宇宙∞sora

宇宙とつながるために…

ツタンカーメンの福音書…生まれて来た意味

2012-05-31 16:10:00 | 宇宙の福音書



またやってきました

シリーズ化のような状態ですが…
長くなりますがどうぞよろしくお願いいたします

すでに行かれた方もいらっしゃるかもしれませんが
今大阪で大盛況のツタンカーメン展 《KING TUT》
へ行ってまいりました

会場に入ってすぐに
ツタンカーメンの像がお出迎えでしたが
その像に釘付けになった理由は
mayraにそっくりだったからです

姿形が細部まで
手足の長いところ
指先や肩のラインまで
エジプト人特有の?
頭のハチがはっているところまで一緒でした

『ツタンカーメンの生まれ変わりじゃない?』

と言って笑っていました

エジプト人の理想的な体型が
日本人離れした体型に
リンクしているのかもしれないですね

さて

ツタンカーメン=(Tut-ankh-amunトゥト・アンク・アメン)
:アメン神の生ける似姿:と言う意味
紀元前1342年頃 - 紀元前1324年頃.古代エジプト第18王朝のファラオ


ツタンカーメンと王家の一族の最新の情報を交えながら

そこから先はまたもや
独断と偏見で書かせて頂きます
あとの解釈は皆さまにおまかせいたします

ツタンカーメンは少年王と呼ばれ
9歳でエジプトのファラオに即位し
19歳でこの世を去りました

後に王家の谷と呼ばれる場所で

ツタンカーメンのミイラや
黄金のデスマスクなどの副葬品が
手付かずで発掘された時に
携わった人々が不可解な亡くなり方をした為
暗殺されたツタンカーメンの呪いだとかが定説になっていました
最新のDNA鑑定で暗殺ではなく
病死という結果にはなっていますが

父のファラオ・アクエンアテンの側室キヤが
ツタンカーメンの母とされていましたが
これもまたDNA鑑定の結果
母は父と血縁関係があり
父の姉か妹ということが判りました

古代エジプトでは珍しくない事で
王族は王位継承権を維持するために
親や兄弟姉妹と結婚することは常でした

ツタンカーメンの母の名前は不明です

王族でありツタンカーメンの母でもあるのにです

ツタンカーメンもその父もファラオの名からは
抹消されています

王家の谷が見つかったからこそ
ツタンカーメン一族の存在が明らかになりました

ツタンカーメンの唯一の妻だった
アンケセナーメンは幼なじみで
異母姉弟です

ツタンカーメンの棺の近くには
二体の胎児のミイラが一緒だったようですが
胎児は暗殺だと思います

女の子二人の胎児の母であるアンケセナーメンは
悲劇の王妃とも
呼ばれているそうですが

父である
アクエンアテンと結婚し
父の死後ファラオに即位した
ツタンカーメンと結婚し
ツタンカーメンの死後は
王族の血を引く大神官で祖母の兄のアイと結婚しました

王権継承権のためとは言え
父と異母兄弟と
そして祖母の兄のお祖父ちゃんのような存在と
結婚することになったのです

アンケセナーメンはアイが暗殺されてからは
王妃ではなくなり
迫害されたのではないかと思います

ツタンカーメンとアンケセナーメンは歳も近く
幼なじみだったので
遊び相手だったようです

従来ツタンカーメンは勇敢で美しい少年王のイメージでしたが
近親婚により
ファラオに多くみられた
無血管性骨壊死という
血液の障害から骨の病気があり
背骨は曲がり足は内反足
さらに高いところから落ちた左太腿の骨折により
杖無しでは歩けない状態でした

痛みは相当だったようです
杖が100本以上もツタンカーメンの王墓から
でてきていた事も合致しました

病弱なファラオだったと判明し
た実像のツタンカーメンは
漫画や小説のイメージとはかけ離れていました

一番有名な古代エジプトファラオでありながら
父とともに歴代エジプトファラオの名から抹消されています

また父アクエンアテンのミイラは破壊され名前も削りとられて
アンケセナーメンの墓もミイラも見つかっていません

ツタンカーメン一族がファラオから抹消された理由としては
アクエンアテンは宗教改革の際に神官を弾圧して
恨みを買いミイラまで破壊されたとの見方ですが

実はアクエンアテンは超能力者だったので
死者の甦りを信じられていた古代エジプトですので
甦れないように王位を握った将軍達や神官が削り取ったのです

アクエンアテンは戦争をやめさせ
多神教のエジプトで一神教を唱え
太陽神のアテン神を信仰させようとしました

一説ではアクエンアテンやその家族は宇宙人だという見方もあります
アクエンアテン、ツタンカーメン、
アンケセナーメンの母親のネフェルティティ達のミイラ頭部は異常にでていて

アンケセナーメンはミイラすら見つかっていませんが
壁画などで描かれているのも頭部が異常にでています
そこからそんなお話がでたようです
興味深いお話ですが深くは追求しません(笑)

さて
ツタンカーメン暗殺説は研究者からは否定されましたが

やはり暗殺です

科学的分析では骨の病気とマラリアが死因ということですが

蛇を使った黒魔術にかけられた上に
それでも死なないので毒殺されたようです
黒魔術をかけたのは神官ですが
命令したのは将軍達です

アクエンアテンに恨みをもち
先ほど出て来たツタンカーメンの後の
ファラオの椅子を狙っていた者たちです

神官だった王家の血を引くアイは共謀したように見え
暗殺した者の一人に思われがちですが
後にファラオの座に即く将軍達に暗殺されました

ツタンカーメンに何かを仕掛けられては
父と同じく霊能力があったアンケセナーメンが
護っていたようです

ですのでツタンカーメンとアンケセナーメンは
仲が良い夫婦だったとありますが
これは本当のようです

異母弟で身体の不自由な
ツタンカーメンを幼い頃から大切にしていました

椅子に座るツタンカーメンに
香油を塗るアンケセナーメンが描かれています

その際アンケセナーメンは香油を人肌に温めていました

フツフツとお湯を沸かすような音がしました
大きな金属の器で湯煎の様な事をして温めていたようです

古代エジプトではミイラを創ることが出来たくらいです
ファラオの命を守るために死後の甦りのために
ありとあらゆる研究がなされていました

ツタンカーメンの痛み緩和する色々な療法もありました
今で言う医者の様な人がミイラの作り方を研究していたのでしょうが
今のアロマなどの自然療法も古代エジプトでは当然のことながら
行われていました

アンケセナーメンは自らツタンカーメンに施述していたようです


結局アイの死後王家の血を引かない人達が
王位を継承して行くことになるのです

ではいったいツタンカーメン一族が
この世に生きた意味はなんだったのでしょうか?

人々は王位という権力に翻弄されました
近親婚が横行しその申し子とでも言えるツタンカーメンは
身体が不自由でその身体自体が王家の写し出しでした

19歳で亡くなりましたが
早すぎる死ではなく生まれた時から

”その時を待っていた”のです

生まれた時から不自由の身体でこころの支えは
アンケセナーメンとアンケセナーメンの母であり育ての親である
ネフェルティティでした

アンケセナーメンはツタンカーメンのために
彼が生きている時から贅を尽くして
副葬品を創らせていました

物では幸せになれないとわかっているはずですが
何かに突き動かされるかのように…
そしてツタンカーメンこそが真のファラオだと信じていました

ツタンカーメンも自分も父や母と同じく暗殺されるとわかっていました

毎日痛み苦しむ姿を近くで見ているほど辛いものはないのです

ツタンカーメンに毒をもられるのもわかっていたし
本人もそれを拒むことはなかったのです

二人はその時を待っていたのかもしれません
毒を盛ったアイは見るに見かねてだったのかもしれません
自分も殺されることがわかっていましたから

それもアイの愛情で小さな頃から二人をみていた
お祖父さんの様な存在だったとしたら…
二人を王家の呪縛から開放させる役目だったのかもしれません

ツタンカーメンが亡くなれば王家の近親婚という
習慣が途絶えます
子供達も闇に葬られました

ツタンカーメンが生まれて来た意味はここにありました

自分がそのようなカラダに生まれることにより
横行する近親婚を終わらせるためだったのです

そして最後に残った少年王も闇に葬られたかのようでした

けれども3000年の時を経て
ツタンカーメンは甦ったのです

と言うよりはツタンカーメンの思いは王家の谷にあった
今もあるのです
魂は浄化されて分魂もたくさんいます


どうして盗賊の手にも侵されず王家の谷が遺っていたか…

ツタンカーメンの呪だとか云われていますが
そのようなものではなく
神に護られていたのです

この”DNA鑑定”が出来るようになる時代まで
神が待っていたのです

この物質社会に生きる私達に
ツタンカーメンやアンケセナーメン
二人にたずさわった人々と
神なる宇宙からのメッセージだったのです

暗殺された人もした人も何かに突き動かされたのです
暗殺しなければいつまでも近親婚による
病弱な王が生まれ続けたのです

この時も誰一人として必要じゃない人はいないのです
それぞれが役割を果たしたのです

ツタンカーメンはキラビヤかな財宝に囲まれ優雅に暮らす
強くて美しい少年王ではなかったのです

霊能力もありましたが
それに気づかされることもなく一切使わずに

実に人間らしく人間の苦しみをいっぱい背負って生き抜きました

人は決して財宝や権力では幸せになれないという事が伝えたかった

ツタンカーメンの棺の上には矢車草の花束が飾られていました
それはアンケセナーメンが摘んできてのせたそうです

アンケセナーメンはツタンカーメンをとても愛していたし
その思いが伝わって来ます

”あなたにはたくさんの贈り物をしたつもりだったけど
物ではなかった
王位も財宝も必要なかった

ただ健康な体と可愛い子供達に囲まれた幸せな家庭が
欲しかったね

あなたに会えて良かった

また来世で会いましょう”

っていったかも知れません

ツタンカーメンは亡くなる時にただ一言

”ありがとう”って伝えたことでしょうね☆











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