まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

Youtube 90年代動画紹介(5)

2015-04-24 22:59:55 | Youtube90年代動画紹介

Youtube 90年代動画紹介(5)

次第に定番となりつつある、神動画投稿主ライルさん(Mr.Lyle Hiroshi Saxon)の貴重なyoutube90年代動画を楽しむコーナー。

今回は、こちらの映像を取り上げる。

https://www.youtube.com/watch?v=HJnl-ezusIs


1990年(平成2年)5月
、東京「高田馬場駅」界隈をとらえた動画。

個人的には、ある種特別な「郷愁」を感じる映像だ。

何故なら、私が「パチ道」に足を踏み入れた最初の契機が、まさに「1990年(4月)の高田馬場」だったからである。

同年4月、大学に通い始めた私は、サークル新歓コンパの帰り、駅近くの早稲田通りで営業していた「ダイナム高田馬場」(閉店)というパチ屋に、友人(同じ高校から進学)と足を踏み入れた。


(在りし日の馬場ダイナム)

キツイ受験勉強から開放された反動で、ぜひ「パチンコ」という大人の遊びを、本格体験したいと思ったのだ。これが、私の実質的なパチデビューとなる。

(なお、パチ屋に足を踏み入れたのは、これが最初ではない。小学生時分、パチ好きだった少年野球のF監督に連れられて、地元のホールで落ちている玉や小銭を拾った事はある。この時期、駄菓子屋パチンコ「ピンポンパン」も好きだった(→パチ好きの下地ができていた?)。また、高校の時、クラス一の遊び人である友人K(→薄っぺらい学生鞄に、パチの攻略誌だけ入れていた)と、通学途中に見かけたパチ屋の新装に、一度だけ付き合いで入った。まぁ、自分は店内を一回りするとすぐ外に出て、Kの学生服と鞄を持ったまま、遊び終わるのを待っていたが…(新装にしては釘がイマイチだったらしく、Kも10分足らずで出てきた)。)


馬場ダイナムで、「パチンコど素人」だった私が、見よう見まねで玉を弾いたら、ビギナーズラックという奴で6000円も勝ってしまった。よっぽどの甘釘台に座ったのだろう。その帰り、立ち食いで啜った只の「かけそば」が、勝利の余韻も手伝ってやたらと美味かった。

もちろんその時は、打った機種の名前すら知らなかったが、やがて三共の旧要件ハネモノ「エンタープライズI」と知る。私にとっては、生涯忘れる事のできない、思い出深き台である。


(三共、エンタープライズI)1990年(平成2年)登場。半回転するS字状のハネと、銀色の空母「エンタープライズ」のヤクモノが特徴。サウンドも豪快・派手で楽しかった。


これがきっかけでパチの魅力にとりつかれた私は、授業終りに馬場駅前まで出向いては、近くのパチ屋・スロ屋に出入りするようになった(次第に「活動エリア」を新宿・渋谷・向ヶ丘遊園…と拡げる)。翌年になると、授業をサボって丸一日ホールにいる事も珍しくなくなったが…。

また、受験勉強の反動はパチのみに留まらず、大学や駅の周りに点在した「ゲーセン」の類も、格好の遊び場となった。テトリス、脱衣麻雀(明石家さんまに似たキャラが、「~ざんす」といって牌交換券のアイテムをくれる奴※など)、クイズ(「ゆうゆのクイズにGOGO」が好きだった)、それに定番のスト2など、入学直後にハマったアーケードゲームは多い。
※タイトルが「麻雀ファンクラブ アイドル最前線」(ビデオシステム)と判明。その他、「麻雀狂時代」(サンリツ)、スーパー麻雀マル禁版(YUGA)なんかもよくやった。

さらに、この時期はクラスコンパやサークルの飲み会も多く、その会場は、たいてい馬場駅近くの居酒屋と相場が決まっていた。

そんな感じで、動画の撮影時期である「1990年5月」は、ピカピカの新入生(←死語)だった私が、ワクワクしながら馬場の「プレイスポット」を開拓していた頃だ。それ故に、この映像に対する思い入れも非常に大きい。


では、前置きはこれ位にして…さっそく動画をお楽しみ下さい。

なお、以下のリストは、個人的に特にグッときたシーンを、幾つかピックアップしたもの。



冒頭・・・JR山手線・高田馬場駅ホーム。西武線のガード越しに見える屋上看板も懐かしい。日拓、清酒大関、フロムエー、デリッシュカレー。駅前の見慣れた光景。
0:07・・・「パチスロ白鳥会館」の赤い看板
0:10~…駅前「BIGBOX」が映る。私の中では、ビル外壁の赤いデザインのまま脳内が止まっていたが、現状をググッて確認した所、いつの間にか青い外壁デザインに変わっていた(汗)。
0:23・・・自動化前の改札。当然、駅員がハサミをカチャカチャ鳴らして切符を切っていた。
0:42・・・駅前の学バス乗り場。日常的に利用していたので、何とも懐かしい。
0:52・・・名物レコード店「ムトウ」の看板(名店ビル2Fの方)。ここで、よくジャケ漁りをした。
1:00・・・「ムトウ」に上がるエスカレーター
1:11・・・(やや不鮮明だが)今川焼屋の脇にあったゲーセン(「50円」看板が目印)のネオン
1:57・・・早稲田通りの名物喫茶店(コーヒーショップ)「ユタ(UTAH)」の看板
2:09・・・早稲田通りのゲーセン「ビクトリア」店内(テトリスと麻雀ゲームをよくやった)
2:43・・・学生ローン「フレンド」の看板(別に利用した訳ではないが、徒歩で通学中、必ず目に入った。他にも早稲田通りには学生ローンの看板がやたら多かった。現状は知らない)
2:45・・・日拓本店(地上フロア)の店内。ドリームXの音が懐かしい。スロはセンチュリー21。ちなみに、地下はパッキーカード専用フロアだった。
3:10・・・居酒屋「寿限無」の看板(コンパの定番会場、その1)
3:20~・・・早稲田通り「未来堂書店」(菊月ビル1F)
3:33~・・・早稲田通り「ムトウ」(菊月ビル1Fの方)(コチラは当時、CD、カセット、ビデオ中心)
3:55・・・駅前交差点のパン屋「ムッタローサ」の店内(一瞬)
3:59・・・駅前交差点のファーストフード「ファーストキッチン」の看板
4:02・・・駅前のビルに入っていた映画館「東映パラス」の入口看板
4:07・・・ファーストキッチン店内
4:19~・・・駅前のパチ屋「国際センター」店内。板張りの床が懐かしい。4:32では、赤い小箱の玉を上皿に流し入れる客。スロはアニマル一色(「G」だったかも)。なお、映像にはないが、裏路地を入った民家風の換金所も、通路に飛び石が敷いてあるなど、妙に「風情」があった。
4:52・・・ガード下の写真屋(ブース)の白髪オヤジ
5:18・・・割烹「海乃家」の看板(コンパの定番会場、その2)
5:59・・・パチスロ「白鳥会館」と、向かいのパチ屋「コスモ」
6:07~・・・さかえ通りのアニマル(「G」ではない)設置店「日拓ビッグプレイ」。通りに聞こえるポコポコ、キューンキューンの音が名物だった。2フロアで、階段上に小さな景品カウンター。3Fが学生ローン「アミーゴ」(使った事はない)。左隣が牛めし「松屋」、その左が居酒屋「清瀧」→コンパの定番会場、その3。さらに左隣が、ファミコンショップ「マリオ」)
6:45~・・・さかえ通りのゲーセン「WE’LL TALK TAITO(ウィルトーク・タイトー)」(現在は「タイトーステーション」)。ここもよく入った。6:57からゲーム遊戯中の客を撮影。これは当時流行った疑似3Dシューティングゲーム「ナイトストライカー」(TAITO)。同じさかえ通り沿いには、「ゲームファンタジア」(後に跡地は「アドスロ高田馬場」になるもクローズ)もあった。
7:43・・・画面左に、さかえ通りの喫茶店「ルノアール」(馬場周辺には何軒かあった)の看板
8:17・・・さかえ通りの「パチンコUSA」はまだ無く、「せいわ」のビルが建っていた。
8:18・・・通りに置かれた赤電話(公衆電話)も懐かしい。
8:37・・・さかえ通りのラーメン屋「茶居名ハウス」の看板
8:44・・・さかえ通りの純喫茶「プランタン」の店頭
10:01・・・再び「ビッグプレイ」の前を通過。やはり、アニマルの「キュンポコ音」が通りに響く。
10:23・・・駅ガード下にあった小さなカレー&焼きそばスタンド「ポニー」。安くて早くて重宝した。
11:06~・・・東西線・高田馬場駅の連絡階段→切符売り場→改札→ホーム→東西線車内。たった1駅の移動だが、いつもお世話になった。


ビッグプレイ名物だったアニマル。当時は「アニマルG」への改修が進んでいたが、ここはバリバリ連チャンする普通(笑)のアニマルだった。なお、国際センターのアニマルが、この時期「G」だったは失念。


※映像を隅から隅まで見たが、当時の自分の姿は確認できず。ライル動画には、新宿・馬場界隈の映像が多いので、「ウォーリーを探せ」のノリで、いつの日か見つけたい(笑)。


(参考) 平成初期(1991年)・高田馬場駅周辺のパチンコ店マップ




日拓(併設)、国際センター(併設)、コスモ(併設)、白鳥会館(スロ※)、日拓ビッグプレイ(スロ)、日拓ビッグポット(スロ)、ダイナム(併設)、日拓EO(併設)、東陽会館(併設)

手元の資料によれば、1989年末まで白鳥会館はパチ屋だったが、客が飛んで閉店後、スロ専としてリニューアル。なので、私にとっては、パチ屋時代の白鳥会館は、ある意味「伝説」である。


★★追記★★(2015.4.26)
くりくりさん、コメント有難うございます。コスモのハンター、ご存知でしたか。私も、あそこの地下フロアで、裏ハンターをよく打っていました。コチラの過去記事でも取り上げてますので、よろしかったらお読みください。「高田馬場C店」となっていますが、コスモの事です)。
http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/c8bd0aef0dd8327732b55ef2d869b0e1



4 コメント

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Unknown (くりくり)
2015-04-26 19:35:03
いつも楽しく拝読させていただいております。
高田馬場は92年から4年間私が葛西に住んでいた際
新宿に行く際に乗り換え駅として利用していたため、途中下車してスロったりもしていました。
私はグレハンよりタダハンのBIGREG集中混在連チャンが好きでしたが設置店は希少でした。
池袋西口出てすぐのお店と馬場のコスモに設置してあったと記憶しています。
アニマルが打ちたくなったら、池袋ロサ会館か栄通りの日拓系のお店に行っていたように思います。

話は変わりますが先日、上野某店にてサファリラリーREG→BIG変換を生まれて初めて成功させいたく感動しました。
また、ブログでアニマル系もしくはオスカー系パチスロのお話をアップしてくださると嬉しいです。

最後になりましたが90年代の貴重な映像のご紹介ありがとうございました。
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Unknown (焼きそば)
2015-04-26 23:47:44
私も1990年、ビギナーズラックで勝ったパチンコがきっかけでハマりました。
私は九州人。現在は仕事で高田馬場を含む東京に赴くことはありますが、当時をリアルに知る者ではありません。

が、20年以上前の映像なのに、見る限りは基本的な街の雰囲気は変わっていない気がしました。(細かく見れば違いは多いんでしょうけど・・・)
が。気づいたこと諸々・・・

①ほとんどの人が前を向いて歩いている(今はスマホで下向いて歩いている人が多いですよね)
②ゲームセンター!!確かに当時はビデオゲームが主流だったですね、脱衣麻雀とか懐かしいです。
③駅が自動改札ではない。(地元は現在も駅員が立っていますが、自動改札ではない東京の映像は、ある意味衝撃です)
④やっぱりパチ屋の雰囲気・・・やっぱこの当時はいいですね~・・・通路が狭く、まだ“アミューズメントパーク”ではないこの時代が最高です。
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Unknown (ザリガニ)
2015-04-27 20:06:39
この頃のパチスロ必勝ガイドのライターが出版社が近いためよく高田馬場近辺で打っていましたね。
「今日もいつものように高田馬場のボッタクで・・・」などと
日拓をボッタクと表現してたのですが、ある日突然ボッタク表記はなくなりましたね。まークレームなんでしょうけどw
この頃のパチンコ雑誌はメーカーやホールにダメージが及ぶような攻略法でも平気で記事にしていましたね。
今では機種のカタログみたいな紹介記事ばっかりですがw
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Unknown (Unknown)
2015-05-04 20:11:46
高田馬場って今と昔を比べてもそんなに変化無いですね。
老舗のパチンコ屋(日拓、東陽、国際センター)が今も変わらず現役なのが特徴的です。
パチ屋の変化が一番少ない街?
閉店したパチ屋はBBステーション(旧USA)、日拓のスロ専2件、ダイナム、白鳥くらい。

それにしても昔のパチンコ屋はそれなりに出したりしたもんだが、白鳥だけは一切出さなかったなぁ。
ボッタクって語感がいいだけで実際は出したんだよなぁ。

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