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それでも、僕は生きている

人生、波乱万丈。 上を見ても、下を見てもキリがなし。 だったら、真っ直ぐ前を向いて歩いて行こう

移植までの道

2009-12-15 16:03:04 | 日記
11月に無事に移植を行える病院に入院した私は、毎日、毎日の検査をこなす。

耳鼻科、歯科口腔、心エコー、CT、MRI、PET、臨床心理等など。

前処置に入るまでに体の中の悪い所を無くそおって事だ。

ここまでくれば、いよいよ抗がん剤の投与だ。 同時に抗生剤、抗真菌剤も入れて

いく。 12月15現在・・・本日で妹から頂戴した末梢血幹細胞により無事に

移植が終わりました。 今の所、大きく副作用もなく順調に推移しております。

この先、GVHDとの長い長い戦いが始まります。 5年間、何もなければ完治

になります。  新たなる命を授かった今日が私の第二の誕生日です。

見事な復活劇

2009-11-23 21:18:53 | 日記
「最後の部屋」を脱出を私は、ベッドサイドでのリハビリ等で、少しずつですが、

歩くのもなんとかできる様になり、酸素マスクも取れるまで復活しました。

医者もビックリの復活劇です。 9月に入る頃には、一時、自宅に外泊できる様に

なりました。 間質性肺炎は9月の時点でCTに少し影は残る物の呼吸は正常。

そして、再度、移植に向けての治療再開です。

9月中旬より、Ara-C(抗がん剤)&Mitの治療です。 

話は飛びますが、11月まで治療に(副作用)負けずにこれました。

一時退院もでき、体調もバッチリです。  

そんな、ある日、移植のできる病院から順番がまわってきたと連絡が入りました。



そして、現在11月23日現在、移植に向けて検査、検査の毎日です。

私が復活するまで、後、少し・・・・

最後の部屋からの脱出

2009-10-26 13:06:10 | 日記
世間はお盆の大型連休の最中、看護師や妻や医師に対して、部屋の移動を希望して

、やっとの事で、酸素の量も減ったと言う事で、8月17日に大部屋にでれました

  条件は、色々、つきましたけど留置場から出れた気分です。

間質性肺炎も現状維持みたいで酸素マスクも、取れませんが、生きて「最後の部屋

」から出る事ができました。  65kgあった体重も55kgまで一気に、痩せちゃ

いました。 一人で歩く事もできず、車椅子での移動です。

この日は、子供と1ヶ月ぶりに会うこともできたんです。

涙が勝手に出ちゃいました・・・。

「生きてて良かった・・・」 先生、看護師さん、ありがとう・・・。

まだまだ、闘いが残ってます!

「最後の部屋」

2009-10-24 11:01:41 | 日記
この部屋には前回、書いたようにテレビもなけりゃトイレ、洗面もありません。

看護師や先生に言っても、「今は満室で移動できる部屋がない」って答えだ。

どうやら、まだ、危険があるのであろう。 尿道カテーテルにオムツ。

意識があると何とも悲しい格好である。 酸素マスクはまだ10L。

横になると苦しいので、ずっと前かがみに座っている状態。口から入れるものは

ウィダーイン&ポカリだけ。 点滴やら管やらで体が重いっちゅうねん。

ちなみに、この部屋の湿度は80~90%の異常な湿度である。

何べん病院に訴えてもなんにもしてくれない。 

今だから書けるが、この時は、この異常な部屋に精神的にもまいりかけていた。

電気の延長コードで何べんも死ねるかなとかも考えた。

この「最後の部屋」に3週間も居たのである。 違う病気になるっちゅうねん。

大部屋に出て院長が来たから、空調とかおかしいって訴えたら「そうなんですよ!

修理しないといけないんですよ」って平気な顔をして言いやがった時は、思わず

呆れて笑えましたね。  

大きな壁

2009-10-24 09:43:08 | 日記
抗がん剤、投与から10日目あたりから、高熱が・・・。38度以上がずっと続く

。  解熱剤、抗生剤、痛み止め・・・。その繰り返しです。この辺りから、食欲

もなくなり病院食を断る。7月16日~7月31日の日記を読み返すと熱は、ほぼ

、毎日38~40度の熱 白血球が100~300 血小板が2.0 

炎症反応が通常0.30㎎/㎗が 何と24.4ととんでもない数字に・・・。

毎日のように血小板の輸血。 酸素飽和度が88%。 痰に血液も混じる。

素人の私でも、良くないって事がわかる数字だ。  

先生に疑問を投げつけてみる・・・「先生、酸素も少ないし、血痰もあるし、大丈

夫ですか?」 「白血球が低いし熱が高いから仕方ないですね・・・なんでしたら

CT撮りますか?」 私は「お願いします、撮ってくださいよ」

すぐに、撮ってもらい、数時間で結果が・・・。「・・・肺炎になってますね」

って、おいおい、間違いなく医療ミスやろう・・・。  この治療方針って、

他のドクターが聞いたら何て答えるのか聞いてみたいもんだ。

この日から酸素、チューブを入れ、新たなる抗生剤を投与。

抗がん剤の副作用の中に肺炎って書いているのに、聴診器、レントゲン、CTを

用いて予防ってできないものなのかな?

8月2日、酸素チューブ(2L)でも84しかない・・・。4まで上げてもらう。

8月3日  酸素88% 3メートル先の洗面まで行くのに足元はフラフラに。

8月4日  血小板輸血をしてるのに0.2 おかしい? 炎症反応 25。

8月5日 この日からの事は記憶が飛んでいるので、妻や看護師さんに聞いた話

をまとめました。  5日の夕食後、椅子に座りながら酸素マスクを外し、歯磨き

中、酸素不足?肺からの大量出血をして失神。「準無菌室」の個室なので、どれぐ

らい倒れてたのか不明。ベッドで止血剤&輸血の間に、管が抜けてしまい、ベッド

の上が血だらけに・・・。 ナースステーション横の無菌室に移動させられ、この

部屋で意識が何とか戻る。 この時点で1日、たってるのかな。が、この部屋でも

肺から吐血、酸欠による再度、意識を失う。  次に気づいたのは、ICUの横に

ある、観察室。 テレビも無い、トイレもない何もない部屋でした。

妻が簡易ベッドで横にいました。 胸には心電図を無線で飛ばす装置。酸素マスク

は10リットルの勢い。 そう、「最後の」部屋みたいな所でした。

妻は先生に呼吸器の説明やら、この2~3日が山場だとかの説明を受けてたみたい

です。おいおい、そう簡単に私は死にませんよ~!  復活しますよ。

私が目覚めて、妻に言った第一声は、「ホールインワン3回したで!」らしいです。

妻は、この時、「もう、あかんって」思ったらしいです。

酸欠で脳にきたと思ったらしいです。 主治医の先生には「アダルトビデオのスイ

ッチを切ってくれ」って言ったらしいです。 今は笑い話になりますが、その時の

病室は氷ついたみたいです(笑) 

大きな壁は取り合えず越えれたみたいです!