久安百首◆待賢門院堀河≪六≫
051 神無月 木の葉も霜にふりはてゝ 峯のあらしの音ぞさびしき
十月になり 霜が降りて木の葉は散りはて
峰を吹く山風の音が寂しく聞こえます
現在の暦のほぼ11月にあたる神無月、孟冬。野山は色を失くし、山を吹く風の音も寂寥感をかきたてる。冬の到来を実感するとき。
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052 晴れくもるしぐれの空をながめても さだめなき世ぞ思ひしらるゝ
晴れたり曇ったりの時雨どきの空を眺めても
有為転変の世の中を思い知らされます
諸行無常。世の中のものはすべて変化し、同じ状態にとどまることはない。気まぐれな時雨の空を見ていると、そんなことを考えてしまう。これは堀河個人の考えでもあり、時代の考えでもあった。
いかにせむさだめなき世をいとふべき 吉野の山も時雨ふるなり
(壬二集 藤原家隆)
ながめてもさだめなき世のかなしきは しぐれにくもる有明の空
(拾遺愚草 藤原定家)
しかし万葉歌人たちは時雨に無常を感じることはなかったようだ。
十月(かむなつき)しぐれにあへるもみぢ葉の 吹かば散りなむ風のまにまに
(万葉集 巻第八 大伴宿禰池主)
十月の時雨に遭った紅葉は
吹けば散っていくだろう 風にまかせて
池主の歌は散る紅葉に哀感などなく、あっけらかんと快活そのもの。
十月しぐれの雨に濡れつつか 君が行くらむ宿か借るらむ
十月雨間(あまゝ)もおかず降りにせば いづれの里の宿か借らまし
(万葉集 巻第十二 よみ人知らず)
この問答歌はどこに宿を借りるかが問題のようだ。ちなみに「時雨月」は十月の異名。
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053 葦そよぐしほかぜ寒み 片岸の入江につたふあぢのむらとり
葦をそよがせる潮風が寒いので
あじがもの群れが崖のある入江をつたっています
「かたきし」は片側が崖になっている地形。「あぢ」は漢字が出せないが、偏が「有」で旁が「鳥」である。味鴨といい、ともえがもの異名だという。その鴨の一群が風を避けて崖のある入江に沿って集まっている。むらとり(群鳥)は鳥の群れ。
味鴨というくらいだから美味なのだろう。日本人は石器時代から鴨を食べていたという話がある。それはさておき、味鴨の群れを思いやっている歌人はほかにもいた。
しも枯れの葦間のこほりひまやなき 穂末をまはるあぢのむらとり
(正治初度百首 藤原経家)
霜枯れの葦辺おしなみふる雪の えにうづもるゝあぢのむらとり
(壬二集 藤原家隆)
葦の間に氷が隙間なく張っているらしくて味鴨が降りられないという経家、葦を押し倒して降る雪に味鴨が埋もれているという家隆。
見我人不知恋を
よごの海の君をみしまに ひくあみの目にもかゝらぬあぢの村鳥
(西行法師家集)
西行の恋の歌。「よごの海」は近江の余呉湖のこと。味鴨は網を使って捕らえたので、網の目にもかからない(→あなたに逢うこともできない)とかけた。「村鳥」は「群鳥」に同じ。
黒主にこういう物名歌(ぶつめいか)がある。
さく花に思ひつく身のあぢきなさ 身にいたつきの入るもしらずて
(拾遺集 物名 大伴黒主)
咲く花に心寄せる身の無益なことよ
病(やまい)が身体に入るのも知らないで
物名(ぶつめい/もののな)とは和歌の中に和歌の内容とは無関係な言葉を詠み込むもの。テクニックを要するが、黒主はこの一首に鳥の名を三つも入れている。順番に「つぐみ(鶫)」「あじ(味鴨)」「たづ(田鶴)」。
「思ひつく」は執着すること。病気や苦労をあらわす「いたつき」に鏃(やじり)の一種である「平題箭(いたつき)」をかけていると思われ、だとすると「入る」は「射る」との掛詞ということになる。
味鴨が長すぎたかも。
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054 ふる雪にそのゝなよたけをれ伏して けさはとなりのへだてなきかな
降る雪の重みで庭のなよ竹が倒れて
今朝はお隣との境がなくなっていますこと
「なよたけ」は「弱竹」と書き、細くてたわみやすい竹をいう。いよいよ冬も本番を迎えたようだ。
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055 まきの戸のひま白むとて開けたれば 夜深くつもる雪にぞありける
檜の板戸の隙間が白っぽくなったので開けてみたら
夜遅く降り積もる雪でございましたわ
「まき」は「真木」。杉や檜などの立派な木が真木と呼ばれた。槙(まき)は垣根にするが戸は作らない。
たなかみの山さとにすみ侍りけるころ 風はげしかりける夜よめる
真木の戸をみ山おろしにたゝかれて とふにつけてもぬるゝ袖かな
(千載集 雑 源俊頼朝臣)
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056 小夜ふけてかへすしらべの琴の音も 身にしみまさるあさくらのこゑ
神楽歌に「朝倉」という曲があり、御神楽(みかぐら)の終わる夜明けごろに歌われるという。この曲は今に伝わっており、こういう歌詞だそうだ。
本(もと)朝倉や木の丸(まろ)殿にや
吾が居れば末(すえ)吾が居れば
名乗りをしつつや行くは誰
さっぱりわからない。
有明けの空まだふかくおく霜に 月影冴ゆる朝倉のこゑ
(新勅撰集 神祇 源通具)
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057 昔など年のをはりをいそぎけむ すぐれば老いとなりにけるかな
昔はどうして年の終わりを急いだのでしょう
そんな年が過ぎて自分は老人になってしまったことです
正月が待ち遠しくなくなってしまった人の述懐か。年の終わりを詠んだ歌に年齢を重ねる感慨を詠ったものが多いのは、かつては誕生日でなく一月一日に歳をとったから。
あらたまの年のをはりになるごとに 雪もわが身もふりまさりつつ
(古今集 冬 在原元方)
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058 やまがつのそともの松も立てゝけり ちとせといはふ春のむかへに
山里の粗末な家も 門松を立ててありました
千歳を祝う新春の迎えとして
「やまがつ」は「山賤」。猟師や樵(きこり)など山に住む人々、あるいはその粗末な家を指す。都人はおしなべて莫迦にしていたようで、『源氏物語』にも「ものゝなさけ知らぬやまがつも花の陰にはなほやすらはまほしきにや」(夕顔)などと書かれている。
「そとも」は「外面」と書く。賤しい人々も家の外に松を立て、正月を迎える準備をしていたのである。ただ千歳を祝うのは貴族たちで、君が代の千代に八千代につづかんことを言祝ぐのがならわしだった。
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059 かくとだに言はぬにしげきみだれあしの いかなるふしに知らせ初めまし
これほど思っていますと 口には出さずとも繁る乱れ葦(足)を
どんな節(折)に初めて申し上げましょう
ここから恋の歌になる。乱れ葦は和歌にはめずらしくない題材だが、恋の歌はあまりないように思う。それにしても口語訳がむずかしい。『新勅撰集』所収。
乱れ蘆のしをれてのみぞ年はふる 身のうきふしをおもふ入江に
(宝治百首 雑 後鳥羽院下野)
後鳥羽院下野(ごとばいんのしもつけ)は縁語・掛詞がわかりやすい。
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060 たてながら数のみつもるにしきゞの ともにわが名もくちぬべきかな
男が思いをかける女の家の門口に五色に彩色した木を立てる習慣があった。その木を錦木(にしきぎ)といい、女はそれを取り込むことで男を受け容れるしるしとした。女が承諾しなければ錦木はいつまでも増えつづけ、やがて朽ちていく。陸奥地方では実物の、あの紅葉のきれいなにしきぎの枝を立てたそうである。
堀河の歌は女の立場から詠まれたもの。気に染まぬ男が毎夜訪れては錦木を立てていく。あの錦木が朽ちていくように、靡かぬ女として自分の評判も落ちていくのではないか。なんだか気の毒になってしまう歌である。
思ひかねけふ立てそむるにしきゞの ちつかもまたで逢ふよしもがな
(詞花集 恋 大江匡房)
「ちつか」は「千束」。錦木が千本に達すると男の思いはかなうといわれていた。立て始めた初日に千夜もかかりませんようにと願っているわけだ。
→久安百首目次
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参考:日文研データベース