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住友不動産元社長 安藤太郎氏が死去

2011-04-15 15:08:24 | 日記

 旧住友銀行(現三井住友銀行)の副頭取から住友不動産の社長に転じ、中興の祖と言われた安藤太郎(あんどうたろう)氏が9日、老衰のため東京都内の自宅で死去した。100歳。葬儀?告別式は近親者で行った。喪主は妻、満寿子(ますこ)さん。後日、お別れの会を開く予定。 1934年に東大法学部卒業後、旧住友銀行に入り、副頭取だった74年、第1次石油ショックのあおりで経営難に陥っていた住友不動産の社長に招かれた。過大な不動産投資が裏目に出て財務体質が悪化していた住友不動産を、ビル賃貸部門を創設するなどの多角化経営で立て直した。 経営者としての豪腕ぶりは当時有名となり、不動産業界で「アンタロー」の異名をとった。首都圏の地価上昇が本格化した87年には、右翼団体が自宅を襲撃する事件にも遭遇。一線を退いた後も、業界団体などの活動を精力的にこなした。                   ◇ ?評伝? ■「業界のドン」バブル期、地上げ推進 「けんか太郎」「不動産業界のドン」?。こう表現された安藤太郎氏は、何回も退任が取りざたされながら、住友不動産の“カリスマ”として君臨し続けた。戦後日本の不動産業界の象徴ともいえる存在だったが、長年引退しなかったことが、住友不動産の経営首脳陣の高齢化を進めたとの批判も強い。 1934年、住友銀行(現三井住友銀)に入行。36年の二?二六事件のときには銀行を抜け出し、人気のない雪の積もった宮城前を見て回ったという経験の持ち主だ。 住銀では「法王」と称された堀田庄三頭取の下で東京事務所所長をつとめ、大蔵省、日銀をはじめ、政界、財界の各方面から情報を集める役割を担った。 しかし、磯田一郎氏との頭取レースに敗れ、住友不動産に転出。バブル期には積極的に不動産事業を進めたが、関西商法と呼ばれる荒っぽい地上げ手法は批判を呼び、自宅が右翼に襲われたほか、住銀への発砲事件や糞(ふん)尿をまかれる事件を引き起こしている。 バブル崩壊後は住友グループで個性派といわれた磯田?住銀会長や河村良彦?イトマン社長(肩書はいずれも当時)が失脚。唯一残った安藤氏に、住友不動産の社長以下の経営陣もろくに意見ができなかったという。 住友不動産がライバルの三菱地所や三井不動産と比べ精彩を欠く原因の一つに、同社の経営陣の高齢化があるともいわれる。今後、同社が“安藤色”を払拭(ふっしょく)できるか、注目が集まっている。(山口暢彦)【関連記事】? 東京臨海副都心に超高層マンション 住友不動産が販売 ? ネットで「お家」買っちゃう! 割安感や安心感で販売拡大を ? 基準地価 下落幅拡大 マンション回復、オフィス低迷 ? 住宅税制、エコポイント 需要喚起に一定の効果 ? マンション発売、17年ぶり8万戸割れ ? 少子化を止めろ!