将門ブログ

このブログは、歴史上の人物『平将門』公を探求する、ポータルサイトです。

市原市2(千葉県)

2007年01月08日 | 縁地探訪(千葉県)
前回に引き続き、千葉県市原市にある「奈良の大仏」などを訪ねてみました。

【光徳寺(市東城址)】市原市中野
外房線誉田駅前から東国吉方面行きバスに乗り「光徳寺」下車。ただ、本数が少ないのでタクシー利用がよいようです。参道に入ると18羅漢が迎えてくれる。境内に五百羅漢があり、中に入ると本物の人間のようで圧倒されます。この寺は、六月のアジサイが有名。この寺を含め、かつての市東地域に将門の城(市東城)があったといわれています。『上総国誌』の光徳寺の項に《初将門本郡に城く》とあり、この寺一帯が将門の城址であるという説が出たものと思われます。
「光徳寺の羅漢さん」
http://asanori.web.infoseek.co.jp/HP_S8/IMG_S1851/SYA_1851.htm
「市東城」
http://www5b.biglobe.ne.jp/~nininten/ititou.html
http://homepage3.nifty.com/yogokun/sitou.htm

【源経基祭祀の古塚】市原市中野
この地に、源経基を祀っていた武士の古塚があったという。この古塚は確認できませんでした。
参考:「武士→『職能』武士の起源」
http://www.weblio.jp/content/%E6%AD%A6%E5%A3%AB

【奈良の大仏】市原市奈良
大仏のある場所は、さらに南に向かい茂原街道東国吉にある市東郵便局から南に入ったところです(道標あり)。承平年間(940年頃)に建立された釈迦如来像で、市原市指定文化財となっています。将門が下総付近に王城を建設した際、京の南の東大寺大仏を模して建立されたといわれています。
http://www.h3.dion.ne.jp/~oshin/nara.html

【将門館】市原市奈良
奈良の大仏の近くに「屋敷台」という小丘があり、将門の館跡と伝えられています。この地域の将門伝説は、実は、すべて平忠常(将門の乱ののちの、忠常の乱の立役者)に関わるものではないかと思われます。

【金剛地、奈良、東国吉の地】市原市金剛地ほか
承平年間、平良兼がこの地や奈良、東国吉を領したといいます。

【古都辺の地】市原市古都辺
将門は、奈良の地に居館を置いて、妃妾を住まわせ国政を司ろうとしたといいます。地名の謂れは、「古き都の辺り」ということで将門が命名したといいます。

【平親王野(将門山)】市原市永吉
平親王野(将門山、菊間の平親王山とは別)は、下総付近で935年頃に朝廷に対して反乱を起こした将門が「新皇」を名乗った時に、奈良の大仏のある北方に京を模して自らの都を構えたところで、市原市永吉にある浜野ゴルフ場の西・吉野谷バス停付近ではないかと思われます。このほか将門に関連するものとして、この付近に「将門道」、「将門井戸」、「古銅観音」、「舞台谷」などの名が残っています。

【桔梗前墳墓】市原市永吉
この付近に「桔梗前墳墓」があったのですが、今は浜野ゴルフ場の中となり破壊され消滅しています。この地では、桔梗の前は藤原秀郷の妹になっていて、兄に密告して将門は滅んだといいます。その時、桔梗の前はこの地に逃れて自刃して果て、村人が塚を築いて葬ったといいます。また、この地にも桔梗不咲伝説が残っています。

「郷土史物語 第三章 第二 平将門 → 奈良大仏・桔梗前墳墓」
http://www.ne.jp/asahi/anesaki/ichihara/siryou/kyoudosi/kyoudosi.htm#dai3_2

にほんブログ村 歴史ブログへ

/取材:源六郎/平将門関連書籍将門奉賛会


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
桔梗前について (千葉県民)
2010-02-13 19:01:24
初めまして。レポートを興味深く拝見しました。
私もなぜか将門に惹かれるものがあり、いろんなゆかりの地を訪ねています。
奈良の大仏も訪問しました。
現場の地図に、桔梗塚というのが書かれており、探したのですが、どうしても見つかりませんでした。
現在は浜野ゴルフ場の中にあり、すでに塚は破壊されているとのことですが、
破壊された後でもいいので、その正確な場所はご存じないでしょうか?
ゴルフ場ということですが、桔梗前塚跡地の見学はできると思われますか?
桔梗前のお墓で手を合わせたいと思っています。
返信する

コメントを投稿