昭和音楽の風景

昭和の歌謡曲を通した若干の社会批判ないしは考察

折れた煙草の吸殻で

2017-10-21 01:37:07 | 日記
昭和歌謡の風景-30  
         一緒になる気もないくせに
                        雁坂 透
       
 政治の世界にいくつかのウソがある。そしてこのウソのため
に、政治へ向かう民衆の感性が屈折する。そして政治家がスト
レートな態度表明をしない。そして誰もがウソだとわかってい
るのに正面から正そうとしない。そのためにまともな政治議論
が構成されない。
       
1.自衛隊は合憲である
 自衛隊は合憲ではない。これは「と考える」とか「と解釈す
る」とかの問題ではない。条文をそのまま読めば議論の余地は
ない。「自衛のための戦力までは禁止と書いていない」などと
いうのは議論ではない。自衛のための軍隊なら保持してよいな
どとどこにも書いてない。「交戦権は認めない、陸海空軍はこ
れを保持しない」と言っているのだから、戦車・軍艦で武装し
た隊列が合憲なわけがない。元々緊急避難的に設けられた超憲
法的軍隊であり、憲法改正までの暫定的軍隊だ。違憲状態では
あるが、違憲ではない(これも分かりにくいロジックだが)。
憲法9条の趣旨は自衛戦争まで含めた戦力不保持であろう。起
草者は本気で戦争を防ごうとしていたと言える。自衛戦争を認
めたらあらゆる戦争が防げないと知っていたのだろう。近代戦
争では、ほとんどの戦争が自称「自衛のための戦争」と謳われ
て実施されている。「これは侵略戦争です」と言って戦争する
国などないのである。日清も日露も、大東亜戦争でさえ自衛と
称したのである。冷戦時代にそこらじゅうで戦争を仕掛けたア
メリカもベトナム戦争を含めて自由主義社会を守るための防衛
戦争と言っていたのだ。自衛戦争までは禁止していないとか、
自衛隊は戦力ではない、などの捻じ曲げ解釈は曲学阿世の徒の
たわごとにすぎぬ。
 9条をそのままにして自衛隊を認める第3項を、などという
憲法改正など、ごまかし的混乱を助長するだけのものだ。憲法
条文と実際が矛盾しているのであれば何とかしようともするが、
憲法の条文が矛盾しているのでは救いがない。今最も求められ
ているのは、正に戦後レジームと言うべき対アメリカ土下座外
交の解消であろう。「アメリカに日本を守ってもらっているの
だから」を含み根拠にするアメリカ追随、ヘリコプター墜落の
原因も分からぬ飛行再開、明確に自己主張すべき何一つとして
対米要求できないみっともなさ。それを克服するために、また
沖縄を日本の一部の当り前の状態にするために、自衛のための
交戦権を回復してそのための軍隊を持つ(前述の通りかなり危
ないが)、という憲法改正論議をなぜ提出しないのか。独立国
としてするべき発言をする矜持(これもやや危ない言い方だが)
を回復することが戦後レジームからの脱却だと言わないのか。
賛否は別にしても、そういう議論をすべき時期であるにもかか
わらずごまかしの上塗りのような憲法改正策動しかしない政権
の姿は姑息の極である。アメリカの言いなりが高じて、最近で
は意向を忖度して核禁条約反対をしたり、で土下座外交は深ま
っている。

2.公明党は宗教政党ではない
 公明党が創価学会と関係のない一般的な政党だと思っている
人はほとんどいないだろう。しかし、それを政治の世界で批判
することはタブーになっているようだ。靖国神社は一つの宗教
だから、役人である閣僚が公人として参拝することは憲法違反。
ならば、創価学会と言う宗教団体から出来上がっている政党は
宗教による政治で憲法違反になる、とは言わないことになって
いる。周囲の見聞でも、選挙のたびに創価学会の人たちが公明
党の票固め・票集め・選挙手伝いしているのは毎度のことだし、
当たり前のようにそれを見ている。都議選では小池百合子の都
民ファーストにすり寄り、今回選挙では小池を批判して安倍政
権擁護に回るという離れ業をやってのけて党内で議論も起きな
いという一枚岩は、宗教政党に特徴的な体質だと言ってもいい
だろう。
 誰もが知っているのに通用してしまうウソというのは問題で
はあろうが、わかって見ている分には大して危険でもない。問
題にしたいのは、むしろ宗教政党として守るべき節操のことで
ある。小泉政権の時、首相の靖国参拝を「ドイツの首相がヒト
ラーの墓参りに行くようなものだ」と批判した創価学会幹部が
いた。かつて靖国を頂点とする国家神道に反対して治安維持法
で検挙された創設者たちを思えば、極めて正当な批判であろう。
しかし公明党は「やめてくださいよ」と弱弱しい声で言うだけ
で連立にしがみついた。これでは地下の戸田城聖も泣いておろ
う。使いようによっては治安維持法と同じになると言われる共
謀罪への追随も学会創設の先人への冒涜だろう。
 政治においても宗教においても守るべき節操はある。政治的
意見が変わること自体はその出処進退を明らかにするなら必ず
しも非難されるべきではない。が、保身と自己利益のために過
去の意見や行動に頬かむりする愚劣は人心を裏切り、人心を離
す。今回そんな大衆行動が出ているらしい。久しぶりに救われ
る思いがする。
 中条きよしの「うそ」は昭和49年。「折れたタバコの吸い殻
で あなたのウソがわかるのよ」の出だしでいきなり聞く者を
わしづかみにする。この歌の頃はタバコを吸う男が普通だった
が、煙草喫いが少数派となり、迫害されているようにさえ見え
る今、女は男のいかなる動作でそのウソを見抜くのであろうか。
そして政治のウソを大衆はどう見抜くだろうか。「ああ 一緒
になる気もないくせに ああ 花嫁衣装はどうするの」のだま
し・甘言・ウソの世界はむしろ選挙後に出現するのかもしれな
い。