ぱんだの村

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2010年03月08日 | おいしい“食”の ご案内
『石炭飴』





明治初年、北海道は石炭などの地下資源が豊富なことが確認された。特に幌内(現三笠市)炭山が注目された。

幌内炭砿の開発は、明治11(1878)年着手され、14年から採炭可能となった。

この石炭輸送のため、明治13年に小樽の手宮と幌内間の鉄道建設に着工、同15年に全線開通した。日本で3番目の鉄道となった。 

以来北海道は、日本の石炭産業を九州と2分する大生産地となり、最盛期(昭和30年代)には全道で158砿、2.300万屯の石炭を産出した。特に空知炭田は、三笠市、夕張市、芦別市、赤平市、歌志内市、美唄市、などで多くの石炭を産出し、繁栄した。

現在では太平洋炭(釧路市)の一部を引き継いだ釧路炭砿が、年間70万屯の石炭を細々と採掘しているだけである。

炭砿町か賑い、人の出入りも多くなると、土産品も誕生する。塊炭飴、石炭飴、炭砿飴炭塊糖などと名づけられた黒い飴が、各炭砿町で売られた。

ビート糖に水飴を加え、ニッキ、(クスノキ科の常緑木。根皮を乾燥させて香辛料や健胃薬などに利用する)を加味したもので形も石炭を模したもの。ニッキの香りとほろ苦い味が独特の風味となっている。

塊炭飴もそのひとつ。赤平市の石川商店では昭和7年から製造しているという。「かっては、作家の(故)吉川英治さんなど多くの有名人にも、お買いいただきました」と語るのは、石川商店の石川裕晃社長。

"炭塊糖"という名称で、いまも作り続けてる夕張市の阿部菓子舗(阿部広昭社長)も、「みんな小企業の菓子屋が作っていましたから、似たような名称でも商標登録などの争いは無かったようですですね」という。

昭和30年代から40年代にかけて、売れに売れた塊炭飴などの黒いアメも、石炭産業と共に盛衰を歩んでいる。

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