「食べ処・身土不二」(札幌)は、身土不二を日本と世界へ発信する。食堂ならぬ食堂、啓蒙運動の発信地。日本よ、滅びるな!

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キッチンカーは、タブー視される

2007-08-20 10:38:05 | Weblog

 

  前々回(8・15)、前回(8・17)では、先に世界大戦で敗れたわが国の「敗戦と食物と健康の関係」に触れた。     今回は、第3回目である。

  日本の伝統食(米穀菜食)を欧米流の「白パンと肉乳卵食」に代えるのに大きな役割を果たしたのは、キッチンカ-を全国に走らせての一大キャンペーンであった。      

  このキチンカーについては、本ブログ2007・5・7キッチンカ-、伝統食を滅ぼす」で触れたので、詳しくは触れない。ここでは、キチンカーにまつわる不透明な要素に触れておこう。
  
 
キチンカーとは、敗戦後の日本において、「米食追放し、白パンと肉乳卵食を普及する」ために用いられた「官製運動」で使われた車である。

 大型バスを改造して移動調理車をつくって、それに流し、ガスコンロ、冷蔵庫、調理道具、食器、放送設備などが積み込まれた。

 
 
 栄養士・保健婦らは、このキチンカーに乗って全国各地へおもむき、地域住民を集めて「パン食と油食」の野外料理講習を行った。

 
この運動は、大成功をおさめた。
 
ご覧の通り、今日、伝統食である米菜食が衰微し、白パン・肉乳卵食が全盛とはなった。今日の米余り現象も、いってみれば、キッチンカ-に象徴される米菜食追放運動がもたらしたものといえなくもない。
 
 ところで、この車は、アメリカ政府からの資金援助で作られ運営されたことが、意外に知られていない。
 
 
キッチンカーは、その製作費・運行費など、一切がアメリカ政府の援助でなされた。そのことは、栄養士、保健婦、そして国民にも隠されたのである。
 
 
その隠された事情が、鈴木猛夫『アメリカ小麦作戦と日本人の食生活』(藤原書店)には、次のように記されている。

 
 
「アメリカは、キッチンカー十二台を運行させるのに、車の制作費、ガソリン代、食材費、人件費など総額一億数千万円(いまの貨幣価値でならば数十億円か)を(財)日本食生活協会に提供しているが、その資金の出所について、当時の財団の赤谷満子副会長(現会長)は、『ことさら隠そうとしたわけではないのです。けれども、何といいますか、アメリカの資金について触れるのは、協会の中ではタブ-のような空気がありましてね』と語っている」(57ペ-ジ)。
 
  資金の出所がアメリカであることを隠したのは、もしも、それが明らかになれば「運動そのものの信憑性が疑われかねないからである」と前掲書の著者は述べている。

 このブログの筆者は、タブー視する意図がわからない。
 当時の御用学者、政府、(財)日本食生活協会は、欧米の栄養学を信じ、その線で「白パンと油料理」の普及にまい進したはずである。

 
 しかも、当時は、「すべて日本的なものはダメ、アメリカのものは結構」という時代風潮をも考え合わせると、その尖兵となったキッチンカーにかかわる費用を提供してくれたアメリカ政府からの資金提供は、当時の関係者に感謝されこそされ、秘密にする理由はないと思われる。

 
 そのことが国民に向けて公表されても、何ら不思議でないのではなかろうか。にもかかわらず、アメリカ政府からの資金提供はタブーとされた。

 
 何があったのであろうか。前掲書の著者によると、その真相を明かすと、運動への信憑性がなくなることを恐れたというが、はたしてどうか。

  逆に、当時のアメリカ一辺倒の風潮にあっては、真相を明かすことは、歓迎されるとも考えられるのだが・・・。

 ともあれ、真相は明らかでない。しかも、当時の関係者は、今日でも黙して語らずである。沈黙の理由は定かでない。

 
 キッチンカーについては、栄養関係の学校でも教えられていない。

 キッチンカーは、今日の「白パン・肉乳卵食」の氾濫へ導くスタートであった。このような「身土不二の原則」に反する「反日本民衆食」に法律的にお墨付きを与えたのが、「栄養改善法」であったことは、すでに前回(8・15)述べたとおりである。

 この民族の生死にかかわる、食を変えるという世界的に前例のない人体実験の道具でもあったキッチンカーの真相が明らかにされないことは、解せない限りである。<o:p></o:p>

 キッチンカーによるキャンペーンには、つぎのとおり、わが民族を肉体的に消滅させかねない要素が含まれている。

 ①「白パン・肉乳卵食」によって生じる疾病の激増。

 ②伝統食の基盤である日本農業が、輸入農産物によって事実上崩壊したこと(食糧自給率39%)。

 ③こうした「農業の崩壊と日本人の生理に反する食生活は犯罪を産みだす源」となったこと。

 当時の政府の誤った政策、例えば、「栄養改善法」の導入に象徴されるが、その悪法が、「食育基本法」を制定しなければならないほどの食生活の荒廃をもたらしたのである。

  栄養改善法」(1952)に基づく失政が、半世紀後、「食育基本法」(2005)
を産みださざるを得なかったともいえる

 当時、さきの3点にかかわるキチンカーキャンペーンにかかわる政府機関としては、厚生省、農林省、文部省が挙げられる。

 そして、それら政府機関の実働部隊としての役割を果たしたのは、つぎの諸団体であった。(財)日本食生活協会、(財)全国食生活改善協会、(財)日本学校給食会。<o:p

 ところで、先に述べたように、キチンカーは、犯罪的といってもよいほどの害毒を全国へ流すキッカケとなった。

 
このキチンカーにかかわった、当時の役人、そして諸団体の幹部らは、どのように、責任をとるのであろうか。いまさら、責任を取れといわれても、取りようがないであろう。

 

 責任をとるといえば、このブログの筆者は、自決でもって責任をとった、天草地方の鈴木代官を思い起こすのだが。なお、この鈴木代官については、2007-08-08 07「農民を守るために切腹した、江戸時代の公務員」を参照のこと。

 責任を取れといっても、鈴木代官のような自決までは求めない。せめても、当時の関係者であって今日でも生存している者は、己に不都合な真相であろうとも、その知るところを明らかにすべきであろう。それが、責任の取り方である。

 
       
次回は、8月22日(水曜日)

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