まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

フラッシュマン5(ニューギン、ハネモノ)

2013-12-03 18:18:46 | ハネモノ

1990年(平成2年)初頭に登場した旧要件ハネモノ「フラッシュマン5」(ニューギン)

 

※本機の登場時期を「1989年」とする情報も有るが、当時の資料では「’90年・春の新台」として紹介されており、各攻略誌等も90年4月~6月に新台記事をこぞって掲載。検定通過は1989年の可能性が高いが、実際にホール導入されたのは90年に入ってからと思われる。


 

大学1~2年当時、都電荒川線・大塚駅の「ヒロキ」などで打った。授業終わりに、荒川線の早稲田駅から大塚駅へと出向く「プチ遠征」を時折行っていた。都電の大塚駅が近づき、車窓からパチ屋の看板が見えてくると、妙にワクワクした気持ちになった(左に「ヒロキ」裏口、右に「タイガー」。「ひょうたん島」の看板なんかも見えた)。

「ヒロキ」はニューギンの台を多く置いており、ハネモノの「ポップアート」や「ロードダンサー」、それにデジパチの「エキサイトマジック」や「エキサイト麻雀5」などがあった。駅反対側の「大塚センター」では、奥村の「ドリームX」なんかをよく打ったな…(懐)。パチンコ1年目の1990年は、パチ・スロ問わず、何を打っても新鮮で楽しかった。


 

★賞球…5&8&10

・オトシ(1チャッカー)とヘソ(2チャッカー)は5個戻し。ヤクモノは10個戻し。その他は8個戻し。

・89年末に導入された先行機「ポップアート」(5&10)同様、出玉が少ない代わりに、低投資型の「財布に優しい」ハネモノとして重宝された。

・因みに、ポップアートの兄弟機「日本一」(1989年、オール13)及び「デルタ」(1989年、オール13)は、ポップアートと共通のヤクモノなのだが、貯留方法が異なる。ポップアートは1個貯留、日本一は6個貯留、デルタは非貯留式である。

 

★ヤクモノ下部に描かれたコミカルなキャラ=「フラッシュマン」


ヤクモノ下部(Vゾーン付近)には、右手に剣、左手に「N」の盾を持ったモビルスーツ調キャラが描かれている。流行りの「機動戦士ガンダム」(特に、コミカル調の「SDガンダム・ガチャポン戦士」)や「ビックリマン」のシールを彷彿とさせたが、これが機種名ともなった「フラッシュマン」の正体であろう。別名、「稼働戦士・ニューギンダム」(嘘)。こういった「バッタモン的」なチープ感が、この時代のハネモノにはよく似合った。

 

★ニューギン独特の「筒型ハネ」を初採用

・当時のニューギンお得意の、透明な「筒型ハネ」(ダブルウィング)は、本機で初採用された。

・ハネ開放時間は、オトシ=0.4秒、ヘソ=0.5秒×2となっている。

・ハネ内部は空洞になっており、先端の穴から筒内部を経由した場合(ルートA)、下段に直接落下して、手前中央のVゾーンに飛び込み易い(V左右はハズレ穴)。この斬新な入賞ルートが話題となった。この時、筒に拾われるタイミング(早めor遅め)によって、V入賞率に違いが出る。

・一方、従来型と同様に、ハネ上部からヤクモノに入賞するオーソドックスなルートもある(ルートB)。この場合は、まず上段ステージ奥に向かった後、ヤクモノ内をランダムにクッションして手前に戻ってくる。

・必然的に、「筒に玉が入り易い台」を探すことが、V入賞率アップのポイントとなった。オトシ、ヘソ、寄り釘はもちろんの事、ハネ先端付近の「二本釘」(玉は、この二本釘の間から筒に入る)のチェックも重要。

・この「筒型ハネ」は、同年後半に登場した旧要件機「さめざんす5」(5&8&10、8ラウンド機)や、’91年登場の新要件機「マンモスくん」(5&8&10、15ラウンド機)へと引き継がれた。


 

★役物下段の青いカバー(トンネル)がクセモノ

・下段ステージのV手前には、青い透明プラスチックのカバー(トンネル)がデンと構えており、これが通常時のV入賞を阻んでいた。特に、「ルートB」の入賞ルートでは、上段ステージ左右から下段手前に来る玉の大半が、このカバーに邪魔されてハズレとなった。

・但し、ヤクモノ内の玉の動き次第では、アーチ状に湾曲するカバーにうまく乗り、上から真っ直ぐVに入る事もあった。また、上段ステージから下段両サイドに向かった玉が、左右の傾斜にポンと当ってVに飛び込むパターンもあった。

・大当り中、貯留機能はないが、この青いカバーが奥に引っ込むので、継続率は大幅アップする。

・カバーの動きは大当りの前・後半で異なるが、いずれにせよ、継続率が高くなる事に変わりなし。

・1~4ラウンドはハズレ玉を5カウントすると、カバーが後ろに下がるようになる。これでV手前にあった邪魔な障害が消えて、下段ステージに向かった玉が容易にV入賞する。

・一方、5~7ラウンドは、ハネの開閉に合わせてカバーが前後に動くが、このタイミングが絶妙で、玉が下段に来る時はカバーが必ず引っ込んだ状態となる。よって、5ラウンド以降のV入賞率は極めて高い。

・ただ、筒型ハネの斬新さとは対照的に、ヤクモノ内部の作りは非常にシンプルだった。新開発のハネを目立たせるため、敢えてヤクモノは控えめにしたのかもしれない。そのシンプルさゆえ、却って飽きの来ないゲーム性になったともいえる。

 

★出玉は少なく、マッタリと遊ぶ

・継続率は総じて高いが、冒頭で書いた通り、ヤクモノ内の賞球が「10個戻し」の為(当時のハネモノは13個戻しが主流)、少々のスランプを喰らっただけで、せっかく稼いだ出玉が「全滅」するケースも多かった。

・釘を見る目があまりなかった当時、「プチ遠征」でしか打たない本機で、すんなり打ち止めまで行った記憶はない。大抵がいわゆる「遊び台」で1000発も行けば御の字だったが、「ヒロキ」は等価交換だったので、その程度のショボい出玉でも、夕食代と遠征の電車賃くらいは浮いたものだ。当時の大塚エリアは、シブ釘も多い代わりに3円以上の高換金ホールが大半だった(ヒロキ、タイガーは等価)。

 

まぁ、なんだかんだで、小銭でささやかな夢を買える、実にマッタリした時代だったな…。