歩き続ける

キーワード 歩く,立つ,座る,呼吸する,身体感覚,心と体
遍路、人生、

善根宿

2017-02-23 22:32:26 | 日記
そこは遍路道沿いにあった。普通の民家だがバス停の待合室のように空間があり、「萩生庵」という小さな看板があった。そこには誰もいないが奥で話し声が聞こえる。「今日は。歩き遍路ですが、泊めていただきますか」と大声を出すと、顔もろくに見ないで「どうそ」と女性の声で返事が返ってきたが、こちらに向かって来る様子もない。近所の人との話しに夢中なのだろうか。
どうやら、この待合室のようなところが、宿泊所のようだ。部屋の壁側が縁になっていて、それがベッド代わりになるようだ。三、四人は泊まれそうだ。隅には布団が何組か畳まれているのて、これを自分で、敷くのだろう、と理解した。
入口付近には、他の遍路が綴った旅ノートや雑誌などもある。旅ノートを読む限り、ここは夕食は出ないが、近所の弁当屋に行けば無料で、弁当を提供してくれるようだ。ただ、それは弁当屋の好意というより、この善根宿の主が後で弁当の代金を支払う仕組みになっているようだ。
私は夕食は食べたいが、かといって弁当屋で弁当を受け取るのも気が引ける。やはり今日はどこか外の食堂で食べたほうがよさそうだ、などと考えていると、先程の方が「召し上がってください」と夕食をもってきてくれた。姿格好から80歳は越えていると思われた。その方は、それだけ言い残してさっさと母屋に戻って行った。
私はありがたく頂戴することにした。ご飯と、味噌汁。それと茄子の和え物だった。素材自体はごくありふれた物なのだが、これがとびきり美味しかった。歩き遍路をしていると何でも美味しく感じるようになると、言われていて、私もそれは実感しているが、それにしても、その料理は格別だった。
夕食を食べ終わると何もやることが思いつかなかった。他の遍路が立ち寄ることもなかったので話し相手もいない。私は、そこにあった雑誌を少し読みかけたが、早寝することにした。
しかし昨夜も十分寝たので、夜中に目覚めしてしまった。そこでトイレに行くため、そっと母屋に立ち寄った。廊下の先にはトイレがあり、横には豆電球が点いている部屋がある。どうやらこの家は女性の一人暮らしのようだ。しかし廊下とその部屋の間には貧弱なガラス戸一枚で仕切られているだけだ。
もし私が泥棒なら、簡単に部屋に侵入できる。こんな不用心なことを、この方は何十年も続けてきたのに違いない。私が知り合った遍路仲間の情報ては、遍路は善人ばかりではなく、詐欺や万引きをする遍路もいるという。そんな中で、よくぞご無事で、という気持になった。
翌朝、お礼の挨拶をしようと、母屋に向かって声をかけたが、どこかへ出かけたらしく人の気配がなかった。残念だったが、そのまま出立した。





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