お待たせしました(誰も待ってないって! 笑)
連載6回目です。
予告通り、今回は子豚が主役の映画「ベイブ 1」 Yahoo映画に関するお話しです。
まず、これ観てますか?
観てないと話しが全く伝わりません。
観てない方は、せめてWiki「ベイブあらすじ」だけでも読んでみて下さい。
まずね、
この映画を観た感想は、Yahoo映画のページに寄せられているコメントの様に、
「素直に生きてたら必ず報われる時が来る」とか、
「希望は捨てるな、最後まで諦めるな」とか、
「生き延びてさえいれば必ず良い事がある」とか、
「お願いと感謝が大事」とかね、
そういう感想だと思うんですよ、普通は。
しかし、私は全く違った意味で捉え、とても良い作品だと感じました。
(勿論、本来の上記の様な感想も持ちましたが、それ以上に違う意味の方が、心を病む人に価値があると思います)
まず、
農業や牧羊を営む主(アーサー)家に引き取られたベイブに、
その家の動物界での主、犬の(レックス)に「この世のルール」を教えられます。
それは、
「生きるものは全て役割がある、その使命に感謝し、全うする事だ」というもの。
これ、人間界にもそのままそっくり言える事ですよね。
「器」です。
人間だって、それぞれ「器」に応じた使命ってものがあります。
自分の希望や理想と、自分の器とは必ずしも同じとは限らないのです。
それぞれの器に応じた出来る事を全うし、いつまでも器が足りない理想を求めるより、それだけでも出来る事がある事に感謝する事です。
運命を受け入れ、感謝し、全うする事です。
運命で100%人生が決まってしまうって事もないとは思います。
それでしたら、このベイブの生き方と結果はなかったでしょう。
しかし、殆ど運命(器以上)は変える事が出来ないのです。
それを無理に(いつまでも理想にしがみ付いていると)運命を変えようとすると、
痛いしっぺ返しに遭うのです。
それを表しているのがアヒルの(フェルディナンド)です。
アヒルは、自分の運命を知っていました。
アヒルは、人間に食べられる為に飼われている事を知っています。
しかし、それに逆らい、無理に生き残ろうと考えます。
ニワトリの真似をし、ニワトリより先に起きて屋根に上り、朝の時をガーガー声で知らせだします。
それで、身の丈に合わない「新しい使命」を無理に身につけ生きようとしました。
アヒルはそれで生きる価値を得たつもりでしたが、家人にとっては、朝からガーガー声のアヒルの叫びはうるさく、迷惑でしかないのです。
ある日、その家に「目覚まし時計」を奥さんが買ってきます。
それを知ったアヒルは、自分の生きる価値が無くなってしまうと思い、目覚まし時計を盗み出す事を計画し、ベイブを誘います。
そして、盗みは失敗に終わり、ベイブは犬のレックスに叱られます。
「立場をわきまえろ! 人間の家になど、豚の分際で入ってはいけない!」
「人間の家に入れるのは、ペットとしての動物だけだ!」と。
盗みに失敗したアヒルは、もう食べられると思い、食べられる位ならと、その牧場から家出し、旅立ちます。
映画ではそのアヒルがどうなったかはなかったですが、飼われていたアヒルが、一匹自然界で生き延びれる程、自然は甘くない事は明らかです。
そのすぐ後のアーサー家のクリスマスのメインディッシュは、アヒルでした。
この事も、「運命を受け入れろ」
「身の丈に合わない事には必ず無理が生じる」というメッセージですね。
そして物語の最後は、
牧羊犬コンテストに、犬でなく子豚のベイブが出場し、フライやレックスの力を借り、
見事優勝し、史上初世界最強の牧羊「豚」に輝き、
「素直に生きれば必ずいい事がある」とか、
「素直に生きてれば、時には身の丈も破れる」とか、
「何事も不可能な事はない、誰でも無限の可能性がある」という、
人生の応援メッセージという意味合いで幕を閉じます。
確かにそうです。
結果を恐れ、始めから「出来ない」と決めてしまっては何も始まりません。
それは、人間界でもとても大切な事。
そして、素直に生きる、嘘をつかず、飾らない素直さで正直に生きる。
とても大切な事です。
しかし、私は、そういう見方以上に、
「世の中のルールを守れ」
「運命(器)を受け入れ、それを全うする」
「身の丈に合った生き方をしろ」
「身の丈以上の事を求めても、いずれは無になる」
というこれらのメッセージの方を重要視して欲しいのです。
心を病む方々に・・・。
私達は、あらゆる可能性を持って生まれ、あらゆる冒険心と共に、
自分が「どの道」で、「どこまで行けるか」という事を、
「描いた理想」という形で現実化しようとします。
それは「学校」であったり、「職業」であったり、「会社」であったり、「恋愛」であったり・・・。
それらのあらゆる出来事の中においても「もっと、こうあれば・・・」という事を、貪り、求めます。
でも、人間には「運命」があり、
それぞれの運命に合った「身の丈」というものがあります。
身の丈に合った実力しか備わっていないのです。
身の丈以上の出来事がどんどん起こってくる人は、
「貴方はもっと大きな活躍をしなければならない運命の人です」と、時空が教えてくれているのです。
そして、徐々に実力がつく経験を積ませてくれます。
しかし、「なんで私にはトラブルや上手くいかない事ばかり起こるのだろう」って心を病む人は、
現状の事をこなせる程の実力が付いていないのに、身の丈以上の事をしようとしているからです、無理に。
この上記の2つ、渦中に居る時は、どちらの状態なのか判断が難しい場合があります。
次から次へと難題が起こってくるという観点では、同じに感じるから・・。
しかし、本質が違います。
実力をつける為の経験の場合は、事柄や内容がステップアップしていくのに対して、実力が付いていない場合には、悩みの原因は、殆ど「問題は同じ」です。
それをしっかり見極めないといけません。
同じ事柄でいつも越えられないクセに、
「私は経験を積ませてくれている」などと勘違いしていては、いつまでたっても「現在地」が分からないまま挙句に心のバランスを乱してしまいます。
若かったり、若くなくても人生経験の少ない、あるいは経験だけは積んでいるのに身についていない人の多くは、
そして「心の病」になる人の多くは、
『自分も「ベイブ」になれるかも』って、どこかで思っているのです。
「身の丈」は分かってるつもりだけど、自分なら「ベイブ」みたいに、
身の丈以上の事を成し遂げられるかも・・・って。
しかし、正直申し上げて、
人間、「器」以上の事は出来ません!100%!
一時的に出来たとしても、継続は絶対に出来ないのです。
器以上の事(実力以上の事)を無理に継続しようとするから、
「自分はこんなに悩み頑張っているのに」と、心のバランスが崩れ、もっと後退してしまうのです。
勿論、器を大きく、徐々に実力をつける事は出来ます。
しかし、今ある器以上の事は、どうあがいても出来ないのです。
自分の「現在地」を正しく評価する事です。
正しく評価し、今の器で出来る事を素直に喜び感謝する事です。
そうする事によって、徐々に器が大きくなり、器に応じた使命が与えられるものです。
自分の現在地を過大評価してはいけません。
過大評価しているから、実力に見合ってない「自分の欲求通りの事を欲しがる」のです。
心の病になる方の多くの共通点は、正に「アヒル」状態になっています。
人間は食われる事はないので、安心して運命を受け入れ、使命を全うすればいいのです。
そんな風に観るとまた違った意味で、とてもいい映画だと感心します。
精神的に不安定な方、またそうでない方も、一度鑑賞をお勧めします。
凄くよく分かります。
私達にはそれぞれ持って生まれた役割・使命があるんですよねっ!
先ずはそれを全うすること!が、基本なんですよね‥
今の自分の役割さえ果たせてないのに背伸びし過ぎてるんですよ~
今(現状)を有難いと思い、多くを望まず、与えられた事に精一杯努めるべきなんですよ‥
そんな心持ちになれば肩の力が抜け『楽』なんじゃないでしょうか?
ひたむきに自分の役割に徹する!評価されようが、されまいが‥。に、早く気付いたら良いと思います。
ありがとうございます。
お待ち頂いて恐縮です。
基本「足るを知って」「感謝」です。
感謝のない所には、それ以上のモノがリンクしません。
最後のまとめに入るまで、まだかかりそうですので、
まだまだお付き合い願います(笑)