11月23日(金)
マチュピチュ遺跡観光。
マチュピチュとは現地語で老いた峰という意味。
マチュピチュ遺跡・・・標高2400mの山中に突如として現れる「空中都市」マチュピチュの周囲は断崖絶壁に囲われはるか下には熱帯雨林が広がっている。
15世紀、古代インカ帝国により作られた宮殿や墓地、地下用水路などの建造物はカミソリの歯1枚も通さないほど精巧に作られている。
又棚田は約5K㎡で自給自足可能なインカ帝国の都市で、祭祀センターでもあった。
以前は要塞都市とも考えられていたが、現在は要塞ではなく太陽を観測するための建物群と言われる。
通常の都市ではなく、インカの王族の避暑地、田舎の別荘といわれている。
1911年アメリカ人ハイラム・ビンガムに発見された。忽然と消えたこの都市は疫病等、諸説あるがまだ定説はないという。
起床4:45。ホテルよりバスでクスコ駅へ6:15発の列車(ビスタドーム)にてアグアスカリエンテスへ約4時間の旅。
列車の天井はガラス張りになっていて周囲の山、空も良く見えた。
停車駅ごとに物売りの人達の声も賑やかに、ウルバンバ川沿いを遡って行く。
終点でバスに乗り換え山道を30分、徒歩10分で突然視界が開けマチュピチュの遺跡が現れた。バスを降りてからもっと歩くのかと思ったらあっけないほど早かった。
本、テレビ等でしばしば見ていた風景を肉眼で見る事が出来感動!この風景にはEL Condor Pasa(コンドルは飛んでゆく)はぴったり。
遺跡には大勢の外国人観光客、こんな山の上に高度な文化を持った人々が住んでいたのだ。
棚田は谷底から山の上まであり高度の違いにより色々な作物が採れたと言う。
時間があったらマチュピチュにも登ってみたかったが(往復2時間)・・・憧れていた地も心を残しつつ2時間ほどで下る。
何人かは高山病になりようやく歩いていた。
ちなみに日本人がもっとも行きたい世界遺産№1がマチュピチュ、2位はイグアスの滝、3位はアンコールワット、4位ガラパゴス諸島、5位ベネチアだそうだ。
レストランで昼食後クスコへ、帰りの車中は民族舞踊、ファッションショーがあり(だからか乗務員は美男美女だった)着用した物は販売し、買った人もいた。
クスコ到着後、夜景を見てからレストランでフォルクローレの演奏を聴きながら夕食を摂る。チャビン、モチーカ、黄金文明と栄えた国がたった185名のスペイン人に滅ぼされたのだ。哀愁を帯びた調べ、本場のフォルクローレを聴きたいという願いが叶い満足。
料理はアンデス高地の貴重な蛋白源という「クイ」(テンジクネズミ)の丸焼きが出、飲み物は乾燥した気候に合うガオセッサ(炭酸入りのソフトドリンク)「インコーラ」が美味だった。夕食終了21:30それからホテルへ就寝23:00。毎日ハードなスケジュールだ。
現地ガイドは「マリオ」英、スペイン、ポルトガル、日本語が出来るスペインとの混血。皆で「館ひろし」に似ているといい次から日本人のガイドをする時は“ペルーの館ひろし”と自己紹介をするように教える(笑)。彼は手のひらにメモをしていた。
11月24日(土)
クスコからリマヘ。ホテル前には早朝にもかかわらず、テンダーラ(10ドル)というセーター売りのおばさんたちの声で賑やか、お土産に3枚購入。
ホテル発5:30空港までの道はごみが散乱していて汚い。昼食は日本人経営のレストランへ、茶碗蒸し、ぶり大根、すし、味噌汁、漬物等。
久し振りで美味しかった。
リマ市内観光・・・黄金博物館(これでもかという位の黄金製品の数々)、旧市街は高級住宅街、その他とはっきり分かれていた。
人質事件のあった日本大使館はもうなく、近くに新築移転していた。民芸品店で買物、色彩が鮮やかで綺麗。
ホテルチェックインは15:30久し振りに早くホテルに入れたので、昼寝、バスにゆっくり入る。
VIVA EL PERU