キリマンジャロの宴

好きな音楽、映画などを気ままに綴るブログです。

ディアンジェロの単独公演を観た。

2015年08月19日 | 音楽
ジョンスペの単独公演も、同じ昨日、ライブがあった。

大好きなジョンスペを蹴って、ディアンジェロのライブへ。

凄かった。
とてつもなかった。


この人のブログを読んで、
泣きそうになった。

http://s.ameblo.jp/fuji86taiyo66/entry-12063386976.html

会場には、ヨルタモリに出てる、アフロの人が観に来てた!

今日の一文

2015年08月15日 | 気になった記事
「コスト」という考えがなぜいいかというと、
人は自然に「激しくケチ」になるからです。
「激しくケチ」になりがちな人間に
「かかるものはかかる」と教えてくれるのが
「コスト」。





糸井重里

GR DIGITAL Ⅲで撮影

2015年07月30日 | GR DIGITAL IIIで撮影






































































GR DIGITAL Ⅲで撮影

2015年07月30日 | GR DIGITAL IIIで撮影






































先日、フジロックに行ってきた。

2015年07月30日 | 音楽
写真は後日アップする。

最終日だけ参加。

ノエル観たさに行った。

単独公演の武道館が良かった!!

また、苗場の空気で観たかったのだ。

何度観ても最高だし、やはり苗場の空気は武道館と違った。

また、別にロクに聴いていない大橋トリオが良かった。

ベストをツタヤで借りて聴きまくっている。


椎名林檎嬢は言わずもがな。。。

素晴らしい。罪と罰で泣きそうになった。

I LOVE
FUJIROCK..

映画「海街diary」を観る。

2015年06月16日 | 映画
是枝監督の最新作を観てきました!










素敵な作品だった。なんで、こんなにも是枝作品は素晴らしいのだろう。

「誰もしらない」の衝撃から、「歩いても 歩いても」、「そして、父になる。」と家族を描いて、

この「海街diary」へ。




僕は、この作品が大好きだし、最高傑作だと思う。。

龍三と七人の子分たちを観た。

2015年05月14日 | 映画


北野監督最新作の映画、期待どうり、愉快痛快で面白かった。  


主人公の藤 竜也氏がかっこよかった。


彼女は言った。。。

2015年05月10日 | 無題
 天気の良いゴールデンウイークの電車内で、目の前に3人組の家族。

真ん中にお嬢ちゃんを挟み、父母が両脇に。。


この家族の会話が耳に流れ込み、僕は疑った、、、




シーセッド。。。











「パパって、自分をおっさんって認識してるんだって。。。」




「ねえ!?、パパ。。。。」










「うん。。。」






このお嬢ちゃんが言い放った「認識」という言葉が胸に刺さった。。



ジャン・ギャバンのレ・ミゼラブルを観る。

2015年05月05日 | 映画




2度目の鑑賞。3時間近くある映画。
(最近のレ・ミゼラブルの方は観ていません。)













年に1度は観ようと思う。

ギャバンの演技や、ストーリー、映像と全て好き。







最後にギャバンが言い放った言葉は、「ニューシネマパラダイス」と
同じだったことが印象的だった。

GR DIGITAL Ⅲで撮影

2015年04月28日 | GR DIGITAL IIIで撮影



































































































































日経のサイトから

2015年04月25日 | 気になった記事


気になった文章があったのでここに記録する。












「勝ちを知るに五あり。戦うべきと戦うべからざるとを知る者は勝つ。
衆寡の用を識(し)る者は勝つ。上下の欲を同じうする者は勝つ。
虞(く)を以て不虞を待つ者は勝つ。将の能にして君の御せざる者は勝つ」

「知勝有五、知可以戰、與不可以戰者勝、識衆寡之用者勝。上下同欲者勝、以虞待不虞者勝、將能而君不御者勝」 謀攻篇(第三)金谷治訳注『新訂 孫子』岩波書店、51頁

 ここに引いた「勝ち」についての孫子の言葉は、『孫子』の第三篇である謀攻篇の最後にある名言だが、じつはこの文章に続いて『孫子』の数々の名言の中でももっとも有名な名文句がさらに続く。

「彼れを知りて己(おの)れを知れば、百戦して殆(あや)うからず」

 この名文句の陰に隠れてしまうのか、その直前に置かれたこの「勝ちを知るに五あり」という文章は、それほど広く知られていないようだ。

 ちなみに、「彼れを知りて己れを知れば」という名文句にさらに重要な一節を加えた名言が地形篇(第十)にあるので、そちらは書籍の第五章「戦略的思考とは」で取り上げている。ここでは、この「勝ちを知るに五あり」という文章の意義を、経営の視点から考えてみよう。

 この言葉は、「どんな状態になっている者が勝てるか」を五つのタイプに分けて述べたものである。

 まず第一に、戦うべき状況かどうか、判断できる者。

 戦うべきだと思える状況でも、実際に戦って勝てるとは限らない。ましてや、戦うべきでない不利な状況であえて戦さを挑んだとしても、負けること必至である。

 戦うべきか戦わざるべきかの判断ができる者とは、自分の置かれた環境の有利不利の判断ができる者であり、自分たちの能力がその環境の中で勝ちを獲得できるレベルになっているかを判断できる者である。そして、そうした判断のもとになる情報をしっかりと入手している者でもある。



 勝てる者の第二のタイプは、現場の作戦行動を兵力の大小に応じて適切に工夫できる者。

 衆寡の用とは、兵力の大小などをうまく使いこなすことである。そうして現場の作戦行動、あるいは企業の言葉でいえば組織の動かし方をきちんと工夫できる者なら、たしかに勝つ可能性は高いであろう。戦力はただ大きければいいというものではない。小粒な兵力でもそれを機敏に使い回せば、量的規模に優る敵にも対応できることがある。

 勝てる者の第三のタイプは、組織の上下で同じ思いと欲を共有している者。

 つまりは、人心の統一ができていて、上も下も同じ方向を目指している、ということである。『孫子』では、あちこちで人心統一の重要性が説かれている。すでに第2回で道(経営理念)を成功の第一の鍵要因として紹介したが、それも人心統一をもたらすためであった。経営においても、人心統一の重要性については多言を要しないだろう。

 続いて第四に、自ら深く考えて準備をし、相手が準備のないまま行動するのを待ちかまえている者。

 虞とは、おもんぱかる、ということで、つまりは深く考え、事前の準備をするということである。その準備とは、さまざまな蓄積をしっかりしておくというだけでなく、兵力や資源の効果的な運用のための体制や計画の準備もあるだろう。そんな蓄積と準備の整った軍が、不虞(つまり備えのない)の軍を待ちかまえていれば、戦いに勝つ確率は高い。

 ここで、「待つ」という表現がわざわざ入っているところが、にくい。たんに、虞をせよというだけではないのである。考えた上で「待ちかまえている」者が勝つ、と孫子はいう。

 なぜその敵は不虞なはずなのにあえて戦さを挑んでしまうのか、事情はさまざまにあろう。それをときに予想して、ときに相手を挑発して、しかしとにかく自分の方は虞である状態にして、待っているのである。「飛んで火に入る夏の虫」を待つ、と表現してもいいかも知れない。その火を用意せよ、火の明るさで相手を誘え、ということであろう。


 最後の第五のタイプは、孫子らしく、秀逸である。現場の指揮官たる将の能力が高く、最高責任者である君(経営者)は将のたづなをとっていちいちコントロールはしない(つまり、御さない)者が勝つ、というのである。

 現場を預かる将が有能でなければならないのは当然だが、その将に君があれこれと口を出し、制御するようでは勝ちには遠い、と孫子はいっているわけである。言葉をかえれば、現場への権限委譲が大切、ということになる。あるいはさらに一歩踏み込んで、本社が現場の事業をコントロールしたがる企業に発展はない、と読み替えてもいい。

 経営の言葉でこの五つの「勝ちを知る」者のエッセンスを箇条書きにすれば、つぎのようになる。


・環境の中の自分の立ち位置の判断

・現場での人や資源の運用

・人心の統一

・自分の側の準備や蓄積

・現場への権限委譲

 こうした五つの状態が揃っていれば、企業は勝てる、発展できる、というのは読者も納得できるだろう。まさに、経営の本質をついた、五つの「あるべき状態」の姿である。

 ただ、こうして整理されて表現されると、どこか「いわれてみれば当たり前」という感じもないではない。「それでなんぼのものか?」とつい考える読者もいるかも知れない。しかし、読者の周りの現実を振り返ってみれば、この五つの「勝ちを知る」者から外れる事例がかなり多いことに気づくであろう。

 戦うべきでないのに、ついつい「前進あるのみ」などと叫んで戦いたがる経営者。

 ただの量的算術しかできなくて、柔軟な部下の動かし方などの工夫ができない経営者。

 部下の思いが自分の思いと同じになっているかどうかには無頓着で、ただ命令すれば部下は動くと思っている経営者。

 深く考えることなく、準備に十分なエネルギーを注がない経営者。

 ハンズオンなどと称して現場の細かいことに口を出すのが仕事だと勘ちがいしている経営者。そのくせ、責任だけは部下の責任だという。

 そして、「いわれてみれば当たり前」とはいっても、それをきちんと整理して指摘できる能力は、じつは稀である。孫子は、そのような稀な例の古典的なものなのであろう。だから、言われてみてハッと気がつく。

 しかも、その整理を五つの項目でやってのけるのも、孫子ならではである。この連載の第二節(第2回)(一に道、二に天、三に地、四に将、五に法)でも、孫子があげる要因の数は五つであった。ここでも五つ。やはり孫子の思考は「五」に集約することが多い。

 そして、第二節の五つの鍵要因と、この節の五つの「勝ちを知る」者の間には、ものを考える際の注意事項を示唆する面白い関係が秘められてい


 第二節の五つの鍵要因は、君が(あるいは経営者が)考えるべき要因である。いわば、何にかんして思考をめぐらすべきか、についての五つの項目である。そして、この節で解説している「勝ちを知る」者の五つは、君が実現を目指すべき、「あるべき姿」そのものを描いている。

 つまり、第二節の言葉では孫子は「君は何について考えるべきか」を述べ、この節の言葉ではそうした思考の結果として、より具体的に、「どんな状態の姿に国を、組織をもっていくべきか」を述べているのである。

 考えるべき要因をはっきりさせるのはもちろん重要だが、それだけでは思考の入口だけであり、不十分である。その要因についての思考をどこへ向けてめぐらせればいいのか、目指すべき方向(つまり出口)をはっきりさせる必要がある。つまり、「何について考え、どこを到着点とするか」、入口と出口の両方が必要だ、という思考の法則を孫子は教えている。

 思考の結果としてどこを目指すべきか、どこまで行かなければいけないか、それを意識していないと、思考はただ空回りになりがちで、具体的な行動案など思いつかない。しかしそれでも、考えたという自己満足は感じてしまう。それで、十分に思考をめぐらせたと錯覚する人も出てくる。

 経営学の本に載っている分析枠組みの多くは、こうした「何について考えるべきか」を書いたものである。企業の強みと弱み、環境の機会と脅威を分析するというSWOT分析などはその典型例であろう。それで分析したからといって、わが社はどうすべきかという具体的行動案が出てくるわけではないが、分析したという自己満足は残る。われわれ経営学者も気をつけるべき錯覚であろう。


伊丹敬之 著 『孫子に経営を読む』(日本経済新聞出版社、2014年)第一章「経営の本質」から




ピース又吉氏のインタビュー

2015年04月22日 | 気になった記事
  お笑いコンビ「ピース」の又吉氏が小説を書いた!という。

そして、その掲載された雑誌がたちまち売り切れた。

その時に、ちょうど「火花」を読んだのだが、不覚にもグッとくるものがあった。

なんか近いというか描写が。。舞台が好きな街、吉祥寺だったり。。



そんな又吉氏のインタビュー、



















ホンマにおもろいやつがやめていくのを何度もみてきたんで。



                 僕もやめるタイミングなんて何度もあった。



     でも、やめたらすなわち敗者なのか?勝者、敗者はあるし、あっていいけれども、敗者が主役の世界もあるはずで、別の価値基準から見ると、そっちの方が面白い人生かもしれない。





        東京行ったら何かなるんちゃうか。そういう人が毎年出て来ては帰って、またいっぱい来て。



横見たら同じような表情の人がおる。それが東京。そこを無視して小説は書けなかった。

GR DIGITAL Ⅲで撮影

2015年04月14日 | GR DIGITAL IIIで撮影
            

















2014 フジロックのスカタライツ

JSBX!!

2015年04月03日 | 音楽

    ロックが好きで良かったと思うことが、時々ある。

























 

















こんな音楽を聴いたときだ。。ありがとうJSBX!!

「演劇入門」を読んだ。

2015年04月01日 | 気になった記事
  長時間の列車の旅にて、他人に話しかけますか?   




         








 この本は、、まえがきにも書かれているが、演劇を通じて人間を見る。世界を見る。ということを主題にしてある本で、
演劇もロクに見たことがないのに、読んでみた。

ここに、ハッ‼️とした文章を以下に記載する。



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汽車の中で他人に話しかけるかと問いかけたとき、もっとも多かった回答は、
「場合によっては話しかける」というものだった。

多くの場合、相手方の様子を見てという答えが多かった。




私たちは主体的に話していると同時に、環境によって
「話をさせられている」のだ。

例えば、汽車の中で「自分から話しかける」に手を挙げた人でも、
相手が明らかにやくざ者に見える男だったら、自分から声はかけないだろう。

逆に、「自分から声をかけない」というほうに手を挙げた人でも、
相手が何かものでも落とせば
、声をかけずにはいられないだろう。


私たちはこのように、常に私たちを取り巻く環境によって、
喋らされているのだ。