嗚呼素晴らしきインマーマン   Immermann ueber Alles

(レア物)90年代初頭ドイツ・デュッセルドルフ日本人社会で流行した
幻のアングラ名曲集を復刻・永久保存するサイト

今こそ復刻!伝説の珍曲「土曜日はインマーマン」

2006-08-05 18:32:29 | Weblog
(おことわり)本サイトで紹介されている曲目は、全て「JUN KOMACHI」さん作詞作曲によるものであり、管理人が勝手にビデオ編集してYOUTUBEにアップしたものです。オリジナルカセットテープ原題「Immermann ueber Alles」より収録。




JUN KOMACHI氏が作った4つのオリジナル曲の中でもっとも有名な曲。デュッセルドルフ在住の「駐在員(日系企業の社員)」とその妻「チューツマ」の生態(?)をコミカルに描いて90年代初頭に超局地的大ヒット。同地の日本人カラオケでは、しきりに歌われた。





日系企業の駐在員とカラオケのホステスとの、不倫〔未遂・・・さすがに本当にやると狭い日系社会。あっという間にばれる〕を歌った名曲。ドイツにいるのか、有楽町の飲み屋にいるのかわからんような、懐かしの70年代ムード歌謡の趣が素晴らしい。ちなみに本サイト管理人はこの曲が最も好きで、いつかデュッセルドルフのカラオケ・ライムライト(曲にも登場)でデュエットしたいと思っている。





この曲が一番わかりやすいパロディーであろう。管理人もイメージビデオが非常に作りやすかったし、出来も悪くない。ちなみにここに出てくる営業君は筆者の知り合いで、写真を無断で拝借した。本人はYOUTUBEのビデオに登場しているとはついぞ知らないであろうw





我らがインマーマン通りのいにしえよりの栄光を称えた歌。真夏のデュッセルドルフを駆け巡る高校球児たちの熱闘が想起されるという、シュールなコンセプトで作られた行進曲。管理人は気分が高揚してくると、つい口ずさんでしまう。




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(解説)インマーマン通り[ Immermannstraße ]とは

皆さんは「インマーマン通り」を知っているであろうか。

それはドイツ・デュッセルドルフの中心街を走る大きな通りであり、そして知る人ぞ知る、ヨーロッパ最大の日本人街である。日本人人口は約6000人(公式。実際は学生、短期滞在者を含めると遥かに多いと思われる)。 人口数としてはそれほど大きくなく、パリやロンドンなどには、数万単位の日本人が暮らしているが、狭い地域に一箇所集中と言う意味では、現在もデュッセルドルフが欧州一であろう。戦後まもなくして、近くに鉄鋼生産地域があり、日系企業がここに集中して進出し始めたのがその始まり。同市の税収入の1割程度は日系企業からくると言われているから、戦後のジャパニーズ・ビジネスマンの偉業とも言える。

この通りImmermannstraßeには、歴史ある美しいデュッセルドルフの町並みの中に、ぞろぞろと日系のホテル、レストラン、商店、果てはお姉ちゃんつきのカラオケスナックまでが軒を並べ、道を歩けば次々と日本人とすれ違うと言うシュールな世界が出現している。

ここに住む日本人はその多くが、日系企業の駐在員とその家族。彼らはこの地で日本の生活そのまんまを満喫している。何もかもが日本語で用を足せ、また英語もよく通じ、加えて、住環境は日本とは比較にならないほど良い。日系企業の社員にはこれほど居心地の良い、欧州の都市はないであろう。

また彼らは、ドイツ人社員が帰った後も遅くまで残業し、帰りは日本式居酒屋で一杯やって、その後はカラオケで日々のストレスを発散するという、新橋のオヤジそのまんまの生活をこの街で再現しているのだ。


(解説)「Immerman ueber Alles (=嗚呼素晴らしきインマーマン:管理人訳)」とは

そして、この街の日本人カラオケで、かれこれ15年ほど前に知る人ぞ知る名曲が自主制作された。ここに住んでいた日本人駐在員の一人と思われる、「JUN KOMACHI」と言う人物が、自らもその一部であるデュッセルドルフ日本人社会を風刺、茶化したコミック・ソングをスタジオ録音して、日本人社会に大流行させたのだ。

私、本サイトの管理人(過去にドイツ、現在はスペイン在住)は、デュッセルドルフには住んだことはないのだが、会社の支店があるためたまにこの街にお世話になる。この歌のことは、当時在住していた上司らに聞いてはいた。

今回、知り合いより、貴重なそのオリジナル・カセットテープを入手したので、暇をもてあました私が、デジタル変換してカラオケバージョンとして復刻した。この曲は歴史に埋もれさすのは惜しすぎる。このデジタルの時代に今こそドイツファンの我々の中でリバイバル・再ヒットさせるべきであろう。




作者のJUN KOMACHI氏の風刺・ギャグ精神と音楽的才能に最大の敬意を表するものである。

管理人

<<これらの名曲の再ヒットを目指して、本サイトへのリンクを歓迎いたします!>>



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38 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
コメント歓迎 (管理人)
2006-08-07 07:14:48
これらの曲ができたのは1990年。もう16年も昔のことですが、この歌を現役で知っていた方、聞いたことのある方、現在デュッセルドルフ在住の方など、コメントをお待ちしております!



最終目標は作者のJUN KOMACHIさんを引っ張り出すこと・・・(勝手にこんあサイト作ったので御挨拶ぐらいはしないと~)
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Unknown (kirara)
2006-08-14 08:50:58
でゅっせる在住のきららです。すごく面白かったです。素敵な情報をありがとうございます!
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本人です。 (Jun Komachi)
2006-08-21 20:19:45
管理人さま、

今から15年以上前、あの4曲を作った張本人の小町順と申します。

先週、デュッセル駐在時の知人から、このサイトの話を聞き、早速訪問して、いや~実にビックリしました。

本人も忘れていたようなことを、見ず知らずの方がここまでしてくださり、実に有り難いことだと感謝しております。

デュッセルの駐在は89年から92年までの僅か3年間で、「土曜日はインマーマン」を89年の暮れに東京で録音し、残りの3曲は90年の7月にアーヘンでレコーディングしました。

その後、92年にパリに横異動になり、95年から現在に至るまで、11年間香港に駐在しています。

忘れかけていた当時の興奮が蘇り、大変刺激の強い感動を楽しませていただくことが出来ました。

何より、作った当時の狙いなどが、見事なまでに見抜かれていて、それも大きな驚きでした。

おりしも来月、13年ぶりにデュッセル出張を計画していて、先日一時帰国した東京でも、当時の仲間たちと久しぶりに再会を果たし、身の周りが少しデュッセルづいています。

これも何かのご縁でしょうから、機会があれば、管理人さまもその仲間と合流して、しばしドイツ談義を楽しめたらと思っています。

取り急ぎ御礼まで。
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ええええっ!! (管理人)
2006-08-22 01:26:58
小町様



はじめまして。まず勝手に無断でこんなサイト作ったことについてお詫び申し上げます。



もしかしたら、「あれは昔の話で今更持ち出さないでほしい」とか苦情がくるのではないか、と半ば恐れておりました。(^^; ご理解いただきありがとうございます。



それと、このインターネット社会の世の中だから、もしかしたら小町さん本人の耳にいつか入るのでは、とは思ってましたが、まさかこんなに早くとは。。。



私はフランス在住の友人より、昨年オリジナルのテープを入手しました。その時に衝撃を受け、これは!と思い、これは後世に残すべきものだと確信したのです。そして、在DUS経験のある上司に話したら、当時同地のカラオケで歌いまくってた、とのことでした。



しかし、デジタル変換の技術を知らず、しばらく放置し、最近になって、何だ実はすごい簡単なんだ、ということを知り、早速ガーッと作った次第です。



小町さんの意図が的確に読み取れていればよいのですが、大筋では外れてはないだろうとは思っていました。



今、私は偉大な才能を世に送り出すことの一助となれた喜びで一杯でございます。いうなれば、モーニング娘。を世に送り出した、つんくの気分とでもいいましょうか・・・・



では、調子に乗って、次はロケ隊も出して本格的な映像作品にしましょうかね (^^)



今後ともよろしくお願いいたします。











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なつかしい! (DUS男)
2006-08-22 06:32:39
懐かしい名曲に会えて感激です!しかも作者ご本人まで登場とは(^0^)/
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早速の返信を有難うございます。 (Jun Komachi)
2006-08-22 18:31:07
管理人さま。



早速お返事をいただき恐縮です。

化石となった小生の過去に光を当ててくださったことへの御礼と、原作を演出する上での洞察力とセンスの良さに感銘を受けて、昨日のこのこと登場しました。



サイト上でチャットするより、本来はDMでコンタクトしたいところですが、既に「2ちゃんねる」でも話題に上がっているため、メールアドレスの開示は少し抵抗がありますね、お互い。



何かの機会に直接コンタクトが取れることを祈っています。



取り急ぎ。
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とりあえずこちらで (管理人)
2006-08-22 19:03:50
・・・2チャンネルの力怖いですからね。(^^; とりあえずこの場で対話を続けましょう。



あ、じゃあここでインタビュー形式にしましょうか。まずは、あの曲を作ることになった経緯とかを語っていただければ、大変興味深いのですが。切っ掛けは何なのですか?
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お邪魔します (あさぎ)
2006-08-22 21:12:39
89年~91年DUSにおりまして、リアルタイムで

『土曜日はインマーマン』聴いておりました。

周りで大ヒットしていて、またこんな形で聴けるとは。

ご本人のコメントまで読めるとは。



あらためて名曲だなあと感じております。
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はじめまして (ととろ)
2006-08-23 19:03:15
イタリア在住です。こちらの日本人駐在員でも同じような感じで笑えました!
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インタビューですか? (Jun Komachi)
2006-08-23 20:26:36
いきなり本題に入りましたね(笑)。

あの曲を作ることになった経緯ですか。一言では言えないので、少し長くなりますがご説明します。



僕は1960年代に、父の仕事の関係で、パリに6年弱住んだ、いわば元祖帰国子女的な生い立ちを持ちます。



当時日本人学校が存在したかどうかも知らぬまま、当然のごとく現地校に通い、日本人の友達はゼロ。日本語を話す相手は両親だけで、4歳年上の姉ともフランス語で会話していました(余談ながらその姉は、現在大学教授になり、フランス語を教えています)。



89年にドイツ赴任が決まった時、同様の状況を想像し、ドイツ語が話せなかったこともあって、ものすごい覚悟で着任したのですが、実状はご承知の通りで、愕然としました。



バブル真っ只中だったこともあって、度を越したノー天気ぶりに、驚きを超越し、少し怒りのようなものも感じました。



この感覚/感情を何かの形で表現したいと思って、自分に出来る手段の一つだった音楽を選んだ次第です。



実は、ごく一部の人にしか差し上げなかったのですが、「インマーマン物語」という、デュッセルの商社マンを主人公にしたサスペンス小説も書いたんですよ(笑)。



話が前後しますが、何故その歌をわざわざレコーディングして、TDKにスポンサーになっていただき(笑)、テープを配ったか。実はこれには別の理由があるのですが、今日のところはこの辺で。

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