1993年(平成5年)に高尾から登場した新要件デジパチ「ハッピーカクテル」
★賞球…7&15
★大当り確率…1/240
★16ラウンド機
★平均出玉…2300個
★図柄…0~9、グラス(1)、グラス(2)、ジョッキ、苺、チェリー(計15種類)
★天下ワープゾーン搭載
★小デジタルの確変機能搭載
・全15図柄中、「1、3、5、7、9」の奇数で当ると確変突入(「0、2、4、6、8」の偶数当りで終了)
→突入率1/3、継続率2/3
・確変突入後は、小デジタル確率が10/100→99/100にアップ
(確変表示→メインデジタル上のランプ点滅でお知らせ)
・ヘソ両脇の「PASS」チャッカー通過で、メインデジタル下の小デジ変動。「77」で小デジ当選。
・電チュー開放時間は3秒。但し、元ゲージが悪く、電チューの拾いはかなり悪い。
(確変中の玉減りは当たり前、途中で玉が尽きて買い足す事も…)
・確変中、メイン確率のアップはなかった模様(→調査継続中)
★通常図柄、確変図柄を問わず、保留玉での強力な連チャン性アリ(保連率…20%程度?)
→但し、連チャンシステムは全く不明(→調査継続中)
…まぁ、こんな感じで情報未確認な部分も多く、私にとっては、いまだに「謎」が残る機種だ。
(解析データをお持ちの方は、ぜひ情報提供を…)
資料不足で、詳細な解析データを提供する事もできないので、当時の思い出話などを少し。
本機に出会ったのは、確か1994年(平成6年)5月頃だ。「プチ旅打ち」と称して、埼玉のJR大宮駅界隈のパチ屋に出向いた時である。
大宮には、過去に何度か遠征をしていた。最も記憶に残るのは1990年(平成2年)の夏休み。青森に住む母親の知人の子供(高3&浪人)に大学受験の勉強を教える為、短期の家庭教師を請け負った時である。ちょうど大学1年の時だ。
無事に役目を終え、幾ばくかのバイト料を貰い、嬉々として東京に帰る途中であった。東北新幹線で大宮まで来ると、そのまま地元に戻るのが勿体なく感じて、途中下車を決意。新幹線側の出口(西口)を出ると、すぐ近くのパチ屋で平和の旧要件ハネモノ「たぬき丼」を打った。ホールの名前は失念していたが、その後の情報収集により、どうやら「ことぶき」という店だった模様。これが、記念すべき最初の大宮遠征、そして、「たぬき丼」の初打ちであった。
だが、私の座った台は、ナキは良いがVをとことん嫌う「クセ悪」で、打つほどにジワジワと回収されていった。時たま大当りしても、役物のクセが悪くパンクばかり。ヘタに鳴くので、途中で台を変われぬままに、封筒に入れてあったバイト料が1000円、2000円と減っていく。気づけば、「8000円」がたぬき丼に吸い込まれていた。
今となっては「たった8000円」かもしれないが、当時の私にとっては貴重な資金であった。それなりに苦労して得たバイト料が、旅先のちょっとした「油断」で大きく目減りしてしまった訳だ。大宮に着いた時のウキウキ感はどこへやら、店を出る時は後悔と疲労感でいっぱいだった(ハネモノへの過剰投資を反省できたのは、大きな収穫だったが…)。
そして、1993年(平成5年)秋の大宮遠征も思い出深い。この時に訪れた店は、東口の「セントラルホール」と「リオPART1」。最初に入った「セントラルホール」では、ニューギンのドラム機「エキサイトグランパス2」を初打ちした。新台から間もなかったのか、そこそこに釘は甘く、いつもの都内、神奈川に比べると良く回る印象を受けた。ただ、単発の大当りは数回かけたものの、プラス2回の当り確定&保1連チャンの「横並び7」は、ここでは引けなかった(確か、向ヶ丘遊園「銀座ホール」で最初の確変を引いた記憶アリ)。収支もチョイ勝ち程度だった。
次に入った「リオPART1」では、西陣の爆裂CRデジパチ「CR花満開」と遭遇。その時のシマの「鉄火場」状態がすさまじく、どの客も目の色を変えてハンドルを握り、そこらじゅうにドル箱の山積みが出来ていた。あまりの熱気に押されて、結局は見物しただけで帰ってしまったが…(その後、CR花満は遊園や新百合ヶ丘で追った)。
そんな過去幾度かのプチ旅打ちを経て、’94年5月頃の大宮遠征で訪れたのが、やはり東口「セントラルホール」だった。だが、この時、E・グランパス2の姿は既になかった。あれから一年足らずで入れ替えられたところを見ると、客付きはあまり良くなかったようだ。
そして、この店で大宮恒例(?)の「初打ち」を果たしたのが、実は「ハッピーカクテル」だったのだ。
ドットデジタルが好物の私にとって、未知なるドット機との遭遇は、即「座って打つ」事を意味した。マルホンのドットとは少々毛色の違う、独特のカラフルさが印象的だった。
最初の大当りには手こずった記憶があるが、いきなり保留玉で連チャンが来てビックリした。
’94年当時は、「ダービー物語事件」(1993年)などの影響もあり、現金機に対する連チャン規制が強まっていた時期である(CR機ばかり優遇されていた)。そんな時、初打ちの台でいきなり保留連が来れば、「??」と面喰らうのも当然だろう。
「たまたま自力連チャンした?」とも思ったが、周りの客も、結構な勢いでダブルをかけている。
その様子を見る限り、本機は明らかに「保留連チャン機」そのものだった。しかも、割と強力な…。
因みに、この時のルールは「7は無制限、その他の奇数は継続、残りは1回交換」。「奇数で確変」との説明書きもあったので、最初に奇数3つ揃いが来た時は「ヨッシャ!」と喜んだのだが…。
どうにも、確変中の玉の拾いが良くないのだ。電チューは開くが空振りも多く、現状維持すら難しい状況である。止め打ちで対応できたかもしれないが、遠征で少々舞い上がっていたのか、そうした知恵も働かなかった。結局、初当りで得た玉を半分以上飲まれてから、ようやく次が来た。
ただ、そんな「辛い確変」でも、相変わらず大当り後の保留連チャンは健在だった。もはや、これが仕込まれた連チャンである事は明らかで、「こんなご時世に、凄い機種が出たものだ」と、期待せずにはいられなかった。シマの端では、トリプルまで伸ばしている客もいる。この日は半日タップリ打って、3万近いプラス収支で終えた。性悪タヌキに化かされた数年前に思いを馳せつつ、充実感タップリに帰りの埼京線に乗り込んだ。
その後、新宿などの馴染みのホールで、本機が導入された記憶はない。巣鴨「ラッキーセブン」や、代々木「ムサシ」など設置ホールは点在したが、いずれもたまにいく程度のエリアで、打ち込む事はなかった。また、初打ちで快勝した大宮でも、本機と再戦する機会は二度と訪れなかった。
一体、あの香ばしい連チャンは、どういった「カラクリ」で起きていたのだろう。どこかの攻略誌に、「ROMに貼られたラベルがペラペラの紙で怪しい」なんて書かれていたが、真相はどうだったのか。「モーニング疑惑」も一時期あったが、朝一から打ったことがないので判らない。考えれば考える程、この機種への謎は深まるばかり。何が情報をお持ちの方は、ぜひ教えて下さいね。
この大宮西口店は、「バカ台」と呼ばれたイベントをやっていて、30分で打ち止めになる釘の羽根台が何台かあり、基本抽選解放なのですが朝一だけは早いもの勝ちだったのでよく並んでいました。10時前のドア解放後、店長さんが「軍艦マーチが鳴ってから入場」と言っていましたが、この店の開店音楽は軍艦マーチでなく、「星条旗よ永遠なれ」でした^^;
その他に「P-マンを探せ」というイベント、盤面や筐体のどこかに貼ってあるマスコットキャラのP-マンのシールを見つけたらその場で釘解放or設定変更というのがありました。
ことぶきの他の店舗では「目隠し一発台(釘は開いているけど盤面が見えない)」や「一時間限定・出玉2倍の一発台」というイベントがありました。出玉2倍は打ち止め玉数が増えるのでなく、通常の打ち止め後に店員さんから特殊景品一万円分を渡されるという・・^^今では考えられない営業ですね・・
ことぶき系列は、セブン機が不得意だったようでなかなか無制限営業に移行できず、羽根モノや一発台、権利モノなどにお客さんが多かったです。
連チャン率20%もあったら雑誌が取り上げたりして覚えてそうなモンですけどね。
この頃のゲージ悪い台は酷いのありましたな。
僕的にはCR出世街道の鬼プラス調整、全く回らずってのが1番記憶に残ってますよ(^_^;)
大宮の昔の話だと・・・西陣のスーパーロボットを打った記憶しか無い(店名も忘れた)
しかし高尾っていうと今でこそそこそこ台が出回ってますがそのころはレアでしょう