなひ、けふは七日にあたり侍る。善光寺へまうでさせ給ふ御僧達ならんに、回向し給はり候へとかきくどきていふ。かかるあはれを聞き侍るもさるべきすく世のゐん縁にやと、念珠くり返して弔い侍る。

廿二日 善光寺へ行く程に大河をいくつもわたる。爰なん川中嶋といふ、むかしたけ田長尾など聞えし大將のかせんありし所になん。人の軍書よめるを聞きて所々耳にとまりたる事を思ひ出て、かくおさまれる代のしづけく、今は法の道すじと成りて老たる尼ほうしまでうちつれて行かふさま、誠に有難くぞおぼゆ。
さて善光寺に着ぬ。此ころまで命もあやうき程なりしに、ともかくも成りなば、くらき闇よりたどりつべきをひとりに佛の御しるべにやと、かたじけなさいひつくすべうもなし。御堂の下はるかにふかくくらき所を念佛しめぐる六道めぐりと申すよし、うき世の事わざみなわすれて信おこりぬ。その夜は御堂にこもりて念佛申しあかすに、寅の時ばかりに御經はじまり、しののめのころ御扉ひらけ、錦の御帳に燈の影うつろひ、光明てりかがやきて、誠に二十五の菩薩も來迎し給ふにやと思ふばかりなり。此夜ばかりは都の事もわすられて、ただ一すじに後の世の事のみ祈り奉る。
   ○すみわたる心や西へ行く月も
老の身のまた參りなん事のかたければ、名殘多くて二夜まで御堂にこもりぬ。

廿四日 榊の宿を通るとて姥捨山の麓をすぐ。夜ならましかばとしばしやすらひて
   ○暮るまで田ごとの落穂ひろはばや

中窪といふ所にて馬より落ける時
   ○蓑むしや落ちても草の花のうへ

廿六日 諏訪のいでゆに入りて此ごろのつかれをやしなふ。湖水のほとりを過ぐるに、右ひだりの山々紅葉してその景またなし。飯田より新道といふ難所をこへて、やう/\九月朔日美濃路に出づ。大久手、鵜ぬま、垂井にとまる。醒井の清水はまたも掬はまほしけれど、あゆむ事の自由ならざれば見てのみ過ぎけり。番場の辻堂を後になしすり鉢の峠にのぼれば、琵琶のうみは手のとどくべく、竹生嶋も目の下にみゆ。比叡の山を見付けたるぞ、はや都に歸り着きたる心に、うれしさたぐひなし。いとど心も空にいそぎ立ちて、愛智川に宿る。

四日 夜をこめて宿を立ちてもり山にいこふ。若葉の雫にぬれし事を思ふに、いつしか下葉のこらず色付ける此にも成けらし。さればみるもの聞ものになぐさみあれば、病にくるしみ道につかれ、さまざまなりし事ども、多く夢とのみぞ覺へ侍る。七ツ下りのころ石山に着きて、世尊院の方丈に頭陀袋をほどく。誠に大とこたちの朝夕に祈りたび給へりしゆへにや、あやしの老の身のつつがなく二度まみへ參らすにも、大慈大悲の御惠みなるべしと、なきみわらひみ物がたりて、夕ぐれの程に御堂に登り諸願成就の法施奉り、月見の亭に行てみれば、夕附夜の空はれて風は律といふ調にやかよふらんと、やゝ時をうつす。
   ○はらり/\萩ふく音やびはのうみ

                                  〈完〉

俳諧畸人録目次


秋風記〈上〉

2011-03-10 | 俳諧畸人録

《秋風記》  

奥のほそ道といふ文を讀初しより、何とおもひわく心はなけれど、たゞその跡のなつかしくて、年々の春ごとに霞と共にとは思へど、年老し尼の身なれば遙かなる道のほども覺束なく、または關もりの御ゆるしもいかがとこの年月をいたづらに過しけるに、ことしの春はさる道祖神の憐み給ふにや、はからずも只言ほうしに誘はれ参らせて、逢坂の關のあなたにこえ行く事とはなりぬ。都の空はいふも更なり、住なれし草の戸も亦いつかはと思ふ。名殘の露を置そふここちす。
   ○山ぶきや名ごりは口にいはねども

石山寺に南華法師のいまそかりけるにいとま申入んとてまうでけるに、都よりしたしき人のあまた送り來り、水うみに影みゆるかぎりはと聞へけるをとかくいひなぐさめて、爰より立かへる波の音もせずなりにき。やがて立出でみれば、もと來し道も海づらも霞みわたりて、釣する舟の行衛もしれず、春の名ごりさへけふのみと思へば、鳥のこゑ梢の色も、なべてならぬあはれを添へて見捨てがたし。勢多の夕日の影きゆるまで詠めくらし御堂に登りぬれば、長閑なる夜の景色おのづから心すみていと尊し。その夜は麓の坊に宿りて、曉ちかきころ、盡せぬ言の葉を殘してまかで出ける。

明くれば卯月朔日なり。
   ○わたぬきて身すぼらしさよ旅衣
朝の程より空うち曇り、都の山は跡だにみえず、雨そぼち出けり。草津もり山を過ぎて八幡なる艸庵に後川といへるわび人の住ひけるを尋ぬ。雨の降りつづきけるにそこの庵に日をかさぬ。かねてしれる人々とぶらひおはして、玉ほこの道の案内などこまやかに問ひなどして、まだみぬ方の戀しく、そぞろに心せかれける。あるじは好める名所枝折などいふ香をくみてんと有るに、われはその道のたど/\しけれど、旅にしあれば各たのもしく、こころとどまりぬ。

四日 庵主かがみ山のあたりまで見送らる。
   ○わが影のかぎりうつせよ鏡やま  只言
   ○みかへるも女ごころやかがみ山
老曾の森ほど近しなどをしへられけるに、東路の思ひ出にせんと、ありし子規はいまだきかで
   ○うぐひすも今は老曾の森に啼く
床の山はことにばせを翁の言の葉思ひ出てなつかし。
   ○かむこ鳥の聲も寢ほれて床の山
多賀の御社にもうでけるに、雨しきりに神さへなりければ、門前にやどりもとめぬ。

五日 伊吹山を左に見つつ行く。嵐身にしみて卯月の空ながら寒し。垣根に咲けるうの花も、かかる折こそ物にもまがひつべし。行き/\て爰なん不破の關屋の跡といふ、今は荒れたる板びさしもなく、石たたみたる所ばかりわづかに殘れり。その上にわら家たへ/\にみゆ。
   ○うの花にかたぶく軒やふはの關
物見の松とて野の中に一木あり。何がしとかやいひしぬす人のかたみとや、いみじき罪ある名をだに、ふりにし跡と思へばゆかし。尾こし河すのまた川とやらんいふ、大なる河をわたりぬ。

六日 只言ほうしのゆかりありて、尾張の國のふといふ在所なる雲閑寺と申す道場にやどる。八日の朝とみに出て名護屋みありきて、時節庵に宿る。

九日 熱田の宮居を拜む。
   ○垢離とりてけふは涼しく鳴海かな
千代倉氏を尋ぬ。此あるじは代々風雅の心ざしを續けて久し。むかし芭蕉の翁も爰に杖をやすめ給ひ、旅の調度の笈をのこし置きたまふをみるに、その樣よのつねの笈にはあらで、手箱とも思はれ侍る。かのうら嶋が玉手箱にことかはり、あけてなつかしきいにしへの文ども、多くこめられたり。此日難波の舊國のぬしも此家に來りて、昔の物がたりに猶行さきのしるべをも聞えあはせて、覺束なき心もなぐさむ。松風の里、夜さむの里、星崎も見わたすばかりなり。
   ○明やすき夜や星崎も遠ざかり

十一日 三河の國八橋の跡を尋ぬ。夏草しげき細道をたどりつつ行けども、かきつばたに似たる花だになし。とある家の軒の下に、むかしのゆかり有がほに花一つ二つ見せけるもうれし。
   ○疇道を蜘手に來つつ燕子花
   ○案内もむかし男やかきつばた  只言
暮れかかる程に矢矧の橋をわたる。なかば行きて見ればいづこをかぎりともなく、ひろびろとのどけき川づらに月のくまなくさし出たる景色、あかず覺ゆ。そこを行くほどもあらず、岡崎の町にやどる。

十二日 國府の才二老人をたづねけるに、翌は鳳來寺へともなひ侍らんといふにうれしく、こよひは此亭にやどる。

十三日 新城にさそはれ行きてとまる。

十四日 鳳來寺に参る。道の傍にて案内の老人に物うちかたる人あり。大野の樂和といへる人にて、この道の好士とや。今宵は宿參らせんといふにぞ、やがてその家に入りて京田舎の物がたりに夜ふけぬ。

十五日 この所を立出づるに、きのふの山路よりもけはしく、深山木しげりて空もみえず、おそろしく聳ゆる岩間づたひに分け入りぬれば、蛭といふ虫の梢より落ちて足に咬み付て血をすふ、そのうるさき事いふべくもなし。とかくする間にかきくらしつつ雨のふりいづ。かくては一足も行かれじと思へどももとむべき宿さへなく、案内の人の袂にすがり、雨もなみだもふりそひて行くままにかん澤といふ所にやどりぬ。

十六日 まだくらき程に立ちて秋葉山に詣でぬ。此御神はわきてあらたなる御徳のおはすとて、參詣の人引もきらず。

十七日 晝より雨そぼち降りくらしぬ。掛川にとまる。

十八日 空晴れぬ。さやの中山はけはしき峠もなけれど、行ちがふ小馬も人も山蔭にみえかくれてさびし。閑呼鳥の聲ほのかにきこえ、行々もねぶたき心ちしけり。菊川もほど過ぎて大井川にいたりぬ。此程の雨に水高くきのふまで渡しもとまりけるが、けふなん川の口あきたるよし聞くもうれしく、いざわたしてといへば、おかしく作りたる臺にかきのせ、人あまたしてかつぎ行く。肩の上に波打ちこしてあやふくおそろしく、いきたる心地もせで、目ふさぎ念佛申すうちにわたりはてぬ。夢のさめたらんやうにみかへれば、跡は遙に、わたり來る人のちいさ水鳥の波にただよひたらんやうに見ゆるさへ、いみじくめづらしくも詠められて、
   ○涼しさのあつさにかはる淵瀬かな
その夜はふぢ枝のむま屋にやどる。

十九日 うつの山をたどる程に、麻の衣を着たる修行者にあひけり。都の人にしあらば言傳せまほしく、むかし物語めきてなつかしくおぼえ袖をひかへ問へば、二十四輩を巡るといふ。いづくよりといへば下つふさの國とつきなくこたへけるに興さめぬれど、木のはしのやうなるも有がたし。あはれなる小家の有けるにしばらくやすらひて、
   ○麥秋も人こそみえねうつの山
むかしの蔦の細道は若葉茂りてそれともみえわかざりき。柴屋寺宗長ほうしの跡を尋ね入る。夏山の蔭ふかく、佛間の香のけぶり、外面なる木草の葉末をわたりてうちかほり、谷水をせき入れたる池水に吐月峯の影すずし。松柏の下に墓所あり。苔の花匂ひなつかしく、遅ざくらの散りのこりたるに心とゞまれり。
   ○閼伽棚に春やむかしの夏花つむ
江尻といふ宿まで行きてとまる。

廿日 清見ヶ關を過るに、岩こす波の白き絹を打きするやうにみゆと有るふるき文の言葉、げにもとおもひ出られて、あかず詠め侍る。田子の浦にうち出づれば海づらのどかに、ふじの山はこれ迄あらはにも見侍らざりしが、今日は高根までくまなくはれて一目に見わたされぬ。誠に萬のものものなべて繪にかけるより見るはをとりがちなるに、是はいかで繪にもかくはと、いみじく驚かれぬ。行々てみる度々、雲のかかれる景色樣々にかはりておもしろさたとへしなく、跡になりぬる事ぞ恨みなる。
     ふじ川にて
   ○涼しさも富士を見初しあたりより
原に宿かり侍りて夜も出でてみる。

廿一日 また夜をこめて立出でぬ。伊豆の三嶋の明神へ參り箱根の坂にかかる。山中といふ所にやすらひしに、軒端ちかく郭公のいく聲ともなく鳴きけるに、此程まちし恨もとけて、
   ○山路くらし里に夜ふかし時鳥
峠に登りみれば湖たたへたり。さいの川原殊さら哀に、行きかふ人の某童子菩提のためなどゑかうしてちいさき石をたうにつみかさねて過ぎぬるみて、そぞろに旅衣の袖をぬらす。かくて權現の御社に詣でけるに、玉籬のうち神さびて尊さいはんかたなし。拜みはて下り坂に向へば、いみじくさかしくて蹈みもとどめがたく、からうじてはたといふ所にやどりもとめけり。

廿二日 小田原の城の下に麥由といふ人を尋ねけるに、こぞの冬身まかりけるよし。常なき世のありさま、せんかたなくぞ覺へ侍る。その子その妻なる人のわりなくとどめ申されければ、一夜とどまりて追善の句し侍りき。

廿三日 大磯にいたり鴫たつ澤の庵を言信けれど、あるじは留主なりければほゐなくて
   ○鴫の群なくてうらみや麥の秋
かく事づけて立出けるに、やがて歸りたりとて人して呼びとめられてまた立歸りぬ。西行上人の像を拜み、鳥醉老人の塚などとぶらひぬ。松の嵐、磯うつ波の音、何となく物悲しく、心なき身にも哀ぞ添ひぬる。

廿五日 藤澤道場、江の島にもうでて、日もかたぶきぬれば此島に磯枕す。

廿六日 鎌倉へ入らんとて七里ヶ濱、由井ヶ濱などいふをたどるに、沖の方より立來る波の色の墨を流したらんやうに見えけるはいかにと問へば、鰹をといふ魚のむれ來るなりといへば
   ○白なみのうね/\黒し初かつほ
鶴が岡の八幡宮にまうで五山の寺々を拜みめぐる。雪の下にやどりけるに、常の旅寢にも似ず月影が谷のむかしをおもひ出て、極樂寺の鐘ことさらに心とどまりぬ。
   ○うの花にさえ行くかねや雪の下

廿七日 金澤稱名寺にまうで四石八木などいふ古き跡を見ありく。中にも西湖の梅など花咲けるころの見まほし。能見堂にやすらひ侍るに、その景色妙なり。瀬戸の唐橋うちわたしたるありさまはわざともうけたる庭の如し。繪にうつして家づとにもせまほしとおもふばかりなり。
   ○手にとりて行かれぬ物か青あらし
その夜は海道に出で、かな川にとまる。

廿八日 品川にいたりぬ。都よりはいさゝかのしるべ有て、本町田中氏の家に尋ね入りぬ。小右衛門といふ人は情ぶかくいたはり聞へられけるに、此ごろの道の疲をわすれぬ。

廿九日 増上寺に來るにめざましきまでに堂塔甍をならぶ。この日松露庵、雪中庵をも尋ね行きて、旅の心もなくかたらひ侍りぬ。

五月朔日 蓼太老人の催しにて隅田川に舟せうようす。在五中將の古き物語ども思出て、誠に遠くも來にけりと覺ゆ。梅わか丸の塚を弔いて
   ○幟たつころ木母寺の猶あはれ
五百羅漢堂にて
   ○仰向ば不軌きく羅漢かも  只言
龜井戸の天神、みめぐりの神など拜みめぐりぬ。紫の一もとゆへにときゝしむさし野は早苗とるころにて、いとどめづらかに詠めつつ、まつち山とかやにてたそがれの程にほととぎすの鳴きけるも、名にめでていと興あり。淺草の観音にまうでしに、行きかう人のをし合ひたるさま、聞しよりまさりてにぎわし。

一日 松籟庵抱山宇の老人連を訪ひけるに、昔今の物語ねもごろに聞へられけるに、年月におこたりし事を愛なくぞ覺えぬ。

五日 雪中庵の再建ありける深川の芭蕉堂にいざなはれて
   ○葺かへて今やむかしのあやめ草
ある日同じ老人、駿河の乙兒のぬしなどうちつれて山の手といふ所にさそはれ、其瀾亭を訪ふに、その家とうし淺からざりし言の葉などかず/\たうべけるに、うちとけかたらひ日をかさねて、雑司谷、目白台などいへる所に遊ぶ。歸るさ駿河臺に中村氏を訪ひけるに、蘭堂と申す方のみやびたる水くきのふかき心をこめてたびけるに、幾とせもなじみむつびしにひとしく、一夜かたりあかし侍る。

東叡山にまうでぬ。御寺のけつこういふもさらなり。木立物ふり茂りたる中に瓦葺けるもの所々にきら/\しくみえつつ、深山路に分けのぼる心地す。拜みめぐりて日ぐらしといふ所に行きて見ればいとしづけく、住みたきと思ふ庵のいくつも有りて床し。飛鳥山は櫻くひ千本ともかぎりなく、春ならましかばとわか葉の下蔭をかりてやすらふ。かく日々のありきに詠めもあかず、殊更此みちのすき人あまたおはして、あなたこなたにとまねかれ遊びて、いつとしもなく日を重ねけるに、まだ行く先もはるかなればなど同行のほうしにいさめられて、名殘りは盡きせねど五月廿日の朝かけに江戸を立出でぬ。此程の卷々、人々の餞別の句などあまたなれど、かいつくるいとまあらでもらしぬ。

かくて五本松にしばらくたたずみ、跡の名ごりのわすれがたうて
   ○涼しさも跡に袂をかへしけり
行徳、鎌ヶ谷などいへるを過ぐれば、それよりひろき野にして立よる木蔭だになく、二里ばかり行きて白井といふ所に水をうる家あり。此家のむかひに筑波の葉山茂やまのかげすずしげに見ゆ。また原の中を行くに、草しげりて人より高し。そこに野馬なん多く居にけり。馬は人の音に驚きてかければ、人は馬に驚かされて逃げまどふ。又いかなるあやしきもののこもるならんと思へば心細し。木颪に着きぬれば日はくれはてけり。爰より舟に乘りて宵の程に四里ばかり漕ぎ出でしに、風あしきとてかかりぬ。かくて艫の方にうし車引き出せるやうにころ/\と枕にひびきて、まどろみもやらず、短夜ながらちとせふる心地す。やゝ曉はなれけるままにさし覗きてみれば、車にはあらず、船頭の鼾なりけり。傍の人のゆり起してはやく舟を出せよといへば、あなかしがまし、舟は風にこそまかせつれと、あくびうちして足を蹈のばし手を上へさし上げたる樣は、舟よりも此男の丈ぞいと長かりけり。川づらをみわたせば淀川ふたつあはせたらんやうにはるけし。右はよし芦菰しげり、左は人家まばらに立てり。川の名をとふに、例の船頭の利根川とも坂東太郎ともいふとこたへける聲のいみじく大なるに
   ○よしきりのこゑも坂東太郎かな

廿二日 とかくに風直りたれば、遠くも行かで、やうやう夜半ばかりに香取の浦邊に着きて、苫もる月影をたよりに詠め明し、東雲ちかく起き出て明神に參る。野尻といふ所にやどりぬ。あばらなる家なれど、棚なし小舟のおぼつかなさを思へばいねもやすきここちしけり。

廿三日 銚子にいたりぬ。瀬戸にみち來る潮の一すじに成りて、よのつねの入江より一きは景色おかし。
   ○さし汐の銚子にはやきみるめかな
弄船のぬしを尋ねけるに心置きなくもてなされて、舟路のうさも道のあつさもわすれぬ。

廿五日 銚子を立ちて小見川に宿る。

廿六日 舟をかりて鳥栖の明神へ來る。鳥居の前の海に石の瓶二つ有り、清水湧き出づ。潮にもまじらず清く涼し。御汐井となん申す。神のいかに誓ひおはしましてやと、いと尊く覺へ侍る。爰よりまた舟に乗りて鹿島へわたる。四方のながめはいふもさらなり、海いと淺く底のみくづ石の色まですき通りて、むれ行くいをの數さへ見へておもしろし。しばらくして鹿島につく。社司其石のぬしを音訪れけるにねもごろに案内したびければ、御宮に詣で拜み奉る程に、汗もみなかはきてそぞろに寒きまで、有難くぞ覺え侍る。御宮の後に古き松一本あり、太さは幾圍ともしれず牛もかくれぬべし。その奥に要石あり、水晶ともいふなる。もろ人の撫でさすりて通るゆへにや、色黒く艶付きて、ぬり桶をすへたらんやうにみへけり。御手洗は坂を下りて有り。鴨の御手洗よりはひろかるべし。落ち出る所は細けれど、いかなる旱にも此ながれのかぎりは田の草も枯れ侍らざるとかや。右にあたりて廿町餘り行けば高間ヶ原なり。東の方は目の下に海を見わたしぬ。波はくも、雲は波かとぞうたがはれ侍りぬ。この先はゑびすの國もなくて國土の海のはてとなん。西の方は松原かぎりもみへず、南は山高くそびへ、沙をもり上たらんやうに見へたり。すゑなし川は細き流なり。上はさら/\と流れて下は眞砂地なり。なべて此あたりの景色、いかで言の葉にはつくし侍るべき。
   ○すゞしさや神のとどまりましませば

廿六日 鹿島を出て濱づたひに行くに、朝霧立ちこめてこし方行くさきも見へず。笠の端は雫おち裾はしほたれて、物悲しくぞ覺へける。汀を見れば、海人の子供の貝をふみ藻を拾ひなどするわざのめづらかなれど、立ち來る波の下にやならん、引汐のつれてや行かんとあやうく、哀さぞまさりける。夕附日の程に潮はただ満にみちて、渚にありし舟どもみなうかみつつ道もせまく成りぬれば、釣する人に問ひてもみ山といふ所に行きてとまりぬ。

廿八日 水戸の羅漢寺に參りて、又親鸞聖人の舊蹟岩舟にまうづ。さて門前の家にやどる。

廿九日 同行のしるべ有りて中の湊といふ所に行きて、一日休み侍る。暑さはなはだしけれど海邊なれば涼しく、舟の行きかひおもしろく、詠めくらしけり。
   ○うごくかと風を待ちけり雲の峯  只言

水無月朔日 額田の三日坊の許に着きけるに、過しとし都にてむつびかたらひし人々の事など問ひきゝてんとなをざりなくとどめられければ、我もまた語りなぐさまんととゞまりける。

三日 あるじの御坊名殘おしみて、道の程二里あまりを送り來る。かしこに大きなる川の流れたるに甲斐々々しく我を脊に負ひてむかひなる岸へのこして、さのみやはとて別れぬ。その日は折端といふ所にやどりぬ。


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