矢・島・慎・の小説ページです。

「星屑」
    沖縄を舞台にした若者のやまれぬ行動を描くドラマです。
    お楽しみ下さい!

八章

2005年04月01日 | Weblog
「和、どうしてあのアパートが察に分かったんだろう?」
「管理人のババアだろう。俺と廊下ですれ違ったとき、薄気味悪い顔としてやがった」
「潤さんたちに迷惑かけるだろうか?」
「多分……」
「二人ともよくしてくれたものね」
「警察のやろう、俺たち皆しょっ引くつもりだ。くそったれが!」
「和、どこか当てはあるの?」
「名護からちょっと行った親川にダチがいる」
「誰?」
「賢吉だ。苗字はたしか、松田」
「頼るしかないね」
「安江、顔色が悪いぞ。大丈夫か?」
「うん、気持ちが悪い。吐きそう」
「安江、暫く我慢しろ」
「逃げ切るだけ逃げ切らないと。休むのは後だ」
 車は猛スピードで駆けた。和昭がハンドルを切るたびにタイヤが激しく鳴った。家並みの間から嘉手納飛行場の灯が見える。やがて広い道路にジャンプするように乗り入れた。
「58号に乗った。少しは楽になるだろう」
「私のことはいいから走って」
 安江は窓を下ろし吐いた。アパートから脱出した疲れと、つわりの症状が加わり顔面蒼白となっている。
「和、苦しい」
「どこかで休むか?」
「そんなことしてたら察に捕まっちゃうよ」
 安江はタオルを口にあて、空吐きを続けた。和昭は片手でハンドルを握り、左手で安江の背中をさすった。 
 車は名護に入った。和昭はこんもりした林に車を乗り入れた。エンジンを切ると朝もやの静けさが車を包んだ。東の空が白く明け始めている。
「安江、少しここで休む」
「名護に着いたの?」
「着いた。ここで一番のバスを待って、親川に行く。少し寝よう」
「私、体がえらい」
「少し休めばもどるだろう」
 そういいつつ、和昭は安江の額に手をあてた。額から流れでる汗と熱気が和昭の手に伝わる。和昭はタオルで安江の額を拭いた。リクライニングを倒し、横向きになった安江の背中をさすり続ける。安江は大きな息をさせつつも眠りに入っていった。

 二人は小鳥の鳴き声で目を覚ました。うっすら目を開ける安江に和昭が声をかける。
「どうだ? 具合は」
「ああ和、眠ったら少しおさまったみたい」
「よかったな。これからターミナルまで歩いて、バスに乗換えだ」
「行き先は親川だったわね」
「そうだ。始発のバスに乗る。起きたらすぐに支度だ。車の中には何も残さずに行く。見つけられたら足がつく、いいな」
 二人が車から降りると、鳥のさえずりが一層やかましく聞こえた。人気のない朝の道をバスターミナルまで歩き、辺戸名行きのバスに乗った。乗客は五六人乗り込んでいる。
 バスは国道を北に向かう。十分も揺られていると、周囲をサトウキビ畑にすっかい囲まれた田舎道を走っていた。安江は座席でうとうとし始めていた。和昭は窓の外をじっと眺めている。
 やがてバスは親川入口の停留所に止まった。二人が、まるで放り出されるように道路脇に立つと朝の湿りが漂う中、眠ったような村の景色が映った。和昭は、ふらつく足取りの安江を抱えるようにして歩き始めた。
「和、私おなかがすいた」
「もうちょっと我慢だ。賢吉のところに着いてからだ」
「遠いの?」
「すぐのはずだ」
 和昭は、かってこの村を訪れた古い記憶の糸をたぐっていた。確かこっちだったが……、と周りを見定めながら、キビ畑の道を進む。弓なりになった道を暫く行くと、ぽつんと立つ公民館に出くわせた。村民の集会所となっている古い木造りの建物には、親川公民館と書かれた板が掲げられている。
 和昭は頭に描いた地図を確かめ、方向を日の出の向きと照らし合わせ、更に進んでいった。所々に木々の繁りが見られ、鳥がさえずり飛び交っている。
「安江、あそこだ」
「良かったー、一体どうなるかと思ったわ」
とため息混じりに安堵の声を上げた。二人が立ち止まったのは、一軒の平屋造りの家の前だった。和昭がドアを引くと、すっと開いた。
「松田君、松田君いますか」
と呼びかけると、中から年老いた男が腰を屈めて出てくる。
「賢吉かね……」
 老人はゆっくり声をだす。
「はい、賢吉君の知り合いのものです」
「ああ、今呼んできますから」
 和昭の顔をいぶかしげに眺めながら奥に消えて行った。
 暫くして、廊下をばたばたと賢吉が現れた。
「おう和か、無事だったか。そちらの人が……」
「そうだ、安江だ」 
 和昭が安江を紹介すると、安江は頭を下げた。
「とにかく上がれ。疲れただろう」
と二人を招き入れた。
ティーシャツにジーパン姿の賢吉を先頭に、三人は廊下を進みフローリングの部屋に入った。賢吉は寝起きだった。部屋の隅のベッドには整頓されていない掛け布団が見える。フローリングの中央はじゅうたんが敷かれ、三人はその上に座った。
「宏志が捕まったことは聞いたが、そのあとお前達がどうなったか、心配だったんだ」
「コザの潤の所にいたが、もう頼れるところはお前のところしかない。面倒見てくれ、頼む」
「任せておけ。俺の親父は貸し部屋を持っているから心配するな」
「ええー、すごい!」
 安江は思わず歓声を上げた。賢吉は安江の方に目をやりながら、
「安江さん、おなかの子、大丈夫?」
と聞く。
「おなかの子も大事だけど、私たちが危ないから……。でも順調みたいです」
「それにしても少年院で一緒だった和昭が親父になるとはな」
 賢吉の言葉に和昭は、
「まだ四五ヶ月だ。これからが大変だ、誰にも相談できねえから」
と顔をこわばらす。安江も、
「なんともないときはいいけど、おなかが痛んだときは物凄く心配。どうしたらいいのか分からなくて」
「そうだろうな安江さん。よし部屋を案内しよう」
 賢吉がたち上がった。
 賢吉の親父が持っている貸し部屋は、一般のアパートとは程遠いもので、豚小屋を改造した掘っ立て小屋だった。
 ずっと以前、といっても戦後のことであるが、この親川では養豚が盛んで、少なくとも十軒の豚舎が見られた。食肉用に各豚舎では何十頭もの豚を飼っていたのだが、沖縄返還後は公衆衛生上の法律や規則ができ、自由に豚が飼えなくなった。
 豚が飼えなくなると、今まで豚舎として使っていた建物を壊すのも惜しく、数軒の持ち主は豚舎を貸し部屋に改造していた。当初はベニヤ板や簡易屋根の造りだったが、入居希望が多く、その後改造を重ね、プレハブハウスになっている。
 一軒の豚舎あとに、八畳ほどの広さの部屋が五つ、六つできていた。持ち主は一部屋二、三万の安い家賃で貸している。部屋を利用するのは日雇いの労働者か、ぐれて家を飛び出した若者であった。
「賢吉、お前いい家具持ってるな。ビデオも揃っているし、ベッドも高そうだな」
「まあな。ちょっとここで待っててくれ。お前たちのこと話してくる」
 そういって親父さんたちの部屋へはいっていった。数分ののち賢吉は二人を貸し部屋に案内した。貸し部屋は、賢吉の家の裏側に建っていた。貸し部屋と賢吉の家の間は広い庭になっていて、数本の立ち木と、貸し部屋の共同の洗い場とトイレがあった。
 和昭らは貸し家の左隅の部屋を借りることになった。その部屋は板張りの部屋が一つきり。玄関ドアと、玄関と反対側にドアがあった。裏扉から共同の洗い場と便所にでられた。窓は横に一つあった。電灯は蛍光灯が天井に作りつけてある。
 何もない部屋に、賢吉が貸してくれた布団を一組、運び込んだ。ここが昔豚舎だったと思わせることはなかった。食料、雑貨は近くに小売店があり、必要最低限のものはそこで買うことが出来、毎日の食事の材料もそこでまかなうことが出来た。
 ここの貸し部屋は、夫婦者が一組、一人で使っているのが三人いた。彼らは昼間は外に出かけてしまうので、夜にならないと帰ってこない。
 親川村の住人は、せいぜい三百人ほど。七、八十世帯の家が散らばって建っている。村の中で若者の姿を見るのはまれで、子供か老人ばかりである。村の周りは一面のサトウキビ畑で、丘を越えたところに僅か、稲田が広がっていた。
「あー疲れた」
 安江は床に腰をおろし、積まれた布団に背をあずける。
「安江、少し休め。部屋の整理はそれからだ」
「うんそうする」
 和昭が布団を広げ、安江はジーパンとシャツを脱ぐと、その中にもぐりこんだ。和昭は鍵を確かめたり、裏の洗い場を見て回った。