俳諧畸人録◇早野巴人
早野氏 はじめ竹雨といひ 後巴人と改む
江戸の人 其角に従うてまなぶ
なかごろ京師に移住して郢月泉(えいげつせん)と号す
○ゆく/\は鳥と添寝の木の芽かな
これ蕉翁燕脂花(べにのはな)の什と曲を異にして工を同じうす
○白藤や風に吹かるゝ天の川
譬喩もかくのごとく またなんぞ妨げんや
○鳴きながら河越す蝉の日影かな
鴨流(おうりゅう)の余景眼中にあり
○女郎花をるや観世が駕輿の中
語もつとも新奇
○一夜づゝ淋しさ替はる時雨かな
○埋火(うづみび)や野辺なつかしき蕗の薹
二句とも和平高雅
その老後は武都へ帰り夜半亭と号し 法名を宋阿といふ
寛保二年六月死す 歳六十有六
辞世
○こしらへてありとも知らじ西の奥
(俳家奇人談)
燕脂花の什=芭蕉の「まゆはきを俤にして紅の花」を指す。
鴨流=鴨川の流れ。
西の奥=近世、冥界は西の彼方にあるとされた。巴人一周忌に編まれた
宋屋による追善集は『西の奥』と題されている。
早野巴人(はやのはじん 延宝4年-寛保2年:1676-1742)は蕪村の師として知られる夜半亭宋阿のこと。下野国烏山に生れ、江戸に出て其角、嵐雪に学んだ。享保12年以降、京に移住して活動、10年後江戸に戻って夜半亭を結ぶ。俳壇の俗化に抗して清淡高潔な作風をつらぬき、蕪村に多大な影響を与えた。
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○風聲水音都の富士を扇かな
風の声、水の音。これだけ漢字が並ぶと蕪村や召波に句の風景が似ている。
○時鳥月落烏鳥の聲
張継の七言絶句「月落ち烏啼いて霜天に満つ」から。夏の句であるが。
○入梅(つゆ)既に明るか雲の峯造る
出梅(つゆあけ)の空を見上げて。
○宵月夜門に添乳(そえぢ)の暑さかな
門まで出て涼みながら乳をふくませる。縁台も見なくなった。
○蜩のふいと一聲月夜かな
ひぐらしの一声が静けさを際立たす。
○焚く程は夜の間に溜る落葉哉
寝ているうちに一仕事分は散り落ちる。落葉焚きも見なくなった。
○行年や兜頭巾の大和尚
兜頭巾は武士の火事装束。暗がりで見れば大僧正のよう。
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