
大正時代世界の列強は航空母艦の実用化に向けて技術を争っていました。初期の空母は発艦は空母から着艦は陸上へ着陸するのが精一杯でした。
そん中、わが国の空母「鳳翔」が世界発の離陸と着艦を成功させました。その技術を受け継いで空母赤城が誕生しました。
その赤城ですが、初めは、飛行甲板が3段式の奇妙な形でした。中段と下段は発艦専用で上段が着艦専用です。しかし、運用実績を元に改造され現代の空母の原型である、一枚甲板の空母に、生まれ変わりました。搭載機は常用で66機、乗組員1600人の赤城は真珠湾攻撃では旗艦を努め大活躍するのですが、続く、ミッドウエイ海戦では急降下爆撃機に空母の急所の飛行甲板を攻撃され、炎上、最後は味方の魚雷で撃沈されてしまいます。
世界初の空母を実用化して大国のアメリカに戦争を仕掛けた日本でしたが、惨敗してしまいます。第二次世界大戦終了までに空母を実用化できたのは、日本、アメリカ、イギリスの3カ国だけでした。あのドイツやロシアでは、無理でした。
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