コメント
詩碑へと続く道について
(
きみちゃん
)
2019-06-29 00:50:45
最近(2019年)、賢治詩碑の近くに。ずっと住んでおられる高齢の方に写真を見ていただきました。
その方によりますと、この写真は奥州街道(旧4号)を背にして、成田街道の賢治詩碑の入り口の標柱を右に見、北上山地方面を写したものということです。
右の標柱は賢治詩碑の入り口を示しており、たしかにこのような標柱が立っていたと語っておられました。
そして右側の杉林は生誕百年祭時分まではその様子が残っていたそうです。
現在は道路の曲がり方は舗装や宅地化、田畑の区画整理等により多少変化していますが、昭和初期の国土地理院の地図に照らし合わせるとその形状は符合します。
ところで、リヤカーを牽いた賢治さん(?)のいる写真には民家が近くにあり、よく見ると道の曲率が明らかに違います。
これは同じ場所を撮影したものではなく、また近くにこのような場所はなかったと言っておられました。
賢治さんが耕作しておられた「下ノ畑」の近くには標柱などなく、明確な痕跡は残っていません。
現在、聞き取り調査、時代考証を踏まえ、「下ノ畑」についての詳細を確認中のようです。
ご教示ありがとうございます
(
きみちゃん 様へ
)
2019-06-29 15:31:55
きみちゃん 様、
この度は、二度にわたるコメントありがとうございます。
かつては、私はこの写真のリアカーを牽く人物は賢治その人であると思っていたのですが、ヤジュル様からのご教示によって、それは私の誤解だったことが判りました。
その顛末につきましては、
“番外 賢治詩碑への道・リアカーを牽く賢治?”
https://blog.goo.ne.jp/suzukishuhoku/e/f6daf57924815f25b2b2edd0ad110f26
で報告してありますので、どうぞご覧ください。
鈴木 守
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その方によりますと、この写真は奥州街道(旧4号)を背にして、成田街道の賢治詩碑の入り口の標柱を右に見、北上山地方面を写したものということです。
右の標柱は賢治詩碑の入り口を示しており、たしかにこのような標柱が立っていたと語っておられました。
そして右側の杉林は生誕百年祭時分まではその様子が残っていたそうです。
現在は道路の曲がり方は舗装や宅地化、田畑の区画整理等により多少変化していますが、昭和初期の国土地理院の地図に照らし合わせるとその形状は符合します。
ところで、リヤカーを牽いた賢治さん(?)のいる写真には民家が近くにあり、よく見ると道の曲率が明らかに違います。
これは同じ場所を撮影したものではなく、また近くにこのような場所はなかったと言っておられました。
賢治さんが耕作しておられた「下ノ畑」の近くには標柱などなく、明確な痕跡は残っていません。
現在、聞き取り調査、時代考証を踏まえ、「下ノ畑」についての詳細を確認中のようです。
この度は、二度にわたるコメントありがとうございます。
かつては、私はこの写真のリアカーを牽く人物は賢治その人であると思っていたのですが、ヤジュル様からのご教示によって、それは私の誤解だったことが判りました。
その顛末につきましては、
“番外 賢治詩碑への道・リアカーを牽く賢治?” https://blog.goo.ne.jp/suzukishuhoku/e/f6daf57924815f25b2b2edd0ad110f26
で報告してありますので、どうぞご覧ください。
鈴木 守