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美しい村の、郵便局

2016年10月17日 | Weblog

時に目が覚めるような景色に出会う時がある。

先日、仕事で県央の山都町の山道を運転していたら、とても美しい村に出会った。稲穂が金色に輝きまさに実りの秋。昔はどこにでもあったような山村の秋の景色なのだけど、今や、ここまで田畑が整備されて生き生きしているものには出会えないのだ。真ん中には川が流れ、春になれば文部省唱歌の「春の小川」のメロディが頭の中に聞こえてくるのだろう。

ご丁寧に、国の選定する「美しい村のなんとか」に選ばれましたとの看板もあり、今やそのひなびた看板がその景色を邪魔しているような気もするのだけど、そうして、更に車を集落の奥に走らせていくと、今度はとんでもない建物に出会った。



農村の景色の真ん中に、デンと構える不思議で巨大な建物。なんと現役の簡易郵便局なのだ。なんともすごい存在感。僕は思わず、車を停めカメラのシャッターを切った。

そうして、その日の唯一の収穫物…(仕事の成果ではない)…を会社に帰りデザイナーのI君に見せた。

彼はまったく無感動に、「ああ、確かに大きいですね、しかしこの建物は修理が必要です。ガラスも割れ、壁も相当痛んでいる、ペンキで塗り直しが必要です。だいたい郵便局なのにあまりにも無防備です…」と味も素っ気もない返事をし、僕が撮影した画像を拡大して修理箇所を指摘した。

今の若者にはロマンも感情のかけらもないのだ。

この郵便局から、これまでいったいどれくらいの手紙が出され、荷物を受け取り、貯金され、子供に仕送りしたのか…今時のネット右翼は想像できんのか。春の小川のメダカ達の学校の楽しさを想像出来んのか。

まぁいい…。

僕はそれから数日後、また仕事にかこつけて、その郵便局を訪ねた。ついでに周りを散策する。
すると土手がきれいに刈り取られた斜面にお地蔵さん発見。みんななかよく、苔むし、土に還りかけた姿だ。いったい何時祀られたものなのか。里山の小道にもいろいろな発見があるものだ。



そしていよいよ本命の郵便局。

僕は恐る恐る、すでに壊れかけた扉を押し開け、中に入る。まさに昭和の郵便局と思いきや、内部はわりと今風である。どこの郵便局にもある景色。ポスターも現在のだ(当たり前か…)。ガラスの仕切りがあり、そして中に女性一人。肩から毛布を被り、ちょうど胸の前の位置に、事務用の金のクリップで毛布の裾が留めてある。まるで雪ん子かお地蔵さんのようだ(まだ10月なのだがここは底冷えがするのか)。

なんと彼女の愛想のよいことよ。僕に発見されたのが恥ずかしいような笑みがこぼれる30歳くらいの田舎美人だ。彼女曰く、この建物は昭和13年に建てられたもので、2階は電話の交換所だったそうだ。その部門はすでに移転し、今はこの大きな建物に彼女一人。みんな居なくなって久しい、大きな、大きな空間がそこにある…と僕は感じた。

熊本地震の後、役場の人がやってきて危険建築物と言われたそうだ。この重要文化財級の建物は、絶対保存するべきだと僕は思うのだが…。僕は、記念に猫の特集の記念切手を買って建物を出た。

この郵便局から、切手を貼って、誰かにこっそり手紙を出してみたいものだ。


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