何十年ぶりだろうか、真鶴半島三ツ石のウメボシイソギンチャクの調査に参加した。ウメボシイソギンチャクは神奈川県天然記念物に指定されている。天然記念物だが、それほど珍しくなはい。我が家の下の海岸でも見られるが、三ツ石海岸はびっしりと密生しているのが珍しいためだ。干潮時にウメボシのような赤いぶよぶよした姿を現す。海水の中では紅い触手をだして美しい。
わが家の庭には刻印石がふたつ鎮座している。昔、父が畑にある石丁場から、刻印石を持ってきて庭に据えたものである。ミカン畑の中のある石丁場は尾張藩が切り出していたようで、江戸城築城に使われたものだ。
刻印石があるのは、修羅に乗せて運ぶ時、間違って落としてしまったものなのだ。落ちたということは落城につながると思いから、築城には使われなかった石なのである。これを「残念石」というらを示すしい。
この印は何を意味するのかは定かではない。藩の印、家臣を示す印、石工の符号、工事手順の記号。など多岐にわたっているが、詳しい意味は分かっていない。
多分日本で初めてアメリカから輸入された耕運機のメリーテーラーが我が家にはある。部品が壊れたりしていたので代用品を付け走らせていたが、倉庫にしまって35年は経つだろうか。
父が私が小学校2年生くらいの時に買った覚えがある。昭和33年頃だろうか?珍しいので近郷近在の農家の人が見学に来たのを覚えている。メリーテーラーと英語のロゴがあったが今は読み取れない。
その後、耕運機をテーラーと言うようになった。
我が町には郷土資料館がある。土日祭日しか開いていない。久しぶりに覗いてみたら、資料館の塀に写真のような花桜のマークが付いたレンガが使われていることを知った。この資料館は土屋大二郎と言うのちに代議士になった人の家で、真鶴の石材事業を手広く行っていた人である。バーナードリーチや横山大観の掛け軸などがあり、当時の隆盛をしのぶことが出来る。
さて、花桜のマークがついているレンガは囚人レンガと言って、刑務所で囚人たちが作ったものである。刑務所から表に出す物は、手紙にも花桜章を付けたと言われている。囚人レンガは一般的には出回らない物なので普通の家の塀に使われているのは大変珍しい。
囚人レンガは港湾工事やドッグに使われていた。土屋大二郎も石材による港湾、ドッグ建設に携わっていたので、そのルートから入手したものと思われる。
このレンガの積み方はフランス積と言うのだそうで、大変に珍しいとのこと。
友人から貰った石の彫刻作品。東屋が掘られた素敵なものだったが、石なので重たい。
高く設置すると倒れた時に危険なので、いろいろと考えた末、コブシの木の三俣の間に設置することにした。
此れならば、地震が来ても落ちてくることはない。
中にはアマゾンで買った招き猫を入れて飾ることにした。評判が良ければお賽銭箱でも置こうかな?
今年も大物のクワガタをゲット。今年はクワガタが少ないと言う。それℋカラスに食べられるからである。クヌギの木の下に行くとカラスに食べられた残骸が落ちている。カラスは胴体部分だけを食べて、角の部分は食べれれないので残すので、角だけが落ちているのですぐにわかる。
熔岩の流れによって真鶴岬がどのように出来たかを学ぶため、地質学専門の学芸員さんと久しぶりに三ツ石の先端に渡った。
先端部にはしめ縄が張ってあるが、これは坪内逍遥が祖父雲舟の案内で岬を訪れた際に「初日の出 なぜ三ツ石に シメ張らぬ」と歌ったことから、町では後になってシメを張った。近くで見ると大変太く重いものであることが分かる。
先端部の岩の上にはお社があり、たくさんのお賽銭が奉納されている。以外にもたくさんの観光客が渡ってきていることが分かる。渡るには引き潮の時でないと渡れない