将門ブログ

このブログは、歴史上の人物『平将門』公を探求する、ポータルサイトです。

柏市3(千葉県)

2007年02月03日 | 縁地探訪(千葉県)
引き続き、千葉県柏市(旧沼南町大井地区)の将門伝説を紹介します。
「手賀沼を巡るコース・手賀沼を望む自然と歴史の道」
http://www.teganuma.jp/course/
「沼南歴史の道」
http://friend.bird-mus.abiko.chiba.jp/all/okamoto/machi/shonanrekishi/shonan.html

【大井の地・大井七人衆】旧沼南町大井
JR柏駅東口から大井方面行きバスで「大井」下車。この大井バス停付近に、将門の影武者であった坂巻、石原、石戸、吉野、富瀬、久寺家、座間の七家(大井七人衆)があったといわれています。

【しきみ山・若狭塚】旧沼南町大井
この地の「しきみ山」に、将門の一族の坂巻若狭守の居宅があったといわれています。また、近くの字大木戸に「若狭塚」があるというのですが、「しきみ山」、「若狭塚」ともに確認できませんでした。とにかく、この付近には坂巻家の墓が多いです。

【将門山(城山、舟戸古墳群)】旧沼南町大井字舟戸
次は、大井地区の一番北から巡ってみました。二松学舎大学の北にあります舟戸の舟戸古墳群(前方後円墳等数基)のあるところは、「将門山」または「城山」と呼ばれています。調べてみますと、千葉氏の一族となった坂巻若狭守正勝が、戦国時代に城砦としていたのではないかと思われます。

【大井の津】旧沼南町大井新田・我孫子市我孫子新田
将門が王城建設の際し、京の大津に似せて、ここ手賀沼中央部を「相馬郡大井の津」と称したといいます。将門山と呼ばれている舟戸古墳群からは、手賀沼の向こうに我孫子市街地が望めます。

【福満寺】旧沼南町大井字宮前
舟戸古墳群の南西400mに「福満寺」があります。この寺に、将門の臣下・坂巻氏の守り本尊(一説では将門の守り本尊)である火伏観音(火難除け観音・聖徳太子の作)が秘蔵されているといいます。この寺は、将門の愛妾(第三夫人とも)車ノ前との関わりが深いといいます。
http://members.jcom.home.ne.jp/2131535101/shounanooi2.htm

【鏡の井】旧沼南町大井字宮前
福満寺の裏手に、車ノ前が顔を写したという「鏡の井」という井戸があります。

【車ノ前と若松】旧沼南町大井字宮前
車ノ前は中村庄司良忠の娘で、将門の乱の後、この地(妙見堂跡・後述)に隠れ住み、「若松」という男児を産んだと伝えられています。車ノ前というのは、桓武天皇の女・車内親王になぞらえて将門が付けた名前だと、ここ福満寺に伝わっています。また、若松が二歳のとき車ノ前が亡くなり、その後、別の説ですが若松は「良忠」と名乗り西国で勇者となったと伝えられています。

【妙見堂跡】旧沼南町大井字宮前
福満寺から南方200m、畑中の椎林のあるところ。かつて、ここに妙見堂があったといいます。車ノ前が亡くなったとき、ここで村人が火葬にしたといいますが、薪では燃えず米を用いて焼いて、ここに葬ったと伝えられています。伝承によれば、妙見堂跡には将門の妾・車ノ前が遺児「若松」とともに隠れ棲み、将門の信仰していた妙見菩薩を祀るお堂を建てその菩提を弔ったという。これが、現在の妙見堂跡といわれ、地元の人々は例年2月21日には将門の命日と称して妙見講を行っています。

【車ノ前五輪塔】旧沼南町大井字宮前
妙見堂跡の椎の大木の下に、この地方では最古という五輪塔があり、「車ノ前五輪塔」と呼ばれています。

【鐘の井】旧沼南町大井字宮前
妙見堂跡の下にある井戸で、妙見堂にあった釣鐘が落下してできた穴が井戸になったといいます。そして、水を何度も汲み出しても鉄渋が絶えなかったといいますが、今は現存していません。

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/取材:源六郎/平将門関連書籍将門奉賛会


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