ある醤油メーカーのことである。
そのメーカは、数年前、新聞に逸品と称する醤油を宣伝したことがあった。「国産大豆・小麦・塩」を使って「杉桶で一年寝かせる」「天然醸造」・・・。このような言葉が並んでいる。この広告をみて、私(本ブログの作成者)は呆れてしまった。「いまさら何をいうか」という気持である。
この広告を打ったメ-カ-は、かつて丸大豆を原料とする醤油を醸造していたが、昭和三十年代半ばから脱脂加工大豆と輸入小麦・食品添加物を使うようになった(「速成醸造」)。
なぜ、醸造方法を変えたのか。このほうが、コストダウンできて、利益が多くなるからに他ならない。もっとも、このメーカーに限られず、ほとんどの醤油メーカ-が、こうした「速成醸造」に切り替えたのだが。
このようにして、輸入大豆と小麦という「身土不二」に反する原料を使い、保存料添加、熟成期間の短縮といった「速成醸造」の醤油が登場する。そして、このメーカーは大きく成長してきた。それが、いまや醤油の逸品をつくろうというのである。
醤油とは、本来、無農薬・有機栽培の国産丸大豆だけを原料として、食品添加物を使わず、最低2年間の熟成期間をおくものである。これが、私の言う「本物醤油」とは、こうしたものである。「速成醤油」などは、ニセもの醤油とか、まがいもの醤油としか、他に呼びようもない代物である。
ところで、さきの広告には、原料の大豆・小麦については、無農薬・有機栽培とはいっていない。にもかかわらず、ぬけぬけと、そのような醤油を逸品などと自賛してはばからない。
しかし、そのような醤油は、本物とはいいがたい。
外国産原料を避けているだけ、いくらか「本物醤油」に近づいているといえなくもないが。強いていえば、「本物志向の醤油」とでもいうべきか。その一方で、相変わらず「速成醤油」を大量につくって売っている。ニセものと本物という二本立てを平然と行う。
そもそも、醤油に本物とニセものがあること自体、尋常でない。 醤油に限らず、すべて食物は本物でなければならない。その理由は、簡単明瞭である。私たちは食物の変身したものであるからである。食物は、私たちの生命に変わる。厳密にいえば、食物イコール私たちなのである。
ニセものは、生命をまっとうに養わない。ニセもの食べると、ニセ人間となる。これは、生命に対するボウトクに他ならない。
この生命を養うか否か。この一点に、食物(農産物・農産加工品)と工業製品の違いがある。工業製品は食べられない。生命を養うのは、食物であって工業製品ではない。
ところで、つぎのような本物醤油メーカーがある。
このメーカについては、すでに本ブログでも、本物醤油は「良心の物質化」(2007-05-03)で紹介したことがあるが、いま一度取り上げてみる。
このメーカーは、本物づくりに徹してきた。規模は小さいが、その経営理念と方針には、なるほどと、うなずかせるものがある。
「わたしのところでは、品質を落としてまで利潤を増やしたいとは思いません。品質を落すくらいなら、工場をたたんで廃業します。できる限り品質のよいものをつくるのが、食品製造業の使命です。コストもさることながら、品質が第一です。食品製造業者には、他人様の健康にかかわるという、天与の使命がありますから。ここが他の分野のメ-カ-と違うところです。このような使命に反してまで、コストダウンで儲けなくともいいのです」
この言葉は、商人というよりも職人を感じさせる。 職人かたぎといってよい。醤油メーカーとしての矜持が、本物をつくり続けさせたのであろう。この矜持とは、言い換えれば、良心の現われである。本物醤油は「良心の物質化」である。
いっぽう、利益を求めるため、敢えて偽物でもつくるという商人が多い。品物の高い・安いは、生命に悪影響を及ぼさない。かりに、詐欺まがいのものを買わされても、それは、金銭上の損に過ぎない。だが、食物の質の低下(まがいもの)となれば、それは、買う人の健康・寿命を損なう。これは生命を冒涜する「犯罪」といってよい。