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(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

サンダードラゴンGP(三共、ハネモノ)

2014-05-10 00:41:46 | ハネモノ

1991年(平成3年)に三共から登場した新要件ハネモノ「サンダードラゴンGP」

 

1990年10月の風営法規則改正を受けて、デジパチのみならずハネモノのスペックも大きく変化することとなった(賞球13個上限⇒15個上限、大当り8R継続⇒15R継続※、普通電動役物搭載可など)。本機は、そんな時代の大きな変化の中で登場した、新要件初期ハネモノである。波のきわめて荒い「大量獲得機」として、西陣の「ニューモンロー」と共に双璧をなした。

※初回Vを継続回数に含めると「9回継続⇒16回継続」となる。


 

★賞球…7&15(ヘソ、オトシ以外は15個戻し)

★ハネ開閉時間…オトシ0.3秒、ヘソ0.5秒×2

★最大15ラウンド継続

★大当り時の貯留個数…8個まで

★貯留解除…役物9カウントorハネ16回開閉時

★平均出玉…1800個(パンクは少ない)

★兄弟機…「サンダードラゴンEX」(1991年)


「サンダードラゴンEX」(賞球6&13)
GPとの主な違いは、盤面や賞球数の他に、「ハネ開閉時間」(オトシ0.5秒、ヘソ0.7秒×2)、「大当り時の貯留個数」(最大9個まで)、貯留解除タイミング(10カウントorハネ18回開閉後)などが異なる。また、Vゾーン手前の「突起」の形もGPと異なる(GPよりもV入賞率が低く、パンクもし易い形状)。


 

本機を最初に打ったのは、向ヶ丘遊園の「ニューギンザ」という店だ。旧要件時代も、道路工事I、うちのポチI、マジカペ、演歌道Iなど、三共のハネモノを多く置いていた店である。旧要件の頃は「ハネモノ2500発終了」だったが、本機が入った時期から「3000発定量」に増えた。ただ、本機の場合、大当りの途中で終了個数に達する事も多く、せっかく打止めしても消化不良が残ったりした。まぁ、交換率が「2.2円」と低かった分、甘釘の台も多く転がっていたが…。


当時の「ニューギンザ」。同じ頃「タイムショック」(三共)、「スーパースリー」(三洋)、「ニューヨーク」(三洋)、「ダブルエース」(ニューギン)などの新要件初期権利モノも、この店で打っていた。「スーパースリー」は、1回目権利が終わると、店員が手入れで2回目権利を発生させてくれた。

 

 

それから、新宿西口・大ガードそばの名店「ニューミヤコ」も、本機の実戦店として記憶に残る。新宿エリアにしては良心的な営業をしていたホールで、当時の交換率は2.5円、ハネモノは4000発終了となっていた。本機のシマはいつも活況で、しかも大半の客がドル箱に結構な玉を貯めていた事を思い出す。全体的に釘が甘めで、今思えば、サンドラで一番戦績が良かったのがこのホールだった。他にも、三共の普通機(チューリップ台)で100円からドル箱満タンにしたり、奥村の権利物「スーパースター」の右打ち回転体攻略で玉をチビチビ増やしたり、色々と懐かしい思い出が残る。


在りし日の「ニューミヤコ」。閉店後、跡地には「カレイド新宿」の大きなビルが建ち、今に至る。

 

 

また、大学のサークル(ボウリング部)が終わった後(正確には、「シチズンボウル」というボウリング場で練習した後、入口近くの軽食スタンドでミーティングをした後)、高田馬場駅に戻る途中、「東陽会館」という早稲田通り沿いのホールによく寄っていた。駅から少し離れており、「コスモ」「国際センター」「日拓」「白鳥会館」といった駅近くのパチ屋・スロ屋に比べて立地はイマイチだったが、サンドラでの勝率は高かった。この店では、山佐の3号機「ホールインワン」の新規導入時にも大勝ちした。「必勝G」誌のスタッフが足繁く通う店としても知られた。余談だが、90年代前半に中森明菜主演の某・月9ドラマのロケ地にもなった(たった一度だけだが…)。


当時の東陽会館。店構えに独特の味わいがあった。2階のビリヤード場にもよく行ったな…。

 

そうそう、当時の「ホーム」エリアだった新宿・歌舞伎町でも、よく本機を打った。西武新宿駅近くの「日拓」チェーン、あずま通り沿いの「ニューメトロ」、仲見世通りの「金時」などが思い出される。場所柄、ガッツリ勝つ機会は多くなかったが…。

そういえば、「金時」のシマは1000円札対応(旧式・釣銭出ず)になっていた。なかなかVを射止められない時などヤケになって、シマ端の両替機まで歩くのが嫌になり、漱石さんをそのままサンドに突っ込んで、1000円分をまるまる玉に替えて打っていた事もある。本機やニューモンロー、ニュートキオ、ニューヨーカーといった当時の大量獲得タイプが、ハネモノの「インフレ化」を一気に進めたことがお分かりだろうか。


在りし日の新宿「金時」。1990年末に新規開店したが、オープン1年少々でいきなり閉店した、不遇の店。出玉も結構良かったので、突然のクローズは残念だったな…。その数年後、金時跡地で「BIS-II」というスロ屋が営業を開始した。

 

そうそう、本機の場合、ホールで「打止台」や「開放台」の三角プレートが入っていても、たまたま前任者が大当りを連チャンさせて終了しただけで、肝心の釘はサッパリ甘くない場合があった。そんな台で札を信用してアツく打ちこんでしまうと、「爆死」は免れなかった。

 


いかにも怪獣チックな本機のヤクモノを最初に見た時、シルバー&メタリックなその外見から、太陽電子のアレパチ「メカコング3」がふと脳裏をよぎった事を思い出す。

もちろん、三共デジパチのファンなら、「フィーバーザウルス」(「II」「SP」)の銀色役物を思い出したハズだ。また、当時は「ゴリコップ」(大一、連チャンハネモノ)はまだ出ていなかったが、ゴリコップの役物のモデルなった旧要件ハネモノ「ゴリゴ13」がピンと来た人もいるだろう。

まぁ、この役物は既視感こそあったものの、それなりの「存在感」もあったと思う。

 

当ブログの読者諸兄ならば説明など不要と思うが、本機の特徴について大別すると、「初当りが厳しい」、「大当り中の貯留玉が多い」「完走率が高い」「ドツキ攻略可」という4点に集約される。あえて5番目の特徴を挙げるなら、「いかにも三共らしい、完成度の高いサウンド(効果音)」という点だろうか。

 

(1)初当りの悪さ

当時の某・三共営業所員の話によれば、本機の初当り確率(V入賞率)は「1/50」であった。旧要件ハネモノの平均的な初V確率が「1/6~1/12」(クセ悪だと1/20以下)程度だったのに比べると、この数字はいかにも「凶悪」である。もちろん、大当りの出玉の多さが原因だが、本来「遊べるはず」のハネモノが「丁半博打化」した事を、如実に示す数値といえよう。

 

では、ここまで初当り確率が悪い原因は、どこにあったのだろう。

 

まず、下段ステージで左右にスイングする「大砲」の存在である。約3.5秒周期で往復(左右両端と中央で一時停止)する大砲は、役物下段ステージに落下した玉を、左右に「散らす」役割を担っていた。

本機の場合、下段ステージ中央からVに直進した玉が大当りし易い構造だったが、中央に転がってきた玉を大砲が弾いてしまう為に、なかなかVに辿りつけなかった。「この大砲がなければ、もっと楽にVを射止められるのに…」と、いつも恨めしく思ったものだ。

ただ、大砲にも弱点はあって、左右に振り切った時だけは、ステージ中央からVに入賞するだけの「空間」が出来た。この一瞬が、大当りする最大のチャンスであった。また、大砲は台ごとにクセがあり、クセの良い台は大砲が左右に寄った時の「寄り幅」が大きかった。大砲が左右の端に寄れば寄るほど、ステージ中央からVに入る確率も高くなる為、このクセの差は重要であった。

 

それから、下段ステージV手前で待ち構える、透明プラスチックの「段差(突起)」も邪魔だった。Vゾーンを取り囲むように付けられた段差が、ステージ左右から来た玉を、ことごとく外に弾いてアウト穴へと導いたのだ。まさに「鉄壁」といえる存在で、打っていてイライラさせられた。

それでも、役物に複数の玉が入賞した時、先に入った玉と後続の玉が「玉突き」を起こすと、玉に大きく勢いが付くことで段差を見事に乗り越えて、そのままVに入る事があった。 

 

さらに、ハネが小さめで玉を拾いづらかったことや(アーム型ではあったが)、ハネ開閉時間が短いこと(オトシ0.3秒、ヘソ0.5秒×2)なども、本機の初V確率を悪くする要因とされた。もちろん、ハネ開閉時間が長いヘソに良く入る台は、役物への入賞率も高く、役物内の玉突きも起こり易いうえ、ヘソ入賞時は大砲の移動周期とハネの開閉タイミングが合っていたので、オトシ入賞時よりもV入賞し易くなっていた。

 

まぁ、こういた不利もあって、初当り確率1/50の超難関を突破するのは、まさに「偶然の産物」だった訳だ。

 

なお、「クセ」に関していえば、大当り中に玉を貯留する「3段アーム」は、通常時の役物入賞中にもガクガク動くのだが、この動き方が台ごとに微妙に違っていた。この時、アームの動きが大きいほど、アームに当った玉がステージ中央に弾かれ易いので、V入賞率も高かった。

それと、当時の人気攻略誌「パチマガ」の専属アドバイザーだったパチプロ「田中勝男」氏(「パチプロ負男」氏ではない…)によれば、サンドラには「10台に1台ほどの割合で、ステージ右壁に当った玉が、(フラフラと)ウロツキながらV入賞する台」があったという。そんな「クセ」の良い台を見つけたら、少しでも釘が開けば勝負になるので、日ごろからマークしておくべきだと力説していた。やはり、「常勝プロ」は目の付け所が違う(笑)。

 

 

 

(2)大当り時の貯留の多さ、高い完走率、ドツキ攻略

 

幾多の苦難を乗り越えて大当りすると、役物内の大きな3段アームがガッチリ閉じて、玉を下段ステージに貯留するようになる。この貯留が半端なく豪快で、役物に入った玉を、ほぼ全て貯留してしまうのだ。さらに、3段アームの一番下には、玉が1個だけ収まる「隙間」(ポケット)が中央にあって、最初に役物に入った玉は、高確率でアーム中央の隙間に挟み込まれる。

 

アーム内は最大8個の貯留が可能で、9個目の玉が入賞するか、ハネが16回開閉すると、アームがガバッと開き、貯留玉を手前にドカーンとぶちまける。さっきまで邪魔だったV手前の「段差」が、今度はVゾーンに玉を導く強力な「ガイド」となり、アーム中央に収まっていた玉を高確率でV入賞させる。毎ラウンド(最終ラウンドを除く)この方法で貯留されるので、継続率は非常に高かった。

役物内の賞球は15個で、9カウントで貯留解除だから、15R完走時には約2000個の大量出玉が得られたのだ。初当りの悪さとは対照的に、大当り時には気持ちの良い収穫を得られた。

 

貯留時、アームの隙間に玉がキレイに1個だけ収まっていれば(画像参照)、ほぼ間違いなく解除後はVゾーンに入賞して継続する。だが、役物内の玉がステージの左右何れかに偏って貯留されたりすると、貯留バランスが崩れて、中央の隙間に収まっていた玉がズレてしまう事があった(アームの隙間に玉2個が半分づつ見える状態)。この「2個貯留」が非常に危険で、解除時にVから逸れてパンクする大きな要因となった。また、ハネの空振りで貯留した玉数が少ない時も、やはり隙間に収まった玉がズレる危険があった。大量獲得機とはいえ、ラウンド途中でアッサリパンクしては元も子もない(実際にパンクした時のショックは、かなりのものだった…)。

 

この貯留の「ズレ」を修正するのに、「正統」な方法と「乱暴」な方法の2通りがあった。「正統な」というのは、大当り中にストロークを左右に変化させて、貯留が左に偏った時は左のハネから玉を拾わせ、逆に右に偏っている時は右のハネに拾わせて、貯留バランスを左右均等に修正する技である。これで「1個貯留」の状態に出来る事もあったが、釘によってはハネの空振りが頻発して、パンクする危険も併せ持っていた。

 

一方、こうした上品な技を使わずに、貯留バランスを一発で修正する「乱暴な」手段があった。それが、有名な「ドツキ」である。アームの隙間が「2個貯留」状態の時に、台を「ガン」と強く叩けば、その振動で貯留玉が動き、理想の「1個貯留」形に直す事が出来たのだ。

 

ただ、これは店からすれば迷惑行為で、店員に見つかればキツく注意を受けたり、場合によっては「出入り禁止」となる場合もあった。しかし、その効果の高さゆえ、本機でのドツキは各地のホールで横行して、結果的に台の寿命を縮める事となった。まぁ、かくいう自分も、さんざ金を使った台がパンクするのが怖くて、店員の目を盗んでドツいたクチだが…(汗)。大当り中ではなく、通常時に台を思いきりドツいて、強引にV入賞させようとする者もいた。

 

 

現役当時は、「ハネモノの皮を被った権利モノ」とか、「遊べるハネモノをぶち壊した張本人」などと揶揄される事も多かった本機。だが、それはあくまで「お上の偏った意向」による規制が原因であり、生産された台そのものに責任はない。

また、登場から20数年を経た今となっては、本機に対して「郷愁」を覚えるのも事実だ。今さら、当時のマイナス評価についてあれこれ言う気はない。むしろ、楽しかった当時のパチ・スロライフを思い出させてくれる「恩人」として、大いに感謝したい気持ちだ。

 


(本記事作成のきっかけとなった和菓子…食べ終わってから商品名に気付いたw)

 

 

★追記(2014.5.11)

本機に関する重要な情報を書き忘れていたので、あらためて追記。

それは、大当りの「ダブル」(連チャン)に関するものである。

 

本機では、最終15ラウンド終了直後、始動チャッカー(オトシ、ヘソ)への入賞があり、続けて役物内に残っていた玉がVに入ると、再び1Rから大当りが始まる「ダブル」の現象が確認された。

これが、単なる「自力」によるものか、或いは仕込まれた連チャンだったのかについては、当時の攻略誌でも見解が分かれた事がある。

しかし、本機の内部プログラムを解析した結果、この連チャン発生が「意図的」なものと判った。

 

サンドラには、ヤクモノ動作を司るプログラム上に、「フラグA」「フラグB」という重要な2つのフラグが存在した。

フラグAは始動チャッカー入賞チェック用、フラグBは内部状態チェック用に、それぞれ用いられる。

まず、フラグAは、「A=0」(チャッカー非入賞時)、「A=1」(オトシ入賞時)、「A=2」(ヘソ入賞時)という3つの異なる状態がある。

次に、フラグBは、「B=0」(通常状態)、「B=1」(V入賞状態)、「B=2」(大当り動作中=ハネ開閉中)、「B=3」(ヤクモノ10カウントorハネ18回開閉でV入賞せずパンク)という4つの状態がある。

基本的には、オトシに入ればフラグAが「A=1」となってハネが1回開放し、ヘソ入賞時には「A=2」となってハネが2回開く仕様だ。

但し、これにはフラグBによる「制約」があり、たとえオトシやヘソに入っても、フラグBが「1」(V入賞状態)か「2」(大当りハネ開閉中)だと、始動チャッカー入賞を一切受け付けない。まぁ、当たり前の話ではあるが。

さて、サンドラの場合、1~14ラウンドは全貯留方式で、ヤクモノ9カウントorハネ18回開閉で貯留全解除となり、「解除=即V入賞」という流れになっていた。したがって、14R終了まではフラグBが常に「1」と「2」をループしていて、始動チャッカー入賞も受け付けない状態が続く。

だが、最終15ラウンドに関しては、3段アームが一定間隔で開閉動作を繰り返し、貯留スタイルが14ラウンドまでとは大きく異なる。ラウンド中、断続的に「貯留→解除」を繰り返した後に、ヤクモノ10カウントorハネ18回開閉で大当り動作は終了する。

最終Rのハネ開閉中(大当り動作中)は、フラグBが「2」の状態なので、始動チャッカー入賞は無効となる。一方、10カウントor18回ハネ開閉後に大当り動作が終わると、その瞬間、フラグBは「3」(パンク)という特殊状態に切り替わり、さらに3秒後に「B=0」(通常状態)に戻る。

実は、この「B=3」の瞬間こそが、ダブルを発生させるチャンスだったのだ。

「B=3」(パンク)の状態は、「B=1」(V入賞状態)や「B=2」(大当り動作中)と異なり、始動チャッカー入賞を「受け付ける」仕様になっていた。但し、実際にハネが開放することはなく、あくまでも「内部的」に入賞信号を受け付けていたに過ぎない。

しかし、チャッカー入賞を受け付ける以上、引き続いて役物内の玉(11個目入賞による)がVに入れば、それが「初当り」と認識されて、再び大当りが最初からスタートする訳だ。

このテの連チャンを無効にするなら、フラグBに「3」という特殊状態を設ける事など不要である。大当り終了から3秒間は引き続き「B=2」のままにしておき、始動チャッカー入賞を受け付けなくしておけば、連チャンなど起きないからである。それを、あえて「B=3」という怪しい状態を取り入れて、始動チャッカー入賞を(内部的に)受け付けていたのだから、「連チャンを意識した設計」と考える方が自然であろう。

したがって、最終ラウンド終了後、3秒以内に「始動チャッカー入賞」⇒「ヤクモノに残っていた玉のV入賞」という流れが起きれば、ダブルが発生する仕様になっていた。もちろん、他のラウンドであっても、10カウントでVゾーン入賞せずパンクするようなケースであれば、同じようにダブルのチャンスがあった(可能性は低いが)。

実は、サンドラに限らず当時のハネモノには、このテのダブルが仕込まれたタイプが、数多く存在していた。各メーカーがヒットを狙って、積極的に連チャン機能を仕込んでいた訳だ。 

(追記終わり)

 



3 コメント

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ドツキ (たろへい)
2014-05-10 14:12:05
僕はチョコっとしか打った事ないですが、通常時ドツキはヤバかったと思います。


通常時、羽根に乗った玉が大砲に当たり左右の3段アームに沿って外れて行くパターンが多いです。
その時、左右の3段アーム先端に玉が来た瞬間ドツくと玉の軌道が変わりV入賞しました。
(注)強過ぎるとVを超えちゃうので大した力は要らないドツキですよ。

記事にあるパチマガアドバイザーさんが紹介していたクセ良しパターンをどの台でも高確率で発生させられた訳です。



当時は攻略が豊富だったので僕は実験しかしてませんが、後から聞いた話で専門の人はボロ儲けだったらしいですよ。

ほぼ外れパターンを高確率でV入賞出来た為、末期は有り得ない位釘が悪かった印象でした(^_^;)


…当時ではメジャーなドツキだと思います
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Unknown (えむ)
2014-05-12 01:45:16
羽根物のダブルといえばゼロタイガーとか18開閉したときの玉がVゾーンへ入ると1Rからリスタートする仕様でしたね
当時の羽根物では西陣のスペースジャガーが羽の根元に留まってると真下のVゾーンへ真っ直ぐ落ちるので非常にダブルが発生しやすかった
西陣は結構ダブル機能をあとまで残していて記憶にある中ではスーパーブラザース、安来節、ダイスマンP-1(Pー2にはなぜかなし)がありました
10カウントなので最終R18開閉まで1,2発残して待つ必要がありますが
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Unknown ()
2014-05-12 09:11:15
羽根モノのプログラム解析とは恐れ入ります。大量獲得&連チャン全盛期とあって、羽根モノにも意図的な連が仕組まれていたのですねぇ。その恩恵にあやかったことは無いですが・・

サンダードラゴン(三共)、ニュートキオ(平和)、ニューモンロー(西陣)、これらが2.5円交換3000発打ち止め(私の地元)という営業スタイルに合わず、導入当初は店も客も落ち着かない状況でした。一番過激だったのが当機種ですね。何かもう、羽根モノでも権利モノでもないメチャクチャな機種のような気がして毛嫌いしてました。

「V入賞が偶然」との記述、すごく分かります。もともと三共の羽根モノは入賞ルートやタイミングなどがはっきりしていなくて偶然入るような流れのものが多いんですよね。また使用しているプラスチックの弾性が高いのか、内部で跳ねるような動きをするのも西陣や平和との違いだと思います(透明の硬質プラを使っているせい?)。
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