デンマークの新聞が掲載したムハンマドの風刺画が、物議をかもしている。
いや、もう物議どころの騒ぎじゃないか。
アフガンのイスラム原理主義組織「タリバン」が作者を殺せば金100キロだすって表明した。
デンマーク兵士を殺せば金5キロ。
レバノンのデンマーク領事館が放火されたし。
はっきりいって常軌を逸している。
普段は親イスラム派だと自分でも思うぼくですら、今回の件は非をイスラム側にしか見出せない。
まず、なんで新聞の記事がデンマークていう国家の責任なのか。
おかど違いもいいところ。
デンマークが、厳しい言論統制下にあり、その新聞も国家の検閲済みだったていうんなら話は別だが。
メディアには(というか市民には)、絶対に言論の自由が保障されなければならない。
何をいってもいい。そのうえで、自分の発したコンテンツには責任が伴う。
その責任がどう現れるかっていうと、「社会的な信用の上下」に現れる。
だから、ムハンマドの風刺画を載せるなんて文化的非常識ぶりを自らさらすような新聞は、
社会的信用を下げ、その結果売り上げ部数も下がる。
はずなんだわ。成熟した市民社会ならば。
ほら、書きたいことだけ書く週刊誌って、信用度低いでしょ?
イギリスのタブロイドみたいに。
もっと身近な例で言えば、、、
ほら、誰にでもいい顔しようとして調子いいことばっかり言う奴って、信用されないでしょ?
信用を失っている時点で、制裁はおわり。
むかつくこと言われたからって、そいつを殴ったら殴ったほうが犯罪者だよ。
この一件で、「言論の自由のいきすぎだ」って批判を聞くことが多いのでそれについての反論でした。
いきすぎもなにも、自由という「状態」は、程度で表すことはできないよ。
追記
今度の事件だけを取り上げて言えば、暴力的な抗議活動を展開しているイスラム側(のごく一部)に非があるけれども、
こういう行為がこうも広く行われるってのは、イスラムがいかに煮え湯を飲まされ続けてきたかを暗示している。
パレスチナ・アフガン・イラクでやってきたことを、僕たちは考え直さなければならない。
いや、もう物議どころの騒ぎじゃないか。
アフガンのイスラム原理主義組織「タリバン」が作者を殺せば金100キロだすって表明した。
デンマーク兵士を殺せば金5キロ。
レバノンのデンマーク領事館が放火されたし。
はっきりいって常軌を逸している。
普段は親イスラム派だと自分でも思うぼくですら、今回の件は非をイスラム側にしか見出せない。
まず、なんで新聞の記事がデンマークていう国家の責任なのか。
おかど違いもいいところ。
デンマークが、厳しい言論統制下にあり、その新聞も国家の検閲済みだったていうんなら話は別だが。
メディアには(というか市民には)、絶対に言論の自由が保障されなければならない。
何をいってもいい。そのうえで、自分の発したコンテンツには責任が伴う。
その責任がどう現れるかっていうと、「社会的な信用の上下」に現れる。
だから、ムハンマドの風刺画を載せるなんて文化的非常識ぶりを自らさらすような新聞は、
社会的信用を下げ、その結果売り上げ部数も下がる。
はずなんだわ。成熟した市民社会ならば。
ほら、書きたいことだけ書く週刊誌って、信用度低いでしょ?
イギリスのタブロイドみたいに。
もっと身近な例で言えば、、、
ほら、誰にでもいい顔しようとして調子いいことばっかり言う奴って、信用されないでしょ?
信用を失っている時点で、制裁はおわり。
むかつくこと言われたからって、そいつを殴ったら殴ったほうが犯罪者だよ。
この一件で、「言論の自由のいきすぎだ」って批判を聞くことが多いのでそれについての反論でした。
いきすぎもなにも、自由という「状態」は、程度で表すことはできないよ。
追記
今度の事件だけを取り上げて言えば、暴力的な抗議活動を展開しているイスラム側(のごく一部)に非があるけれども、
こういう行為がこうも広く行われるってのは、イスラムがいかに煮え湯を飲まされ続けてきたかを暗示している。
パレスチナ・アフガン・イラクでやってきたことを、僕たちは考え直さなければならない。