SHOの日々幸あることを、素敵な俳優・女優の部屋

煌めく懐かしき往年の俳優・女優。
出演された映画の話
想いでのシーン
語りませんか

お嬢様役は素のままで演じて

2008-09-18 13:21:08 | Weblog
司 葉子

鳥取出身
名家に生まれる

短大在学中に雑誌表紙を飾る。
大阪新日本放送(現毎日放送)に勤務するものスカウトされ東宝と契約。
………………………………主な出演作品

1954年
東宝「君死に給もうなかれ」1957年
東宝「美貌の都」
1958年
東宝「鰯雲」
1961年
東宝「用心棒」
1962年
東宝「忠臣蔵」
1966年
東宝「紀の川」
1971年
東宝「父ちゃんのポーが聞こえる」
1977年
東宝「獄門島」
1992年
東宝「勝利者たち」
2003年
アルゴ「福耳」

出演本数約150本
………………………………【受賞歴】
1966年
ブルーリボン賞主演女優賞同年
キネマ旬報賞主演女優賞

他、受賞。

不滅の剣士スター

2008-09-16 12:57:05 | Weblog
片岡千恵蔵

私の一番好きな時代劇俳優浅草六区を遊び場にしていた、小学・中学時代小遣いさえあれば映画ばかり観ていた。
数ある映画会社の作品を観歩くも、特に東映時代劇が好きでこの方の大ファンだった。
戦後GHQ政策で時代劇が製作出来ない時期、あの有名な
『ある時はインドの魔術師またある時は私立探偵…
しかしてその実体は…』
多羅尾伴内シリーズが人気になった。

………………………………主な出演作品

1927年
マキノ「万花地獄」
1932年
千恵プロ「国土無双」
1936年
千蔵プロ「赤西蠣太」
1940年
千蔵プロ「宮本武蔵」
1955年
東映「血槍富士」
1957年
東映「大菩薩峠」シリーズ
1960年代東映時代劇に数多く出演。

他、出演320本超

心優しき悪役俳優①続き

2008-09-14 11:20:46 | Weblog
松坂慶子が出演した、
深作欣二監督作品『蒲田行進曲』(1982年、松竹)で、平田 満が演じたうだつの上がらない大部屋俳優が、風間杜夫演じる主人公に斬られて階段から落ちるシーンがあります。
そのモデルになった人が汐路章です。
実際に汐路は8メートルの上からまっ逆さまに落ちた
今でも東映京都撮影所で語り継がれている。
伝説の『池田屋 階段落ち』です。
平田満は蒲田行進曲では、スタントマンを使ったが、汐路章は自ら落ち数秒間気絶した。
そのシーンの特別報酬10000円(昭和33年当時)を貰い柱時計と純毛の布団2組を買った。

生涯斬られてた数が2000回晩年は人情味ある老ヤクザ等演じたが、東映時代劇では、共演する女優達からもっとも怖れられた俳優だった。

しかし、実生活では家族・弟子・大部屋俳優思いで、台本を書き換えて若手俳優がカメラに映るように工夫した。それには監督も黙認した。

また、子供好きで自宅で無料の『書道教室』を開き近所の子供達に教えていた。
彼が残した数ある言葉の中に
『泣くは 修行
怒るは 無痴
笑うは 悟り』


高田浩吉に師事
弟,弟子
鶴田浩二

1994年逝去(享年66歳)

心優しき悪役俳優①

2008-09-14 11:11:59 | Weblog
汐路 章

私の好きな悪役俳優の1人です。
数々のエピソードがあり、私生活では人情味があり、家族・弟子・若手俳優…そして子供達ちに慕われました


………………………………京都出身。

1947年劇団の事務をしていたが、劇団員のひとりが急病で倒れ急遽舞台に担ぎ出される。
その瞬間稀代の悪役俳優が誕生した。
………………………………主な出演作品

1951年
新東宝「剣難・女難」
1957年
大映「銭形平次捕物控」
1957年
米国「サヨナラ」
(マーロン・ブランド。ナンシー梅木出演)
1958年
東映「新鮮組」
1961年
東映「宮本武蔵」
1962年
東映「さくら判官」
1966年
東映「ワタリ」
1970年
東映「博徒一家」
1973年
東映「まむしの兄弟」
1977年
東映「新・女囚さそり」
1981年
東映「仮面ライダー」
1987年
東宝「マルサの女」
1991年
独立「真夏の少年」

他、出演本数300本超
………………………………テレビドラマ

「必殺」シリーズ・「水戸黄門」シリーズや特撮ドラマ「仮面ライダー」等に悪役として多数出演。

不世出のスター市川雷蔵

2008-09-12 01:05:13 | Weblog
京都出身
歌舞伎俳優市川九団次の養子
1951年三代目市川壽海の養子になる。

15歳で大阪歌舞伎座の舞台に立つ。
保守的な部分が多く血縁や名跡が重視される梨園に嫌気を差し22歳で映画の世界に入る。

数々の映画に出演し不世出のスターとして没後も評価は高い。

『目の美しい清らかな顔に淋しさの漂ふ、さういう貴公子を演じたら、容姿に於て、君の右に出る者はあるまい』(三島由紀夫)
………………………………主な出演作品

1954年
大映「花の白虎隊」
1955年
大映「新・平家物語」
1957年
大映「朱雀門」
1958年
大映「忠臣蔵」
1959年
大映「若き日の信長」
1960年
大映「大菩薩峠」シリーズ
1962年
大映「忍びの者」シリーズ
1962年
大映「婦系図」
1963年
大映「眠狂四郎」シリーズ
1969年
大映「博徒一代血祭り不動」 (遺作)

………………………………【受賞歴】
1957年
東南アジア映画祭
ゴールデン・ハーベスト賞
1959年
イタリア映画誌「シネマ・ヌオボ」
最優秀男優賞
1962年
キネマ旬報主演男優賞
ブルーリボン主演男優賞

映画出演本数157本

1969年逝去(享年37歳)

忘れえぬコメディエンヌ

2008-09-10 20:13:06 | Weblog
昔、新宿に『ムーランルージュ』という劇場があった。
本家はフランスのムーランルージュで「赤い風車」という意味。
新宿のムーランルージュは劇場でレビュー・軽演劇などを演じていた。
この劇場からは、著名な演劇人を輩出している。
有島一郎、由利 徹、「男はつらいよ」シリーズのおばちゃん役の三崎千恵子、そして大物森繁久彌などここで腕を磨いた。

そして忘れえぬコメディエンヌ若水ヤエ子もそうだった。ダンス、歌、演技を仕込まれた。
ムーラン閉鎖後、映画・テレビ等に進出するが、ここからが彼女のコメディエンヌとして華が咲いた。
NHKラジオ「ソーラン娘」に主演、あの「月光仮面」にもレギュラーとして出演。
そして、ヤエ子の名前を冠にした映画『おヤエの女○さん』シリーズが始まり、遺憾なく持ち味を発揮した。
素は美人でありながら三枚目を演じたが、劇場で唄う歌の上手さダンスの上手さは、ムーランで鍛えられた実力を見せつけた。
私は幼き頃女○シリーズを観ているが、明るく楽しい女優さん、面白いおばさんと心に焼き付いた。
女○シリーズは合計8本製作された。

東京生まれのシャキシャキな江戸っ子にも係わらず、東北弁が売りだった。
その為に若水を東北出身と最後まで信じていたファンが多かった。


1973年45歳の若さで人生の幕を閉じた。

数奇な女優運命に弄ばれて

2008-09-06 13:21:59 | Weblog
山口淑子(李香蘭)

満州生まれ

1938年満州映画協会(満映)から女優デビュー。
エキゾチックな容貌から、満州・日本でも人気を博す
後年、満州からデビューした事に問題が起きこの方を悩ます事になる。



………………………………主な出演作品

1938年
満映「蜜月決車」
1940年
満映「東遊記」
1941年
満映「蘇州の夜」
1943年
満映「サヨンの鐘」
1949年
新東宝「果てしなき情熱」
1953年
東宝「抱擁」
1958年
東宝「東京の休日」

他、多数出演。

迫力ある風貌ドスのきいた声の悪役俳優

2008-09-05 23:57:00 | Weblog
小松方正

当初は所属劇団の舞台出演が多数であったが、映画への思いが強まる。
そんな時に大島渚監督と出会う。
数々の大島作品に出演する一方他の映画では、いかつい風貌から悪役として多数出演した。
その演技は観ているものが目を背けたくなるほどの憎々しいものだった。

………………………………長野出身
中央大学法学部卒
大蔵省管理局に入省
………………………………主な出演作品

1959年
新東宝「二十六人の逃亡者」準主役で映画デビュー。
1963年
日生「小さな冒険旅行」
1965年
東宝「けものみち」
1966年
東映「続 花と龍」
1968年
ATG「絞死刑」
1968年
日活「神々の深き欲望」
1972年
東映「女囚さそり」
1978年
日活「帰らざる日々」
1988年
東宝「マルサの女2」
1992年
東宝「ミンボーの女」

他、出演本数140本超

日本を代表する女優の一人

2008-09-04 10:32:29 | Weblog
悪女役から大作のヒロインまで幅広く活躍した。

………………………………主な出演作品

1930年
日活「剣を越えて」
1934年
日活「ちりめん供養」
1943年
東宝「歌行灯」
1952年
東映
「母なれば女なれば」
1956年
東映「親子像」
1957年
東宝「どん底」
1961年
東宝「用心棒」
1978年
東宝「柳生一族の陰謀」
1982年
松竹
「疑惑」

他、多数出演
………………………………【受賞歴】
1955年
ブルーリボン賞助演女優賞
1956年
ブルーリボン賞主演女優賞


歌う女優として人気博した

2008-09-03 16:15:13 | Weblog
高峰三枝子

映画史上歌う女優としての地位築いた出演本数約200本の方を出題致します。
………………………………東京出身
松竹三羽烏と呼ばれた、
上原 謙、佐野周二、佐分利 信の相手として、マドンナ役で多数出演して人気を博した。
………………………………主な出演作品

1936年松竹「母を尋ねて」
1937年松竹「浅草の灯」
1939年松竹「純情二重奏」
1948年松竹「懐かしのブルース」
1950年松竹「情熱のルムバ」
1958年東映「点と線」
1969年東宝「二人の恋人」
1976年東宝「犬神家の一族」1983年東宝「父と子」
1990年東京「花の季節」