SUMS swimming team

滋賀医科大学水泳部です!

8/9〜8/11 西医体@沖縄

2017-08-15 20:43:30 | 日記

おつかれさまです。

主将の古田です。

これが主将として最後のブログになります。

今までこのブログであれこれゆーてきましたが、それも今回で最後ですね。

しみじみです。

 

 

 

8/9〜8/11に沖縄の奥武山公園プールで西医体がありました!

沖縄についた瞬間から尋常じゃない暑さに見舞われ、この環境で泳ぐなんて冗談かと思ったくらいです。

大会が始まってみると、初日からバンバン熱中症患者が出て、救護室はいっぱいになり、連日緊急のキャプ会が行なわれ、大会を継続するかどうかの多数決がとられるという、前代未聞の過酷な大会でした。

しかし、そんな状況下でも参加大学のキャプテンがだれ1人として、継続しないに手を挙げることはありませんでしたし、例年になく参加大学同士の繋がりが見られた大会だったようにおもいます。

主幹を受け入れ、過酷な環境下で行わざるをえなくなり、大会前からぶーぶー言われながらも、様々な試みで大会を盛り上げ、結果的には成功に導いた琉球大学さんは、ほんとにすごいと思いました。

プールは最悪だったが、運営は最高だった。

そう思います。

琉球大学の皆さん、ありがとうございました。

 

 

そして、主将として、現役最後の年として迎えたこの西医体で、まさか自分が熱中症になるとは、だれが予想したでしょうか。

初日、わけわからんくらい汗をかきながら、気持ちわりと思いながらも、自分なら大丈夫だろうと信じこませながら、レースを待っていた4フリの召集所。

今思うと、あのときの自分には全く余裕がありませんでした。

できるだけいつもどうりにしようと思っていても、周りの選手の話は全然耳に入ってきませんでしたし、話を返す余裕がありませんでした。

結果はベスプラ10の予選9位敗退。

 

主将として、チームに勢いづけなければならなかったのに、まさか決勝に進めずでした。

そのあとのことはあまり覚えてません。

いろんな大学の人が声をかけてくれて、励ましてくれました。

スタンドから自分が泳ぐはずだった4フリの決勝を見ることが、どれだけ辛いことか。

西医体で初めて味わった雪辱でした。

でも、次の日の2フリの予選で1年と少しぶりにベストを更新し、決勝に進めたのは、本当に支えてくれた方々のおかげだと思います。

コースに入るときに、色んな方向から、らりおー、と叫ぶ声が聞こえました。

二階からも、後ろのフェンスからも、またスタンドからも。

正直、泳ぐ前はめちゃめちゃ怖かったです。

昨日みたいに溺れたらどうしよう、キャプテンの年に限って決勝に一つも残れなかったらどうしよう、など心配事はつきませんでしたが、とりあえず自分がやるべきことだけに集中しましたし、そうできたのは皆さんの応援のおかげだったと思います。

決勝はタイムを少し落としてしまい、7位でしたが、一切悔いは残りませんでしたし、まだ2フリは速くなるなと思えたレースでした。

とても楽しかったです。

 

 

 

かなり長くなってますが、最後なのでここから少し振り返ります。

まあのーえいかいでも似たようなこと言うかもですが。

 

 

僕は水泳部に入り、1-2年メニュー係、2-3年副主将、3-4年主将、という役職につかせていただきました。

高校では主務をしていましたが、チームの1番上に立って率いるというのは、今回が初めてでした。

この1年は水泳も水泳部も今までで1番がんばろうも心に決めて、挑んだ1年間でした。

主将という役職ははたから見たらたいして仕事もなさそうで、とりあえずチームをまとめて泳いどけばいい、と思われがちな役職です。

実際僕も自分がなるまではそう思っていました。

しかし、実際に主将になってみると、いかに自分が練習に集中して泳ぐことが大変か、タイムを出していくことが大変か思い知らされました。

たしかに大きなイベント毎に仕事があるわけではなく、特には目立ちません。

でも何かしらの細かい仕事や、また全体の仕事が常にあり、いわば専業主婦のような感じです。

部の最高責任者である以上、主務、会計、練習、全ての仕事に目を通さなければいけませんし、全てを把握して責任を持って決定しなければいけません。

時には人間関係などにも気を配らなければなりません。

これだけの人数ですし、まじで嫌になったことも数えきれないくらいありますが、その中でもなんとかやってこれたのは、幹部のみんなががんばってくれたからだと思ってます。

みんなが頑張ってくれていて、信頼できたからこそ、僕は最小限のチェックをするだけで済みましたし、イレギュラーだらけの西医体を無事終えられたのもみんなのおかげです、ほんとに感謝しています。

あとごこうせんとOB会が残ってますが、終わったら幹部お疲れ様会しましょーね。

 

また、主任としての立場もありましたから、メニューを作り練習を引っ張っていく中で、どうしたらがんばってるみんなが速くなれるかを必死に模索しながら過ごした一年でもありました。

テストがしんどいながらも、頑張ってついてきてくれた部員、特に三回生とマネージャーの方々には、感謝しています。

みんながいなかったら練習は成り立たなかったと思います。

 

 

たいして何もできず、みんなに支えてもらいながら過ごしてきた自分ですが、一つだけ自慢できることがあります。

それは、一回生から四回生まで、自主練にほぼ毎日参加し、一度も寝坊、遅刻をしたことがないことです。

覚えてる限りで、休んだのはノロにかかったときと、事故ったときと、雨予報で風邪引くからとゆって、前日に連絡した二回生のときの二回か三回です。

テストの日も一回休んだかな?くらいです。

他にもあったらすみません。

 

僕は練習をしなくても速くなるような、センスがあるタイプでは決してありません。

練習をしなければ、すぐに落ちてしまう、いわば努力を続けなければだめなタイプです。

センスがないやつは努力をするしかない、そう思いながら4年間練習してきました。

人一倍努力することを心がけ、色んな人から知識、取り組み方、テクニックを吸収しようと貪欲にやってきました。

特に今年は立命館大学さんの練習にオフシーズンから参加させていただき、バイトもしながら、週5.6ペースで練習しました。

また、京都大学さん、神戸大学さん、関西大学さんなど、様々な大学の練習にも参加させていただき、お世話になりました。

様々な環境を経験しながら、良い部分を吸収しようと飛び回った忙しい一年でしたし、とても濃い一年だったように思います。

 

 

練習に参加することがすごいことではない。

むしろそれは当たり前のことで、その中で練習を頑張ることが重要だと僕はよく言ってます。

ぶっちゃけ練習に参加するだけなら誰でもできます。

時間に間に合いその場にいるだけでいいのですから。

それはあくまでスタートラインに立っただけであり、そこから良い走りをして、ゴールテープを切るには、毎回の努力の積み重ねが必要です。

もちろん気分が乗らない、体調が優れない、そんなときは誰にだってあります。

思い切って休むのもひとつの選択肢です。

調子が悪い中でも、なにかひとつ、今日はこれができるようになった、と人に説明できるようなことを練習で得れることが大事だと思います。

自分より速い人に勝とうと思ったら、その人よりも努力をしないと勝てません。

そして自分より速い人は自分が思っているよりも努力をしています。

じゃあ自分はどうすれば良いかというと、これでいいやと満足するレベルの何倍も努力しないといけません。

それを積み重ねて徐々に差を埋めていくしかないと考えています。

少しでもサボったら、その差は余計開いていくものだと思います。

 

 

僕たちは、40名も部員がいて、意識の差があるのは仕方ないことだと思いますし、全員が同じ意識でやるのは不可能だと思います。

そこは割り切って、僕は1年間主将をしてきました。

遊びも飲み会も楽しいし、それを楽しむことは大切なことだと思います。

しかし、遊びと飲み会をするだけだったら、どの部活でもできます。

せっかく水泳部に入ったんだから、水泳も頑張らないと意味ないと思います。

大学生活の4年間、6年間。

これからもっと多くの部員が水泳に対して熱く取り組み、チームとして熱を帯びていくことを期待しています。

そして、来年近医水主管での総合優勝を僕は見たいです。

 

 

僕はこれからのことはあまり考えてませんが、もう現役ではありませんし、競泳選手としての生活には一区切りつけます。

部において、僕が前線にいる時代はもう終わりました。

今後は部にはいると思いますが、運営には一切口出しはしませんし、スーパーサブとして細々と陰ながら応援していきます。

なにか困ったことがあったら、ぼくでよければなんでも聞きますし、いつでもゆってください。

 

 

過去最長に書きました。

長くてすみません。

これでも喋り足りないので、またのうえーかいで話します。

 

みなさんおつかれさまでした。

そして、ありがとうございました。

 

主将 古田諒