巣倉哲徒の自死に関する雑録

死に関して雑多に集めたブログです。

はじめに

2010年07月18日 15時43分02秒 | その他
当ブログは、自死に関する私の意見を中途半端に集めたものです。
当ブログだけ読んでも、すごく中途半端だと思います。

読み直してみて気づきましたが、私が自殺する理由については ほとんど書いてません。
ただ自殺とは何か、死とは何か、生きるとは何か、を集めてみただけです。

また、誰かに読まれることを想定せずに書いたので、
わかりにくいところも多いと思われます。



一応、ここの続きなので、
そっちを先に読んだほうが良いかと思われます



時系列的には こうです。

雑録2009 →自死に関する雑録(当ブログ) →最期の雑録

・2009年の春頃から、雑録2009に死に関する記事を書き始めました
・その書いた記事の中から、大体半分くらいを当ブログに移動しました
・2010年になってからは、当ブログではなく、最期の雑録に書いてます

資料のまとめ

2010年07月18日 15時42分33秒 | その他
・私の死を理解するための参考になりそうな作品のまとめ


■善く生きなければ生きる意味が無いという概念を理解するための本
ソクラテスの弁明、クリトン、パイドン/プラトン
14歳からの哲学/池田晶子
<マンガ>ワンピース/尾田栄一郎


■自死する人の心理を理解するための本
自死という生き方/須原一秀
<マンガ>天/福本伸行 (16-18巻のみ)
大切な人が自殺を望んだら/ジョージ・デラリー


■死に関する作品
人間はなぜ自殺するか/加藤茂
死ぬ瞬間/エリザベス・キューブラー・ロス
安楽死のできる国/三井美奈
自殺直前日記/山田花子

こころ/夏目漱石
<マンガ>ヒミズ/古谷実
<マンガ>ヤサシイワタシ/ひぐちアサ
<映画>いまを生きる(DeadPoetsSociety)
<マンガ>神戸在住/木村紺 死別(一部のみ)


■その他、少しでも関係が有りそうな作品
下流志向/内田樹
就職がこわい/香山リカ
ひきこもる小さな哲学者たちへ、大人が立ちどまらなければ/小柳晴生
バカの壁/養老孟司
私が嫌いな10の言葉、人生を<半分>降りる、働くことがイヤな人のための本、
生きることも死ぬこともイヤな人のための本、どうせ死んでしまう……、カイン/中島義道

<アニメ>スクライド
<マンガ>ぼくらの、なるたる/鬼頭莫宏
<マンガ>シャーマンキング/武井宏之



・参考になったウェブサイト
弟を亡くして



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当ブログ以外の記事の紹介

2010年07月18日 15時39分56秒 | その他
・死ぬつもりが無かった頃
070119あなたは何で生きるの?に対する返答
070509死ぬと美化される
080820あがかずに死にたい?

081121やはり生きて行けない



巣倉哲徒の雑録2009にかなり大量に自死に関する記事が有ります。
いくつかはカテゴリー:生きる苦悩として投稿しましたが、これ以外は、メモの段階で止まってます。
細かく言うと、3月にいくつか、あと5月から12月にかけてたえまなくって感じです。
たぶんこれは整理できないと思います。

以下、「生きる苦悩」以外のカテゴリーの自死に関する記事。
これも軽く見返しただけなので不完全です。

090213仕事と死
090213良いから働け

090215バイトがダメだったらどうしようか

090220バイトに落ちた報告

090309雑件

090419私の屍を愛さないで下さい

090425感想本を読んで労働と死

090510感想「希望のニート」を読んで

090725日誌現状

090905雑件人生はマイナスのほうがきっと大きい

雑件死の雑感1
雑件死の雑感2
雑件死の雑感3
雑件死の雑感4
雑件死の雑感5


あと、最期の雑録にメモがたくさん



・もっときれいに時系列に並べたかったけど無理でした。

「自死という生き方」をもっと読んで思ったこと

2010年07月17日 09時19分43秒 | 作品を参考にして
四回目か五回目の読破


引用

13p(解説)
『晴朗で健全で、平常心で決行される自死がありうる。
(略)
氏は、その証明を、現代における哲学者の仕事であると考えました。』
(私に合うように、余計なものを省いて引用)


21p(解説)
『(略)
身体そのものには自死はできない。
ゆえに、精神(脳)が、(略)自死を決定、決行しなくてはならない』
(同じく)


53p
『もともと明るくて陽気な人間が、非常にサバサバした気持ちで、平常心のまま、暗さの影も異常性も無く、
つまり人生を肯定したまま、しかも非常にわかりやすい理由によって、決行される自死行為がある』


101p
『今は悪くは無い。まあまあで、かなり良いとも言える。
がしかし、それは今までの良かった時を越えるものではない。同等かそれ以上でしかない。
今後も、同等かそれ以下でしかない。しかも、最悪なものがこれからやって来ることはほぼ間違いない。
かなり確率は高い。しかし、直ぐに死ねば、その最悪なことは避けることができる。
それは非常に有難い。そのための一瞬の苦痛など問題ではない』





以下、感想とか


16p
「人生を肯定するなら老いも肯定するべき」というなら、
病気や怪我も肯定するのだろうか
それは、自分でラインを引くしかない

病気を全く治さずに受け入れるなら、それは馬鹿だと言われる
では、自然死はどうか
それは、自分で決めるしかないんじゃないか
誰もが納得するラインなど無い

生を肯定するから自然死も肯定する、では事故死は肯定するか否か
生を肯定するから老いも肯定する、では老いを防ぐ努力はどれくらいするのか
老いを防ぐことが、老いを受け入れることなのか、
それとも、老いを防がないことが、老いを受け入れることなのか

簡単なことだと思う
認める人と認めない人の対立なんじゃなくて、
この人はこう考える、そこの人はこう、自分はこう、あの人はそう、
それぞれ違う
誰も同じじゃない



26p
「自死決行のつらさを軽減できるなら他のつらさも軽減できる」
それは同じじゃない
似てるけど、全然違うもの
代わりにがんばったりすることなんて出来ない

女性が、自分に振り向いてくれない男性に対して、
「あんな女を愛すのやめてよ!だったら私を愛して!出来るはずでしょ?」
って言うようなものじゃないだろうか

確かに、あなたにとっては同じものに見えるかもしれないけど、それは全然違うものだよ



26p
「みんなが同じように苦しむ。誰もが辿る道と思い定めて耐える」

そうやってみんなで赤信号を渡るのか
それじゃダメだ
自分で考えなければ



1章他
やっぱりどうしても、ソクラテスたちを疑うことが、良くないことに思える
本人がそう言ってるなら、どんなに怪しくても、納得行かなくても、疑いたくない
プラトンの創作かもしれないと疑うことは出来ても、
ソクラテスが冗談で言ったとか、真意は別に有るというのは、どうしても受け入れられない



51p
大きな違いを見つけた
普通は自殺者に対して「よっぽどの事情が有るか、病気の狂人か、変人かのどれか」だと思うそうだ
そこで、須原さんはそのどれでもないという
私は、その中で言うと、変人である
これは、大いに認める

事情が有るのと、病気であることは、つまり普通の人から見ても、理解できることだ
でも、変人であることは、理解が難しい

52pの分類で言うなら、私は
「五 哲学者などは、どうも一般人のうかがいしれない理由で自殺するようだ」にあてはまる


ここから少し溝が深まる
確かに私も、おおむね一緒だが、
「異常性も無く、非常にわかりやすい理由によって」というのは無理だ
私は普通の人とは違ってて、違うからこそ理由も理解されない
逆に言えば、普通の人は異常だから、異常じゃない私の理由を理解できないと言いかえても良い

須原さんは、普通の人が変わらないままでも、自死をすすめてると思われる
私は、普通の人が、普通から脱却できるなら、自死をすすめるかもしれない
普通の人が普通のままなら、すすめない

私と須原さんでは、普通の人がどういうものであるかという認識も、当然だが全く合ってないと思う
私が普通を見下してるからそうなるんだと思われる

いや、ちょっと違ったな
須原さんがすすめるのは、あくまで早期尊厳死みたいなもので、私のとは全然違う
だから、普通の人に向いても全くおかしくない
まず、多くの人がそれを選んでも全く困らない
でも私のほうは、多くの人が選ぶわけには いかない




[触発]137p
「死に全員が無責任だ」というところ
そこで思ったのは、生きることに対してもそうだなと

生きることに対しても死ぬことに対しても、周りの人間と本人は無責任に実行している
生きてる当人も、死に行く当人も、まるで他人事だ
生きてるのに忙しいから、もしくは死に行くのに忙しいから、責任を取る暇が無い

生きるうえでのいろんなこと、その全てに対して、責任を取るつもりが全くない
未来のこともどうでも良いと思ってるようにしか見えない

それもまた、考えないからそうなるんだと思う
考えてないのに責任を請け負うことが出来るわけがない



[触発]147pとか
自然死と人工死(自殺)は、逆だと言ってしまうことが出来る
病院に入院して命を長らえるのが人工死で、
自ら考え抜いた自然な時期に死ぬのが自然死だと言ってしまうことが出来る

別に言ってしまわなくて良いけど、
自然死は不自然で、自殺は自然だとすごく思う
もしくは、自然死とは、もっともっと自然でなければいけないと思う

病気を治すのが自然だとは思わない
自然であることよりも、生きることが大切だと思ったから、
自然に逆らって治したんじゃないんだろうか

自然に任せるというのは、時代や科学や常識や平均に合わせるという意味ではないはずだ
みんながそうしてるから自分もそうするというのを、自然とは呼ばない
就職するのが自然だとか、結婚するのが自然だと言ってしまったら、
それは自然という言葉の意味を間違えてるか、捻じ曲げてると思う

何にとって自然なのか
宇宙の法則的なものに対して自然に生きるとは、病気を治さないことではないか
自分に対して自然に生きるとは、考え抜いて決めることではないか
時代に対して自然に生きるとは、周りと同じことをすることではないか
どの自然を選ぶのか

私は、自分に対して自然に生きる
なんでもかんでも考えるのが自然で、おそろしく繊細なのが自然だ
童貞なのが自然で、ずっと一人で居るのが自然だ

誰もが、自然に生きてるんじゃないだろうか
ただ、何に対して自然なのかが違うだけじゃないか
本能に対して自然なら、強姦しても「何が悪いかわからない」と言うだろう
「だって自然じゃないか」と言うだろう




今になってだが、須原さんが家族に何も知らせなかった気持ちが完全にわかる
知らせなくて良いのだ
それが一番マシな道だ



いろんな自殺者について調べてきたつもりだが、
「老いと衰え」を理由に死んだ老人なんていうのは、そういえば一人も知らない気がする
大抵は政治がらみの強制されたような自殺か、精神病かのどちらかだが、それはどうでも良いとして、
理由があっても、ほとんど突発だったりして、
特に、老人の自殺というのは例を知らない
天の赤木くらいなものか



私の文章は、死とセットではない
そこも違うところかな

「自死という生き方」をさらに読んで思ったこと

2010年03月20日 05時49分26秒 | 作品を参考にして
三回目か四回目の読破
関係ないこともかなり含む


須原一秀のそれを「早期尊厳死」と呼んでみるとするなら、
私とは決定的に違うものになりそう
むしろ私は、須原一秀がやりたかったことを邪魔してしまってる
須原さんは、普通の人への影響とかをちゃんと考えてる

全然違うぞ
私は飛躍しすぎてる
何段も飛び越してる
とにかくその、違うってことを強調しておかないと
確かに参考には なった
似てる部分も有る
でも全然違うってこと


「善くなきゃ生きない」っていう狂ってる私とは違って、須原さんは もっと常識的
そもそも普通に生きてるわけで


段階の違いだとも言える
私は めちゃくちゃ見切りが早くて、鋭すぎて、もはや誰にも理解できないレベル
病気とか障害だって言われるレベル
須原さんは、普通よりもほんの一段階か二段階違うだけ
尊厳死とか安楽死をちょっと進めただけ
それでも充分過激だったりする


でもそう考えると、そのほんの一段階か二段階くらいなんて、
違っても違わなくても良いんじゃないの?と思ってしまう
だってあとほんの二十年くらいでしょ
人生の最期だけを切り取る
今までは ずっと耐えてきて、でも自然死とか老いだけは拒否する
それはちょっとわからないかもしれない
私は、そこんとこは違ってて、早い話がすごく高い水準を常に上回らなきゃならなくて、
下回る前に死ぬっていう見切りの早さ

いやつまり、充分生きたら死んで良いって言うなら、もっと早くて良いんじゃないかとも思うわけ
そんなギリギリまで待たなくても
出来るなら太く短いほうが良いんじゃないかと
周りの状況に合わせながらというよりも、自分で決めてしまうのはどうか

いや違うな
そんなに早くは決められない
死ぬことも視野に入れながら生きても、本当に死ぬことを決めるのは やっぱり直前になってしまうはず
直前に決まるんだから、年齢とか残りの寿命とかは関係ないか
「充分生きたら死のう」って思いながら生きるのは無理じゃないか?
とにかく私は自分が出来なかったことは、よくわからない
そういうのは長く生きてみないことにはわからないかも

決めるのは直前になってしまうから、つまりベストの時期なんて狙えない
そんなに長く、死ぬつもりで居続けることは無理じゃないだろうか
時期はベストじゃないんだ
ギリギリでも手遅れでも、良いはずだ
すでに迷惑をかけたり苦痛を味わった後でも、それでも遅くなんかないはずだ

死ぬ準備はどうしても短期間にしかならない
長く生きることが死ぬことを妨げる
死ぬ準備を完全に終らせても、時間が経てばまた新しい準備が必要になる
死ぬ準備をしながら、生きることを継続するのはとても難しい
よっぽどの蓄えが無い限りは


今まで気づかなかったけど、
須原さんは「老醜と自然死の拒否としての早期尊厳死」なんだろうか?
それは気づかなかったな

そう考えると、ソクラテスまでそれに巻き込むのはどうかと思った
確かにその側面も有るかもしれない
でもそれは、側面でしかないのではないかと

確かにソクラテスには、老醜を嫌ってる描写が有った
魂とか死後を喜んでる描写も有った
でもやっぱり、「こうするのが一番善いと思ったから」じゃないの?
老醜を避けるよりも、死後に期待するよりも、それよりも善いと思うことを優先したんじゃないの?
だって、善いことに比べたら、苦しいのもつらいのも関係ないでしょ
善く生きるのが何よりも大切だって思ったんじゃないのか
それが、死刑を受け入れることだったっていうだけではないのか
善く生きるために死んだんでしょうよ

そして私は理想のために死ぬ
ソクラテスと同じだと思う
そこだけはどうしても須原さんとは違う
一番の理由はやっぱり高邁な理想だよ
その後に老醜とか経済とかが並ぶんだよ
これだけは譲れないね



「死の能動的受容」
「いつでもあっさりと腹を切ることの出来る状態」
それが長く続くのはおかしい
全ての準備を整え終えてから決行するまでの、ほんの短い時間にしかそうならないはず
準備が完全に終るまでは、死ぬつもりなんか無い
もし有るとすれば、未遂をしてから次の決行までの準備期間とかしか有りえない
もしくは、ためらったりおじけづいたりしてる期間

だから葉隠とかがよくわからない
「死にたがり」は、シャーマンキングで言うところの、「死をおそれないのは死んでるのと同じ」じゃないのか

でも軽い死にたがりなら、その良さはよくわかる
死が何十年か延期できる立場にあって、軽い死にたがりであるという人生は、とても楽しいだろう
「どうにか仕事も続いてるし、他の仕事も出来る能力が有るし、まだ死ぬ覚悟が無い
でも生き延びる努力はしない。病気にかかっても良い
何かが起きてから死ぬ準備を始めても間に合う」
っていうような状況
未遂はしないし、自暴自棄になったりはしないけど、人とのかかわりは控えめ
生きるのも悪くないし、どうにかやって行けてる
そんな状況

軽い死にたがりとは、死ぬきっかけが欲しいと思いながら生きること
チャンスが有っても、決して死にはしない
そこで死んでしまうなら、自決じゃなく逃避的自殺になってしまう


逃避的自殺と共同体的自決の意味を把握した
これから使っていこう



素人のレビューを読んで

まず、「もっと良い自殺の方法がなかったのか」については、それはまあベストは選べないってことで
安楽死ならまだしも、自殺を家族と話し合うのは無理
それはそちら側の問題だと思われる
もっと自殺が普通のことになったら平気になるんでしょう
だから家族に言わなかったのも、後の反応を見てからだけど、セーフ

問題は、「人生の良いとこ取りはずるいか」ってこと
とりあえず、私の場合は違う
良いところも捨ててるから
もったいないと思いながらも

で、良いとこ取りがずるいのかどうかはわからない
平等に苦しむべきだからずるいのか?自分に出来ないからねたんでるのか?
いや、やっぱりずるくないよ
だって自分で選んだんじゃないか
つらいことも、自分でやるって決めたんでしょう?
自然死に耐えるかどうかは、自分で選んだんでしょう?
そっちが良いと思ったからそうしたんでしょう?
だったら文句は言わなくて良い
そもそも、ずるいからダメだとか、ぜいたくだからやめろとか、それを言うことってどうなんだ?
他人なんかほっとけば良いじゃないか

ただ、「内容が危険だから出版停止を望みます」とかは言って良いと思う
いや、やっぱり、本を出したからこそ、良いとか悪いとかずるいとかずるくないとか、
そういうこともちゃんと言われなきゃダメなのかな?
有名人になったら、そういうことも背負わなきゃいけないのかな
確かにそうかもね
そうだね、ずるいと思われてもしかたないと言えるね
だって言われないなんてことは、きっと無理だから


有名になるって怖いな
なりたくないな
有名になると、変態で居られなくなるのか
有名じゃなくて良いから変態で居たいっていう願いは、たぶん叶わないんだろうなあ
そういうことって、自分で選択できることじゃないんだろうね
自分の意志とは関係なく、勝手に有名になったりいつの間にか変態で居られなくなったりするんだろう



100717修正