石巻白梅ししの会便り

石巻のためにできることを一緒にしようね!!

門脇中学校 同期会(昭和40年度卒業生)が開かれました! 

2016年06月24日 | 活動

 

              「南浜町つなぐ館」 内部を外側の窓より

 

  6月19日(日)に石巻グランドホテルにおいて、石巻門脇中学校 昭和40年度卒業生 第11回同期会が行われました。

 石巻での開催ができるようになったのは嬉しいことです。(原則として、「同期会は4年に一度オリンピックのある年に開催」ということになっているようですが、前回のオリンピックの年は2012年、同期会が開かれたのは東日本大震災の1年後の6月でした。その後、みんなの要望によってその2年後に開いてくれたようですが、その時私は参加できなかったので今回が震災ご初めての石巻での開催でした。)

 2012年の同期会の参加者は100名程で、本当に40数年ぶりに再開した友もたくさんいて、同期会ご無沙汰が多い私は本当に興奮?してしまったものです。

 今回は70名ほどの参加ということで、思ったより多いという感じなのでしょうか?(幹事さん、ご苦労様です!)

 4年前に比べると、全体の雰囲気は和やかになっているような気がしました。やっぱり、被災した石巻も当時からすると、大分?落ち着いてきているのではないでしょうか。大変な中にも友達と集う喜びが感じられました。

 今回は、丸テーブルでの宴会で動きもスムーズだったような気がします。

 クラス毎の参加者紹介、少ない人数のクラスのメンバーは一人ひとり近況等を報告、「苗字が変わり○○になりました。」という男性、あるいは「30年間バスケットの指導をしています。」という女性等々。でも参加者の多い3組は司会が名前を紹介して終了!というわけでここからは誰だか思い出せないうちに紹介が終わってしまう友も少なくありませんでした。8組もあるから仕方ないか...!?

 そして、今回も「あのバンドが」演奏をしました。おやじバンドのT君にやっぱりA君が加わり、そして今回はN君も加わりました。T君は銀座や新宿のライブハウスで演奏することもあり、野外コンサートにも呼ばれたとか、充実したシニアライフを送っている様子が頼もしいです。同期会が華やぎます。

 そしてもう一つお決まりのあの「なんとか音頭」の踊りの列。隣の席のK君は「あれは、石巻の踊りなの?」と聞いてきましたが、もちろん私も分かりません。でも「あれくらいのゆっくりした動きならすぐにでも列に加われそう」なんて思っちゃったりしました。幹事さん、ありがとう。なんかアットホームな感じになりました。

 そうそう、参加者の一人から大事なお願いがありました。

 それは、前にお知らせした「門脇中学校の関東支部」設立のお知らせです。

4組だっKさんが関東支部の支部長なのです。昨年12月に出席者45名で設立したそうです。でも、設立間もないために、同窓生の連絡先が分からない状況なので関東一円に住んでいる兄弟、親戚、先輩、後輩などがいたら教えてくださいとのことです。

   連絡先は   「門脇中学校同窓会関東支部」です。   

 

 お疲れさまです。Kさん。震災後石巻出身の人たちのいろいろな動きがありますよね。もちろん石巻出身の人だけでなく仙台でも(おそらく他の地域でも)いろいろな動きが続いています。みんなの気持ちが被災地と言われる地域に寄り添って一つになっていることを感じる瞬間があります。

 それから、歌の上手なKさん、Tさんの斉唱。

 歓談している内にあっという間に一次会お開きの時間がきました。

 私は翌日、予定があるので一次会で失礼しましたが、その後は2次会、3次会と盛り上がったようです。

 懐かしい中学時代にタイムスリップしたひと時でした。

    (何枚か撮った写真を紹介できないのが残念!)

 

 同期会に参加する前に、今年のお正月に閉館していて見られなかった「南浜町つなぐ館」をぜひ見たいと思い向かいました。

 パルプ工場から雲雀海岸に続くあたりは、相変わらず工事中で、どの道を行けば「南浜町つなぐ館」に行けるのかがよくわかりません。海の方に向かう道を進み途中舗装されていない横道に入ってみました。真っすぐ進み突き当りを適当に左に曲がって進むと、看板がありました。ちょっと分かりにくい矢印に従ってまたでこぼこ道を進んでやっと着きました。

 でも、「..つなぐ館」は閉まっていました。3時までしか開いていないとのことで、何分か過ぎていたのでちょっとの差で閉まってしまったようです。でも、窓がとても大きく透明ガラスなので中がよく見えました。

 その窓から撮った内部の写真が初めの写真です。

 手前に見えるのは、南浜町と門脇のあたりのジオラマです。

 壁には被災当日の様子の写真等が貼ってあります。

 また、外には祈念公園の計画図等がありました。

 面白いと思ったのは、現地でスマートフォンをかざしてその場所を見ると、津波の時の浸水部分が水色になって現地の映像に浸水部分が色づいて水位が分かるというものがあったことです。最新のIT技術を駆使した素晴らしいアイディアだと思います。でも、残念ながら私はガラ携の愛用者なので試してみることはできませんでした。

 スマートフォン愛用者の方は、「南浜町つなぐ館」に行ったらぜひ試してみてください。これなら、よそから訪れた人たちにも東日本大震災の津波のすごさが臨場感をもって伝わるかもしれません。

 それにしても、まだ祈念公園もできていない現在、このあたりは雑草だらけのさびれた土地となっていて、供養の場所には花束がいくつか置かれており、なんとも寂しく暗たんたる気持ちになってしまいました。

 同期会で和やかな賑わいの中、友の笑顔が一段と懐かしくうれしく感じられました。

 明と暗を感じた一日でした。

 

 

    公園計画平面図

     イメージパース

 

 

        スマートフォンを使って浸水の高さを見る方法の説明

 

 「南浜町つなぐ館」の花壇にある看板

       「南浜町つなぐ館」の入り口の広告

  南浜町に建設されている復興住宅?

   工事現場にはこんな看板がありました。