将門ブログ

このブログは、歴史上の人物『平将門』公を探求する、ポータルサイトです。

甲州市(山梨県)

2006年11月08日 | 縁地探訪(山梨県)
今年九月上旬に、「甲州ぶどう」で有名な山梨県甲州市(旧東山梨郡)勝沼町を訪ねてみました。JR中央線「勝沼ぶどう卿」駅を降りると、目の前に葡萄棚が広がる甲州盆地、そして南アルプスや奥秩父の山々を見渡すことができます。九月に入って「ぶどう狩り」の人たちが多く賑わっています。町内には循環バスがありますが、歩いて回ることにしました。

「勝沼の将門伝説」(『勝沼町史』より)
《山梨県東山梨郡勝沼町上岩崎の千躰地蔵のうちの大定智悲地蔵は、平将門の慰霊のために建てられた地蔵です。かつてこの地方は仙代池と言われる池があり人家もまばらな山里であったが、戦いに敗れ甲州街道に逃れた将門と一党がこの地まで落ち延びたところ追撃の源氏の軍によって斬殺され最期を遂げたところです。亡骸は徳岩院に葬られましたが御霊となって近郷近在にたびたび災禍をもたらし、また仙代池で将門の首をはねた刀を洗ったところから首洗井とか血洗池とも呼ばれ、この池に生息しているドジョウは腹が赤く、将門の血潮に染まったものといわれ、これを食した村人は腹痛や悪寒を起こして苦しんだ。そこで地蔵菩薩を造り供養をしたところ災禍も止み、安らかな生活に戻ったということです。》

まず、南に甲州街道の「勝沼宿」を目指します。勝沼宿上宿の上町交差点からさらに南に行くと、新祝橋の手前に「勝沼氏館跡」がありますので寄ってみました。
http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/TokaiKoshin/Yamanashi/Katsunuma/

【千躰地蔵・仙代池跡】勝沼町上岩崎
新祝橋を渡りさらに南へ、道路両側の観光ぶどう園を見ながら行くと、上岩崎交差点で上岩崎四つ角バス停があります。この交差点の北東側に、三体の「千躰地蔵」があります。「大定智悲地蔵」といわれ、将門の慰霊のために建てられた地蔵だそうです。将門がこの地で首を切られたため、その恨みで祟りがあったので、人々は地蔵を作って供養したといいます。八体作ったところで祟りは収まったというのですが、その後も作り続けて数え切れなくなって、千躰地蔵と呼ぶようになったといいます。また、この近くに「仙代池」があり、地元では将門の首をはねた刀を洗ったので「太刀洗いの池」といわれ、「将門首洗いの井戸」とか「血洗い池」とか呼ばれていました。
『甲斐国誌』に、《仙代という所に井あり、将門の首を洗いしみずなり》とあります。別の古記録では、《甲斐国府から将門の弟・将武を斬殺したことを申し送ってきた》とあり、将武がこの地で討たれたことが見受けられます。さらにこの池では、その血で魚の腹が赤くなり、村人は有毒なものとして食べなかったといわれ、一説に「腹赤の泥鰌」と呼ばれていました。

【徳岩院】勝沼町上岩崎
上岩崎交差点からさらに南へ、200m先、二つ目の川にぶつかったところで左の川沿いの道を登っていきます。勝沼バイパスを潜ってさらに歩くと、墓地が見えてきたら「徳岩院」です。甲斐国第32番(33観音霊場)になっています。将門がこの地に逃れて討たれ、余党が墳墓を作ってその菩提を弔ったといわれています。これもおそらく、将門の弟・将武の遺骸を葬ったものとではないかといわれています。墓地の墓石に、将門の紋の九曜紋が見受けられました。

【平親王の墓】勝沼町上岩崎
徳岩院の東にある中央道のトンネルを潜ると、「平の将門伝説」と書かれた説明板があります。左の草深い道を30m登ると、石と鎖で囲まれ2m角の良く整備された「平親王の墓」があります。中央後ろの標柱に、消えかかっていますが微かに「平将門公の墓」と書かれています。その手前に、崩れた五輪塔の小さな欠片が盛られています。

勝沼の将門伝説では、このほかに次の史跡などもありますが、確認することは出来ませんでした。
【御前岩】この地の御前岩というところは、将門の館跡といわれています。
【法明】法明という地は、将門に仕えた軍略家の居所だという。
【首切り岩】この地の石原田に、将門の首を切ったとき、その刀が勢い余って切りつけたという首切り岩があります。
【烏帽子岩】将門の死罪を止めようとして、ある法師が嘆願したが、それが叶えられず悲嘆して、烏帽子を投げたところ、それがそのまま張り付いたという烏帽子岩があります。

帰りに「ふどうの丘」に寄ってワインの試飲、そして観光ぶどう園でぶどう狩りをして、家族にワインと甲州ぶどうを土産としました。
http://www.budounooka.com/

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/取材:源六郎/平将門関連書籍将門奉賛会


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