NPO法人 地域福祉協会

清掃事業  森林事業(植栽・剪定)

聖戦と正戦、もしくは戦争と平和の法。

2015-09-20 | コラム

旧約聖書に描かれている古代ユダヤ人は

他民族と

戦争(聖戦)ばかりしていた。

 

キリスト様(ユダヤ名ヨシュア)が

現れ

非暴力を唱えられ

自らもそれを貫かれたので

キリスト教が出来(しゅったい)した。

 

しかし

キリスト教の教父

アウグスティヌスあたりから

現実やギリシャ的な知に

妥協し始め

限定的な戦争を

正しい戦争として容認した。

 

トマス・アクィナスに至り

正戦は

理論的に確立された。

 

すなわち

正しい戦争の条件が充たされれば

存分に戦争しても善いとされた。

 

しかし

異教徒との戦いは

何の制約もない

残酷な天使のテーゼであった。

 

オランダのグロティウスは

宗教戦争に明け暮れる

ヨーロッパを救うため

正戦の条件を少し厳しくして

平和実現を図ろうとした。

 

しかし

フランス革命や第1次、第2次世界大戦は

宗教に向けられていた十字軍的熱狂が

国家という頼りない主体に向けられた

全体戦争となり

正戦もなにもない修羅場と化した。

 

すなわち

現下のイスラム過激派とされる組織の

言動と同じである。

 

現在の

カトリック教会は

ヨハネ23世の回勅「パーチェム・イン・テリス」以降

正戦の概念を否定して

対話協調を再確認された。

 

西欧人の心の奥底に沈潜する

正しい戦いという

昏い情念の残滓に

火を着けんとする

エリートの野望があるならば

その過ちを

明確に指摘せねばならない。

 

高橋(地上の平和)

 

 


この記事についてブログを書く
« 尓是春日風 | トップ | Hans Zimmer - A Way of Life »
最新の画像もっと見る

コラム」カテゴリの最新記事