世界一周船の旅

世界一周船の旅 旅日記 

旅日記 マチュピチュ(ペルー)

2008年08月17日 | Weblog

11月23日(金)

 マチュピチュ遺跡観光。

 マチュピチュとは現地語で老いた峰という意味。
マチュピチュ遺跡・・・標高2400mの山中に突如として現れる「空中都市」マチュピチュの周囲は断崖絶壁に囲われはるか下には熱帯雨林が広がっている。
15世紀、古代インカ帝国により作られた宮殿や墓地、地下用水路などの建造物はカミソリの歯1枚も通さないほど精巧に作られている。
又棚田は約5K㎡で自給自足可能なインカ帝国の都市で、祭祀センターでもあった。

 以前は要塞都市とも考えられていたが、現在は要塞ではなく太陽を観測するための建物群と言われる。
通常の都市ではなく、インカの王族の避暑地、田舎の別荘といわれている。
1911年アメリカ人ハイラム・ビンガムに発見された。忽然と消えたこの都市は疫病等、諸説あるがまだ定説はないという。

 起床4:45。ホテルよりバスでクスコ駅へ6:15発の列車(ビスタドーム)にてアグアスカリエンテスへ約4時間の旅。
列車の天井はガラス張りになっていて周囲の山、空も良く見えた。
停車駅ごとに物売りの人達の声も賑やかに、ウルバンバ川沿いを遡って行く。
終点でバスに乗り換え山道を30分、徒歩10分で突然視界が開けマチュピチュの遺跡が現れた。バスを降りてからもっと歩くのかと思ったらあっけないほど早かった。

 本、テレビ等でしばしば見ていた風景を肉眼で見る事が出来感動!この風景にはEL Condor Pasa(コンドルは飛んでゆく)はぴったり。
遺跡には大勢の外国人観光客、こんな山の上に高度な文化を持った人々が住んでいたのだ。
棚田は谷底から山の上まであり高度の違いにより色々な作物が採れたと言う。

 時間があったらマチュピチュにも登ってみたかったが(往復2時間)・・・憧れていた地も心を残しつつ2時間ほどで下る。
何人かは高山病になりようやく歩いていた。

 ちなみに日本人がもっとも行きたい世界遺産№1がマチュピチュ、2位はイグアスの滝、3位はアンコールワット、4位ガラパゴス諸島、5位ベネチアだそうだ。

 レストランで昼食後クスコへ、帰りの車中は民族舞踊、ファッションショーがあり(だからか乗務員は美男美女だった)着用した物は販売し、買った人もいた。

 クスコ到着後、夜景を見てからレストランでフォルクローレの演奏を聴きながら夕食を摂る。チャビン、モチーカ、黄金文明と栄えた国がたった185名のスペイン人に滅ぼされたのだ。哀愁を帯びた調べ、本場のフォルクローレを聴きたいという願いが叶い満足。
 
 料理はアンデス高地の貴重な蛋白源という「クイ」(テンジクネズミ)の丸焼きが出、飲み物は乾燥した気候に合うガオセッサ(炭酸入りのソフトドリンク)「インコーラ」が美味だった。夕食終了21:30それからホテルへ就寝23:00。毎日ハードなスケジュールだ。

 現地ガイドは「マリオ」英、スペイン、ポルトガル、日本語が出来るスペインとの混血。皆で「館ひろし」に似ているといい次から日本人のガイドをする時は“ペルーの館ひろし”と自己紹介をするように教える(笑)。彼は手のひらにメモをしていた。

  


 


 
 
  

   

 

  

11月24日(土)

 クスコからリマヘ。ホテル前には早朝にもかかわらず、テンダーラ(10ドル)というセーター売りのおばさんたちの声で賑やか、お土産に3枚購入。
ホテル発5:30空港までの道はごみが散乱していて汚い。昼食は日本人経営のレストランへ、茶碗蒸し、ぶり大根、すし、味噌汁、漬物等。
久し振りで美味しかった。

リマ市内観光・・・黄金博物館(これでもかという位の黄金製品の数々)、旧市街は高級住宅街、その他とはっきり分かれていた。
人質事件のあった日本大使館はもうなく、近くに新築移転していた。民芸品店で買物、色彩が鮮やかで綺麗。

 ホテルチェックインは15:30久し振りに早くホテルに入れたので、昼寝、バスにゆっくり入る。 
       
  
                                                                                             VIVA EL PERU


旅日記 リマ、クスコ(ペルー)

2008年08月16日 | Weblog

11月22日(木)

 リマからクスコへ。ホテル就寝も5:45起床で2.5時間くらいしか眠れず。
 リマ空港発9:15クスコ着10:25。ホテルで昼食後市内観光へ。
サントドミンゴ教会、アルマス広場、クスコ郊外遺跡観光、青い空と色彩豊かな衣装、民芸品、丘から見下ろすクスコの街(世界遺産)は素敵だった。

 クスコは3400mの高地で高山病で入院1人、点滴1人受ける。
空港で乗船客の中で1番背の高い人(193cm。バスケットの選手だった)と2番に高い人(187cm。新婚旅行で乗船)と写真を撮らせて貰う、160cmが子供みたいである。又待ち時間に電子辞書でスペイン語の日本紹介の所を現地の人に見せ談笑。今日もハードなスケジュールだった。

  
                リマ           クスコ
   

   

         


旅日記 クリストバル(パナマ)

2008年08月16日 | Weblog

11月21日(水)

 クリストバル(パナマ共和国)入港。

 予定より1時間遅れ14:00。今回立ち寄る港の中で一番治安がよくないそうで、港外には出ないよう言われる。

 マチュピチュ、ガラパコスツアーに行く私はここで下船。パナマ運河は船では通過せず、閘門見物の後、空路パナマシティよりペルーのリマへ20:42発リマ空港着0:54。ホテル着就寝3:00近く、長い一日だった。パナマでは伝統工芸品のモラのバッグを買いたかったのだが、立ち寄れず残念だった。

パナマ運河・・・パナマ共和国のパナマ地峡を開削して、太平洋とカリブ海を結んで
         いる運河。全長80km、最小幅192m。  
         1880年スエズ運河の設計者レセップスが設計、着手するも黄熱病、
                   工事の技術的問題 資金面等で断念。アメリカにより1914年開通。
         アメリカより1999年パナマ共和国に返還。閘門式で上り下り3段階待
         ち時間を含め24時間かけて通過する。
         
         閘門式・・・運河、放水路などにおいて水面を一定にする為の水量調
         節用の堰。

 

         


旅日記 グアラナオ(ベネズエラ)

2008年08月11日 | Weblog

11月18日(日)

 ベネズエラ・ボリバル共和国、グアラナオ入港午前8時。
港では現地の音楽隊が盛大に出迎えてくれる。

 「世界遺産コロ半日観光」に8:30出発。
コロの街は街全体が世界遺産、やたらと警察官、軍人が多い。
私たちのために警戒してくれたのだ。メダノス砂丘を車窓より観光、コロ旧市街を徒歩観光、サンクレメンテ教会(外観のみ)鉄窓の家(外観のみ)、みなスペイン植民地時代の建物。ボリーバル広場、クラブボリーバルにて昼食。

 緑の並木が綺麗で人々は親しみやすく活気が感じられた帰船13:30。


 夕食後「グアラナオ・メモリアル・フェスティバル」と題した私たちの為の歓迎会の会場へ、バスで30分ゆられて行く沢山の人が集まり賑やか1000人位?。
音楽、踊りで子供たちも歓迎してくれる、私たちも有志が踊り、太鼓の演奏をする。そこで日本語を勉強しているという青年に会う、トヨタの車に乗っていると言い身なりも良く上流階級か?明日も停泊しているので街を案内してくれと頼むが、仕事という事で別れる。その後彼は思い直し私達を探したが見つからなかったと後で聞き残念だった。

  
                                                                                  兵士                                                               
   
      フェスティバル           青年と恋人             スペイン時代の建物
 
11月19日(月)

 グアラナオ港停泊。
 Concert“Tocary Luchar”コンチェルト トカール・イ・ルチャール~コンサート奏でる、そして戦う”~と題したコンサートが19:30より岸壁である、演奏したのは国立音楽聴覚センター学生。ピースボートでは全国のボランティアが集めたバイオリン、ビオラ、クラリネットを渡す。
100名位の編成のオーケストラと合唱団でその中に聴覚障害者も交じり手話で演奏した。手話での演奏は初めてだったので感激!手が痛くなるほど拍手、CDを買う。

 夜の闇に輝く白い手袋が忘れられない。22:00出港。

           “百名の合唱団の中にいて手話にて唄う白き手袋”

                             ”百人に交じり第九を唄ひいる手話の手みれば蝶舞うごとし”

             

                                

11月20日(火)

 メイク教室10:00~11:30まで。船には本当に色々な経歴の人が乗っている。
長い間化粧品会社に勤務していたという人のメイクの話、又デザイナーをしていたという人がファッションについて話してくれる。

 マチュピチュ、ガラパゴスの説明会があり、その準備。
8泊9日となると結構荷物が多くなる。明日からは今回の旅のメインのツアーだ。
体調も問題なし。

 夜、地球で一番受けたい授業 ~ペンギン大陸南極~ ガラパコスのツアーで説明をしてくれる藤原幸一さんの授業、急激な環境の変化で南極の自然現象が猛スピードで壊れて行く姿を映像で見る。
 
    


旅日記 サンティアゴ・デ・クーバ(キューバ)

2008年08月07日 | Weblog

11月15日(木)

 サンテイアゴ・デ・クーバ(キューバ)入港。9日ぶりの陸地だ。

 キューバはかっては「カリブ海の真珠」、今は社会主義共和国の為「カリブに浮かぶ赤い島」と形容される事もあるという。
 入港予定午前8時の予定が午後1時。港近くまで行ったのに水先案内人が来ていないとの事で遅れる、こういう事は初めて。そのことについての説明はなし。

 キューバと米国は国交がなく、米国人がキューバに行くと、6ヶ月は入国出来ないという。その関係で今回のクルーズではアメリカ人は1人も居ない。

 「サンテイアゴ・デ・クーバ観光とサルサフェスティバル」を申し込んでいたが大事をとりキャンセル。友人と港近くを自由行動。事前にキューバの国の映像、話を聞いていたが(良いことばかり)、馬車が走り、糞の匂いがし、埃っぽく、ごみが散乱していた。

 少年がペンをくれお金をくれと寄ってきた。たまに走っている車も何10年も前の物か?おんぼろだった。ソ連崩壊、経済封鎖で大変なのだろう。工場を覗いたら大勢の人が笑顔で手を振ってくれ救われた思いがした。医療費、学費は無料といいその点は羨ましく思う。

 ツアーで行ったホテルで1人の人が、ウエストポーチを盗られパスポート、お金、カード、カメラを失う。

 それにしてもゲバラが今も生きていたらどうだったろうか?カストロに殺されて生きていない?死後40年余り経ったがゲバラ人気は多くの国でブランドとして定着している。自分が信じる良い国を実現しようとして若く死に、見かけも素敵だったから・・・私もファンの一人である。

 色々あったがなかなか来る事の出来ないキューバを訪れる事が出来良かった。

   “馬車が行きクラシックカーも走りいるタイムスリップキューバの街は”

  

                
                

11月16日(金)

 終日ごろごろ。熱が上がったり、下がったり。鼻水、咳は出ず。
皆が心配してくれその優しい一言が身に沁みる。夜、看護師さんに会ったら抗生物質を使えば大丈夫、マチュピチュ、ガラパゴスには行けると言われ嬉しかった。
 何故か入港は5時間遅れ、出港は2時間早くなり午後1時。

    
         街並み                                     政府高官とサルサダンサー

11月17日(土)

 午前10時診察室に行く。熱は36.5度。血圧は正常。
マチュピチュ~は大丈夫と言われる。13日から運動をしてないので体重が増えたような気がする。恐ろしくて体重計に乗れない。食事の量を少なくする。

 誕生祝に招待されるが、早く休みたいので断り申し訳なし。
グアラナオ(ベネズエラ)上陸説明会、世界遺産第1号の島ガラパゴス~ツアーの魅力を語る(写真家の藤原幸一さん)~のみ出席。
夜遅くまで映画、ダンス、ジョンレノンを想う、ラテンアメリカ~南に目を向けよう~等出たいものがあったが御身大切で出なかった。


旅日記 発熱

2008年08月07日 | Weblog

11月12日(月)

 キューバの入港が近くなりキューバの笑顔があたたかいワケ「社会福祉大国キューバ」と題するキューバ人の講演を聴きに行く。教育、医療は無料という自国を大分自慢していたが、ある人が国家予算に占める割合を聞いたら答えなかった。。。

 友人とジャグジーに行く約束の時間を間違え、1、5時間も入ってしまう。
雨が降りその後虹を眺めながら・・・。あっちこっちと頑張りすぎたか、だるく少々喉が痛い。

11月13日(火)

 朝、しんどかったが、ヨガに行く。「ヴァスコダガマ~」を観た後熱を測ったら37.2度8日後にマチュピチュ、ガラパゴスが控えているのですぐに医務室に行く。
先生、看護師さんは30台の女性、先客が3人居た。総合感冒薬とトローチを貰う。
カードで払っておき後で保険会社に請求し返金して貰う。

 ここの所昼寝もせず動き回っていたので、疲れが出たのだろう。その後なにもしないで休養。

11月14日(水)

 熱が上がったり下がったり、37.2~36.5度で憂鬱そして反省、もっとゆったりしなくては。キューバのツアーは大事をとってキャンセル、講座は出ずに部屋で休む。

 夜、古今亭菊池代さんの指導による、五九楽亭一門会の落語を聴きに行く。
1週間くらいの練習なのにみな頑張った。中には詰まる人も、又寿限無をとちる事もなく演じる人もいた。

 友人たちが心配してくれ果物を持ってきてくれる。元気な時はいいが具合が悪くなると孤独を感じる。

   


旅日記 洋上大運動会

2008年08月07日 | Weblog

11月11日(日)

 第59回洋上運動会(クルーズが59回目だから)

 屋上のプールデッキで盛大に行われる。生まれた月により赤、青、黄、白に別れ4組で競う。衣装はその組の色に揃える。持ってない人は皆で貸しあう。

 立って走るのは危ないので腰を落として競技する。
体育座り玉いれ、走らないのだリレー、大西洋で飛ぶ!!大繩、むかで競争、綱引き、障害物競争等。10時に始まり4時には終了の予定が夕方、雨の為6時になる。
黄色組が優勝し8階の居酒屋(波へい)のオープンデッキ1時間貸切りプラス飲み物等貰う。私の組の青は2位だった。
日差しが強く暑かった。

 終了後友人の誕生会に招かれる。20人余で賑やかだった。

  

  

                                     


旅日記 タイタニック・フォーマルディナー

2008年08月04日 | Weblog

11月9日(金)

 終日クルージング、11月15日サンティアゴ・デ・クーバ(キューバ)まで洋上だ。

 髪が伸びたので美容室にカットに行く。美容師はブルガリア人で母子で乗っていて娘さんはレストランで働いている。とても下手でこれでは自分でやった方がましと思う。

 「キューバ、革命への道~スペイン植民地から現在まで~」キューバ人のゲストが映像と解説をしてくれる。船内テレビでもキューバ革命の映画が流れる。
革命が成ると一緒に戦った仲間を次々に粛清していく。ゲバラは今も人気が高いが、早くにキューバを離れ理想を追求し若くして死んだからか、ハンサムだし。
ゲバラファン集まれなんていう講座も覗いてみる。

 夜、タイタニック・フォーマルディナー(タイタニック号の食事を参考にしたもの)

             メニュー
 ★ 前菜・・・・・アスパラと帆立のシャンパンヴィネグレット
 ★ スープ・・・・マッシュルームポタージュ
 ★ 主菜・・・・・鴨胸肉のロースト カシスソース ローストアップル添え
 ★ パン又はライス
 ★ デザート・・・オレンジサプライズ
 ★ コーヒー、紅茶、日本茶
 ★ ワイン・・・・フランス産スパークリングワイン プリンスヘンリーブリュット

 タイタニック号の乗客がこれに類したものを食べたかと思うと感無量。
お料理を全部撮ろうと思っていたが食べるのに夢中になって前菜のみ撮っただけだった。

 タイタニック号はイギリスの旅客船、43,6328トン。1912年4月14日北太平洋上で氷山に衝突、乗客、乗員2200余人中1500余人死亡。
日本人も男性1人が乗っていたが助かる。救助は女、子供優先だったのに助かり非難された。

 今、自分が乗っている船が沈むなんて事は全然考えてないし不安感も持ったことなし。

 その後「洋上コンサート」20:45~21:45迄でピアノ、フルートの演奏、声楽、歌謡曲ありで乗客も出演しみな上手だった。

 船は西に向かって進むので時差が時々生じ24時になったら1時間戻す。
早めに戻し就寝。

  
       前菜              司会者

11月10日(土)

 「ヴァスコダガマへの道」で300年間に1,500万人のアフリカ人が奴隷として売買されたことを知る。(具体的な数字は初めて)それをローマ法王も許していた・・・。

 夕食は海鮮丼、アサリのお吸い物、イカと里芋の煮物デザートは小さい金つば、みかんで珍しく美味しかった。

 若いツアーリーダーが何人かいるが、2人の若者が中高年の女性の人気を二分している。この2人のツアーに行きたいので教えて欲しいとデスクに行った人がいるとか。いずれもイケ面で性格が良く優秀だった。

            
                   


旅日記 リフレシュデイ

2008年08月03日 | Weblog

11月7日(水)

 北大西洋をキューバに向け航行。

 今日はリフレッシュデイで何も講座はなし。だが「ヴァスコダガマの道」の②~④各1,5時間「マチュピチュガラパゴス9日間」の説明があり、計5,5時間座って真剣に観たり聞いたりしたので疲れる。血圧を測ったら151~91で乗船してから最高となる。
 
 夕食を摂り早く休もうと思ったら船内新聞の発行が遅れ(いつもは7時)8時になる。
就寝9時、元気な人を見ていると講座等で結構居眠りをしている。それが体が休まりいいのだ。
以前医師の講演で会議等で居眠りをする人は長生きしますと言われたがそうかも。

11月8日(木)

 いつもの日課に加え「いい写真を撮ろう」「ラテンアメリカ入門」に参加。
体がしんどかったのでA.M1h、P.M1.5h昼寝、やっとすっきりする。
部屋の鍵が壊れなおして貰う。

 夜、デッキでフェスタ・ラティーナがある。♦フラメンコショー・・・乗客の若い人のショー ♦ラテンアメリカのコリソン(心) ♦キューバン・ダンス・タイム・・・キューバ出身のゲストのダンス。カストロに世界でもっとも美しいショーといわれた人のダンスを観る。

浴衣の着付け教室で浴衣を着、そのまま夕食に行く。爽やかな夜風が吹き素敵な夜だった。

  
           船内の通路             部屋のドアー             

 

 


旅日記 ラスパルマス(スペイン)

2008年08月02日 | Weblog

11月6日(木)

 ラスパルマス(スペイン領カナリア諸島のグランカナリア島)入港、午前8時。
カナリア諸島は火山の噴火により出来た7つの島と付属小島からなる諸島。
 
 10あるオプションの中「グランカナリア島ひとめぐり・魚料理」に行く。

 8:45発、バス3台116名。アルーカスのラム酒工場見学、サンファン教会、テロールの街、レストランで民族音楽の演奏付き昼食、自由行動でスーパーを覗きりんご、みかんを買う、サンバルトロメ展望台、マスパロマス砂丘展望(広い砂丘で砂まみれになり、歩いてみる。

 天候に恵まれ観光するには気持ちの良い1日だった。
日本では見られない青空が印象的。ローマは寒かったが日一日と暖かくなってきた。帰着午後6時30分、いつものように夕食はカレーだった(味は可もなく不可もなし)。食後、港近くのショッピングモールに行くも何も買わず。
 
 観光も良いけれど現地の人と触れ合える商店に行くのは非常に楽しい。
建物は立派で品揃えも豊富だった。乗組員の方達何人にも会ったっが仕事から解放され私服に着替え楽しそうに過ごしていた。
 中国のウェィターが「ママー」なんて電話をかけていたので一寸冷やかしてあげる。

  

 

                               
                             


旅日記 クルージング(スペイン 11/4-11/5)

2008年08月02日 | Weblog

11月4日(日)

 洋上運動会の準備、青組でボンボン作りのお手伝い、沢山作らねばならないので大変。10人くらいで3時間位し、又後日という事で解散。

 「まさしの部屋」という講座でさだまさし(乗客)の歌を聴き、「差別って何だ?あなたは青い目茶色い目?」の映像を観、講義を受ける。
 
 今日ジブラルタル海峡を通過、今迄色々な海を通ってきた。北太平洋、東シナ海、南シナ海、海賊が出るので有名なマラッカ海峡、インド洋、アラビア海、紅海、スエズ運河、地中海、ジブラルタル海峡を通過し、北大西洋に出るのだ。
それぞれ皆海の色が違う、今の所地中海の群青色が忘れがたい。
 
 8階のレストラン兼居酒屋の波へいでワインフェアをやっているが、お酒は好きではないので飲みに行った事はなし。夜、ゲスト(水先案内人)で乗っている古今亭菊千代さん(女性で初の真打)の落語を聴きに行く。
出し物は「自己紹介よもやま話」と古典落語で500~600人位は入れるブロードウェィが満員となりみな大笑いだった。

        
                              いつも私の部屋を掃除してくれるマリア


11月5日(月)

 「ヴァスコダ.ガマへの道」と題したドキュメンタリーが始まる。
全11回で午前9:30~11:00まで。ヨーロッパ大陸最西端のポルトガル、ポルトガル人航海者たちは香料と謎のキリスト教徒の王を求めて船出した。
興味深い映像で次回以降も楽しみ。
 
 18:00からゲストの小林隆平さんの8弦ギターの演奏を聴きに行く。
世界でまだ何人も8弦のギターは演奏できないそうで今はエクアドルで活躍中。
繊細な調べに場内は静まりかえっていた。

      


旅日記 バルセロナ(スペイン)

2008年08月01日 | Weblog

11月2日(金)

 バルセロナ入港、午前8時。
 「バルセロナ1日観光とフラメンコ鑑賞」ツアーに行く。

  ★バルセロナ市内車窓観光(コロンブスの塔など)
  ★カサミラという100年前の集合住宅(世界遺産)…いまだに人が住んでいる。
  ★グエル公園…ガウディ作。柔らかい曲線が楽しい。
  ★ゴシック地区… 〃       〃 
  ★サグラダファミリア…ガウディの代表作。1882年着工、ガウディは仔細な設計図を残していないので推測で時代ごとの建築家が引き継いで工事をしている。完成2256年前後といわれる。
  ★モンジュイックの丘…オリンピックの会場となった所。
  ★カタルーニャ広場で自由行動、デパートに寄りガウディ調のパジャマを買う。

 スーパー、デパートに行くのは楽しい。現地の人に接し、物価、品揃えを見たり、ただユーロ圏は物価が高い。

 昼食はヨットハーバーの近くで、海の幸も多く満足。ウェイターが愛想が良く楽しい人で、パンが美味しかったのでお代わりをしたら持ってきてくれ、入れる袋と言ったらそれも持ってきてくれた(船の若い人に上げ喜ばれる)。

 スペインの人は1日5回食事をするという、だから太った人が多いのか。
夕食はフラメンコを見ながら、鰯の酢づけ、鮭と野菜のサラダ、スープ、パン、白身魚のフライ、デザート等美味しかった。踊りは1番前で観る、スカートが翻るたび埃が舞う、汗も飛んでくるような熱演でみな興奮、大満足であった。海、山あり、緑豊か、日差しも明るく、街も綺麗でバルセロナは忘れられない街になると思う。

    “スカート舞い汗の飛び来るフラメンコ バルセロナの夜は熱く更け行く”

  
    カサミラ        
  

                                

                                

                                   昼食
                                 
11月3日(土)

 終日クルージング。昼間キャビンのテレビでルパン3世を観る、馬鹿馬鹿しいが面白い。キャビンには毎日違う映像を流してくれる。夜にはシアターで映画の上映もあるが早朝ヨガがあり、遅くなるので観た事はない。

 友人3人と部屋でお喋り、4ヶ月もの旅をしようという人は個性、自己主張の強い人が多いという話になる(好奇心旺盛、確りしている)。コーチンではツアーリーダーを困らせ泣かせた人もいた。百戦錬磨の中期、後期高齢者には若いツアーリーダーはかなわない、同情する。

 今日は日本国憲法が生まれた日、夕方、憲法に関する作品を上映したので観にいく。そこで今の日本では9条の改正の声があるが、これから行くスペインのカナリア諸島のテルデ市には9条は素晴らしいということで碑が建てられているのを知る。
日本より遥か遠い小さな街に碑があるとは。

    “改憲の声ある日本 9条の碑を建てたりしカナリア諸島”