平成27年2月8日 北九州マラソン2015 デザインの女性は銀河鉄道999のメーテル。バックに旧八幡製鉄所の溶鉱炉。松本零士監修の完走メダルです。そして、帯も凝っていて、昭和初期にはすたれてしまった伝統的な織りを再現した、小倉織りだそうです。なんでも、徳川家康も鷹狩りの時に愛用した羽織に使用されていたとか。 |
~05km 31:01 |
空はどんよりと曇り空。少し冷たい雨まで降り始めました。とても寒い。配布された防寒ビニールを着用、最後まで本当に役に立ちました。 スタートはFブロック。AからEまでが道路の左側に並び、FからJが右側に並びます。Kブロックはさらに側道に待機。参加者の多い大会であれば、僕の場合スタート・ゲートからはるか後方、スタートの号砲すら聞こえないのですが、今回はたまたま第2列の一番前のブロックとなりました。大会ゲストのメキシコオリンピック銀メダリスト君原健二、御年73歳のお姿もはっきりと拝見することができました。 午前9時、スタートの号砲。先頭はすごい勢いで駆け出していきます。そしてその2分ほど後、黄色い風船を2つつけた4時間のペースランナーが通り過ぎて行きました。そしてさらにその3後分、Eブロックの最後のランナーに続いてようやくFブロックのランナーが走り始めました。 スタート・ゲートをくぐってからは、歩くほどではないにしても渋滞の中で身動きがとれません。ジタバタしても余計なエネルギーを使うだけなので、流れに身を任せます。4kmほどでようやく自分のペースで走れるようになりました。しかし最初の5kmのラッフを見て少々あせりました。゜31分01秒。いかにも遅すぎます。 5km過ぎ、前方にターゲットを見つけては、追撃し追い抜いて行きます。次はあのピンク、次はあの黄色・・・。景色を見ることもなく、エイドで何かを口にすることもなく、ただ黙々と走りました。 |
27km地点あたり、前方に黄色い風船を発見。30キロの壁を前に、アドレナリンの急速補充となりました。29km地点、とうとう4時間のペースランナーの集団に追き、ここで一息。今回の目標はとにかく4時間切りでしたので、このままゴールまでこの集団から遅れないようにすればよいわけです。 30キロの壁は、護送船団方式で無事通過。全然余裕でした。 しかし、やはりマラソンは甘くない。 32キロの折り返し地点からは、関門海峡から吹き寄せる強風にいきなり苦しめられます。気を抜くと体が風にあおられよろけます。工業地帯の煙突から流れる煙は真横でした。雪も混じった冷たい風です。ただただ耐えるしかありません。このあたりで気持ちの折れたランナーも多かったようです。 35km地点、まだまだ余力は残っているような気がしました。ゴールまであと7.195キロ。集団から抜け出すことにしました。同じようなことを考えていた女性もいたようで、その後姿を追いました。でも、意に反して次第に離されます。付いていけません。そして再び集団に吸収され、あろうことかその集団からも遅れ始める始末でした。一瞬、ゴールを目前にトボトボあるいている自分の姿が目に浮かびました。ここで踏ん張らねば・・・。二度とチャンスはないかも・・・。アドレナリン放出第2弾、気力を振り絞りました。 以下略。^^;
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