5年ほど前に農家を目指していました。
どうしたら農家になれるか? をたずねましたら、3反以上の農地を確保することが前提だと教えられて近所に住む元農協職員で今も農業のとりまとめをされている方に相談しました。
とたんに「農業とはソンな簡単なものでは有りません。農業の勉強をしてから言え!」と言うようなお叱りを受けました。
ムカつきました。「そんな難しいものなら今の農家に出来ないはずだ!」
確かにこの集落は総て兼業農家と言うより稲作以外は総て自家使用分だけしか畑は作っていません。それも最近畑を始めた人が居るくらいです。大根一本も市場に出してはいません。休耕田はありますが。
私の家の前は田んぼですから、この集落のどの農家より毎日田んぼを見て暮らしています。
最近のこの辺りの稲作は水の見回り以外みな外注です、春先になるとブルトーザーが入って田んぼを整えます。
田植え時期になると苗まで外注のものを田植機で植えてもらいます。時々外注先の社員らしき人と農家の何人かが立ち会いで調査しているのが見えます。
突然早朝からヘリコプターの爆音がします。それにしても少し爆音が小さいな!と感じて外を見ますとラジコンヘリを操作する人が見えます。この集落の田んぼ全体に農薬を撒いているのです。
不思議にこの田んぼは雑草が生えません。電柵は張ってますが以前のようにイノシシも入りません。
収穫時も稲刈り機が入って実った田んぼから順番に稲刈り、と言うより米だけを摘んで藁はぶつ切りにして田んぼにまかれてしまっています。もはや稲刈り風景と言うようものでは有りません。
稲作では田んぼを持っている人は地主でしか有りません。早い話しが、戦前の不在地主と変わりがないのです。
水呑百姓が農協関係か?外注業者に代わっただけです。何にも農家がする必要がないのです。と言えば、農家が怒ります。唯一農家がやっている仕事が有ります。毎日の水の見回りです。これも総ての農家がやっているわけでは有りません。当番か?一人の人が見回っているだけです。
雨が降れば、川からの水門を閉めます。雨が続くようなら下の水門を開き水を抜き、田んぼに水が溜まらないようにします。「田んぼは天然のダムだ」なんて農協やその御用学者などが言っていたことがありましたね。
雨に関しては田んぼはコンクリートで覆われた都会と変わらないのです。田んぼの底は粘土質で水はあまり浸透しません。浸透するれば水が抜けてしまい、田んぼの役目は果たさなくなってしまいます。畑では無いのです水田は。
田んぼさえ持っていれば農家なのです。このあたりは、農家特権を受けられる。農家は優遇されすぎています。自民党も民主党もこの農家の票を国民の税金で買ってきたのです。
日本国民は高い税を払って、そのうえ、高い農産物を買っています。
だから、国民は農産物に関してはもう一度考え直してみるべきと思います。
職業の自由が保障されている日本国で、特権が、生まれたときから補償されているのでは農業の合理化を進めることの障害になるのです。
食は生きて行く上では一番大切なものです。その食を総て国にその農業政策に丸投げしていては安心して暮らすことは出来ません。
農家は日本の国民の食料生産に関わる大切な職業です。だからもっと職業意識に目覚めてほしいと思います。
都会生活者にとって戦中戦後の食料不足の時の農家の思い上がりは今思い出しても醜いものでした。
将来、来るであろう世界的な食料不足は今の日本政府と農協関係者では解決できません。しかし、日本国民は生きて行かなければなりません。
戦中戦後の食料不足の時にどうして食べ物を確保してきたか?
その時を経験してきた我々年寄りが今、記憶を思い起こし、残して行くべきだと思います。
来春から始める予定の「鎮守の杜の学校」で参加してくれる若い家族と共に試みて行きたいと考えています。