せかいはまわる!

スタッフ&キャスト&お世話になった人が語る、風間監督作品「せかいのおわり」はこうやって出来た。

ポーランドのカナダ人

2005-06-30 14:07:13 | 風間志織(カントク)
先週、ポーランド生まれのカナダのひとから、取材を受けた。彼女は、フェミニズムと女性映画を研究していて、現在東大に留学しているという。
なんだか怖そうだと思いながら、待ち合わせ場所に行ったのだが、会っていきなり笑顔で、「ファンです」と言われた。ちょっといい気分。
彼女曰く、わたしの作品は、非常にフェミニズム的なんだそうだ。
ふぇみにずむ、である。なんだかよくわからない。
で、彼女に聞いてみた。「ふぇみにずむって、なに?」
彼女は、一生懸命、言葉を駆使して、答えてくれた。(約30分)
要約すると、「女性同士でコミューンを作ってしあわせになること」みたいな感じらしい。
ふーん、それなら確かに『火星のカノン』は、ひっかかるところはあるかも。では、『せかいのおわり』はどうなんだろう? 彼女はまだみていなくて、早くみたいと言っていた。
取材も終わりにさしかかった頃、彼女は、真顔でわたしに聞いた。
「あなたの作品は、海外では結構有名(映画祭でのことだと思う)で、評価も高いのに、日本では有名じゃない。なぜだ?」
・・・そんなこと、わたしに言われても・・・
でも、がんばって答えてみた。
「えっと、売れてないからじゃないでしょうか・・・?」
すると彼女は、真顔でなおも突っむ。
「なぜ、売れないのだ?」
・・・そ、そんなこと、わたしに言われてもっっ・・・!
でもま、わたしも真顔になって、答えてみた。
「それは、わたしが嫌われているからです」
すると彼女は困ったような顔になって真剣に擁護してくれた。
「そんなことは、ないと思います」
えっと、笑うところだったんですけど・・・
でも、とっても、真面目な良い方でした。

控え室

2005-06-29 14:20:57 | 中村麻美(はる子)
今日、午前3時ごろ寝付けないので起きたら、
なんと、右目の視界に恐るべき物体が映し出されたのです
ムカデもしくはゲジゲジが元気よく足並みそろえて歩いているではないですか
明け方にソレと格闘した為、興奮状態から冷めないあたしは
ほとんど寝れずに今に至っています。。。

こんにちわ。中村麻美です

えっと今日は撮影現場の控え室の話をします。
主に使用していたのは盆栽屋「MOSS」の二階部分です。
初日、足を踏み入れたときにまず言われたのが
「ここは重量制限があるから」ということです
そこは昔の家の造りになっていて
たたみ4畳くらいの小さな部屋が3つつづきになっていて
妙にちぐはぐな段差がありました。
「一つ目は4人くらいまで。二つ目は2人で、
三つ目はとりあえず数人までね。じゃなきゃ床が抜けるから」
床が抜けるってそんな~
あたしはすぐさま得意の妄想癖で
床が落ちる瞬間を頭に描いたのです
・・・こりゃ笑えない事態になるぞ
落ち着きのないあたしもさすがに
ここでウロウロするのは止めようと誓ったのでした。

ここには控え室以外にも部屋がいくつかありました。
その中のひとつは劇中にヒロムちゃんの部屋として登場します。
見ていただけるとわかりますが、
昭和の懐かしいにおいを感じる部屋です

ここではしばしばギョっとする場面もありました。
お借りしていたこの家にはもちろん住人の方がいらっしゃったのですが、
あたしははじめ聞かされてないものだから、
廊下を歩く足音や扉がキ~っと開閉する音に
恐怖で思わず胸で十字をきりそうになりました
結局クランクアップするまでその住人さんにはお会いすることもなく、
どの部屋にお住まいだったのかも分からず、
あたしにとってはお○けのような存在で・・・。(すみません

そうそう、風間監督は不思議な力をお持ちで
最終ロケ地の沖縄で変なことを口にしたのです。
「あの盆栽屋から変なのをつれてきちゃった」と。
あたしはそのとき、
なにを連れてきたのかすぐに分かってしまったのです。
控え室の3つ目の部屋には
ご先祖さまの遺影が飾られていたのですが
その中のひとりがやけにこちら側に
興味を抱いているように感じたのでした。
「おばあちゃんじゃないですか?」私が問うと
「そうそうそう」と言って監督は笑いました。

けど決していやな感じがする場所ではなく、
居心地がよく感じたこともありました。
これは余談ですが、この家には出雲大社の
御札が飾られてありました。
あたしは「白い船」出演以来、
勝手に島根県にご縁を感じているのですが、
それを見て、あ、護られているな、
とまたまた勝手にご縁を感じたのでした。

支離滅裂と書きまくりましたが控え室ではドキドキなことばかりでなく、
役者同士の大切なコミュニケーションの場でもありました。
渋川くん、長塚くんとは色々な話をしたな~
あんなに自然体でいられる共演者ははじめてかも。
あたしのくだらない話にたくさんつきあってくれてアリガトウです。
次回は共演者のお話を少しできたらと思います。

それにしてもほんと、床が抜けずによかったなー

いやいや、中途半端な文章を
最後まで読んでくださってアリガトウです。
ここにきてついに・・・あ、あ、睡魔が・・・




世界第二位!の沖縄コーディネーター!?

2005-06-29 11:07:32 | 伊藤P
「せかいのおわり」はお金もないのに沖縄ロケを敢行した。なぜかっていうと、その説明は長くなるので割愛して。とにかく撮影の終盤は沖縄にいたのです。遠方での撮影に力強い味方となってくれるのが全国各地にある、フィルムコミッション。人手も足りないお金もないクルーにとってかなり強い戦力になるのです。我々も準備段階から沖縄フィルムコミッションに連絡をして、ロケの手配を御願いしていました。しかし、沖縄はロケ地としても人気がある。撮影の依頼がいくつも重なって、なかなかこちらのリクエストの答えが返ってこない。撮影が可能かどうかも判らないままクランク・インを迎え不安になり始めていた。
そんな時、ふと思い出して沖縄出身の知人に聞いてみた。撮影で借りたい場所と、撮影に必要なユンボだとかの重機類を安く借りられるところを知らないかと。その知人は撮影とは全く関係ない職業の人である。知るはずがないだろうと思ったが、こんな時は誰にでも聞いてみるもんだ。翌日返事があった。後輩で重機をいくつも持ってる人がいるから頼んでおいたと言う。沖縄本土なら何処でもただで持ってきてくれると言っているらしい。知人は二十代である。それも女性だ。学生が重機をいくつも持っているわけがない。何か勘違いをしているんだなと思い、もう一度説明をしてみた。「ユンボなんかね、一日頼むと15万円以上はするんだけど。トラックで運ばなきゃいけないし、免許が必要だし」と。しかしニコニコこう答えた。後輩というのは建設機材を扱う会社の社長だという。学生などではなく40代の立派な大人である。ロケ場所もいくつか心当たりがあるという。じつは彼女は新極真空手の指導員で何年か前まで沖縄支部にいた。その社長は、その時の道場生だという。空手の世界は厳しい縦社会。年齢ではなくキャリア・実力がものを言う。彼女は全日本女子軽量級チャンピオンのキャリアを持つ。他の後輩にも情報を集めさせていると言う。頼っていいのかどうだか判らないが、何だか心強くなってきた。
最終的に撮影をしたのは、沖縄フィルムコミッションの方が探してくれたところだった。さすがプロの仕事だった。この辺の話も又後日。しかし、最悪の場合でも沖縄の空手家達が協力してくれると思えたのは、ちょっと面白い経験だった。これは色々な人の好意に支えられて撮影が出来たという一例です。感謝!
その女性空手家はエンドロールにもクレジットされているが、砂川久美子さんという。彼女が6月の18・19日に行われた新極真会の世界選手権で準優勝をした。
興味のある方はhttp://www.shinkyokushinkai.co.jp/modules/news/article.php?storyid=106
を見てみてください。(P伊藤)

クランクイン

2005-06-27 18:17:02 | 中村麻美(はる子)
今日もなんて暑いんだろう
こんにちわ。中村麻美です

エピソードをたくさん書くと決めたものの、
一昨日の晩ご飯を思い出すのに苦労するあたしが
2年も前の撮影秘話を書けるのだろうか
記憶なんてものは曖昧なのが当然であるからして、
間違いがあったとしてもお許しあれ

クランクイン初日
二度目の仕事になる監督、スタッフ、キャスト。
気の知れた仲間で迎えた初日。
そりゃ、もうわくわくドキドキしていました
ふつう初日には現場に入ると助監督さんによる
キャスト紹介というものがあって、
あたしであれば、「はる子役の中村麻美さんです」
みたいなことがあるのですが、あたしのみ、
それが行われないまま初日を終えたのでした。。。
サミシ
数日後、それに気づいた助監督さんは「あっ
と、ものすごく気まずい顔をしたものだから
キッとにらみをきかせておきました
そしたらさらにまずそうな顔をしたのでした

ふう~ひと息。。。

前作の「火星のカノン」から数年が経っていましたが、
風間監督との間にさほど隙間はなく、こころ的には
心地よい風が吹きまくってました。
その風の行き着く先にせかいのおわりを感じれたら
きっとあたしなりの正解を見つけることができるかも、
なんて思っていたような気がします。
とはいえ、そんなに甘くない現実になんど悲鳴をあげそうになったことか。
とほほほほ。。。

と、初回エピソードはこんなところでしょうか。
少しずつ記憶の糸をたどってたどってまたひとつ思い出したら
かきこみま


制作部のお仕事? ガクガクブルブル編

2005-06-27 12:41:09 | 制作部
せかいのおわりでは、はる子、慎之介、店長、恵利香、
金くん、奥さん、ヒロムちゃんなどなど
イロイロな役者さんたちが出演をしています。
その中でなかなか配役の決まらなかった登場人物がいます。
それは「盆栽屋の客」(セリフ付き)。
最初に台本を見たときから「盆栽屋の客」の欄は
白紙になっておりました。
しかし、それはある日突然飲み屋の席で決まることになります。

監督「やってみる?」
自分「あは?」

以下その理由。
特殊メイク不要かつリアルな目の下のクマ、
癒されたいオーラがにじみ出る疲れた顔。
以上。いきなり出演が決まりました。

さて、デビュー戦当日。晴れ。体調は万全。
小さな盆栽を両手に二つ、セリフもばっちりと頭に入れ、
目の下のクマも順調に深くなっておりました。
全ては順調、意気揚々とカメラの前に立ちはだかります。
本番かかって来いっ。

と、そこで何かがおかしいことに気づきました。
ほんの数百グラムの軽い盆栽を二つほど持っているだけなのに、
両手が上下左右に揺れて見えるんです。
一生懸命に止めようとしたんです。
それでも両手は言うことを聞いてくれません。
しかもだんだんとその揺れは、手から腰、腰から膝へと降りていきます。
はい。カメラ前に立ったとたん、心底ビビッてしまいました。
全身ガクガクブルブルです。
ピアノの発表会でも、学芸会でも、高校受験の時だってこんなに緊張したことありませんでした。
自分の意思に反して、全身はガクガクブルブルと揺れ続けます。
そんなガクブルを横目に、撮影準備は整いいざ本番。
監督の掛け声と共に現場は静まり返り、カメラは無情に回り始めます。
何とか平常心を取り戻そうと、思いつく限りのおまじないを試みました。
そんな時、このガクブルに最後のトドメが刺されたのでした。
それはカチンコです。
乾いた音で「カチンッ」とやられた途端、フラッシュの様に頭の中は白一色になり。。。。。涙
そしてこの日、ガクブルのせいで十数回のNGを出すことになったのでした。

公開になったらよーく見てみてください。
震えを止めるため異様に力の入った手と緊張でひきつった顔が大画面に映し出されます。
そしてろれつの回らない口で唸っています。
「こっちとこっちだと、どっちの方が癒されますか??」
(o-no)

ベルリンの“壁”

2005-06-24 02:32:49 | 伊藤P
「せかいのおわり」が最初に参加した海外映画祭は釜山国際映画祭だった。PFFの上映の後、都内で釜山国際映画祭のディレクターと会う機会があって「評判は聞いている」というので「じゃぁ、是非見てくれ」という会話からトントンと招待が決まった。
風間監督は前作でベルリン国際映画祭に招待され他の映画祭でも賞を受賞しているので、三大映画祭と云われるカンヌ、ベネチア、ベルリンから映画祭に参加していくのが常套手段なのだが、韓国は日本に近くまた韓流ブームで大勢の日本人が釜山国際映画祭に訪れる、国内での宣伝効果を考えて釜山から始めることにしたのだ。何しろこの時はまだ、正式には配給と劇場が決まってはいなかったのだ。少しでも追い風がほしかった。
釜山での上映は二回。チケットはすぐに売り切れになった。韓国では日本映画は人気がある。それに加え、映画祭の宣伝の為に流されるTVスポットで「せかいのおわり」の映像が使われていたのだ。釜山の近くに住む知人を訪ねた時「おお、これは有名な映画ですよ」と言われたぐらいだ。
二度目の上映の翌日。正確には上映が終わった5時間後くらいに、Eメールが届いた。ベルリン国際映画祭のディレクターからだった。『昨日映画を見た。我々の映画祭に参加してほしい。』という内容だった。ベルリン国際映画祭ではワールドプレミアが条件なのだ。釜山がワールドプレミアになるので、あきらめていたのだが、『ヨーロッパプレミアということで映画祭スタッフを説得する』と書き添えられていた。この年は作品の選出が難航し、4ヶ月も前に決まったのは異例らしかった。
ベルリンには先ず私が先発をして、プレス試写の前日の夜中に到着。空港で映画祭のスタッフが出迎えてくれる。ホテルに入って、映画祭のカタログを何冊かくれる。さすがにベルリンは大きな映画祭で、カタログも電話帳みたいに厚くて重い。その表紙を見てドキッとした。「せかいのおわり」のスチールを使ってデザインされているのだ。ベルリン用に作ったポスターのスチールだ。驚いていると。「では、あれもですよ。」と案内してくれた映画祭スタッフが、ホテルの隣に建つ劇場の看板を指さした。どでかい看板になっている。ベルリン国際映画祭フォーラム部門の公式ポスターになっているらしい。すぐにカタログをデジカメで撮ってまだ日本にいる監督にメールした。ディレクターが作品を気に入ってくれたのは確かのようだが、ここまでとは。メールを見た監督から返事が来た。「役者、写ってないじゃん」そう、使われているのは落書きされた壁の部分。公式ポスターだから一作品に偏ることは出来なかったのだろう。何日か後、昼食会でディレクターにあった時「スチール黙って使っちゃったけど、良かったかな?」と聞かれた。ちょっと楽しそうに話すディレクターは多分驚かせようと思ったのだと思う。いや無断は困る。役者をはずしてはダメだ。と言おうと思っていたのだが、口をついて出てきた英語は「Good idea!」だった。
壁の本場ベルリンで、茗荷谷のトンネル(撮影場所)の壁の写真があっちこっちで貼られている。そして、美術助手の古積さん、あなたの絵が知らない間にベルリン映画祭フォーラム部門の公式ポスターになってましたよ。あぁ、びっくりした。(P伊藤)