藤田元司さん死去

2006-02-10 21:39:02 | Weblog
「悲運のエース」が、ついに病魔に屈した。これまで巨人の危機を何度も救ってきた男も、病気にだけは勝てなかった。昨年12月22日、体調を崩し、都内の病院に入院。直後に容体が悪化し、集中治療室(ICU)に入った。が、その危機を乗り越えた後は、体調も安定。この日も午前中は、お見舞いに訪れた娘婿の岩井美樹国際武道大野球部監督(50)に「まあ、座って話をしていけ」と声をかけるなど、元気だった。が、夕方になって、その様子は急変。血圧が突然下がり、危篤状態になった。そして、午後6時40分。ついに帰らぬ人になった。遺体は、その後、世田谷区にある自宅に帰った。
報道陣への応対は、節子夫人(70)が気丈にこなした。「午前中はちょっとボーッとしていたけど、話もしていました。それが、容体が夕方、急変して…」ここ数年は低迷する巨人のことばかりを気にかけていたという。「巨人については最後まで心配をしていました。ただ、原辰徳なら大丈夫だろうという話もしていました」と節子夫人。原監督からはキャンプ直前に「あいさつに伺いたい」と言われたが、藤田さんが入院していたため実現しなかったという。岩井氏によれば「(巨人は)2、3年では元に戻らない。(原監督のもとで)腹を据えてやればいい。あとは巨人のフロントがどれだけ我慢できるかだ」と直前まで話していたという。
ここ数年、藤田さんは体調がずっとすぐれなかった。ニトログリセリンを持ち歩くほどの持病だった心臓の手術を、1996年7月に受けた。動脈をふくらませる手術だったが、その後遺症が出たのか、翌月には肺に水がたまり、倒れた。腎臓を患い、透析治療を始めたのも、この時期。99年には腹部に動脈りゅうが見つかり、人工血管を入れてつなぐ手術も受けた。現役時代は70キロ以上あった体重が、最近は50キロ近くにまで減っていた。
慶大時代、好投しながら何度も涙をのみ「悲運のエース」と言われた。巨人に入団してからも、酷使がたたり、現役生活はわずか8年。第1次長嶋政権の後を継いで監督に就任したときも「長嶋を追った男」として強烈な逆風が吹いた。が、80年オフのドラフトで原辰徳を4球団競合の末、くじで引き当てると、就任1年目の81年にいきなり日本一。王監督退任の後を引き受けた89年にも、見事な日本一。昨年12月に亡くなった仰木監督率いる近鉄との日本シリーズでは3連敗のあと4連勝を飾り「ピンチに強い藤田」の名を不動のものにした。ONが去った後の巨人を、見事に救ってみせた。
病魔と闘いながら、それでも、昨年12月に都内で行われたOB会には元気な姿を見せた。復帰した原監督を「ジャイアンツ魂を見せて頑張れ」と激励する一方、ナインには「選手の容姿、服装が乱れている」と苦言を呈したばかり。突然の死を、巨人だけではなく、球界全体が悼んだ。巨人の歴史を作った男が、またひとり天国に旅立った。


わしがこのニュースを聞いたんは某サイトの掲示板で、昨夜遅くのことやった。驚いたよ、まじびっくりした。なぜならその数十分ぐらい前までうちに友人が来てて、G+のクラシックジャイアンツを観ながら「藤田さんって名将だよねー、堀内とは大違い」なんて話してた矢先のことだったんやから。
思えば藤田政権のときって、V9に次ぐ巨人黄金時代だったんよね。監督就任当初は長嶋さんが脚光を浴びすぎてたんで、期待どころか関心を示すファンさえ少なかった。そう、一昨年に堀内氏が監督になったときと同じかんじよ。あのときは長嶋さんが辞めたことで、読売新聞を解約する人も凄かったと聞く。実際、わしも「藤田?パッとしないなぁ」ってかんじやったもの。しかし彼は自らの手腕で、世の長嶋ファンを黙らせた。
藤田巨人のときって、ほとんど派手な補強はしてないのよね。無論、露骨にそうなったのは長嶋二次政権からやけど、原を4番に据え、投手から転身の川相を2番ショートに固定した。川相が、鳴り物入りで入団した元木にショートの座を譲らなかったのも、藤田さんあってのことやね。それと槙原、吉村、駒田の50番トリオをデビューさせたのも彼。岡崎、緒方あたりは本来のGなら、下で埋もれてしまう選手だった。それを3割打つでもない緒方を1番に確立し、岡崎&駒田がペアで生きることも見切った。慶應の後輩である大森をファーストレギュラーにしなかったんも、最初から駒田を使う(駒田は最初はライトだった)と決めてたからかもしれん。
あと投手陣やね。斎藤、槙原、桑田の三本柱。これがなかったら、あの当時の連覇はなかったといっても過言ではない。
原の話に戻るが、彼が晩年に近くなって“チャンスに弱い4番”と批難され続けても、藤田さんはガンとして原を外さなかった。その分、脇役の駒田や岡崎が打つと大喜びしてね。中畑もいたし、あの頃の巨人は本当に強かった。ていうか、藤田さんが成し得た偉業だね。話に聞くと、瞬間湯沸かし器と言われてて、殴られた選手も多かったらしい。でもそこには愛があった。負けても選手のせいには絶対にしない。しかも日頃は穏やかな紳士。「巨人軍の選手は紳士であれ」をいちばん率先した監督なんやないやろか。藤田氏からは直接指導のない由伸なんかも大学の大先輩。今年入団した栂野なんかは社会人OBなんだってさ。若い人でも結構関わりがある選手もいるんだね。
やはり彼は巨人史に残る名将よ。藤田政権時代の強さがなかったら、わしだって巨人ファンでいたかどうかわからんし。
上にも書いてあるが藤田氏は昨年、原が監督に再就任が決まり「原くんなら大丈夫。今の巨人を変えてくれる」と言ったそうな。長嶋氏にヘッドとしてついてた原やけど、藤田野球を一番よく知ってるのが原。そしてそれを継承できるのも原しかいない。もう堀内氏も辞めたんやし、川相なんかもコーチとしてGに戻って来ていいんやけどね。
とにかく藤田氏には心からご冥福をお祈りしたい。天国から原巨人の飛躍を見守っててほしいね。

6 コメント

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身近にいたいい手本 (木佐貫フォーク)
2006-02-10 22:25:13
藤田さんは巨人復興のためのいい見本なんです。

2度就任した時もどちらも日本一に輝いた。最初は長嶋さんの後、2度目は王さんの後。2人のビックスターの後を受けて強いチームを作った人。しかも選手をきっちりと育てました。

この人を見習わないと。
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はじめまして (らぶりーたわ子)
2006-02-10 23:37:31
最後までジャイアンツの事をきにかけていらしたんですね。

 素晴らしい監督でした。

 しみじみと 思います。
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藤田さんの件 (黒ちゃん)
2006-02-11 01:47:11
藤田さんの件をメールにて聞こ思てたら先に記事でてたんでココにてレスしますね

一野球人に御冥福をm(__)m
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感謝 (かけじい)
2006-02-11 10:57:08
みなさま、こんにちは。ブログ作者のかけじいでございます。

いつもたくさんのコメント、ありがとさんです。

個々のレスは省かさしてもらってますが、いつも楽しく見さしてもらってますよ。ありがと~

わしの場合は毒舌で戯言。読まれる方の気に障ることも多々ありましょう。が、そのへんは「んなアホな」ぐらいで笑って流してくれれば(汗

今後とも更新だけは続けていきますんで、ご愛顧よろしくねー

(^o^)
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強かった (打倒・巨人)
2006-02-11 14:49:32
まぁ、藤田讀賣は兎に角『強い』の印象がある。

一番嫌いな監督でした。

それは私のHNが示す通りです。

投手出身だけにマウンドへ行くときには怖い顔をしてましたね。

今となって私には良い思いではありませんがVS讀賣戦では力が入ってたのを思い出します。

なぜ球界に必要な人が先に亡くなるのでしょう?



ご冥福をお祈りします。
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ほんの数分前に・・ (クレーG柔術)
2006-02-11 15:38:49
あの日仕事帰りにビールと名鑑持ってオジャマしG+観ながら「藤田ってホント良い監督だった」って話していたのに・・本当に惜しい方を亡くしました。



・・合掌
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