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(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

スマイル(三洋、デジパチ)

2014-03-12 15:55:43 | 現金機デジパチ

1990年(平成2年)に三洋から登場した旧要件デジパチ「スマイル」

 

三洋は、1989年(平成元年)~1990年(平成2年)の旧要件後期~末期、当時流行りの「ドットデジパチ」を立て続けに登場させた(エクセル、イーグル、キャプテン、マンモス、コスモII、シャトルIIなど)。

本機も、その流れの中で1990年夏に登場したドット機だ。同年「デビュー」の私にとって、特に記憶に残る台の1つである。

 

三洋ドットデジパチの流れは、新要件期に入っても続き、1991年(平成3年)には「ビッグスター」や「メタルバード7」、そして「ハロウィン」といった香ばしいドット機が相次いでデビューした。平成4年以降も、数はやや減ったがドット機の流れは続いた。

この「トレンド」を大きく変えたきっかけが、平和から1991年秋に出た「麻雀物語」であることは、言うまでもない。三洋も同機の大ヒットに影響されて、新たに「ブルーハワイ」や「アメリカンドリーム」といった液晶デジパチを生産、その強力な連チャン性も相まって、共に好評を得た。


(古き良き時代) 

ホールで「スマイル」の前に陣取り、文字通りスマイルする若い女性達。台自体も懐かしいが、頭上の呼び出しランプ台間玉貸機(千円札対応の金色のヤツ…初期型でお釣り機能がなく、千円分まとめて玉で出て来る豪快さが素敵だったw)にも郷愁を覚える。女性の髪型や眉毛、ファッションにも、やはり時代を感じる。


 

(スペック)

タテ9×ヨコ18の赤色ドットマトリクス表示使用

★賞球…7&13

★図柄…0~9、¥、インベーダー、傘、果物、音符、ハート(全16種類)

★大当り…各図柄の3つ揃いと、「776」「778」の前後賞(計18通り)

★大当り確率…1/215(メーカー発表値)
※表示上の確率は18/4096=約1/227.5だが、メーカー発表値はそれよりも甘い。

★デジタル停止順…左⇒中⇒右

★大当り時、最大10ラウンド継続

★アタッカー開放時間…約21秒

★出玉…1800~2900個(おまけチャッカーの調整次第)

★連チャン性…数珠連チャンした記憶が多いが、「意図的な連チャン性なし」とされる。


(クルーン)

本機はデジタル手前に「三つ穴クルーン」を有するのが特徴で、いわばワープルートの要領で、クルーン内の玉をヘソチャッカーに導いた。

もちろん、クルーンを介さない通常のヘソチャッカー入賞ルートもあるので、本機はチャッカー入賞のチャンスが多い(ように感じた)。

因みに、デジタル両脇にある「肩チャッカー」も、一応スタートチャッカーになっている。ただ、コチラはゲージ構成上、あまり入賞率が良くない。

なお、下段アタッカー両脇には、大当り時の出玉を増やす「オマケチャッカー」があるが、本機のオマケはスタートチャッカーではなく、単なる13個戻しチャッカーである。

 

デジタル始動にクルーンを絡めたタイプだと、すでにアレパチ「シャトル21」(藤商事)などが知られていたが、シャトル21の場合、クルーンの穴(奥2つ)自体がスタートチャッカーになっていた。

一方、本機のクルーンはヘソチャッカーへの入賞をサポート(誘導)する機能にとどまる。とはいえ、「クルーン付きデジパチ」自体が、当時としては斬新なアイディアだった。本機に続き、マルホンの「ロータリーセブン」(1990年末登場)もクルーンを搭載した。

但し、本機は「三つ穴クルーン」とはいっても、スーパーコンビやシャトル21のように、「手前穴が一つ、奥の穴が二つ」のオーソドックスな穴の配置ではない。本機のクルーンは「手前2つ、奥1つ」で、コンビタイプとは真逆の構造である。

デジタル両サイドの入賞口を通った玉は、デジタル前のクルーンを回って、3つの穴の何れかに入り、「CHANCE」と書かれた下段ステージに落ちる。クルーンから下段に落ちた玉は、そのまま手前に転がり、ヘソのスタートチャッカーを目指す。

ただ、下段ステージの手前中央には二つの「突起」があり、この突起の間を通った玉だけが、ヘソチャッカーへと向かう。下段ステージに乗った玉の多くは、左右の突起に弾かれてヘソを外してしまうのだ。突起の間をうまく通過しても、ヘソの命釘が狭ければ、チャッカーに入らない場合もあった。クルーンに入賞した玉がヘソに入る確率は、それ程高い訳ではなかった。

それでも、クルーン自体には玉が飛び込みやすいゲージ構成で、本機のクルーンは「下手な鉄砲、数うちゃ当る」的な存在ともいえた。しかし、台の「ネカセ」でクルーンからのチャッカー入賞率も変わり、デジタル両脇の入賞口付近を締めれば、クルーンに飛び込む確率も一気に低下する。各台ごとに、クルーンの「貢献度」には大きな差があった。

 


 

(アタッカーの男)


(アタッカー閉鎖時)

 

(アタッカー開放時)

 

盤面下部には、髪の毛をツンツンおっ立てた、派手な男の顔がある。この男、異様に長い両手で「SMILE」と書かれたプレートを頭上(デジタル上部)にかざしている。

口元からは笑顔と判るが、アタッカー部分がちょうど男の「目」の位置にある。アタッカー閉鎖時はサングラスをかけており、表情全体を確認することは出来ない。

一方、大当りしてアタッカーが開くと、内部のVゾーン両脇に目が描かれていて、男の表情がガラリと変わる。

機種名にちなんで目元は笑顔だが、片目だけが「ニンマリ」と開いた状態で、少々不気味な感じもした。「ウィンク」で微笑んでいるとはいえ、かなり怪しい。

ただ、これも「大当り時」のみ見る事ができる「レア顔」なので、この変な顔を拝むべく、懸命にデジタルを回していた事を思い出す。

アタッカーの開閉を利用したコミカルなカラクリだが、三洋開発者のユニークな着眼点には、あらためて拍手を送りたい。

 


 

(リーチアクション)

デジタル図柄が左⇒中とテンパイすると、右デジタルがスクロールを開始する。当時の三洋のドットデジタルというと、「0~9の数字の後に絵柄」といった規則配列ではなく、各数字の間に絵柄がバラバラと挟まったものが多かった。本機の場合も、やはり不規則配列だったと記憶する。

リーチ時のアクションは大別して3つで、(1)右デジがしばらく変動して停止する「通常」パターン、(2)リーチが掛かると即座に停止する「ビタ止まり」パターン、そして(3)右デジが一旦ハズれた後、再び変動を開始してさらに数コマ進む「再始動」パターンである。

中でも(3)の再始動パターンは当時としては珍しいアクションだった。その割にリーチ時の出現頻度は高かったが、再始動しても普通にハズレまくった。

三洋は、このリーチ再始動アクションを「デジタルチャンス」と呼んでいた。攻略誌によっては、「ダブルリーチ」と命名したものもある。いずれにせよ、1回のリーチで2度おいしい、「グリコ」のようなリーチだったのは事実だ(あくまで「外見上」だが…)。

それから、左・中で「7・7」の数字がテンパイした時は、三洋お得意の「前後賞」である「776」「778」でも大当りとなるので、期待感は倍増した。

コスモII(パニックコスモ)は、「3~7」の5種類の数字に前後賞があるが、本機は「7」の1図柄のみ前後賞付きと少ない。ただ、前後賞のある7のリーチが再始動すれば、期待はさらに強まる。それだけに、7リーチには何か特別な「重み」を感じた。

因みに、大当りした瞬間は、「来た!パニック」のような祝福メッセージが、デカデカとデジタルに表示されたと記憶する。ただ、この時の文面をハッキリ思い出せないのが悔しい。やはり、実機との「再会」を待つしかないであろう。


 

(当時の設置店)

90年当時の三洋デジパチだと、私はこの「スマイル」と「コスモII」(パニックコスモ)の2台が、特にお気に入りだった(ハネモノでは「スタジアム」や「ファンシー」それに「ノックアウトI」が好きだった)。

馴染みの店でこの2機種を見かけると、ほぼ条件反射的に座っていた事を思い出す。三洋独特のドットデジタルが3つ揃いになった時の快感が、他機種より強かったのかもしれない。

「コスモII」には、明確な保留玉での連チャン性があったが、「スマイル」に意図的な連チャンがあったという解析情報は持っていない(現在、資料を捜索中)。

一応は「ノーマル機」という扱いだったが、実戦時を振り返ると、大当り後の30回転以内に再び大当りした経験も多く、ひょっとして「数珠連チャン機」ではなかったか、という気もする。

まぁ、元の確率が1/215と甘いので、自力連チャンの可能性も大いにあるのだが…。

それでも、本機で1回大当りしたら、出玉交換後に追加の1000円を入れて数珠連チャンを狙うのが、個人的な「流儀」になっていた(そういえば、西陣「ファンキーセブン」でも、同じことをやっていた記憶が)。当然、大当り後に即ヤメした台があれば、とりあえず1000円分は追っかけてみる。これで、意外と「ハイエナ」が決まったりしたのだ。この時期は、デジタルの回転数表示など無い店がほとんどだったので(当りがくる度に、店員が頭上の赤い札をめくって回数表示する店もあった)、シマの状況を常に観察する「注意力」「記憶力」が求められた。

まぁ、連チャン性の有無を度外視しても、「この図柄を揃えたい!」と本能的に感じさせる不思議な魅力が、本機のデジタルには備わっていたように思う。インベーダーやハートなど、荒めのドットデザインがなんだか昭和っぽくて好きだった。

 

当時、スマイルの設置店は割と多く、繁華街のパチ屋密集地帯をハシゴすれば、とりあえず1軒は見かける、という感じだった。

個人的な実戦店を挙げると、新宿・歌舞伎町の「金時」、新宿・中央東口「メトロ」、小田急・下北沢駅沿いの「下北レジャー」、四ツ谷三丁目「ザ・リボン」、大塚駅前「ヒロキ」「ひょうたん島」など、本機の設置店がいくつも浮かぶ。

こうして当時のホール名を挙げると、その頃の生活スタイルも一緒に思い出すから面白い。

新宿で途中下車して午前の講義をサボり、昼前の寂れた歌舞伎町をのんびり徘徊する。「兄さん、どうですか」のポン引きの誘いを巧みにかわして、風俗店が並ぶ裏路地(仲見世通り)沿いの「金時」で勝負と決め込む。歌舞伎町で飽き足らない時は、靖国通りを渡って駅近辺に戻り、中央東口の「メトロ」で再勝負する、という具合だ。

真面目に講義に出た日でも、午後になると無性にパチ屋が恋しくなる。すぐ近くに「みよし」「三光堂」と2軒のパチ屋があったが、新鮮味に欠けるので、都電荒川線に乗って大塚駅まで「プチ遠征」する。当時の大塚には、「タイガー」「ヒロキ」「ひょうたん島」「ニューカワイ」「大塚センター」「ロビー」と6軒の店があり、どこも釘(設定)はシブ目だが換金率は高く、一発当てれば財布の中身も倍増…と期待を膨らませた(返り討ちに合う事も多かったが…)。

学校終りにバイトがある日は、正門前から渋谷行きのバスに乗り、バイト先の四ツ谷三丁目に向かう。バス停留所を降りて、丸の内線の駅入口まで来ると、地上階段そばに「ザ・リボン」という店がある。このホールと、交差点を渡った先のパチ屋「タイガー」は、バイトの時間が来るまでの暇つぶしに重宝した。ザ・リボンではスロの「スーパーウィンクル」(高砂)、タイガーでは1Fでデジパチ「フィーバーボルテックスII」(三共)もよく打った。午後9時にバイトが終わると、帰宅途中に例の新宿「メトロ」で閉店勝負をしたり、スタジオアルタ裏のパチ屋「モナコ」1Fで、太陽電子のアレパチ「ワイワイワイ2」に座り、マグレの一発(4000発終了)を狙ったりした。

下北沢駅の「下北レジャー」は、学校に向かう車中でサボリを決意した時の「御用達」ホールだ(もっと手前の向ヶ丘遊園辺りで下車する機会も多かったが…)。1Fで「スマイル」と対峙したり、地下スロットシマで、どノーマルの「ドリームセブン」(高砂3-1号機)に興じたりと、色々と楽しんだ。近くの踏切を渡った先には「ワールド」というパチ屋もあり、コチラの1Fで三共のハネモノ「エンタープライズI」を打つのも好きだった。

まぁ、「生活スタイル」とはいっても、当時は高確率でどこかのパチ屋に生息する、典型的なダメ学生であった。やたらと首都圏内を移動していた割には、あまりパッとしない(笑)。



1 コメント

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Unknown (獣)
2014-03-13 09:15:04
懐かしいですね。管理者さんの当時の行動が、自分にも当てはまるような感じで、若いころの自分の気持ちがよみがえってきました^^

台枠の内側というのでしょうか、レール外側の電飾部分、ここを見るとだいたいの世代が見えてきますね。このsmileあたりだとだいぶ洗練されてきているので、私の中では新しめの部類に入りますね・・個人的には緑が払い出し、赤が打ち止めっていう時代のものが好みです。

女性のお化粧、髪型、ファッションも、こんなにも古臭く感じるものですね。今ははこのように袖下(脇~ひじ部分)が太いデザインなんて無いですからねぇ。