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医療救助制度の農村貧困者保障の面での欠陥

2010-06-07 20:12:59 | Weblog

「農村貧困人口の医療保障問題研究――新農村合作医療と医療救助制度をつなげる視点」
蒲川・游嵐・張维斌
『農村経済』2010年第3期
http://www.sociology.cass.cn/shxw/zxwz/P020100604494195464868.PDF

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2 医療救助制度の農村貧困者保障の面での欠陥

まさに新農村合作医療制度の設計が貧困集団を対象とするものではなかったため、国家の民政部、衛生部、財政部の三つの部はようやく2003年に『意見』を発布し、全国農村に医療救助制度を設立し、農村貧困人口に基本的な医療を保障し、貧困集団の健康状況が改善しはじめている。そのように、医療救助制度は農村貧困人口の医療問題を解決するのだろうか。

1. 医療救助制度の利用可能性が高くない

 重慶市を例にすると、2005年6月までに重慶市はすでに全面的に農村医療救助制度を設立したが、最初の設計は救助対象(五保戸、低保戸、特別に困窮している家庭と農村が重点的な保障対象であり、実費支出の二等乙級以上の傷痍軍人は含まれない)が大きな病気の医療救助であり、そして医療の費用が一定の比率を上回ったら負担を要求するのに何の規制もなく、そうしてようやく医療費を生産して事後的に救助を与えることができるのであるが、これは医療行為が発生するときに一般的に困難をもたらすものである。こうして、医療救助を受けることができないわけである。

2. 公平性が弱い

 現在、国内の医療救助では一般的に医療費控除が設けられており、困窮している民衆であればあるほど、医療救助を受けることが難しくなっている。一定の比率に応じて救助を与えることは、貧困者は負担費用も少ないため、救助のための費用もさらに少なくなってしまう。控除のハードルが高く、支払の上限が低すぎるので、医療救助は主に財政状況によって救助対象にはない医療需要が標準となっており、客観的に異なる地域の間で経済社会の発展の水準が異なることで、医療救助水準にも差異が出現し、そして救助の程度の客観的な要求とも差異が存在し、明らかな不公平性が表れている。

3 効果が不明

 医療救助制度の効果が不明であるというのは、主に以下のいくつかの要因によるものである。

(1)救助額が小さい
 調査では、貧困人口が一般的に反映している問題は、医療救助の額が小さすぎることであり、その主要な原因は医療救助の給付水準と資金の利用効率のあまりの低さがもたらしているものである。わが国は医療救助資金の支出が財政出で占めるべき比率が定められていないため、わが国の各地方の政府が医療救助資金の調達において深刻な混乱を生みだすに至っている。わが国の経済発展地区では、痴呆性は一定の資金を調達して医療救助に用いることを認めているが、ほとんど明確な経費の比率が決められていない。経済発展が欠けている地区では、政府は専門に医療救助資金を調達することができず、民政、財政、扶貧などの部門から臨時的に救助資金が与えられているが、医療救助資金の来源と数量はほとんど不安定である。例えば2005年は全国で医療救助を必要している人々の一人当たり平均救助予算はたった35.83元であり、2006年も70.15元でしかない。政府が投入する救助資金は不足しており、医療救助は貧困者への医療行為の困難を少しばかり緩和させているにすぎず、根本的には問題は解決していない。

(2)大きな病気の種類が限定されていて救助範囲が小さくなっている
 現在、医療救助制度において、多くの地方では病気の種類の範囲を区分しているが、病気の種類の制限は病気の種類の範囲外に画定されてしまった貧困者の医療救助を排除している。大多数の人が掛かる多発病、常見病、慢性病などは救助すべき病気の種類の範囲に入られておらず、多くの病気の貧困者を事実上救助することができなくなっている。

(3)制度設計がいくぶん保守的である
 濫用されたり十分な利用がなかったりなどには多くの要因があるが、大多数の地区の医療救助制度設計は往々にして保守に偏っており、救助の範囲も狭い。2005年には、全国で集めた医療救助資金は129900万元になり、資金余剰は45995,4万元、余剰率は35.6%であるが、実際の救助率は30.9%にすぎない。2006年、集まった資金が大幅に高まった状況の下で、剰余率は45.4%に達したが、実際の救助率は34.72%でしかなかった。


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 中国では毛沢東時代から、都市と農村では完全に別建ての社会保障制度になっている。

 「はだしの医者」で知られる、毛沢東時代の農村合作医療制度は、まがりなりにもペストや住血吸虫病などの感染症の根絶に成功し、その水準はユニセフからも称賛されるほどものだった(今のキューバもそうだが、社会主義政権では一般的に医療・衛生の水準は悪くなかった)。しかし、1982年に人民公社が解体されるともに崩壊すると、医療制度らしいものがほとんど何もない状態になってしまい、経済成長とともに医療費が高騰すると、農民はまともに医者にもかかれなくなってまった。

 2003年に一人10元程度で誰でも加入できるという、新型農村合作医療制度が導入されるが(一応強制加入ではなく自発加入原則となっている)、この文章でも述べられているように給付水準があまりに低い。1950年代以前の日本がそうだったように、中国の農村では医療サービスは依然として「ぜいたく品」であり、入院などしようものなら年収の数倍はかかってしまう。

 給付の拡充は当然だが、慎重にやらないと医療費の無際限な膨張を招いてしまう。いつかは今のような高度成長も終わる時が来るが、その時に持続可能な制度になるような知恵を今のうちから働かせる必要もある。高度経済成長が終わった後に、増税や給付削減を行うことがいかに大変かは、日本が嫌というほど経験しているところである。

 専門家は給付の拡大ばかりを主張しているが、「福祉国家」の基本原則に立ち返って、いかに少額であろうと全員が平等にきちんと負担を行い、医療保険の「既得権益者」となってしっかりと支えてもらうことが必要である。無償のボランティで支えられていた、社会主義時代の旧農村合作医療制度がいかに脆いものであったのかは、すでに嫌というほど経験済みのはずである。


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