●花冠創刊30周年記念号● 2013-08-26 14:41:48 | Weblog ◆編集ブログ/花冠創刊30周年記念号◆ <編集ブログ>は下記のアドレスです。訂正などがありましたら、その旨をお書きください。 http://blog.goo.ne.jp/kakan30/ ■花冠創刊30周年記念号(花冠9月号) ○発行:2013年9月10日 ○内容:創刊30年に寄せて・合同句集など ○ページ:150ページ前後 « ■花冠創刊30周年記念事業基金■ | トップ | ●花冠創刊30周年祝賀会● »
33 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 花冠創刊三〇周年に寄せて (河野啓一) 2013-05-27 10:44:08 花冠創刊三〇周年まことにお目出とうございます。この記念すべき節目の時に出会えた幸せに心から感謝しております。また、ネット俳句に関する信之先生、正子先生の先見性とさまざまなご努力により、いっそう輝かしい足跡を辿ってきた花冠三〇年のひとこまの中で、こうした自選句や小文を掲載して頂けることに改めて感謝いたします。お蔭さまで 今やネット俳句は私の生活と切り離せないものになっております。まったくの自己流で、田舎の自然を五七五のリズムで口ずさんでみたりしたこともありましたが、偶々水煙ネットのことを知り、初心者教室に投句してご指導を頂いたり、ネット句会に参加するようになって、ほぼ十年が過ぎました。その間、水煙叢書刊行の企画をお聞ききした私は厚かましくも進んで手を挙げ、ご指導を得て立派な句集を作っていただくことが出来ました。東も西もわからぬ門外漢に信之先生はさぞご苦労なさったのではないでしょうか。お蔭さまで句集[せせらぎ]がに子孫残せるような形になり、親戚、友人知人達の中では私の“高尚な趣味”としての花冠俳句が知られるようになってきています。インターネットの使い方では信之先生にしばしばご厄介をおかけして来ました。先生のシステムつくりの卓抜さのお蔭をもちまして、便利で使いやすい句座がネット上に用意され、門下生一同が恩恵を享受させていただいているのです。また正子先生の「生活する花たち」にはいつも心癒されております。花冠の道しるべである「明るくて深い」境地にはとても手が届きませんが、両先生、今後とも宜しくご指導の程お願い致します。以上、簡単ではありますが、心からの感謝とお慶びの言葉に代えさせて頂きます。 返信する 自選10句 (河野啓一) 2013-05-27 10:56:56 うす雲を染めて初日や信貴生駒さわさわと光と影を水仙花たんぽぽの種ふと浮かび空の詩虞美人草風に揺らせて画布の中河鹿鳴くせせらぎの水汲み帰る四万十の岸辺や古き鮎の宿夏潮の青く広きや船の旅大豆干す丹波篠山空青し刈り取られ耀く稲穂抱え行く月の出の低き薩摩の冬入り江 返信する 原稿ミスタイプを修正致します (河野啓一) 2013-05-27 11:32:56 花冠創刊三〇周年まことにお目出とうございます。この記念すべき節目の時に出会えた幸せに心から感謝しております。また、ネット俳句に関する信之先生、正子先生の先見性とさまざまなご努力により、いっそう輝かしい足跡を辿ってきた花冠三〇年のひとこまの中で、こうした自選句や小文を掲載して頂けることに改めて感謝いたします。お蔭さまで 今やネット俳句は私の生活と切り離せないものになっております。まったくの自己流で、田舎の自然を五七五のリズムで口ずさんでみたりしたこともありましたが、偶々水煙ネットのことを知り、初心者教室に投句してご指導を頂いたり、ネット句会に参加するようになって、ほぼ十年が過ぎました。その間、水煙叢書刊行の企画をお聞ききした私は厚かましくも進んで手を挙げ、ご指導を得て立派な句集を作っていただくことが出来ました。東も西もわからぬ門外漢に信之先生はさぞご苦労なさったのではないでしょうか。お蔭さまで句集[せせらぎ]が子孫に残せるような形になり、親戚、友人知人達の中では私の“高尚な趣味”としての花冠俳句が知られるようになってきています。インターネットの使い方では信之先生にしばしばご厄介をおかけして来ました。先生のシステムつくりの卓抜さのお蔭をもちまして、便利で使いやすい句座がネット上に用意され、門下生一同が恩恵を享受させていただいているのです。また正子先生の「生活する花たち」にはいつも心癒されております。花冠の道しるべである「明るくて深い」境地にはとても手が届きませんが、両先生、今後とも宜しくご指導の程お願い致します。以上、簡単ではありますが、心からの感謝とお慶びの言葉に代えさせて頂きます。 返信する 花冠30周年祝賀原稿 (迫田和代) 2013-06-04 14:46:07 花冠30周年 おめでとう御座います。この嬉しい年に句集まで出して戴けるとは。 花冠同人 誇りをもって公言します。皆様も御存じの通り 広島の爆心地から0.7㌔の被爆者です。多感な時生々しい地獄を見せられてその後 苦しくて眠れない日がありました。私のお荷物だ と、諦めておりましたのに近頃ではなくなりました。花冠が、私を変えてくれたのです。花冠から救われた 私にはとても大きなことなんです。 信之先生にフェイスブックのこと お助けいただき感謝しております。力のない自分なのに皆様に付いていきたい との希望から御迷惑をおかけしますが、これからもよろしくお願い致します。 幼い日お腹の弱い私でしたから、げんのしょうこ、ひまし油は、身近にありましたが、暗い印象でした。でも、正子先生の 可愛い げんのしょうこの花を見た途端 遠い日の思い出 に変わりました。花冠のお陰と想っております。それまでの私は余裕がなかったとおもいます。 どこまでも、青い空 燃え立つ新緑、色のある風、いろいろ見方を変えてくれた花冠。心から有り難うと言いたい気持です。 私に明るい広々とした 老後の道 人に与えられた道でなく自分の道(俳句) を進んでおります。そうきずかせていただいた両先生、句友の皆様、有り難う御座いました。心の底から 花冠30周年おめでとうございます。自選句白梅の香りとともに明るさも初雪や原爆ドームの空に舞う秋の野を北へ北へと行く列車湧水のふちの露草汚れなし澄みていし枯野に響く貨車の音初茜大きな海のその先に底なしの空の青から雁の列はつ冬の沖より汽笛尾をひけり過ぎし日を明るく語る年の暮れ 広々とここより海まで麦の秋 返信する 自選10句 (高橋正子) 2013-06-06 12:03:32 蜻蛉高橋正子カーディガン月光に冷えあす成人二月はや雛の鼓笛を持たさるる竹落葉わが胸中を降るごとし野薔薇咲く愛のはじめのそのように白薔薇の空気を巻いていて崩る朴の花わが身清めて芳しき鐘の音のわれを包んで夏空へ水に触れ水に映りて蜻蛉飛ぶ来たぞ来たぞいつもの目白が蜜吸いに除夜の鐘鳴りはじめなる一の音 返信する 自薦10句と私と俳句投稿 (平田弘) 2013-06-07 11:10:25 自薦10句 梅雨兆す夏布団羽衣纏う心地して枇杷の実の転げる音の愛らしさ土を撫で草刈急ぐ雨上がり梅雨兆す空を見上げて傘選び静まれる色なつかしき鉄線花葭簀張る三年目の手つきかな苗売りに心配無用雄花だと新茶の香漂う中の試飲かな花水木僅かな風に花揺らし葉桜のしばし憩いの影となり私と俳句 芭蕉の奥の細道より今日のインターネット時代まで三百有余に亙る俳句の道に多くの俳人を生み、就中求道の精神、人間修行の場としての俳句に、高橋信之先生、正子先生のお二人で三十年の長い間只管{去る者はおわず、来る者は拒まず}志を同じくするものと研鑽に努められ伝統を見事に引き継ぎ今日を築かれました。 平成十五年私が辿り着いたのは俳句の{花冠}の前身の{水煙}の扉でした。コンピュータを叩く初心者に一日三句の投句が許され、連日の投句に星の数とコメントをいただき、俳句に対する生きがいを感じた熱中した時期でした。やがて二年が経ち突然句集のお話があり齢八十を過ぎている身、二度とない機会と思い{翔ける}を発刊しました。その後ある日突然思考力が減退し句が思い浮かばず、先生に相談したところ、急がず細く長く俳句をやることが俳句の目指すところとされ今を迎えることができました。 第一線の野戦の経験は絶えず死と直面し隣合わせの状態でした。どんな部隊でも烏合の衆では戦にならず、寄せ集めの員数合わせでは勝つことはできない。寝食を共にし相互の人間としての信頼関係がなくては、大和魂だけの精神論では勝てない。敗残兵の寄せ集めの様相も散見された。指揮官は部下を無駄死にさせてはならない。戦死者や負傷者が出れば直接戦力に響き、動きが取れない事態となる。こんな中でもある部下は隊長の心情を察し和歌一首を差し出され甚く感激した思いがある。この部下も終戦4~5日前蛸壺型の壕で直撃弾に倒れ、まことに残念な思いです。明日は我が身と恐怖のない無心で、哀しさもなく、絶えず移動を繰り返し、戦況の不利は目に見えながら一途に奇跡を残すのみとなりました。奇跡は起こらず敗戦となりました。 句集翔けるを出してから、小学校時代の友人二人から私の中に意外な一面を見つけ、親交を重ねなましたが今は亡き人となりました。俳句の力を経験しました。俳句本来の座の雰囲気を一度だけでも味わいたいと、わずか一度参加でき一時ながら師の謦咳に接することができました。この雰囲気を思い浮かべ以降はネットに頼らざるを得ず、直接先生方や同志との研鑽ができず申し訳ないと思います。三十周年記念に当たり拙文をしたためました、今後のご発展をお祈りします。 返信する 9月花冠30周年記念特集号投句 (桑本栄太郎) 2013-06-07 11:30:32 先ず花冠創刊30周年誠に慶賀の至りと存じ、両先生を始め会員の皆様へ心からお喜びとお祝いを申し上げます。1,日本には豊かで美しい四季があり、古来より先人達は季節毎に色々な行事を経てその時々の季節を受け入れ、生活を営んで来た。日毎に光に力強さが増し、花の溢れる希望の春、湿気と厳しい暑さの夏、爽やかで稔りと美しい紅葉の秋、長くて厳しい寒さの冬などである。その事象が在るが故、日本人は万葉の古より繊細で豊かな心の襞を持ち、詩歌の下地を持っているとも言えるのである。2、私の一番好きな俳句は、江戸時代の俳人服部嵐雪の「梅一輪いちりんほどの暖かさ」である。日本の四季の中には長くて厳しい冬があり、人々は春になればとじっと耐え、暖かな春の到来を心待ちにしているのである。やがて日毎に光の強さが増し、ようやくぽっと梅がほころべば人々の心は歓喜で躍りあがるほどの心情になるのである。これほど情景と心情を端的に詠ったものは無いと、いつも感嘆するばかりである。3、私が俳句に興味を持ったのは、小学校4年生まで遡り、国語の先生に「日本には俳句と言う世界で一番短い詩の形があり季節の言葉を入れて五・七・五の十七文字で作ると」教わった事に拠るものである。そして作った俳句が「早咲きの梅の木に来るめじろかな」と言うものであった。長ずるに及び、退職後自分の興味のある俳句を趣味へと選び進めて来た。しかし、どの様に俳句を作るかと言う事を知らず、図書館の俳句関係の作句本を読み漁る日々であった。その頃インターネットの俳句結社を知り、高橋信之先生、正子先生の指導を仰ぐ事となったのである。投稿を続け指導を受けながら、併せて俳句の本も読み勉強を行う日々であった。しかし添削により技巧的な事は教わる事が出来るものの、本来、俳句と言う文芸(芸術は全て)は本人の感性による所が大きく、先生と謂えども感性まで教える事は出来ない。感性は作者自身のみでしか磨く事は出来ないのである。その為、あらゆるジャンルの本(歴史、小説、図鑑、短歌、俳句など)を読み時には田園を散策し風の営みなど、日本人の感性について勉強を行って来た。俳句を本格的に始めてみると、古来より「やかなの道」と言われるように、虜になってしまった。自身の言いたい事を極限まで押さえ、表現の言葉を選び併せて季語により読者に汲み取って貰うのである。これほど奥ゆかしい文芸は如何にも日本的であり、奥が深く興味は尽きる事がない。俳句を始めてからあっと言う間に十年近くとなり、季語辞典をめくる度に季節の移り変わりの早さに驚き、美しい日本の風景、行事、心象を愛でつつ、生きる事への感謝とまだまだ拙句ばかりながらも「好きこそものの上手なれ」との信念を持って俳句を楽しみ、続けている日々である。[自選10句]海苔掻や潮目沖へと流れおり鷹揚に目鼻の容や土ひいな風に舞い風を染め上げ花の塵姫女苑風の高さに揃いけり曲がり来る影や植田のモノレール新駅の高架工事や稲の花蘆の穂の大きく風を捉えけり秋潮の岸に連なる浚渫船ひとつ落つ音につづきて木の実落つ薪積み海鳴り遠き冬構大変お手数をお掛け致します。宜しくお願い申し上げます。=追伸=序文につきましては、場合により1、2、を省略頂きましても宜しいかと存知ます。ご判断を宜しくお願い申し上げます。 返信する 花冠創刊30周年に寄せて (藤田裕子) 2013-06-07 12:58:54 花冠創刊30周年、おめでとうございます。これまで長きに亘りご指導いただきましたこと、厚くお礼申し上げます。思い起こせば、信之先生、正子先生に初めてお会いしたのは、「愛大俳句会」でした。「俳句」がご縁で、今日までご指導をいただいております。学生の頃から50年、師と仰ぎ歩んでまいりました。私の大切なものに、俳句のノートがあります。思い出のいっぱい詰まったノートです。昭和40年、「愛大俳句会」に入部した頃のものです。初めて俳句を作ったのは、学生の時でした。ノートをめくっていきますと、 3月5日 一草庵にて 3月6日 句碑めぐり(愚蛇佛庵址、子規堂、多賀神社、石手寺、護国山、道後公園、竜音寺、長建寺、あのみ神社、庚申菴) 3月19日 モカにて 4月11日 「いたどり」川本臥風先生宅にて 4月17日 文理三番教室にて 5月16日 ロンドン屋にてなど吟行したり、場所を替えて句会をしたり、記していました。その時の句会の皆さんの投句を用紙に書いていました。その用紙は茶色くなり、年月の流れを感じます。部員は10人位で、投句し、清記し、選句し、高得点句を鑑賞し合っておりました。句会後、信之先生のご指導を受けました。ノートには先生のお言葉を記していました。◎生き生きとした生活を描くためには、生き生きとした自然を借りて詠まなければならない。◎感性を伸び伸びさせて何でも詠うという空の世界でないといけない。◎自分に語りかけてくれるものを俳句に詠む。「愛大俳句会」では、信之先生と部員達が句会の後、議論し合いました。皆さんの意見を聞きながら、未熟者の私は、いろいろ学んでゆきました。卒業後は、川本臥風先生主宰の「いたどり」に投句しておりました。臥風先生が亡くなられた後は、信之先生主宰の「水煙」に投句しておりました。そのうち、家業や子育てに追われて、いつしか投句から遠のいてしまいました。その間、「水煙」を送っていただいておりました。とても勇気づけられることが多く、私にとっては「心の本」となっておりました。月日が流れ、パソコンを通して、再び信之先生にお会いする機会を得ました。平成11年5月のことです。松山のお宅にお邪魔するようになり、俳句やパソコンのご指導を受けることができるようになりました。信之先生、正子先生を囲み、楽しい句座を経験させていただきました。その時の両先生手作りの人参ケーキやサラダ、ポトフなどの味が忘れられません。そして、私にとって活気的なこと、インターネット俳句ができるようになったことです。世界が大きく広がり、句友の皆様と交流ができ、夢のようでした。これまでの貴重な経験は、私にとっては宝物です。こうして現在、正子先生主宰の「花冠」にお世話になっています。俳句を作ることの楽しさ幸せをかみしめております。これまで長く続けてこれましたのも、信之先生、正子先生のお導きのお蔭です。本当に嬉しく感謝申し上げます。これからも、「花冠」のますますのご発展をお祈り申し上げ、お祝いのことばと致します。 返信する 自選句10句と私と俳句 (祝恵子) 2013-06-07 13:30:08 花冠30周年おめでとうございます。信之先生、正子先生の日夜のご努力とご指導に感謝いたします。私の花冠(水煙)との出会いは、いきなり平成 12年大阪大会の句会から始まりました。ご近所の同人の方の車椅子のお手伝いにいき、参加するようになった時からです。それからインターネットへの勉強を始め、ご指導いただき、投句するようになったのです。細く長くとの教えで、続けられたような気がいたします。四季の自然、毎年見てきているようで、年を重ねるたびに更に美しく感じ、すべてに感謝ですね。続けていきたいと思います。「藤棚」という句集も出版させていただき、思わぬ人生に残せるものができ嬉しいことです。今では時々、孫たちも子ども俳句にお世話になっています。この子らも花冠誌に俳句を載せていただきありがたいことです。信之先生、正子先生、句友の皆様、これからもご指導をよろしくお願いいたします。 自選句 空堀をのぞけば深し蝉時雨 児は透けし袋に水着持ち帰る 冬瓜の清しき白をサクと切る がっしりと藤棚作り房あまた 蒲公英の数本は吾が影にあり オーバーを脱ぎ棄て走る皆走る 春鳥の飛び去り棒の揺れるのみ噴水のしぶき花にも吾らにも今の音ぽんがしの音冬広場水替えて水に挿しおりチューリップ 祝 恵子 返信する 花冠創刊30周年に寄せて (小口泰與) 2013-06-07 15:28:02 高橋信之先生、正子先生花冠創刊30周年おめでとう御座います。 水煙創刊は昭和58年9月1日とお聞きし、その長きに渡っての両先生のご指導に感謝申し上げます。 まず、花冠の目指すところは「深くて明るい現代語による俳句」。モットーは「細く長く」「良い生活から良い俳句」という素晴らしさに共感して今日まで会員の皆様とともに両先生のご指導を仰ぐことが出来感謝に堪えません。有難う御座いました。 さて、私は写真撮影と渓流釣りを長年趣味として行って来ましたが、平成15年5月のある日、渓流釣で浮き石に間違って乗り転びました時から、渓流釣りはそろそろお仕舞いと感じ、何か室内で出来る趣味はないかと本屋さんに行きました所、その本屋さんには俳句の本が沢山並んでおり、その中から五冊の俳句の本を買い求めてきたのが俳句との初めての巡り合わせでした。 そして暫く独学で試行錯誤しておりましたが、PCで「インターネット俳句」を検索しますと高橋信之先生の主宰の『水煙』を存在を知り、毎日投稿して添削をして頂けるとの事でしたので、何もわからない私には最高の場となりました。 まず、三週間投稿して正子先生にご指導を頂き、俳句を作る楽しさを覚えました。 そして平成16年10月10日に信之先生より「爽やかや志賀高原の雲速し」の句を水煙優秀句にお取り上げ頂き、それ以来、俳句とともに生きる楽しさを教えて頂きました。有難う御座います。 今後ともよろしくご指導の程よろしくお願い申し上げます。また、花冠が今後ますますご発展する事を衷心よりお祈り申し上げます。自選10句千本の桜わなわな雨降れりさえずりや和紙に包まる五色豆火の山のなすび大きく育ちけり桑の実や子等口染めて家遠し天高し嬬恋キャベツ育ちけり爽やかや志賀高原の雲速し芝栗や野麦峠の空青し松虫や今朝の浅間の彫り深し野を分けし坂東太郎霙けり冬晴や裾野の長き赤城山嬬恋の凍てつく滝のどんどかな上州の虎落笛こそ聞きにこよよろしくお願い致します。 返信する 創刊30周年に寄せて・修正追加 (河野啓一) 2013-06-07 15:58:26 花冠創刊三〇周年まことにお目出とうございます。記念すべき節目の時に出会えた幸せを心から喜んでおります。創刊初期のことは詳しくは存じませんが、近代俳句の本場、松山の地が出発点だったことに加え、その後のIT時代の到来に関する信之先生の先見性や正子先生のお働きなど、さまざまなご努力により、この輝かしい足跡が描かれてきたものと存じます。 先生が昭和6年、私が昭和7年の早生まれと、共に昭和ひとけたの同学年であったというご縁により、今後も続いてゆくであろう花冠の歴史の一こまの中で、こうした小文を掲載して頂けることに改めて感謝いたします。 戦後の、価値観と教育制度の大転換の時代でした。日本の窮乏時代を経て成人した私は、父母の郷里-讃岐の片田舎の情景などを、独り五七五のリズムに乗せてみたこともありましたが、祖父が俳句好きであったことは無関係に、全くの自己流俳句でした。偶々、病に倒れたのち、水煙ネットの存在を教えられた七〇歳の私が、初心者教室でご指導を頂いたり、ネット句会に参加するようになってから、ほぼ十年が過ぎました。 その間、水煙叢書の続刊の企画を知った私は、厚かましくも進んで手を挙げ、ご指導を得て素晴らしい編集を考えていただきました。当時、句集の何たるかもわかっていなかった未熟な門外漢に、信之先生はさぞご苦労なさったのではないでしょうか。お蔭さまで、花冠俳句叢書⑰として 句集[せせらぎ]を子孫にも残せるような形につくっていただきました。 一方、毎号の機関誌花冠は折に触れて親戚や知人らに回覧、贈呈などした結果、心待ちにして見てくれる人も現れ 河野さんは“高尚な趣味”があっていいね、とも云われるようになりました。 ただ、多くの人は、句作についてあまりにも臆病かイノセントなのが残念です。 インターネットの使い方では信之先生にしばしばご厄介をおかけして来ました。先生のシステムっづくりの卓抜さのお蔭で、便利で使いやすい句座がネット上に整備され、門下生一同が恩恵を享受させていただいているのです。パソコンのキーが叩けて、日本の自然、風土を愛する気持がありさえすれば、インターネットで本格俳句を学ぶ道も開けていると思います。 一方、正子先生には、日常のご懇篤なご指導に加え、美麗な写真入りのブログ、「生活する花たち」に、いつも心癒されております。松山での以前のお住まいは、100坪の敷地に花が溢れていたとお聞きしたことがあります。横浜へ引っ越されてのちも、俳句の世界でそれ以上の花たちとかかわって居られるのかもしれません。ご努力に賛辞を惜しんではならないと思います。いつか愉しい写真入りの本が上梓されたらいいな、と希っています。 花冠の道しるべ「明るくて深い」境地には手が届きませんが、今後も句作の愉しみを続けたいと思います。 両先生、同人諸兄姉のみなさま、宜しくご指導ご厚誼の程お願い申し上げます。以上、簡単ではありますが、心からの感謝とお慶びの言葉に代えさせて頂きます。 返信する 自選10句 、俳句と私 (藤田裕子) 2013-06-07 16:07:02 <自選10句 >春の蕗しゃきしゃきとして母の味栴檀の花蔭に入る旅の朝花八手みな咲ききりし裏庭を寒念仏ひととき街が浄土なる湯気立てて私の時間愉しめりにぎわいを芽木に残して目白飛ぶ風二月鳥よろこびの声散らし角とれて三月の雲ふわり浮くまっ青な空押し上ぐる山若葉登りきて青き山河に埋もれおり<俳句と私>平成15年に、句集「春の蕗」を出版していただきまして、はや10年が経とうとしております。この頃やっと、自由な時間を持つことができるようになりました。俳句を作ることが楽しいひとときとなっております。これまで続けてきて、本当に良かったと思います。周りの自然や孫たちのしぐさ、母との会話、日々の生活を見つめ、すべてを愛おしく思い、優しい気持ちが湧いてまいります。穏やかな日々を送れますことは、本当に有難くうれしいことです。もし俳句を続けてなかったらと思うと、現在こうして生きていることに感謝せずにはおれません。これからも、信之先生、正子先生のご指導をいただきながら、花冠の皆様とインターネット俳句を学んでゆきたいと存じます。どうぞお体大切になさってください。よろしくお願い申し上げます。 返信する 自選10句・変更希望 (河野啓一) 2013-06-07 16:22:54 下記2013-05-27 10:56:56 の原稿のうちうす雲を染めて初日や信貴生駒さわさわと光と影を水仙花たんぽぽの種ふと浮かび空の詩虞美人草風に揺らせて画布の中→ 消去①河鹿鳴くせせらぎの水汲み帰る四万十の岸辺や古き鮎の宿夏潮の青く広きや船の旅→ 消去②大豆干す丹波篠山空青し刈り取られ耀く稲穂抱え行く月の出の低き薩摩の冬入り江 挿入① 高々と蝶越えきしや伊吹嶺挿入② 夏潮に乗りて釣船帰り来る 返信する 花冠創刊30周年に寄せて (安藤智久) 2013-06-09 13:40:15 ①自選十句 かき氷分け合う海の眩しさに 三人の夕餉を透けるかなかなよ 姪の描く花火の青く強い線 外灯に強く瞬く蛾の突進 訓練の号令月の夜に高く 振り上げし鍬の高さや春田打 花火待つ人らの声と星空と 銃声の二発で止みし青嶺かな 蜘蛛が飛ぶ若葉の色に透けながら 山葵植う沢さわさわと暮れにけり ②私と俳句 私が生まれ育った伊豆の天城湯ケ島は、天城山北嶺の静かな温泉郷で、井上靖や川端康成とゆかりが深い。観光と山葵や椎茸栽培が主な産業で、私も町に百七十軒ほどある山葵農家の一人である。山葵を栽培する日々の生活のなかで、目にしたこと、心に留まったことを力みなく淡々と俳句にしていきたい。かけがえのない現在の天城と現在の自分を俳句に残していきたい。 返信する 私と俳句、自選十句 (井上治代) 2013-06-10 11:17:58 私と俳句私は家事を終えた自由時間に、大学生の頃から使っている「俳句歳時記」を読み、心に残った俳句をノートに書き写します。そして、一日の出来事を振り返りながら、一日一句を目指して俳句をつくっています。時々、畑仕事や散歩などをしている時ふっと俳句が浮かんでくることがあります。そんな時は「俳句の神様が降りてきた。」と思ってしまいます。でも、四苦八苦して一句にまとめることもあります。時間に余裕のある時はパソコンを開け、花冠の皆様の俳句や写真に触れ、俳句つくりの楽しさを味わうことができます。また、皆様の俳句つくりの姿勢から、私も努力しなくてはと励まされています。これからも、細く長く息切れしないように続けたいと思います。自選十句川岸の菜の花明かり水明かり楓の芽今開かんとして紅し香田という地に住み慣れて木の芽和代田へ注ぐ水の音にも力あり吾が触れてかたばみの実の弾け飛ぶ中天にたった一つの星涼しどこまでも水色軽き秋の空山からの水音聞きつつ冬菜採る冬鵙に雲一片もなかりけり静謐な午後のひととき毛糸編むよろしくお願いします。 返信する 自薦10句、初めての句会 (渋谷洋介) 2013-06-11 10:55:37 自選10句ベトナム寒暁の成田空港降り立ちぬ北京再訪北京好天故宮に吾に柳絮降るマラッカ海峡海峡の行き交う巨船雲の峰マレーシア水棹差し蛍の川へ滑り出すモンゴル2句岩山に懸かる十五夜ゴビの宿天の川衛星一つ流れ航くアラスカ2句紺碧の秋空を裁つマッキンリーツンドラの今紅に草紅葉韓国白木槿古都慶州の並木道済州島回天の基地の洞穴野水仙初めての句会>「寒暁の成田空港降り立ちぬ」 水煙に入会して(俳句を始めて)間もない平成17年の1月三景園の吟行句会に誘われ、恐る恐る参加した。正子先生はじめすべて初対面の会員の皆様から、暖かく迎えられた。吟行の作句に自信が無く、ベトナム旅行で準備した一句です。「暑い国からお帰りですか」とのコメントに驚いた記憶があります。当日出席され現在在籍の方は?名、歳月の重さを感じます。海外旅行の長旅はしんどい年齢となりました。旅の想い出を繰りながら、自選10句といたしました。よろしくお願い申しあげます。 返信する 訂正のお願い (渋谷洋介) 2013-06-11 18:17:25 初めての句会>三景園 三渓園に訂正お願いたします。 返信する 自選十句 (小西 宏) 2013-06-11 19:32:36 靴紐に屈み大地の春を嗅ぐ青き残雪マトリョーシカの露天市水色のそらに連翹の明るい岸水飲めば目に触るるものみな若葉手のひらに蛍あかるき少女かな向日葵の己が重さの残暑かな草青き稲の匂いを天に干す少女りんごカリと音させ香の青き雪吊の天の青さに絞られる光るもの鈍(にび)なるものもみな冬芽 返信する 俳句と私 (小西 宏) 2013-06-11 19:35:02 俳句を作るということは、何気なく通り過ぎていく風景を、自分なりにしっかりと掴み留めようとする作業とも言えるかもしれません。俳句を作ろうとすることによって、物事を見る心構えが違ってくる。それまで見えていなかった美しいものが見えてくる。あるいは別の角度から、細かくあるいは大きく眺めることができるようになる。少なくともそう目指す。そうした喜びを私にも与えていただきました。有難うございます。 返信する 「自選10句」と「俳句と私」 (高橋秀之) 2013-06-11 22:58:30 【自選10句 】産声を待つ部屋の窓白木蓮風光る沖で入港待ちの船桜舞う天保山に船が入る堤防のものの芽踏んで鬼ごっこ夕焼けの温もり抱いて子ら帰る数本の摘みしコスモス母に出しキャッチボールする間をすっと赤とんぼ絹雲の大空全て淡き色冬紅葉向こうに大きな空がある幼子の拭く窓の先冬銀河【俳句と私】 俳句をはじめて約10年、自分の俳句を読み返してみました。子どもたちの成長、変わらぬ自然の移ろい、まとめて読み返すといろんなことを感じ、また、思い出します。その時そのときは、一生懸命に過ごした時間、あるいは流れゆく時間だったかもしれないけれど、それが形として残っていることのありがたさを改めて実感しました。これからも、積み重ねていきたいと思います。 返信する 自選10句 (下地鉄) 2013-06-12 10:30:46 ★吾が影にくつろぐ今朝の春日かな★百本の水菜束ねて一握り★潮風に丁子の花の日暮かな★落日の欠けることなく遠海へ★直立し向きを揃えてグラジオラス★昼顔の蔓引き揺らす花の数★合わす手に香りも白き百合の花★卯波現れサーファー握る拳かな★父の日や曾孫に合わすスケジュウル★夏草の夕日を散らす帰り途 返信する 俳句と私 (下地鉄) 2013-06-12 11:21:08 花冠創刊30周年おめでとうございます。小生が当時の水煙に入会してから早や10数年、根が飽きっぽい私が細々ながらここまで続けられたのは高橋両先生の暖かいご指導や句友の励ましのお蔭と深く感謝しております。米寿も過ぎた孤老の今の楽しみは作句です。添削欄で星の数も楽しみです。卒寿目の前のこの歳でも褒められたり入選すると嬉しいものです。とくに自信作が選されると尚更です。これからも細く長く続けたいと思います。不器用で不束ですがよろしくご指導下さるようおねがいします。 返信する 自選10句と俳句と私 (藤田洋子) 2013-06-12 12:33:54 <自選10句>春光に包まれし身のときめきよ遠ざかる風船は今空のもの海見える丘に椎の実拾いけり窓に干すハンカチ白し十三夜若葦の切っ先青き水の上一しきり霰の音を硝子戸に日当たりを拡げて岸の犬ふぐりセロファンを鳴らし秋の薔薇解く一枚の光り湛えて田が植わる柳青みて水に照り水に垂る<私と俳句>蜜柑の花の香る頃、今年も父と母の忌日が過ぎました。四国霊場石手寺の墓苑は、生気溢れる楠や楓の若葉に包まれて、鶯の声が響きます。ふと自然の息遣いを感じる時、古来より日本人に受け継がれた、自然を慈しみ尊ぶ心を思います。縁あって、俳句という伝統文芸に関わる幸せを日々感じます。今後も日常を大切に、ささやかでも俳句の足跡を留めてゆきたいと思います。 返信する 花冠創刊三十周年に寄せて (藤田洋子) 2013-06-12 13:27:51 花冠創刊三十周年おめでとうございます。このたび、誌友の皆さんと共にお祝いできますこと、大きな喜びを感じております。長年にわたり、俳句のある生活を導いてくださいました信之先生、正子先生に、心から感謝申し上げます。私の俳句の出発点は、「花冠」前の「水煙」入会前よりご指導いただいた、小学校のPTA俳句会ですが、早や二十年余の歳月が流れました。砥部町の閑静なお住まいから松山市衣山のマンションに転居され、ご長女の句美子さんが味酒小学校の四年生に転校された頃でした。以前より、先生方が精力的に取り組まれていた「子ども俳句会」も味酒小でもご指導くだいました。現在に至るまで、お子さまの豊かな感性を育まれるご指導は続いております。生き生きと声が動いて初句会 洋子PTA句会を経て、砥部町の発行所での句会に、諸先輩の中に加えていただき学び始めました。平成七年入会当初より、月例の俳句会、吟行句会などほぼ毎月開催されていて、平成十八年の夏に横浜に転居されるまで十年余、できる限り参加させていただきました。 登校の子がおはようとチューリップに 洋子 当時小学生だった子どもたちも今は社会人となり、感慨深いものがあります。子育ての只中に俳句と出会い、教育者である信之先生、正子先生にご指導いただけたことは何より幸運なことでした。日々の俳句には家族の歴史が刻まれ、私自身も「水煙」「花冠」の俳句に育てていただいた思いがいたします。俳句のご指導はもとより、先生方の豊富な知識や人生経験に基づくお話、時間をかけて用意してくださったお料理やお菓子をいただきながらの句会など、心に残る思い出は数えきれません。季節を愛おしむ日々のお暮らしに接しながら、心豊かなひとときを過ごさせていただきました。 信之先生書年始の書掛けて明るき玄関に 洋子 正子先生手作り香りくる木の芽美しちらしずし 〃平成八年、ネット俳句の草分けとして「インターネット俳句センター」を開設されました。一日も休むことなく続けてくださる管理運営、日々の懇切な添削指導、開設当初より維持されるその充実さは、俳句サイトの中で常に上位に選ばれます。一五年目となる昨年の八月には、アクセス百万回の偉業を達成されました。いつでもネット俳句を楽しめる快適な環境を整えていただけることに、あらためて感謝の気持ちがあふれます。また、創刊三〇年の歩みの膨大なお仕事の一つとして、全三〇巻に及ぶ同人の皆さんの句集を刊行してくださいました。私自身、俳句叢書の一冊として句集を上梓できましたことはこの上ない喜びでした。お一人お一人の句集に、俳句とともに歩まれた人生を思い、生活の中から生まれる俳句の素晴らしさや継続の力を実感し、前向きに生きてゆく大切さを教えていただきます。これからも誌友の皆さんのご健勝を願いつつ、「花冠」の益々のご発展をお祈りいたします。 返信する 自選十句&私と俳句 (多田有花) 2013-06-13 08:42:56 <自選十句>護摩焚きの森に響くや春深し春光や今日一片の雲もなし汲まれたる桶それぞれの薄氷追儺会の支度に竹を伐り出しぬ元朝や秒針のゆく確かな音 枯蓮と青空たたえ水平ら茶の花の咲くや羽音に包まれてヨット帆を揚げて沖の明るさへ青空に誘われてゆく今年竹短夜や夢のなかより鳥の声<私と俳句> 俳句に出会って十年以上。俳句は生活基盤のひとつになっています。最初は、俳句によって日本の自然の移り変わりの美しさに気づきました。子どもの頃からずっと身の回りにあったのに、俳句という道具を得るまでは、それをとらえることができませんでした。数年前から描き始めた絵も俳句の影響を受けています。自然を見て自然から学ぶ、これからもそれは続くでしょう。 返信する 自選十句と私と俳句 (柳原美知子) 2013-06-13 16:24:13 <自選十句>桜咲く島へと長き水脈を曳き鶯の声に澄みゆく引き潮よ虚子演ず子の背見送る今朝虚子忌麦秋の野へ開け放つ床屋の戸山影の青きに入りて田を植うる星ひとつ光る静けさ門火焚く朝の田に光こぼしつ赤とんぼ小鳥来る崎の潮目の濃き流れ命ありて病窓の雲冬青空雛飾る店行き来して艶めける<私と俳句> 一九八八年に花冠に入会して以来、信之先生、正子先生の真摯で温かい御指導と句友の皆様の多彩な句に学び、俳句を続けてこられたのは有り難いことです。日常生活や美しい瀬戸内の自然に向き合い、詠むことで明日への活力を得、困難な時を乗り越えることができました。俳句は私にとって自身を再生させてくれるものであることを、入院生活を経て、強く実感しています。 返信する 自選10句と私と俳句 (佃 康水) 2013-06-13 17:57:36 <自選10句>清らかや飛騨路に出会う朴の花葺き終えて霧を一吹き花御堂賑わいの漁港の上の鰯雲牡蠣揚がる瀬戸の潮を零しつつ管弦船万灯揚げて海に出づ潮満ちて朱の回廊の淑気かな潮の香の港に立てば銀河濃し満員の市電の軋む原爆忌ゆきあいの空へコスモス揺れどうし昼月を上げて深山の朴の花<私と俳句>平成21年に素晴らしい師と掛け替えのない句友に恵まれて花冠俳句へ入会し早や4年になります。花冠俳句のモットーを私のモットーとして森羅万象に感謝しなら、常に謙虚に自然に相対し、しっかり見つめ、一期一会の瞬間の感動を詠み続けて参りたいと思っています。30周年記念の年に当たり改めて初心に立ち返り俳句を楽しませて頂きます。 返信する 花冠創刊三十周年によせて (佃 康水) 2013-06-13 18:03:21 <花冠創刊三十周年に寄せて >花冠俳句創刊30周年誠におめでとうございます。30年間と言う永きにわたり信之先生、正子先生両先生には時代の流れに沿って盤石の基礎を築き上げて来られ、今こうして対外的にも高い評価を得て居られる「花冠俳句」への功績は誠に偉大なるものと心よりお慶びを申し上げます。花冠俳句の同人の一人として誇りに思いますと同時に皆様と共にお祝い出来ます事を大変嬉しく感謝申し上げます。今回の記念事業の一環として刊行されました句集の中に句歴3年半と言う初心者では有りますが「朴の花」を加えて頂きました。信之先生、正子先生には筆舌に尽くしがたいご尽力を賜り、句友の皆様にお育てて頂きました3年間の拙い句では有りますが自分の句とは思えない様な立派な句集に仕上げて頂き生涯の宝物となりました。この句集名を「朴の花」と致しましたのは入会して2年目の頃の事でした。正子先生の「俳句日記」の中で 朴の花栃の花見てゆたけしや 正子 の句を鑑賞させて頂く嬉しい機会に恵まれました。 とは言え、その時には未だ朴の花を知りませんでしたので、ネットの写真を見て想像だけで鑑賞文を書かせていただくと言う大変ご無礼な事をしてしまったのです。その直後の事でした。団体旅行で飛騨路をバスで向かう途中、崇高なまでに活き活きと咲く深山の朴の花が車窓には何処までも続いていたのです。うとうとしている友達を揺り起こし,その美しい朴の花に皆で大歓声を挙げました。そしてすっと口をついて出てきたのが 清らかや飛騨路に出会う朴の花 でした。この句に先生から秀句を頂いた時、「朴の花のいのちが句のいのちを生ましめたのだ!」と、強烈な感動を得たことは今も忘れる事が出来ません。この感動を何時までも忘れない様にとの思いから先生のお許しを頂き、「朴の花」を題名といたしました。句友の皆様の投句、そして温かいコメントなどから今まで気づかないで過ごして来た森羅万象のそれぞれのいのちが輝いて見える様になって来たのは朴の花に感銘を受けたその頃からです。今では友達が(俳誌花冠を見て頂いて居ります)四季の移ろいの情報を知らせてくれたり,有る時には一緒に連れて行ってくれたりと外に出かける事が多くなりました。花冠俳句へ入会するまでは余り好きでは無かった植物、怖くて近寄り難い虫たちにも少しずつでは有りますが慈しみむ気持ちが持てる様にもなりました。正子先生の「生活する花たち」の写真は今にも語りかけて来る様な花の表情にとても癒され、毎日楽しみに拝見して居ります。また、毎日の素晴らしい投句、絵や写真などを投稿されている句友の皆様のバイタリティーにも刺激を受けながら自分に無いものを多く学ばせて頂いて居る毎日です。そして更に有り難く思って居りますのは「花冠俳句」ならではの30年間の歴史の貴重な資料がきちんと編纂されて居り、謂わば資料の宝庫を持たれております。何時でも誰でも居ながらにして学べる「場」が有るのは他には類を見ないのではないでしょうか。これは先生方の日々の堅靭な精神力と温かい真心により残されたものと感謝申し上げる所でございます。改めて花冠俳句へ入会した事を幸運だったと思っています。まだまだ初心者の域を脱し得ない私ではございますが、これからは花冠俳句のモットーを自分のモットーとして、句を授けてくれる森羅万象に感謝しながら、そして句友の皆様にお育て頂きながら、力の限り俳句を作り続けて参りたいと思っています。この大変嬉しい記念の年に句集「朴の花」を出版させて頂きました事を改めてこの場をお借りし感謝申し上げます。これからも信之先生、正子先生のご清栄と花冠俳句のますますのご発展をご祈念申し上げ、お祝いの言葉と致します。 返信する 花冠創刊30周年に寄せて (桑本栄太郎) 2013-06-13 19:58:46 先ず花冠創刊30周年誠に慶賀の至りと存じ、信之先生、正子先生両先生を始め、会員の皆様へ心からお喜びとお祝いを申し上げます。私が俳句に興味を持ったのは、小学校4年生まで遡り、国語の先生に「日本には俳句と言う世界で一番短い詩の形があり季節の言葉を入れて五・七・五の十七文字で作る」と教わった事に拠るものである。そして作った俳句が「早咲きの梅の木に来るめじろかな」と言うものであった。長ずるに及び、退職後自分の興味のある俳句を趣味へと選び進めて来た。しかし、どの様に俳句を作るかと言う事をまったく知らず、図書館の俳句関係の作句本を読み漁る日々であった。そして、その頃インターネットの俳句結社を知り、高橋信之先生、正子先生のご指導を仰ぐ事となったのである。投稿を続け指導を受けながら、併せて俳句の本も読み勉強を行う日々であった。しかし添削により技巧的な事は教わる事が出来るものの、本来、俳句と言う文芸(芸術は全て)は本人の感性による所が大きく、先生と謂えども感性まで教える事は出来ない。感性は作者自身のみでしか磨く事は出来ないのである。その為、あらゆるジャンルの本(歴史、小説、図鑑、短歌、俳句など)を読み時には田園を散策し風の営みなどさぐり、日本人の感性について勉強を行って来た。俳句を本格的に始めてみると、古来より「やかなの道」と言われるように、虜になってしまった。自身の言いたい事を極限まで押さえ、表現の言葉を選び併せて季語により、読者に汲み取って貰うのである。これほど奥ゆかしい文芸はなく如何にも日本的であり、奥が深くて興味は尽きる事がない。俳句を始めてからあっと言う間に十年近くとなり、季語辞典をめくる度に季節の移り変わりの早さに驚き、美しい日本の風景、行事、心象を愛でつつ、生きる事への感謝とまだまだ拙句ばかりながらも「好きこそものの上手なれ」との信念を持って、俳句を楽しみながら続けている日々である註=6月7日投稿、訂正分です。 返信する 自選10句と私と俳句、訂正判 (桑本栄太郎) 2013-06-13 20:23:26 [自選10句]海苔掻や潮目沖へと流れおり鷹揚に目鼻の容や土ひいな風に舞い風を染め上げ花の塵姫女苑風の高さに揃いけり曲がり来る影や植田のモノレール新駅の高架工事や稲の花蘆の穂の大きく風を捉えけり秋潮の岸に連なる浚渫船ひとつ落つ音につづきて木の実落つ薪積み海鳴り遠き冬構<私と俳句>退職後に始めた俳句は早くも十年近くとなった。俳句を始めて見ると、如何に身の周りに存在する美しい日本の四季と、そこに営む日本の良さに気付かないでいる自分があった事かと思う日々である。両先生の提唱される「良い俳句は良い生活から」とは、日々に心に深く沁みる指針である。又、「とにかく続ける事」との指導方針を愚直に守り続けているが、何よりもこの美しい日本に生を受け、暮らす事への感謝、次世代へ引き継ぐエコの気持ちが生まれ育っている事が大きい。 返信する 自選10句・「俳句と私」 (古田敬二) 2013-06-14 10:51:38 自選10句咲きかけの黄薔薇とアンネフランクと白桃が三つテーブルにある平和木の実独楽歩き始めし子へ廻す祇園会や裏通りゆく豆腐売り流れ星穂高の峰を渡りけり新しき高さへ欅芽吹きけり月は今木曽駒ケ岳を離れけり冬陽射す百本の竹百本の影村目覚む甍にすべて露載せて沢蟹も我もまた今梅雨の中(俳句と私)生活の中に俳句マインドを持つか持たないかはその人の肉体精神両面の健康に大いに影響がある。私のような人生後半にいる人間にとっては、上手い下手は別にして句を詠もうと思うだけで人とは新しい力を天から授かっているのではないかと思います。よい生活からいい句が生まれる、それを細く長く続けるという「花冠」のモットーに励まされながら続けようと思う。 返信する (花冠創刊三十周年に寄せて) (古田敬二) 2013-06-14 11:18:27 (花冠創刊三十周年に寄せて)花冠30周年 おめでとうございます。私は定年まであと1年という1998年1月に「インターネット俳句センター」に偶然出会いました。まだIT技術やインフラが普及していない時代でしたが、情報処理サービス産業の会社では窓際族にもパソコンは専用で与えられていました。家庭でパソコンを持つというのもまれな時代でしたが、電話料金を心配しながら使ったものでした。新しい世紀が始まるころから爆発的にIT環境が変わりました。パソコンも20世紀と比較すると一桁安くなり、回線も安価に提供されるようになりました。こうした情報化社会の劇的な変化を信之先生は見事に予見され、その名も「インターネット俳句センター」と名付け、俳句という伝統的な文化とインターネットという時代の先端技術の融合を見事にやってのけられました。私が参加し始めた1998年1月ころを調べたことがありますが、1日投句がなかったり、あっても1句、2句、5句という日がありました。今は10日で数百句が投稿されています。信之先生のこの先見性には脱帽ですが、20年以上こうした環境を維持し続けられた努力には感謝のしようが見つかりません。WEBの管理は大きな時間を必要とします。ましてや「花冠」のサイト運営は個人の趣味を超えて社会的な位置づけを持っています。「花冠」サイトのように豊富なコンテンツを維持管理するには莫大な時間を要しているのではと想像します。30周年記念ということで改めて本棚から「水煙」「花冠」の月刊誌を引っ張り出してザーッと目を通しました。実に多くの句友の名前があります。沢山の素晴らしい俳句を残して逝かれた句友もいました。「花冠」への投句数はいかほどか想像もつきませんが、その中にはキラリと光るダイヤモンドのような句が散らばってます。一般的な結社と違って全ての句友が顔を合わせたり、直接に師とひざを交えることも滅多にはありません。私たちの座が持つ弱点と言えば言えるでしょうが、それを超える特徴があります。毎日、句座があること、距離という制約を受けず、全国の仲間と瞬時に座を持つことができる、アーカイブスをたどれば過去の句座に瞬時に辿りつけれること、などなど。インターネット俳句センターに出会ってから16年目、年齢的にも古希を過ぎ喜寿への時間が近くなりました。俳句を詠むことは私にとっては健康のバロメーターであり、意欲的に生きているかどうかのバロメーターでもあります。俳句は小さな感動を詩として表現します。俳句マインドが湧いた日は近くに残された森へ、またある時は自力で開墾した家庭菜園へ句帳を持って出かけます。友人と出かけた海外の旅先で句会をやったこともあります。住んでいる区内の老人の集まりで、昨年は月見句会をやりました。6月には50人のメンバーの誕生会の集いで句会をやってほしいと頼まれて計画をしています。やってみるとみな生き生きと5・7・5を詠みます。季語がなかったり、字余り、字足らず、何でもありの句会になりそうですが、初めての俳句経験を楽しんでくれます。句を詠むときその対象にやさしい気持ちを持たなければ詠むことができません。もっと大勢の人たちが俳句に接する機会を持てばそれだけやさしい気持ちを持つ仲間が増えるのではないかと思います。優しさに満ちた心を持つ人が増えるよう「花冠」の仲間がますます活躍され、仲間が増えることを願っています。 返信する 投稿一部訂正願い (平田弘) 2013-06-14 14:39:15 ②私の信条(新設)なんとなく素直に心に入る句を信条とし、少作乍ら出来るだけ推敲を重ねたいと思っています。③「私と俳句」の表題を「花冠」30周年に寄せて。と改題願いたい。 返信する コメントをもっと見る 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
また、ネット俳句に関する信之先生、正子先生の先見性とさまざまなご努力により、いっそう輝かしい足跡を辿ってきた花冠三〇年のひとこまの中で、こうした自選句や小文を掲載して頂けることに改めて感謝いたします。お蔭さまで 今やネット俳句は私の生活と切り離せないものになっております。
まったくの自己流で、田舎の自然を五七五のリズムで口ずさんでみたりしたこともありましたが、偶々水煙ネットのことを知り、初心者教室に投句してご指導を頂いたり、ネット句会に参加するようになって、ほぼ十年が過ぎました。その間、水煙叢書刊行の企画をお聞ききした私は厚かましくも進んで手を挙げ、ご指導を得て立派な句集を作っていただくことが出来ました。東も西もわからぬ門外漢に信之先生はさぞご苦労なさったのではないでしょうか。
お蔭さまで句集[せせらぎ]がに子孫残せるような形になり、親戚、友人知人達の中では私の“高尚な趣味”としての花冠俳句が知られるようになってきています。
インターネットの使い方では信之先生にしばしばご厄介をおかけして来ました。先生のシステムつくりの卓抜さのお蔭をもちまして、便利で使いやすい句座がネット上に用意され、門下生一同が恩恵を享受させていただいているのです。また正子先生の「生活する花たち」にはいつも心癒されております。花冠の道しるべである「明るくて深い」境地にはとても手が届きませんが、両先生、今後とも宜しくご指導の程お願い致します。
以上、簡単ではありますが、心からの感謝とお慶びの言葉に代えさせて頂きます。
さわさわと光と影を水仙花
たんぽぽの種ふと浮かび空の詩
虞美人草風に揺らせて画布の中
河鹿鳴くせせらぎの水汲み帰る
四万十の岸辺や古き鮎の宿
夏潮の青く広きや船の旅
大豆干す丹波篠山空青し
刈り取られ耀く稲穂抱え行く
月の出の低き薩摩の冬入り江
また、ネット俳句に関する信之先生、正子先生の先見性とさまざまなご努力により、いっそう輝かしい足跡を辿ってきた花冠三〇年のひとこまの中で、こうした自選句や小文を掲載して頂けることに改めて感謝いたします。お蔭さまで 今やネット俳句は私の生活と切り離せないものになっております。
まったくの自己流で、田舎の自然を五七五のリズムで口ずさんでみたりしたこともありましたが、偶々水煙ネットのことを知り、初心者教室に投句してご指導を頂いたり、ネット句会に参加するようになって、ほぼ十年が過ぎました。その間、水煙叢書刊行の企画をお聞ききした私は厚かましくも進んで手を挙げ、ご指導を得て立派な句集を作っていただくことが出来ました。東も西もわからぬ門外漢に信之先生はさぞご苦労なさったのではないでしょうか。
お蔭さまで句集[せせらぎ]が子孫に残せるような形になり、親戚、友人知人達の中では私の“高尚な趣味”としての花冠俳句が知られるようになってきています。
インターネットの使い方では信之先生にしばしばご厄介をおかけして来ました。先生のシステムつくりの卓抜さのお蔭をもちまして、便利で使いやすい句座がネット上に用意され、門下生一同が恩恵を享受させていただいているのです。また正子先生の「生活する花たち」にはいつも心癒されております。花冠の道しるべである「明るくて深い」境地にはとても手が届きませんが、両先生、今後とも宜しくご指導の程お願い致します。
以上、簡単ではありますが、心からの感謝とお慶びの言葉に代えさせて頂きます。
皆様も御存じの通り 広島の爆心地から0.7㌔の被爆者です。多感な時生々しい地獄を見せられてその後 苦しくて眠れない日がありました。私のお荷物だ と、諦めておりましたのに近頃ではなくなりました。花冠が、私を変えてくれたのです。花冠から救われた 私にはとても大きなことなんです。
信之先生にフェイスブックのこと お助けいただき感謝しております。力のない自分なのに皆様に付いていきたい との希望から御迷惑をおかけしますが、これからもよろしくお願い致します。 幼い日お腹の弱い私でしたから、げんのしょうこ、ひまし油は、身近にありましたが、暗い印象でした。でも、正子先生の 可愛い げんのしょうこの花を見た途端 遠い日の思い出 に変わりました。花冠のお陰と想っております。それまでの私は余裕がなかったとおもいます。 どこまでも、青い空 燃え立つ新緑、色のある風、いろいろ見方を変えてくれた花冠。心から有り難うと言いたい気持です。 私に明るい広々とした 老後の道 人に与えられた道でなく自分の道(俳句) を進んでおります。そうきずかせていただいた両先生、句友の皆様、有り難う御座いました。
心の底から 花冠30周年おめでとうございます。
自選句
白梅の香りとともに明るさも
初雪や原爆ドームの空に舞う
秋の野を北へ北へと行く列車
湧水のふちの露草汚れなし
澄みていし枯野に響く貨車の音
初茜大きな海のその先に
底なしの空の青から雁の列
はつ冬の沖より汽笛尾をひけり
過ぎし日を明るく語る年の暮れ 広々とここより海まで麦の秋
高橋正子
カーディガン月光に冷えあす成人
二月はや雛の鼓笛を持たさるる
竹落葉わが胸中を降るごとし
野薔薇咲く愛のはじめのそのように
白薔薇の空気を巻いていて崩る
朴の花わが身清めて芳しき
鐘の音のわれを包んで夏空へ
水に触れ水に映りて蜻蛉飛ぶ
来たぞ来たぞいつもの目白が蜜吸いに
除夜の鐘鳴りはじめなる一の音
梅雨兆す
夏布団羽衣纏う心地して
枇杷の実の転げる音の愛らしさ
土を撫で草刈急ぐ雨上がり
梅雨兆す空を見上げて傘選び
静まれる色なつかしき鉄線花
葭簀張る三年目の手つきかな
苗売りに心配無用雄花だと
新茶の香漂う中の試飲かな
花水木僅かな風に花揺らし
葉桜のしばし憩いの影となり
私と俳句
芭蕉の奥の細道より今日のインターネット時代まで三百有余に亙る俳句の道に多くの俳人を生み、就中求道の精神、人間修行の場としての俳句に、高橋信之先生、正子先生のお二人で三十年の長い間只管{去る者はおわず、来る者は拒まず}志を同じくするものと研鑽に努められ伝統を見事に引き継ぎ今日を築かれました。
平成十五年私が辿り着いたのは俳句の{花冠}の前身の{水煙}の扉でした。コンピュータを叩く初心者に一日三句の投句が許され、連日の投句に星の数とコメントをいただき、俳句に対する生きがいを感じた熱中した時期でした。やがて二年が経ち突然句集のお話があり齢八十を過ぎている身、二度とない機会と思い{翔ける}を発刊しました。その後ある日突然思考力が減退し句が思い浮かばず、先生に相談したところ、急がず細く長く俳句をやることが俳句の目指すところとされ今を迎えることができました。
第一線の野戦の経験は絶えず死と直面し隣合わせの状態でした。どんな部隊でも烏合の衆では戦にならず、寄せ集めの員数合わせでは勝つことはできない。寝食を共にし相互の人間としての信頼関係がなくては、大和魂だけの精神論では勝てない。敗残兵の寄せ集めの様相も散見された。指揮官は部下を無駄死にさせてはならない。戦死者や負傷者が出れば直接戦力に響き、動きが取れない事態となる。
こんな中でもある部下は隊長の心情を察し和歌一首を差し出され甚く感激した思いがある。この部下も終戦4~5日前蛸壺型の壕で直撃弾に倒れ、まことに残念な思いです。
明日は我が身と恐怖のない無心で、哀しさもなく、絶えず移動を繰り返し、戦況の不利は目に見えながら一途に奇跡を残すのみとなりました。奇跡は起こらず敗戦となりました。
句集翔けるを出してから、小学校時代の友人二人から私の中に意外な一面を見つけ、親交を重ねなましたが今は亡き人となりました。俳句の力を経験しました。俳句本来の座の雰囲気を一度だけでも味わいたいと、わずか一度参加でき一時
ながら師の謦咳に接することができました。この雰囲気を思い浮かべ以降はネットに頼らざるを得ず、直接先生方や同志との研鑽ができず申し訳ないと思います。三十周年記念に当たり拙文をしたためました、今後のご発展をお祈りします。
1,日本には豊かで美しい四季があり、古来より先人達は季節毎に色々な行事を経てその時々の季節を受け入れ、生活を営んで来た。
日毎に光に力強さが増し、花の溢れる希望の春、湿気と厳しい暑さの夏、爽やかで稔りと美しい紅葉の秋、長くて厳しい寒さの冬などである。その事象が在るが故、日本人は万葉の古より繊細で豊かな心の襞を持ち、詩歌の下地を持っているとも言えるのである。
2、私の一番好きな俳句は、江戸時代の俳人服部嵐雪の「梅一輪いちりんほどの暖かさ」である。日本の四季の中には長くて厳しい冬があり、人々は春になればとじっと耐え、暖かな春の到来を心待ちにしているのである。やがて日毎に光の強さが増し、ようやくぽっと梅がほころべば人々の心は歓喜で躍りあがるほどの心情になるのである。これほど情景と心情を端的に詠ったものは無いと、いつも感嘆するばかりである。
3、私が俳句に興味を持ったのは、小学校4年生まで遡り、国語の先生に「日本には俳句と言う世界で一番短い詩の形があり季節の言葉を入れて五・七・五の十七文字で作ると」教わった事に拠るものである。そして作った俳句が「早咲きの梅の木に来るめじろかな」と言うものであった。長ずるに及び、退職後自分の興味のある俳句を趣味へと選び進めて来た。しかし、どの様に俳句を作るかと言う事を知らず、図書館の俳句関係の作句本を読み漁る日々であった。その頃インターネットの俳句結社を知り、高橋信之先生、正子先生の指導を仰ぐ事となったのである。投稿を続け指導を受けながら、併せて俳句の本も読み勉強を行う日々であった。しかし添削により技巧的な事は教わる事が出来るものの、本来、俳句と言う文芸(芸術は全て)は本人の感性による所が大きく、先生と謂えども感性まで教える事は出来ない。感性は作者自身のみでしか磨く事は出来ないのである。その為、あらゆるジャンルの本(歴史、小説、図鑑、短歌、俳句など)を読み時には田園を散策し風の営みなど、日本人の感性について勉強を行って来た。俳句を本格的に始めてみると、古来より「やかなの道」と言われるように、虜になってしまった。自身の言いたい事を極限まで押さえ、表現の言葉を選び併せて季語により読者に汲み取って貰うのである。これほど奥ゆかしい文芸は如何にも日本的であり、奥が深く興味は尽きる事がない。俳句を始めてからあっと言う間に十年近くとなり、季語辞典をめくる度に季節の移り変わりの早さに驚き、美しい日本の風景、行事、心象を愛でつつ、生きる事への感謝とまだまだ拙句ばかりながらも「好きこそものの上手なれ」との信念を持って俳句を楽しみ、続けている日々である。
[自選10句]
海苔掻や潮目沖へと流れおり
鷹揚に目鼻の容や土ひいな
風に舞い風を染め上げ花の塵
姫女苑風の高さに揃いけり
曲がり来る影や植田のモノレール
新駅の高架工事や稲の花
蘆の穂の大きく風を捉えけり
秋潮の岸に連なる浚渫船
ひとつ落つ音につづきて木の実落つ
薪積み海鳴り遠き冬構
大変お手数をお掛け致します。宜しくお願い申し上げます。
=追伸=
序文につきましては、場合により1、2、を省略頂きましても宜しいかと存知ます。ご判断を宜しくお願い申し上げます。
3月5日 一草庵にて
3月6日 句碑めぐり(愚蛇佛庵址、子規堂、多賀神社、石手寺、護国山、道後公園、竜音寺、長建寺、あのみ神社、庚申菴)
3月19日 モカにて
4月11日 「いたどり」川本臥風先生宅にて
4月17日 文理三番教室にて
5月16日 ロンドン屋にて
など吟行したり、場所を替えて句会をしたり、記していました。その時の句会の皆さんの投句を用紙に書いていました。その用紙は茶色くなり、年月の流れを感じます。部員は10人位で、投句し、清記し、選句し、高得点句を鑑賞し合っておりました。句会後、信之先生のご指導を受けました。ノートには先生のお言葉を記していました。
◎生き生きとした生活を描くためには、生き生きとした自然を借りて詠まなければならない。
◎感性を伸び伸びさせて何でも詠うという空の世界でないといけない。
◎自分に語りかけてくれるものを俳句に詠む。
「愛大俳句会」では、信之先生と部員達が句会の後、議論し合いました。皆さんの意見を聞きながら、未熟者の私は、いろいろ学んでゆきました。
卒業後は、川本臥風先生主宰の「いたどり」に投句しておりました。臥風先生が亡くなられた後は、信之先生主宰の「水煙」に投句しておりました。そのうち、家業や子育てに追われて、いつしか投句から遠のいてしまいました。その間、「水煙」を送っていただいておりました。とても勇気づけられることが多く、私にとっては「心の本」となっておりました。月日が流れ、パソコンを通して、再び信之先生にお会いする機会を得ました。平成11年5月のことです。松山のお宅にお邪魔するようになり、俳句やパソコンのご指導を受けることができるようになりました。信之先生、正子先生を囲み、楽しい句座を経験させていただきました。その時の両先生手作りの人参ケーキやサラダ、ポトフなどの味が忘れられません。そして、私にとって活気的なこと、インターネット俳句ができるようになったことです。世界が大きく広がり、句友の皆様と交流ができ、夢のようでした。これまでの貴重な経験は、私にとっては宝物です。こうして現在、正子先生主宰の「花冠」にお世話になっています。俳句を作ることの楽しさ幸せをかみしめております。これまで長く続けてこれましたのも、信之先生、正子先生のお導きのお蔭です。本当に嬉しく感謝申し上げます。
これからも、「花冠」のますますのご発展をお祈り申し上げ、お祝いのことばと致します。
信之先生、正子先生の日夜のご努力とご指導に感謝いたします。
私の花冠(水煙)との出会いは、いきなり平成 12年大阪大会の句会から始まりました。ご近所の同人の方の車椅子のお手伝いにいき、参加するようになった時からです。それからインターネットへの勉強を始め、ご指導いただき、投句するようになったのです。
細く長くとの教えで、続けられたような気がいたします。四季の自然、毎年見てきているようで、年を重ねるたびに更に美しく感じ、すべてに感謝ですね。続けていきたいと思います。
「藤棚」という句集も出版させていただき、思わぬ人生に残せるものができ嬉しいことです。
今では時々、孫たちも子ども俳句にお世話になっています。この子らも花冠誌に俳句を載せていただきありがたいことです。
信之先生、正子先生、句友の皆様、これからもご指導をよろしくお願いいたします。
自選句
空堀をのぞけば深し蝉時雨
児は透けし袋に水着持ち帰る
冬瓜の清しき白をサクと切る
がっしりと藤棚作り房あまた
蒲公英の数本は吾が影にあり
オーバーを脱ぎ棄て走る皆走る
春鳥の飛び去り棒の揺れるのみ
噴水のしぶき花にも吾らにも
今の音ぽんがしの音冬広場
水替えて水に挿しおりチューリップ
祝 恵子
花冠創刊30周年おめでとう御座います。
水煙創刊は昭和58年9月1日とお聞きし、その長きに渡っての両先生のご指導に感謝申し上げます。
まず、花冠の目指すところは「深くて明るい現代語による俳句」。モットーは「細く長く」「良い生活から良い俳句」という素晴らしさに共感して今日まで会員の皆様とともに両先生のご指導を仰ぐことが出来感謝に堪えません。有難う御座いました。
さて、私は写真撮影と渓流釣りを長年趣味として行って来ましたが、平成15年5月のある日、渓流釣で浮き石に間違って乗り転びました時から、渓流釣りはそろそろお仕舞いと感じ、何か室内で出来る趣味はないかと本屋さんに行きました所、その本屋さんには俳句の本が沢山並んでおり、その中から五冊の俳句の本を買い求めてきたのが俳句との初めての巡り合わせでした。
そして暫く独学で試行錯誤しておりましたが、PCで「インターネット俳句」を検索しますと高橋信之先生の主宰の『水煙』を存在を知り、毎日投稿して添削をして頂けるとの事でしたので、何もわからない私には最高の場となりました。
まず、三週間投稿して正子先生にご指導を頂き、俳句を作る楽しさを覚えました。
そして平成16年10月10日に信之先生より「爽やかや志賀高原の雲速し」の句を水煙優秀句にお取り上げ頂き、それ以来、俳句とともに生きる楽しさを教えて頂きました。有難う御座います。
今後ともよろしくご指導の程よろしくお願い申し上げます。
また、花冠が今後ますますご発展する事を衷心よりお祈り申し上げます。
自選10句
千本の桜わなわな雨降れり
さえずりや和紙に包まる五色豆
火の山のなすび大きく育ちけり
桑の実や子等口染めて家遠し
天高し嬬恋キャベツ育ちけり
爽やかや志賀高原の雲速し
芝栗や野麦峠の空青し
松虫や今朝の浅間の彫り深し
野を分けし坂東太郎霙けり
冬晴や裾野の長き赤城山
嬬恋の凍てつく滝のどんどかな
上州の虎落笛こそ聞きにこよ
よろしくお願い致します。