私のタイムトラベル

ある家の物語・白鷺家の人々
― 道理を破る法あれど法を破る道理なし ―

エピソードーお流れとなった90歳の誕生日会ー

2017年07月09日 | 2. 闘争編

2005年の10月に両親と祖母・松子さん、そして竹子伯母の4人で話し合いを終えた翌々日のこと。

母から頼まれて裏庭の柿 バケツ一杯分にホワイトリカーを添えて祖母・松子さんのところに持って行った。


我が家には柿の木(渋柿)が2本あり、 毎年秋になるとたわわに実った柿取りを2、3日かけて行う。

トラブルが起こってからは大々的に収穫することはなくなったが、昔は段ボール箱に詰めて親戚、

竹子伯母の友達などに送っていた。

 

「おかあさんが、柿、今からつけても、まだ間に合うと思うし、浸けはったらどうですか?って。

 おばあちゃんのお誕生日の頃に梅子叔母ちゃんが来はるし、ちょうど一緒に食べられるんじゃないかって」

「あ、そうやね。四郎ちゃんたちも来はることやし、そら ちょうどええわ・・・」

「え? 四郎おじちゃんたちも来はるの?」

そういえば昨夕、松子さんのところにおかずを届けに行ったとき、電話で大きな声で話していた。

相手は竹子伯母らしかった。

「ふんふん、それで? え、倖雄さん(竹子伯母の夫)が知ったはるとこ? ふーん、そこ美味いか?」 


これを聞いた父は

「おふくろ、誕生日、皆、来るのか。皆 集まるのやったら、俺らも行くよ。90歳の祝いを皆でするのに

 俺らだけが欠席というわけにはいかんもんな。今から姉貴のとこに電話してみるわ」と言った。

この言葉にあきらかに慌てた松子さん。

「今日は日曜やさかい、倖雄さん 家にいてゆっくり休んだはるのやから、電話はもっとあとからかけたほうが

 ええのとちがうか」と父が竹子伯母に電話するのを止めた。

翌朝、父は竹子伯母のところに電話をかけた。

すると竹子伯母は

「四郎ちゃんは忙しいひとやからね、来はるかもしれんし、来はらへんかもしれんし。ようわからへんのよ」と、

誕生会をするともしないとも、実に曖昧なことを言う。 

結局、この松子さんの90歳のお祝の食事会はお流れとなった。

そして竹子伯母は松子さんの誕生日、11月10日を待たずしてT都にいる娘の椿ちゃんのところに行ってしまった。

 

竹子伯母:「あー、もしもし、ユキさん。私、竹子、今、椿のところに来ているんだけどね」

母は、竹子伯母の突然の電話に驚いた。

母: 「えぇ-、T都!? マリモちゃんの幼稚園のことで椿ちゃん バタバタ忙しくしてるから暫く行かない、

    って言ってられたじゃないですか」

竹子伯母:「そうだったんだけど。・・・あ、ちょっとまってね。マリモが話すって・・」

母: 「あら、マリモちゃん。こんにちは!」

マリモ:「うん? むにゃむにゃ・・・・」


これまで竹子伯母がT都から電話をかけてくることなど一度だってなかった。

竹子伯母は小さな子を電話口でしゃべらすような無駄なことをする人ではない。まして、なんの用事もない。

ただ3歳のマリモちゃんが、あまりよく知らないおばちゃん(母)と、喋らされただけのことであった。

・・・なんて気の毒なマリモちゃん!

竹子伯母のその電話は自分は今、T都に住む娘のところに来ているのだということを知らせたかっただけだったのだろう。

アリバイ工作・・・!? 一体なぜ、ここまでする必要があるのだろう。私にはわからない。

とにかくこうして 松子さんの誕生会はお流れとなった。   

 

この父と母を除いた松子さんの誕生会開催を計画したことについて、竹子伯母はさすがに悪いと思ったのか、

後日、「あなたたちに大変悪かった」と両親に謝っている。

しかし謝ったからと言って彼女の行動が改まるわけではない。

その後も同じようなことは何度も何度も繰り返される。

松子さんと竹子伯母に対する不信はますます募っていったのである。

  

 


最新の画像もっと見る