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小野寺史郎『国旗・国歌・国慶――ナショナリズムとシンボルの中国近代史』

2011-11-27 05:28:27 | Weblog

書評「小野寺史郎『国旗・国歌・国慶――ナショナリズムとシンボルの中国近代史』(東京大学出版会、2011年)」

 1990年代から2000年代初めにかけて流行したナショナリズム研究は、近年はかなり停滞している。その理由は様々なだが、学問内在的な理由について言えば、それが歴史や社会の中に隠されていたナショナリズムを「発見」し、その自明性を問い直すという問題関心のなかで研究が行われてきたことがある。福沢諭吉や孫文が啓蒙家や革命家であるという以前に「ナショナリスト」であったというのは、最初は新鮮な驚きを獲得したとしても、そうした暴露の作業がひと通り済んでしまえば急速に陳腐化せざるを得ない。中国史研究の分野においても、吉澤誠一郎『愛国主義の創成』(岩波書店、2003年)、坂元ひろ子『中国民族主義の神話』(岩波書店、2004年)などを区切りとして、ナショナリズムをテーマとした研究が激減している(少なくとも狭い「民族問題」に限定されるようになっている)印象があり、私自身もほとんど興味関心を失いかけていた。

 本書は中国のナショナリズム研究に属するものであるが、それ以前のものと全く異なるのは、ナショナリズムを通じて中国近代史の枠組みを脱構築するというテーマが完全に後景に引き、徹底して国旗・国歌・暦法という具体的な事物に即して記述・分析が行われている点にある。国旗や国歌の研究というと、G・モッセに代表されるように、これまではそうしたナショナルなシンボルがいかに「国民」意識を形成する装置となったのかという点に関心が集中してきたが、本書では、国旗や国歌という具体的なモノそれ自体に焦点を絞り、それらが様々な政治的意図や対抗勢力とのせめぎあいの中でいかに構想され、変化していったのかの紆余曲折と数奇な運命の面白さが素直に描き出されている。堅い文体で書かれた学術書ではあるが、高校世界史程度の知識でも十分に理解可能な内容であり、読み始めると止まらない本である。

 本書の内容を簡単に紹介しておくと、以下のようになる。国旗について言うと、最初清朝は皇帝のシンボルとしての黄龍の意匠を採用したが、「中国」を表象するものとしては広く定着しなかった。孫文は革命派のシンボルとして青天白日満地紅旗を用いたが、実際の辛亥革命の過程では様々な意匠の旗が用いられ、中華民国が成立すると「五族共和」を表象するものとして五色旗が採用されてしまい、1920年代の国民革命と「北伐」の時期には、五色旗と青天白日満地紅旗の二つの国旗が中国国内で併存している状態になった。国歌の運命は国旗以上に複雑怪奇で、政局の混乱などで辛亥革命の9年後である1920年まで定まった国歌が存在せず、ようやく制定された「卿雲歌」も活発さに欠けるとして批判されて定着することなかった。1937年にようやく国民党の党歌を国歌として正式に定めたが、直後に起こった日本との戦争のなかでは映画のテーマ曲だった「義勇軍行進曲」が広く歌われ、歴史のなかに埋没してしまった。さらに暦法の転換も困難を極めた。1911年の辛亥革命は、暦法における陰暦から陽暦への「革命」「文明化」でもあり、それに基づいて武昌蜂起の10月10日をはじめとして様々な国慶日が設けられたが、再三再四の政府の指導にも関わらず、中国の民俗・慣習と深く結びついた陰暦が廃れることはなく、最終的に共産党は農村を動員する過程で陰暦の慣習を容認する戦略をとることになった。以上のように、民国期以前の中国では複数の国旗や国歌そして暦法がせめぎ合う状態が長い間続いていたのであり、これは国旗は「日の丸」で国歌は「君が代」以外に想像のしようがなく、陰暦の慣習もほとんど廃れてしまった、われわれ日本人の経験とはまさに対極的なものと言えるだろう。

 著者は1977年生まれということで、おそらく本書の研究テーマも、歴史学で「ナショナリズム」「国民国家」が流行した時代の空気の中で選択されたものに違いない。この流行を牽引した上の世代の研究者たちが、思想家の言説を中心とした知的相対化の作業で満足していたのに対して、本書の著者は彼らが着手しないまま残していた、国旗・国歌・暦法といったナショナルな価値観を体現する具体的な事物への探求への地道な作業を行っている。ナショナリズムの脱構築や相対化といったメッセージは一切ないものの、ナショナルなシンボルの形成とせめぎ合いのプロセスを丹念に追いかけることで、結果的にそうした視点が得られるものとなっている点も重要である。

 不満な点を一つ挙げるとすれば、あるナショナルなシンボルが正統性をもつにいたる要因の分析が弱いことである。日本の「君が代」の歌詞が日本国民に十分理解されているとは言い難いように、国旗や国歌がナショナルなシンボルとして定着するためには、意匠や曲それ自体の魅力よりも、政治体制の強さや安定性、そうしたシンボルが背負っている国民的な経験や記憶の共有といった要素が重要になる。大衆映画のテーマ曲に過ぎなかった「義勇軍行進曲」が国歌として採用され定着していったのは、まさに抗日戦という国民的な経験が決定的であった。あるいは歴史学者として、こうした言わば社会学的な問題については敢えて深入りしなかったのかもしれないが、国旗や国歌を研究する場合には避けて通れない問題であると考える。 

 ちなみに、この書評はBK1にも投稿されている。1年に1回くらいのペースでしか投稿していない。

(参考)

中国語版Wikipediaの「中国国旗」の項目
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%9B%BD%E6%97%97


大清帝国国歌「鞏金甌」
http://www.youtube.com/watch?v=Wc9PEJMFeR4&feature=related

中華民国(北京政府)国歌「卿雲歌」
http://www.youtube.com/watch?v=CkR3lg_-FhM

北伐期国民党の暫定国歌「国民革命歌」
http://www.youtube.com/watch?v=rH3mJs8BpTM

中華民国(国民政府)国歌「中国国民党党歌」
http://www.youtube.com/watch?v=ef3SghEsDZI&feature=related

『風雲児女』(1935年)の「義勇軍行進曲」
http://v.youku.com/v_show/id_XMjkzNDMwMTY0.html


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