フライフィッシングをしていると大物のヤマメや大物のスティールヘッドなどを追い求めるフライマンの姿がフライフィッシングの雑誌やブログでよく見受けられる。
人はなぜ大物を追い求めるのか。俺自身も大物にかける思いが全くないわけではない。しかし、俺は「オイカワが釣れてありがたい」と満足する心は決して失ってはいない。
幸福論の世界では「なぜ金や物質的な豊かさでは幸福が得られないのか」という命題に対する答えの仮説が提唱されている。「金や物質的な豊かさでは幸福が得られない」ことは前提としてあり、それはなぜかということである。
ひとつは順応水準原理で説明される。年収1000万の生活を始めた頃は裕福感から幸福に感じる時期があるがすぐに慣れてそれが当たり前となりやがて幸福感は薄れてくる、という理由である。
あとひとつは相対的剥奪原理で説明している。自分が年収1000万でも自分の周りの人々がみんな2000万ならあまり幸福感は得られないが、自分が年収400万でも自分の周りの人々がみんな200万なら幸福感が生じる、という理由である。
見事に当たってるな、と思う。
これをフライフィッシングに当てはめてみる。
順応水準原理によると、最初は10cmのオイカワでも満足していたのが、15cmのニジマス、25cmのヤマメ、40cmのヤマメと釣果が伸びていくうちに、もはや10cmのオイカワでは満足できなくなってしまうのである。
相対的剥奪原理によると、ひとりでオイカワ釣りを楽しんでいた頃は4cmのメダカと見紛うオイカワでも満足できていたが、釣り仲間が増えて仲間から大物釣りの話を聞くに釣れて4cmのオイカワでは満足できなくなってしまうのである。
俺は俺が初めてフライフィッシングで釣り上げたフライフィッシングの原点であるオイカワ釣りをいつまでも楽しめるままの自分でありたい。
そういう意味で放送大学でたまたま幸福感の話を聞けたのは幸いだった。
人はなぜ大物を追い求めるのか。俺自身も大物にかける思いが全くないわけではない。しかし、俺は「オイカワが釣れてありがたい」と満足する心は決して失ってはいない。
幸福論の世界では「なぜ金や物質的な豊かさでは幸福が得られないのか」という命題に対する答えの仮説が提唱されている。「金や物質的な豊かさでは幸福が得られない」ことは前提としてあり、それはなぜかということである。
ひとつは順応水準原理で説明される。年収1000万の生活を始めた頃は裕福感から幸福に感じる時期があるがすぐに慣れてそれが当たり前となりやがて幸福感は薄れてくる、という理由である。
あとひとつは相対的剥奪原理で説明している。自分が年収1000万でも自分の周りの人々がみんな2000万ならあまり幸福感は得られないが、自分が年収400万でも自分の周りの人々がみんな200万なら幸福感が生じる、という理由である。
見事に当たってるな、と思う。
これをフライフィッシングに当てはめてみる。
順応水準原理によると、最初は10cmのオイカワでも満足していたのが、15cmのニジマス、25cmのヤマメ、40cmのヤマメと釣果が伸びていくうちに、もはや10cmのオイカワでは満足できなくなってしまうのである。
相対的剥奪原理によると、ひとりでオイカワ釣りを楽しんでいた頃は4cmのメダカと見紛うオイカワでも満足できていたが、釣り仲間が増えて仲間から大物釣りの話を聞くに釣れて4cmのオイカワでは満足できなくなってしまうのである。
俺は俺が初めてフライフィッシングで釣り上げたフライフィッシングの原点であるオイカワ釣りをいつまでも楽しめるままの自分でありたい。
そういう意味で放送大学でたまたま幸福感の話を聞けたのは幸いだった。
深すぎます!
釣りに関して言えば、私は(男)は馬鹿だから大きさにこだわるのだと思ってました。爆
大物釣りを追い求めるもの一興ですが、小物釣りでも満足できる俺のままでいたいです